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17、熱血の罪
「教育とは情熱だ」などという台詞は教職25年を超える自分にはなかなか恥ずかしくて口に出せない。しかしその台詞は真実だと思う。情熱によって教師が動き、情熱によって子どもたちが変わっていく。教職に限らずあらゆる職業に情熱は必要だろう。
私もかつて情熱に溢れる教師だった。懐かしく教え子たちと再会すると、自分が常に熱い先生だったと口を揃える。自分ではそれほど記憶にないのだが、当時の子どもたちから見ればそうだったのだろう。最近は自分でもわかるぐらい「熱は冷めた」と思う。但しそれは、仕事に対する情熱を失ったということではない。熱いところとそうではないところの使い分けをするようになった、よく言えばバランスがとれてきたということだろうか。人間、経験年数によって思いの表れたかは自ずと違って来るもののようだ。
さてこの「情熱」だが、行き過ぎると思わぬトラブルにつながることがある。若い時は熱くなりすぎる傾向があるので注意が必要だ。前にも書いたが、教師が子どもを引っ張る意識が強すぎるとそれは暴走になり、周囲に対して盲目となる。近年、「こどものために」とがんばる教師が、子どもや親との意識の違いに悩む姿をよく見る。教師の「こうしたい」という思いが子どもや親に伝わらず、空回りするのだ。子どもから見ると、無理やり引っ張られるような苦しさを感じて居心地が悪くなり、教師から見れば意志疎通ができないという無力感に襲われて苦しくなる。どちらも苦しくなることはやめた方がいい。
教師は「自分の言っていることは正しい」と思いこむ癖がある。自分もそうである。しかし、目の前にいるこどもと親の価値観は多様であり、ある人には正しくとも他のある人には正しくない、ということは当たり前に起こる。このあたりをよく理解しておかないと教師の仕事は苦しくなる一方である。新聞で読んだ記事に、「正しいことを発言し、それを押し通すということは、誰かを傷つけることだということを覚えておけ」という言葉があった。自民党の石破茂氏が、故竹下登氏に言われた言葉だそうだ。教師についても同じことが言えるかもしれない。自分は教師である、子どものために何とかしなければならないという熱い情熱が、結果として子どもや親を傷つけることもある。情熱は熱しどころと冷ましどころが大事である。(つづく)
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★≒グッドイブニング≒✪


「バランス」は、とても大事ですね
ナイス
2017/3/13(月) 午後 5:51 [ メイ ]