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仙崎の詩人、金子みすゞの世界にゆったりとひたってきました。
車が100台とめられる大駐車場に車を止めて歩きます。
まず目指したのは、JR仙崎駅。
金子みすゞが生きていた今から100年前の雰囲気を残す駅でした。
駅の前には丸い赤ポスト。
中に入ると、みすゞの顔のモザイクがむかえてくれます。
仙崎はかまぼこの町。
かまぼこ板に色をぬり、字や絵をかいてモザイクを作成。
たくさんの人の思いや願いがつまったモザイクです。
駅の正面、まっすぐの通りが金子みすゞ通り。
みすゞが生まれ育った町です。
みすゞもよく行ったという神社。
大正時代の空気がそこには流れていました。
書いたみすゞの詩がこれ。
この場所で、季節も今。
こうした風景を見ながら、この場所で、こんな詩が書けるのか!
とうてい自分にはない感性。
改めてみすゞの力の大きさを感じました。
みすゞ通りには家々の壁に、
それぞれの人が好きなみすゞの詩を
書いて飾っていました。
素朴なものあり、
絵が入ったものあり、
プロの方が書いたものあり。
地域の人たちの思い入れの強さを感じました。
みすゞの詩だけでなく、
漁港らしくイカやカニを描いたものもありました。
みすゞの詩とかまぼこ板とを組み合わせたプロジェクトもありました。
「大漁」というみすゞの詩と、たくさんのイワシの群れ。
それがメッセージ入りの2万枚のかまぼこ板の上に描かれ、
光っていました。
みすゞの墓があるという遍照寺。
私がうろうろしていると、「みすゞさんのお墓ですか?」
と近所の方が向こうから声をかけてくださり、
「ここですよ」と案内してくださいました。
墓にはみすゞの名前は、きざまれていませんでした。
金子家先祖の墓という感じで、
ほかの先祖といっしょにお墓に入っていました。
日本を代表する詩人のひとりと言ってもいい金子みすゞ。
教科書にも詩がのっているほどの人。
それなのに、名もなき、ごくごくふつうの一女性のように、
ひっそりとねむっていました。
最後は、金子みすゞ記念館。
記念館入口は、本屋だったみすゞの家が
当時の面影そのままに復元されています。
置かれている本も、大正時代の本。
ここでみすゞも店番をしていたのでしょうか。
2階には、みすゞの部屋。
ここで詩を書き、
ここからよく通りを眺めていたそうです。
奥にはみすゞの直筆の手帳や、投稿された雑誌が展示されていました。
みすゞが何歳の時に、
こんなことがあったという紹介もされています。
小さいときから頭がよく、外遊びもする元気な少女だったようです。
高校は、片道40分も歩いて通っていました。
その間中、ひとりで自然や自分と対話していました。
たまに誰かと歩くと、自然や自分と対話ができず、
やっぱり一人がいいと思う少女でした。
20歳。
いきなり4つの雑誌に投稿した詩が
すべて掲載されるという華やかなデビュー。
それ以降、90編の詩を発表し、
「若き童謡詩人の中の巨星」とたたえられます。
しかし、それからわずか6年で自ら命を絶ち、
旅立ってしまいます。
なぜ、「若き童謡詩人の中の巨星」とたたえられたみすゞが
26歳でこの世を去らなければならなかったのか・・・
このことが心にひっかかって、気になってしかたがありませんでした。
無理解な夫から、
詩を書くことを禁じられ、
手紙を出すことも禁じられ、
病気がちになってしまいます。
それでも生まれた子どもに支えられ、
生きていきますが、
このたった一人の子どもさえ夫に取り上げられてしまいます。
死を決意したみすゞは、写真館に行き、写真を撮ります。
その次の日、自ら命を絶ったのでした。
職場にこの地出身の人がいました。
小学生のころは、
みすゞの詩をよく暗唱させられたといっていました。
しかし、あまりみすゞが好きではないように
私には感じられました。
感受性が豊かな子どもの頃、
みすゞのこうした悲しい最期を知り、
どうしてもそんな現実を受け入れられなかったのかもしれません。
私も、心に引っかかっています。
なぜ、金子みすゞは26歳で
この世を去らなければならなかったのだろうか?
そんな時代だった?
男の身勝手?
女性の地位の低さ?
それでも、みすゞの顔は、
そんな現実を決して恨んでいるようには見えません。
たんたんと受け入れているようにも見えます。
こんなすべてを丸ごとひっくるめて、心に残る旅でした。
その場所に行き、
その場所の空気を感じ、
その場所と対話し、
じっくりと考える。
こんな旅も、好きだなあ。
(山口県 長門市 仙崎)
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金子みすゞの詩は心に沁みますね。
スケッチの絵も長門らしいです。
ナイス☆
2015/12/20(日) 午前 10:33
まこさん
ナイスをありがとうございます。
山口県再発見もいいものですね。
また再発見したいな〜。
2016/1/31(日) 午後 5:30