|
山梨県の旅の最終日は、
山登りではなく観光。
あれこれ検討した結果、
武田信玄ゆかりの神社仏閣めぐりへ。
朝は、とある道の駅にて車中泊。
まずは、その近くの放光寺。
武田信玄の祈願所です。
しかし、朝早すぎて境内に入れませんでした…
次は、信玄の菩提寺である恵林寺。
三門の左側には「心頭滅却すれば火おのずから涼し」の文字。
あの有名な言葉は、ここからきているんですね。
これとよく似た建物を京都で見ました。
うーん、なんという寺だったか・・・
→わかりました〜
天龍寺でした。
京都 天竜寺
3つ目は、甲斐善光寺。
信州の善光寺が川中島の戦いで火に包まれる恐れがあったため、
御本尊から、仏像などすべてここに移したという寺。
信玄の財力、行動力、決断力に感服つかまつりました。
4つ目は信玄が定めた五山のうちの一つである東光寺。
「お休み処」が風流。
重要文化財の仏殿が修理中。残念。
5つ目は、信玄が住んでいた屋敷跡が、神社になっている武田神社。
ここから歩いて山梨大学の前を通り、甲府駅へ。
甲府駅前の料理屋「小作」で、山梨県の郷土料理「ほうとう」を食べました。
これは、信玄の野戦食だったそうです。
味噌ベースのだしがおいしかったです。
中には、ごぼう、ねぎ、えんどう、かぼちゃ、じゃがいも、さといも、わらび、にんじん、はくさい、しいたけ・・・
野菜がいっぱい入っていました。
そして、きしめんの分厚いようなうどん?も。
おなかいっぱいになりました。
甲府駅前で信玄の銅像を見て・・・
このあたりから暑さが身にこたえてきました。
甲府盆地は、暑いです。
帽子をかぶっているだけでは、熱射病になりそう・・・
そこで、持っていた雨傘を日傘の代わりにして歩きました。
男性で日傘をさしている人は、ほとんどいませんが、
背に腹は代えられません。
ぶったおれては、もともこもありません。
それに、ここで知り合いに会うことなど皆無です。
堂々と日傘をさして歩きました。
舞鶴城公園に立ち寄った後は、
信玄の母の菩提寺である長禅寺。
三重の塔が2つ、五重塔が1つ。
3つも塔がありました。
護国神社に立ち寄った後は、
信玄の奥さんの墓がある円光院へ。
最後は、信玄の墓に立ち寄って信玄ゆかりの旅が終えました。
実に10カ所の信玄にゆかりのあるところにまわることができました。
なんとかぶっ倒れずに回ることが出ました。
山歩きより、町歩きの方がたいへんだ〜
(山梨県 甲州市・甲府市)
|
歴史散歩
-
詳細
コメント(0)
|
5連休だ〜っ。 ゴールデンウィークだ〜っ。 朝3時に起床すべく、目覚まし時計をセット。 しかし、あまりの眠たさに起きたのは5時。 当然出発は6時ころ。 当然のごとく高速道路のでラッシュにつかまってしまいました。 福岡県の小倉から久留米までの間はほとんどずっと渋滞。 しかも、どのサービスエリアも車で満杯。 中にはサービスエリアのだいぶ手前から車が数珠つなぎで ほとんど動かないところも。 ガソリンスタンド待ちの車がつながっているようです。 これでは、おちおち休憩もできない・・・ とはいえガソリンがなくなってしまえば、そんなことも言っておれない状況。 これがゴールデンウィークなんですね。 これまでETCをつけていなかったので、 真夜中の一般道を走ることが多かっただけに、 ゴールデンウィークの高速道路の実態をまざまざと見せつけられました。 やはり、こんな時は夜中ですね。 ちょっと寝て、朝早くスタートしようというのがそもそも間違い。 夜の間にスタートして、現地に着いてから車の中で寝るべきでした。 高速道路だからと安易に考えてはいけなかったようです。 