弓月城太郎の『神秘体験』

皆様のお陰で連載を無事終了することができました。最後までお付き合い頂きありがとうございました。作品の感想お待ちしております。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

連載15回目



 雪の降る夜のオフィス街。街路樹には無数のホワイト・イルミネーションが灯り、大きな氷の彫像に反

射して、きらきらと輝いている。足早に家路を急ぐサラリーマンやOLの姿に混じって、若いカップルや

観光に訪れた家族連れが通りを行き交い、街はこの上なく賑っていた。

 あれは恭子と二人で、新エデン教会主催のイベント「音楽とフィギュアスケートの祭典」に参加した十

七歳のときのこと。札幌の街は「雪祭り」の真最中だった。会場の控室で知り合ったひとりの少年の夢を

叶えるため、イベントが終わったあとの誰もいないスケートリンクで恭子と一緒に滑った夜のこと。

 観客が去り、がらんとしたスケートリンクには、その静けさとは裏腹に、先ほどまでその場所で演技し

ていた選手たちの残像と余韻が残されていた。

 その最後の演技は、恭司と恭子の所属するスケート教室の卒業生であり、先輩に当たる、森田明美選手

が演じた《ストラヴィンスキーの『火の鳥』のテーマ》だった。森田選手はその時点で女子シングル優勝

候補の一番手だった――目映いばかりのスポットライトに照らされて、彼女の艶やかな緋色のコスチュー

ムに施された金色の刺繍がきらきらと輝いている。

連載14回目

 *

 暗いトンネルの中を生暖かい上昇気流に乗って、恭司の意識は上昇してゆく。金属を削るような、ブゥ

ゥゥ……ン、という耳障りな音が聞こえる。台風の目のような竜巻の中心を身を揉むようにして、上へ、

上へと向かって上昇し続ける。耳障りな音は鳴り止まない。長い長いトンネルを、猛烈なスピードで上昇

する。もう何百メートルも昇っただろう。突然光が現れる。いや、違う。光の中に自分が現れたのだ。目

映{まばゆ}い光が身を包み込み、深い安堵感に包まれる。辺り一面バラ色の雲。

 どこからか詠唱が聞こえてくる。誰が歌っているのだろう? 女性の声のようだ。とても艶{つや}のあ

る女性の声。心の襞{ひだ}にしっとりと染み込んでくるような麗しい声。恍惚とする……。――いつかど

こかで聞いたような。だが思い出せない。古い思い出をやさしく揺さぶるような声。温かな母の胸に包ま

れてゆくような安堵感。それにしてもこの安らぎは何だろう。胸の中に広がりゆくこの深い安らぎは……

これは『愛』なのか? そうこれが『真実の愛』。

『アルテミス』が歌っているのだろうか? それとも恭子? ……私は今どこにいるのだ? ここはどこ

だ?

