弓月城太郎の『神秘体験』

皆様のお陰で連載を無事終了することができました。最後までお付き合い頂きありがとうございました。作品の感想お待ちしております。

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連載6回目

 遊歩道を抜けると視界が開け、礼拝堂の東側にある芝生の庭に出た。そこは神殿の敷地の中でも最も心

を和ませてくれる場所であった。神殿を訪れる人たちにとって憩いの場となるよう配慮された広く開放的

な前庭のつづきで、どこか南フランスの田園地帯にある田舎の庭園の趣があった。緩やかに盛り上がった

敷地は、一面が緑の芝生で覆われており、白い神殿の建物と見事な対比をなしていた。神殿の礼拝堂の東

側に面した外壁は蔓草{つるくさ}に覆われており、それがちょうど、礼拝堂の窓にとっては天然の「緑の

カーテン」となって窓から射し込む太陽の光を透き通った緑色に変えていた。庭の中央のやや北寄りの場

所には水盤 がしつらえてあり、その水盤を覆うようにしてローマ風の天蓋が青みがかった影を落として

いた。花壇にはスミレやチューリップなどの可愛らしい草花のほか、ポールやアーチ状に仕立てられた色

とりどりのバラが咲き誇っていた。中でも中央の花壇に植えられた三種類のバラは人目を惹{ひ}いた。

 実はそのバラには深い意味が込められていた。

 赤いバラは〈神への愛〉を、白いバラは〈隣人への愛〉を、青いバラは〈神への愛〉と〈隣人への愛〉

によって得られるとされる〈永遠の命〉を象徴していた。

 二〇二三年、この時代のバラには棘{とげ}はなかった。棘は『原罪』を意味していた。また《青いバ

ラ》は二十世紀には存在しなかったものである。人類は神の創造の御業としてこの世に生み出されたこの

美しい植物のほんの僅かな欠点を取り除き、人の手によって神の創造目的の完全なる成就を目指した。そ

の結果としてこれらのバラはこの世に存在しているのであった。

連載5回目

 カフェテラスを出るとそこは礼拝堂の裏庭へと続く遊歩道{プロムナード}だった。花弁が散ってすでに

葉桜となっていた街路樹が、樹間から垣間見える抜けるような青空を覆い隠すかのように、少し鬱蒼とし

た感じで生い茂っている。濡れたように濃い鳩羽色のアスファルトの上には、まだ微{かす}かに桜の花弁

や萼{がく}の残滓{ざんし}が、うっとりとした桜の香気を漂わせ路傍を薫{かお}らせている。

 恭司は深く息を吸い、少し肺腑にとどめてから今度はゆっくりと吐き出した。馥郁{ふくいく}とした香

しい大気が細胞の隅々にまで行きわたり、街路樹の緑がひときわ輝きを増したかのように急に息づいて見

えた。五月の緑の旺盛な生命力が、恭司の生命力と呼応して共鳴しているかのようだった。神殿の敷地周

辺を包む辺り一帯の空気を恭司は悦{たの}しんでいた。霊的視力を持った者がそのときの恭司を見れば、

彼のからだから立ち昇るミントグリーンの巨大なオーラが見えたであろう――。

 オーラ、この不可思議な光のベールが三人の常人とは思えない魅力の秘密だった。その光のベールは信

仰を持つ者のみが纏{まと}うことのできるアポローンのような日輪の色からそのときどきの心理状態に応

じて色を変えた。やさしい気持ちのときのローズピンク。祈るときのターコイズブルー。祈りが深くなる

と青白く白熱化し、ときには紫色を帯びることもある。今はリラックスしているので、恭司のからだは淡

いミントグリーンのオーラにつつまれていた。

 春の明るい陽射しの中、聖日礼拝が行なわれる礼拝堂までの道程を、三人は『ダンテの神曲』を話題に

しながら歩いていた。ダンテが恋人ベアトリーチェに導かれ、詩人ヴィルジリオを伴って天界へと昇る物

語である。

 恭子は夢見るような眼差しで兄に語りかけた。

「兄さん。わたくしももういちど、いつかみたいに兄さんたちと一緒に霊界の旅をしてみたいわ。霊界に

はまだわたくしが知らない、とても綺麗な場所がいっぱいあるんでしょ」

