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私は、Yahoo!ブログの転載機能を使いません。
また、私の記事の転載もお断りさせていただいています。

転載機能がどうして嫌なのか?
1. ブログの開発者が想定外(予見してテストをしていないだろう)の再転載がおこりうる
    可能性が高いから。
2. 転載機能が発動されても、被転載者に通知がされないから。
    また、記事の内容や語句を修正しても、転載した記事には反映されないから。
3. 転載された記事のレイアウトは、元のレイアウトから変わってしまう(崩れる)場合があるから。


1. ブログの開発者が想定外(予見してテストをしていないだろう)の再転載がおこりうる
    可能性が高いから。
  こんな生意気なことを書くと、お叱りを受けそうですが。。。
  実際、想像の域を越えることはないお話です。
  もしかしたら、Yahoo!ブログの全部、単体テストも通しテストもしていないかもしれません。

  でも、怖いじゃないですか。
  よく、MSでもプログラムの設計ミスなどによる脆弱性やバグ(不具合)による弊害が見つかって、
パッチといわれるプログラムをダウンロードしたりします。
  これを放置しておくと、個人所有のPCや個人情報が危険にさらされる恐れがあるからなんですよね。

  【ベータ版ユーザーの責務】 があるとおっしゃる方もいらっしゃいますが、
  危険をはらんでいる機能を、何とかなだめすかして使うのが 【責務】 をまっとうしていること
になるのでしょうか?
    危険そうだと感じるから使わない 
・・・ これも 【責務】 の果たし方にはならないのでしょうか?



2. 転載機能が発動されても、被転載者に通知がされないから。
    また、記事の内容や語句を修正しても、転載した記事には反映されないから。
  どんなに気持ちでは個人的な日記でもつぶやきでも、ブログにアップしたらこれは個人の自由
な空間ではありません。
  会社の上司や嫌いな人の実名を挙げて、誹謗中傷を書いたり、『バカヤロー』 と書くことも
できません。
  書き手の気持ちはノートの隅やチラシの裏感覚でも、
  ブログにアップすれば地域の回覧版や掲示板に留まらず、
  テレビやラジオ、新聞などと変わらない媒体に記事を発表することになるからです。

  自分の気持ちをひとたび外に発言したら、やはり発言した責任は伴います。
  どうしてその発言にいたったのか、もっと詳しく述べよと求められる場合もあるかもしれません。
  そして、気持ちは時間をおうごとに変化することさえあるのです。
  【誰が転載したかもわからない】
【記事の内容や語句を修正しても、転載した記事には反映されない】 のでは、
己の発言に責任が持てないばかりか、質問や要請に応えることもできません。
  
  『転載者と被転載者の間で通知できるように工夫している』 という方もいらっしゃるでしょう。
  それでも、意思の疎通がすれ違ったり、ちょっとしたミスによるトラブルは起こる可能性
は少なくないでしょう。
  なぜなら、何でも自動化・ボタン一つで出来てしまう便利がウリのブログなのに、
やたらと手動作業が多く求められるからではないかと思うのです。

  ボタンは押すことも簡単ですが、押さないこともまた簡単♪
  無益なトラブルを呼び寄せないためなら、転載ボタンを押さない、押させない心構えも
  必要なのではないでしょうか?



3. 転載された記事のレイアウトは、元のレイアウトから変わってしまう(崩れる)
    場合があるから。
  私は、文字だけの記事でも写真つきの記事でも、意識してレイアウトを多少なりとも考えます。
  段落を変えたり、1行空欄行を設けたり。区切り線の太さも意識して変えたりします。
  記事に写真を差し込む時は、更に気をつかいます。

  このレイアウトへの苦心が
  転載機能を使うことにより、台無しになってしまうのは悲しいを通り越して激怒ものです。
  『あーでも、こーでも』 と工夫を凝らして、こだわった時間と気持ちが踏みにじられる思いです。
  細かいようですが1カラムだってズレたら、もう私の記事が改ざんされたと感じるぐらいです。
  転載者も被転載者もそんな中途半端な記事を紹介することで、本当に満足なのでしょうか?

  記事を魅せるための努力や想いを我慢させ、歪ませても平気といった記事を無視した機能が
  【便利で有能な機能】 なのでしょうか?
私には、記事の広い流布を優先しているように見えてなりません。
  ブログの記事への取り扱いの優先度を考えると本末転倒という思いになります。


転載をする方の、
  【いい記事を一字一句、そのまま表示するために転載します】
という意見を拝見したことがあります。
この意見を発した方にとって転載をする行為は、記事を書いた相手への深い思いやりなのだと感じました。
転載せず細切れになる引用や勝手な抜粋では、記事を書いた人に失礼だと感じたのだと思います。
転載機能を使うからこそ、記事を書いた人の想いを純粋に紹介できるとお考えの方がいらっしゃることは
承知しています。

私は、ブログの記事はそのブログのオーナーとブログの中にあるから意味があるのだと思っています。
単体の記事だけでも素晴らしいものだったとしても、やはりそのブログの外に出しては価値も下がってしまうと。

ブログの記事は1つ1つバラバラに見えるますが、1人のオーナーが書いたもの。
その時、その時間の気持ちです。
その集約がブログ。

ブログの記事は私の1部、とおっしゃていた方もいらっしゃるではありませんか。
髪の毛や爪を切るように心も配布してしまうのですか。

野原に一面に咲き誇る花を美しいからと、ポキポキ手折ってしまうこと。
たとえ小さな花に配慮して根っこから土付きで持って帰ったつもりでも、
根を痛めて結局、花全体を腐らせてしまうかもしれません。

野原で美しいと感じた花は、野原で咲き誇るから美しいのではありませんか。
本来の持つ力も、生まれた野原だから発揮できるのではないのですか。
見た人を感激させ、衝撃を与えるのも野原とそこに属する花が強く結びつき息づいているから。

ブログも記事は1つ1つは単体でも、時系列で繋がりブログオーナーの想いや心が繋がっていると思うのです。
そして命を与えられ、生きている。
生きているからこそ、語りかけ、感動や衝撃を与えてくれるのではないのでしょうか。
ブログという野原で咲き誇る花々が記事。

コピーしてもその中で生きている想いや心までコピーできるのでしょうか。
一番外側の表皮だけ持っていっても、意味はないはずです。
だからといって中途半端に持っていけば、根腐れさせてしまうだけです。

でも、【いい記事】 だと感じた想いを自分のブログで書いて、その 【いい記事】 を紹介することはできます。
心を込めて一生懸命紹介文を書き、見に行ってもらうのも、立派に感動を与えてくれた 【いい記事】 に報いることにはなりませんか。
文章が上手いか下手かではないと思います。いかに自分の心が動いたかです。星やまるの数で表現してもいいのです。

野原に咲く小さな花が美しくて感動したのならば、
ぜひどうして美しく咲いたのか生い立ちやプロセスにも興味を持ってみてはいかがですか?
その隣の花。また隣の草。土。野原全体。
その野原の中で協調し共鳴しあっているからこそ、美しくなり成長しているのかもしれません。

感動した 【いい記事】 も、1人のオーナーのブログの1ピース。
勝手に手折ってはいけないし、だからといってナンチャッてクローン製造機で生成してつれて帰るのも、憚られますよね。
どうかその 【いい記事】 のブログに直接足を運んでください。
そして生の大迫力に圧倒されてください。


written by. ゆずゆ
ブログタイトル : いつかサファリにたどり着くまで

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