ああ〜っ、トイレに行きたくなった・・・ 運良く近場のサービスエリアは、すぐに入ることができました。 駐車場もトイレから一番遠いところに1台おけました。ほ〜っ。 トイレをすませ、眠気覚ましの紅茶を買って、また渋滞の中へ・・・ たびかさなる高速道路で渋滞を乗り越え、 やっと熊本市内に着いたのは昼の1時過ぎ。 このまま目指す阿蘇に向かえば、2時。 それから登ったのでは、すぐに山を下りなくてはならなくなります。 その前に駐車場に入る時に大渋滞に見舞われるかな? もう今日は移動日だ〜と早々に山はあきらめ、熊本城に向かいました。 熊本城は、日本三大名城の一つ。 そして、日本一入場者が多い城だとか。 この写真は、堀の外から眺める熊本城。 まずは宇土櫓(うとやぐら)に入りました。 これだけでも、りっぱな城に見えますね。 でも、これは天守閣ではなく、その外側にある櫓。 創建当時の姿をとどめていて重要文化財。 中はこんな感じ。 質実剛健という感じ。 りんとした美しさがあるなあ〜。 次に入ったのは、最近復元された本丸御殿。 平成20年完成だから、わずか2年前。 絵地図や古文書をもとに現代の技術の粋を集めて5年かけて造り上げたそうです。 ここ数年で復元工事が次々と進められています。 こちらは、若松之間(わかまつのま)。 藩主の会見の場。 こちらは、昭君之間(しょうくんのま)。 藩主の居間や対面の場。 金具飾りの多さが格式の高さを表しています。 天井にまで絵が施され、最高の位の場。 きらびやかな部屋です。 いよいよ天守閣に迫ります。 石垣は最初は緩い傾斜で、だんだん急勾配になる武者返しという造り。 登ってこようとする武者を寄せつけない造り。 西南戦争の時、攻めても攻めてもこの城は落ちることはありませんでした。 不攻不落の城なのです。 最上階に登ると、そこは四方何もさえぎるもののない展望台。 熊本城を造った加藤清正の像。 トレードマークの長烏帽子兜をかぶっています。 兜の横にはヘビの目の家紋。 名城を造っただけでなく、 荒れていた土地の治山治水も行い、 新田開発にも力を入れた名藩主だったそうです。 一通り熊本城を見おわって時計を見ると、まだ4時半。 まだ時間に余裕があります。 例によって、ちょっと寄り道。 熊本城から少し歩くと、もう街の中心街。 アーケード街です。 試しに端から端まで歩いてみました。 途中で見つけた本屋で熊本のおいしい店の情報をゲット。 熊本といえば、熊本ラーメン。 熊本ラーメンの特徴は、 白濁した豚骨ベースのスープ、 ニンニクのトッピング、 麺は中太ストレートだそうです。 熊本ラーメンの元祖とされる「元祖熊本ラーメン こだいこ」に入りました。 店には、たくさんのサイン。 しかし、さらさらと書いているので誰のサインやら??? アントニオ猪木、長州力、栃乃花・・・読めるのはこのくらいかな。 頼んだのは、一番人気の「生ニンニク風味ラーメン」880円。 スープはこってりしているように見えますが、意外なほどあっさり。 豚骨を3日間煮てつくります。 このスープ、塩豚骨というスープらしく意外なほど薄味でした。 健康にいいかも。 ちょっと香ばしい香りがしました。 そばにあった炒りニンニクをひとふり、ふたふり。 こうすると、スープにアクセントがきかせ、 うまみを引き立てることができるそうです。 ネギ、のり、卵が入ります。 麺は卵麺でかすかな甘みがありました。 チャーシューは厚めで5mmくらい。 油部分がとろとろとしていて、味もよくしみこんでいました。 後からじわーっとうまみが出て来る感じのラーメンでした。 お腹もいっぱいになったところで、やっと阿蘇へ。 阿蘇では温泉だ〜。 