 恭子はしなやかな髪をさらりと揺らし兄の顔を覗き込んだ。しかし恭司は前を見据えたまま、霊界の雄

大なパノラマに想いを馳せ、憧れと微かな厭世を込めて恭子に語った。

「あるよ。美しい場所ならたくさん。――広く果てしなく連なるコスモスの丘。雪を戴いた荘厳な山々。

宇宙の叡智を集めたクリスタルでできたミュージアム。すべては精霊界に住む霊人たちの想念が作り出し

たものだ。精霊界には霊人たちが作り出した『偽りの天国』というのもあるんだよ」

「『偽りの天国』! 物質的な考えに毒された人が夢見るような理想世界のことかしら?」

「そう、その場所は一見すると楽園{パラダイス}のように見えるからね。――花がいっぱい咲き乱れてい

て、立派な宮殿があって、小鳥たちや可愛らしい小動物がいる。そこにいる霊人たちは、お酒やご馳走を

おなかいっぱいたいらげ、美しい竪琴の音に酔い痴れ、自分たちは天国にいると思い込んでいる」

「本当の天国はそんなのじゃないわ。天地{あめつち}を造り給うた天のお父様への崇敬と隣人への愛なく

して天国などあり得ないわ」

 クリストファーもそれに同調した。

「天の御国は神の御心を行なうことによってのみ創られるものなのですね」

 三人はそのあと、「花は何のために咲くのか」という問題について話し合いながら、陽光の降り注ぐ道

を登っていった。

連載4回目

 *

 キュッという音とともに湯を止め、恭司はシャワーブースを出た。ふんわりと乾燥したやわらかいバス

タオルを手に取ると、頭にかぶせ髪を掻き毟{むし}る。髪の水気を拭い取りながら、壁にしつらえてあっ

た等身大の鏡に自分の裸体を映した。

「今度の旅も本当に帰って来られるだろうか? カルマの鏡か……この若い身空で霊界に行ったきりにな

るなど、ぞっとしないな」

《ミケランジェロのダビデ像》を想わせるような均整のとれたからだを陶然と見つめ、恭司は自分の十八

歳の若さにしばし見入った。その彫像のような理想的な体躯と気品を漂わせる端正な顔立ちは、内面から

の輝きと共に、《生ける神の似姿》と呼ぶにふさわしかった。

 テニスコートに隣接した白いカフェテラスに行くと、すでに着替えを済ませていたクリストファーと恭

子がパラソルの付いた丸いテーブルの席にいた。二人は楽しげに談笑していたが、恭司の姿に気が付くと

恭子が兄に手を振った。

「兄さぁん! こっち、こっちぃ」

 クリストファーは恭司と同じ十八歳の若さだが妹の恭子はまだ十六歳である。恭子の天使のようにあど

けない顔立ちには、兄とは別の魅力と、よく似た気品とが具わっていた。恭司は志の高そうな黒く澄んだ

瞳をしていたが、恭子の瞳は日本人には珍しい美しい灰色だった。光線によっては鳶{とび}色からやわら

かい灰色へと色を変えるどこか夢見がちな瞳は、かつてこの世に存在し得なかったようなやさしい光を湛

{たた}えていた。兄とよく似た気品は、恭子を見る者の心に霊性の高さを感じさせずにはいられない、神

人としての天稟{てんぴん}であった。この常人ならざる雰囲気をもった兄妹の神々しさが外見によるもの

だけではないことは確かだった。この二人が、いや、正確に言うとクリストファーを含めた三人が身に纏

{まと}っている霊的雰囲気が、どのようにして生じているのか、その理由を、普段物質的な事柄にしか心

をかまけていない俗人が理解することはとうてい無理であろう。

 とは言え、恭子の美貌は外見の上からも息を呑むほどだった。端正な顔立ちに加えて、ほっそりとし

て、やわらかく、伸びやかな姿態の美しさは、生き物としての限界を超えているかのようにさえ思えた。

この周囲を圧倒する《神の奇蹟》の前には、如何なる大人の美女も色褪{あ}せて見えた。

 恭子が兄に手を振ると、クリストファーも優雅な挙措動作で手を掲げて恭司に合図を送った。このアメ

リカ人青年、神話をモチーフにしたカメオのような優美な顔立ち、とらわれの無い青空のような瞳、プラ

チナとゴールドを併せたような色合いの美しい金髪、由緒あるヨーロッパ貴族の血脈を信じずにはいられ