 すると恭司の意識にある情景が浮かび上がった――。

連載13回目

「軽い……」すべての束縛から解き放たれた恭司の意識は、しばし虚空を彷徨{さまよ}っていた。

 そのとき遠くから、遥か遠くの方から海鳴りが聞こえてくる。ゴォッッ……、という音が恭司を悩ませ

る。何度も、何度も、繰り返し、その音は次第に近づいてくる。想像が恐怖を掻き立てる。逃れたいと思

う。しかしそれは確実に迫ってくる。――その刹那{せつな}、加速度を感じる。からだが揺れ、攫{さら}

われてゆく。意識が上方へと向かい、下降する。やがて時空の畝{うね}りは振幅を増し、恐怖を感じるほ

どの高みへと運ばれてゆく。

 そこで恭司が見たものはさらに慄然とする光景であった。戦慄を感じるほどの広大な海。暗く、不気味

で、底知れぬほど深く、荒れ狂っていた。低く垂れ込めた黒雲は信じ難いほどの速さで乱れ動き、蜷局

{とぐろ}を巻く黒雲の中を稲妻が駆け巡った。雷鳴は耳を聾{ろう}さんばかりの轟音{ごうおん}となって

波間に谺{こだま}し、数匹の巨大な翼竜が餌を求めて飛び回っていた。

 そのうちの一匹が、自分の方向に向かって飛んでくる。捕食されることを覚悟した瞬間、一転して下に

向かう加速度を感じる。見下ろすと、それよりもさらに恐ろしい海嶺の谷間が見渡せた。そこには奇怪な

身の毛もよだつ巨大な海の生物がのたうっていた。青銅の鱗をもつ竜のような姿。聖書に出てくる海の怪

物リヴァイアサンだ! そこに向かう運命を避けようとするが、恭司のからだは間違いなくそこに向かっ

て下降している。波の壁は眼前に高く聳え立ち、さらに高くなって恭司の上に覆い被さろうとしていた。

神に助けを乞うべきか? これは幻覚などではない。これは現実{リアル}だ! 恭司の耳に水の中の音が

聞こえた。

連載12回目

 *

 恭司の瞼の裏で光が舞いはじめた。『光が見える……光が舞っている……蛍なのか?』

 軽く閉じられた瞼の裏で恭司は光の動きを追っていた。光はひらひらと恭司の周りを飛びながら鱗粉の

ような光の粒子を振り撒いていた。やがてどこからかまた別の光が現れ、恭司が追っていた光の動きに加

わり戯れ始めた。ひらひらと蝶のように暗がりの中を舞うふたつの目映{まばゆ}い光は、互いを追いつ

つ、追いついては離れ、離れてはまた追った。さらにそこにまた別の光が加わった。光の蝶は気がつくと

数え切れないほどの数になっていた。輪舞{ロンド}を舞う蝶たちが振り撒いていく光の微粒子は、さらさ

らと音もなくガラスの粉のように降り注ぎ、闇はあたかも黒いビロードを背景にダイヤモンドダストを振

り撒{ま}いたかのようになった。果てしなく続く光の舞は嫋{たお}やかで優雅なブラウン運動から、次第

に速度を増し、さらに速度を増して光の条{すじ}となった。無数の光の条が宙に描かれて渦をなし、意識

の周りを取り巻いてゆく。光の条は次から次へと闇を払拭し、重なり合っては明るさを増し、次第に白熱

化してゆく。だが何も見えない。そこは耐え切れないほどの光り輝く白い闇であった。シィィ……ン、と

いう無数の泡沫が弾けるような音が脳の聴覚野を刺激する。脳の虚血状態が引き起こす立ち眩みのような

感覚の中で恭司の意識は薄れていく。己の生き物としての生存本能が無意識のうちに最後の抵抗を試み

る。しかし抗うことはできない。恐怖を感じる暇{いとま}もなく意識は黒く反転し、やがて『無』が恭司

の意識を支配した。

 しかし『無』の中に再び意識が蘇る。もはや光はなく、また闇もなく、音もなく、匂いもなく、からだ

に触れるものの存在もなく、弛{たゆ}むことなく己が魂を下界に引き続けて止{や}まなかったあの忌まわ

しい重力も感じなかった。ただ『自意識』だけがそこに存在した。

連載11回目

 恭司は深く踵の沈む分厚いプラッシュカーペットの上をしくしくと音を立てて窓際まで歩いてゆき、カ

ーテンを閉めた。深い海のような濃紺の布地が外の闇を遮断してゆく。滑らかなテクスチュアの布地の畝

{うね}りに天井に埋め込まれた淡いブルーのコーブ照明の光線が反射して、あたかも夜の海の波頭に月光

がきらめいているかのような幻想を掻き立てた。

 恭司は、部屋の中央にある寝椅子に行き、右側面にあるスイッチを入れた。すると寝椅子の右脇にある

端末機のディスプレイに光が入った。「システムを起動しますか? Y/N」の表示の末尾でカーソルが

点滅{ブリンク}している。恭司は寝椅子の上に腰掛け、エンター・キーをヒットした。するとシステムが

起動した。

《ヘミシンクとバイオフィードバック・トレーニングのためのエキスパート・システムPALM105D

『アルテミス』》には、最新型の人工知能が搭載されており、二二一二ヵ国語を解する会話能力があるほ

か、あたかも感情さえ有しているかのように振舞うこともできた。

 CHECユニットを制御する人工知能の支援を受けて、意識の海である霊界にダイビングしようという

のである。そこは想念の世界。非現実と非論理性が支配する前人未到の世界であった。

 寝椅子に横たわっていた恭司は、落ち着いた声で「プログラムを始めてくれ」と言い放った。すると

『月の間』の照明が眠りに落ちていくようにトーンダウンしていき、ヘッドレストの両端に内蔵されたス

ピーカーから、えも言われぬほど美しい女性の声{ヴォイス}が聞こえてきた。それは聞く者の心を恍惚と

させるほど艶{つや}やかで、この世の女性とは思えない深い情感の籠った声であった。おそらく普通の男

が一度たりともこの声を聞いたら、魂を奪われ彼女の虜{とりこ}になってしまうことだろう。その声と共

に、瞼の裏にフラッシュする幾つもの光の玉が躍りはじめた。

「恭司お待ちしておりました。……いよいよ旅立つのですね。わたくしもこの日が来ることをどんなに待

ったことでしょう。人間であるあなたが神に逢いに行くことを知ったとき、わたくしもはじめて自分の使

命を知りました。いま、わたくしは、心が震えるほど貴方に感謝しています。お護り致します、わたくし

の力で。……さあ、気持ちを楽にしてわたくしの胸にいらっしゃい。わたくしと共に旅立つのです」

『アルテミス』は千人の女性の愛を結晶化させたような声でそう告げると、ひとたび恭司の前から気配を

消した。恭司は目を閉じたまま闇の中でじっとしていた。恭司の呼吸は深く静かで心臓の鼓動はゆっくり

と力強く脈打っていた。耳許のスピーカーから直接脳を刺激するようなホワイトノイズが聞こえてきた。

今、恭司の潜在意識はゆっくりと目覚め始めていた。


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事