しかし、中心街でゆっくりしすぎて、 9時でしまるというお目当ての温泉には間に合いそうにありません。 そこで夜10時までやっている 「南阿蘇村総合福祉温泉センター ウィナス」へと目的地を変更。 このあたりは火山地帯のため温泉の宝庫。 温泉を探すのに苦労しません。 ここは大浴場、薬草風呂、ヒノキ風呂、サウナに露天風呂もあって300円。 なんと安い! サウナでしっかり汗をかいた後の水風呂が最高! さっぱりした〜 夜10時半。 阿蘇山の駐車場に到着。 さすがにこの時間は、車が少ないですね。 それでも、15台の車が止まっており、車中泊をしていました。 私もその中の一人に。 愛車のフィットは後ろの座席を倒すと荷台がフラットになります。 そこに斜めに寝ると足が伸ばせるのです。 コンパクトな車なのに、こんなに後ろが広いのがうれしいなあ。 下に薄い布団を敷き、毛布2枚にくるまると、 あっという間に眠りについていました。 (熊本県 熊本城・熊本市街)
|
|
9時半をすぎたので、湯島聖堂へ。 ここは元の文部省や、 東京国立博物館、 筑波大学の前身である東京師範学校、 お茶の水大学の前身である東京女子師範学校という そうそうたる建物や学校があったところで、 近代教育発祥の地だそうです。 入徳門。 本当はここから入るのでしょうが、 今はうるし塗りたてで柵があり、近づけませんでした。 左に東京医科歯科大学のビルがそびえています。 孔子をまつる大成殿(孔子廟)。 品格がありました。 この孔子廟は、林羅山が建て、 徳川五代将軍、家綱がここに移築しました。 テレビドラマ「西遊記」のロケ地になったところだとか。 幕府の開いた昌平坂学問所も近くにあります。 ただ、隣の東京医科歯科大学の敷地内にあるので、 見ることはできませんでした。 しゃちほこが変わっていました。 湯島聖堂の敷地内に立つ世界最大の孔子像。 高さは5mあります。 (東京 湯島聖堂)
|
|
ニコライ堂から、今度は歩いて湯島聖堂へ。 しかし、9時半にならないと門が開かないので、さきに神田明神へ。 神社なら、朝早くても開いているでしょう。 それに写真もたぶん気兼ねせずに撮れそうです。 まずは、入り口の山門が目をひきました。 しっかりと赤で塗られた色鮮やかな門でした。 そこをくぐって境内に。 やはり、朝早くても参拝客がいました。 ここの祭神は、だいこく様、えびす様、そして平将門という ありがたい神社です。 江戸時代から、総鎮守として、 江戸幕府から庶民までお参りをされたきたところ。 関ヶ原の戦いの前には、徳川家康が戦勝祈願をしたとか。 ここの神田祭は、日本三大祭りの一つです。 この地は、日本の国学発祥の地でもありました。 境内には、銭形平次の碑までありました。 銭形平次の住まいは、このすぐ近くにあり、 そこを見下ろすこの場所に碑が建てられたそうです。 この碑の前の階段には、一人の男の人がじっと座っていました。 上の写真のすぐ左側です。 頭を抱えてじっとしていました。 そして、いつまでも動かないのです。 私が写真を撮っていると、ちょっと頭を上げましたが、 また頭を抱えてじっとしていました。 もしかすると、ここ2,3日の間に ホームレスになってしまった若者かもしれません。 まだ、服や手袋、毛糸の帽子が新しいものでした。 境内をぐるっと1周まわり、30分くらい後に同じところにきても、 まだ同じ姿勢でじっと動かないで座っておられました。 今、派遣社員の首切りで、 住むところがなくなっている方の報道がたびたびなされています。 その中のお一人なのかもしれないなと、 胸が少し苦しくなりました。 何とか、早く光が見えますように・・・ (東京 神田 神田明神)
|