ない立派な外貌をしていた。

連載3回目


 シャワーヘッドから迸{ほとばし}る熱めに調節した温水が、恭司のからだから汗を洗い流している。風

に当たって冷えかけていた皮膚の奥では筋肉がまだ燃焼を続けていた。肌に染み込むようなシャワーの熱

が、激しい試合の後の疲れを吸い取ってゆく。ワンセット・マッチだったため、それほど疲れていたわけ

ではなかったが、全力で戦い、発汗してからだが軽くなったときに感じる爽快な脱力感と戦いの余韻を恭

司は楽しんでいた。そのとき恭司は、先ほどの試合の最後のプレイを思い起こしていた――。

 サービスを放つときのクリストファーの舞い立つようなフォームが、ストロボ写真のように脳裏に蘇

る。ネットを挟んで対峙したときに感じる相手の巨大な気が、静かなトスアップと共に宙に浮いたかと思

うと、次の瞬間、強烈なサービスとなって襲ってくる。一瞬空気の密度がずれたかのような圧力を感じ

る! 目の前がカッと、明るさを増したかのようなこの瞬間ほど、相手との距離が短く感じられるときは

ない。

 コークスクリューのような弾道でセンターラインの内側を抉{えぐ}るようにして逃げてゆくスピン系フ

ラットサーブを、かろうじてフォアで拾う。砲弾のように重い球質のボールがラケットフェイスをぐんっ

とくぼませる。少しでも球威に押されると、ラケットの面は角度を変え、ボールはコントロールを失って

しまうだろう。しっかりとフォロースルーを加え、正確にリターンする。

 しかしそのときにはもうクリストファーはファーストボレーの態勢に入っているのだ。何というダッシ

ュの速さ! リターンは運良く相手の足元に沈んだが、今度はやわらかいタッチのローボレーがきわどい

角度でフォアサイドのコートの外に逃げてゆく。諦めてはいけない。全速力で追う。必ず届く! 拾って

みせる! ダウン・ザ・ラインで抜けるか?! ネット際で立ちはだかるクリストファーの脇を抜ける間隔

はほとんどない。

 そのときコートの一角が光っているようなイメージが湧いた。あとはからだが覚えている。狙い澄まし

たショットが、まるで糸を引くようにしてその光るエリアに吸い込まれてゆくのが見えた――。

連載2回目

   〔   第一部・転生の秘蹟  〕


 その日、空は青く、どこまでも青く澄みわたっていた。広い芝生の庭が公道沿いに連なる一見して裕福

な家が多い新興住宅地。まだ朝露の残った白い破風には、海から吹く風に揺れて太陽の滴がキラキラと七

色の光芒を散らしていた。

 薄いパステルトーンの様々な色あいの住宅の向こうには、ひときわ高く聳{そび}え立つ真白な神殿の尖

塔が、それよりも遥かに高い切り立った断崖の麓に見える。公道から逸{そ}れてその建物の方へと続く道

の片側には、かつてキリストが弟子たちを伴ってエマオへと向かう途中で目にしたようなオリーブの果樹

園が広がる。そのときキリストが語られた御言葉がどのような内容であったかは、聖書には記されていな

い。しかし、道すがらおそらくはキリストが説いたであろう無償の愛の教えを実践する者として、日々の

生活を送っている人たちが、その町には多く住んでいた。
 
 新エデン教会の献身者である宣教師は、平日はまだ日が昇らぬうちに起床し、すぐに床を出たかと思う

と東の方角に向かって跪{ひざまず}き、静かに目を閉じ、今日一日の神の御加護と人々の幸福を祈る。日

曜日は聖日ともあって普段より一時間だけ長く眠ることが許されていたが、それでも午前六時には起床

し、その日の日課をこなしてゆくのだった。聖日といっても大昔のユダヤ教の安息日のような堅苦しいも

のではなく、早朝の時間、外に出て野山を散策したり、讃美歌を歌ったりするほか、兄弟姉妹たちとスポ

ーツに興じるようなことも普通に行なわれていた。新エデン教会の三人の若き宣教師、恭司・恭子・クリ

ストファーにしても同じだった。

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