かわちのはむちゃん

古墳、遺跡、横穴式石室に迫りたいです。無理をせずボチボチと。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全88ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

朝日新聞デジタル 2月10日(水)5時35分配信



?



?








飛鳥寺西方遺跡に平安時代の皿 遷都後も祭祀利用か


飛鳥寺西方遺跡で見つかった土器の皿=9日午前9時53分、奈良県明日香村、高橋雄大撮影


 大化改新など飛鳥時代の重要な出来事に関する舞台となった「槻(つき)の木の広場」とされる奈良県明日香村の飛鳥寺西方(せいほう)遺跡で、10世紀の土器の皿が数枚重ねられた状態で複数箇所で見つかった。村教育委員会が9日発表した。平安時代の祭祀(さいし)跡とみられ、広場が遷都後も特別な空間だったとみられるという。

【写真】飛鳥寺西方遺跡で見つかった土器の皿。3カ所に等間隔で並んでいた=9日午前11時25分、奈良県明日香村、高橋雄大撮影

 飛鳥寺西門跡の南西約60メートルで、土師器(はじき)の皿(直径10センチ)を5〜8枚重ねたものが、110センチ間隔で計3カ所から出土。2メートル北側で、皿(直径14センチ)2枚が重なっていた。近くでは、炭や焼けた土が交じった長方形の穴も確認された。このほか、2枚の口を合わせた皿も5組分まとまって出土したが、いずれの皿にも文字や絵はなかった。村教委は、10世紀の異なる時期に複数回の祭祀が行われた可能性が高いとみている。

 広場は、大化改新の立役者、中大兄皇子(なかのおおえのみこ、後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蹴鞠(けまり)を通じて初めて出会ったとされ、壬申(じんしん)の乱(672年)では近江朝廷側が軍営を置いた。猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「広場が、遷都後も長期にわたって祭祀が行われた特別な場所だったことが明らかになった」と話す。

 現地説明会は11日午前10時〜午後3時。問い合わせは村教委文化財課(0744・54・5600)へ。(塚本和人)
.
朝日新聞社



現地説明会に行ってきましたよ。

ここ数か月引きこもりしていました。

妻が言うので背中を押されて。

朝日新聞デジタル 1月30日(金)17時14分配信





.






纒向遺跡から占いの骨が初出土 弥生文化も継承か


纒向遺跡から出土した卜骨。指で示した部分に占いに使った痕跡が残る=26日、奈良県桜井市、林敏行撮影


 女王・卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(国史跡、3世紀初め〜4世紀初め)で、占いに使われた動物の骨「卜骨(ぼっこつ)」(3世紀後半〜4世紀初め)が初めて見つかった。市教委が29日発表した。弥生時代に日本に広まった占いの方法が、その後もヤマト王権の中心地とされる纒向で継承されていたことになる。

【写真】卜骨が見つかった穴=26日、奈良県桜井市、林敏行撮影

 動物の骨などを焼いて、表面に生じたひび割れや色調の変化で吉凶を占った方法は、中国の史書「魏志倭人伝」にも記録されている。今回見つかったのはイノシシの右肩甲骨で、長さ16・7センチ、幅6・7センチ。焼けた棒状のものを当てたとみられる丸い焼け跡が3カ所にあった。卜骨は中国から伝わり、弥生時代はシカやイノシシの肩甲骨を使う例が多く、古墳時代以降はウミガメの甲羅を使う卜甲(ぼっこう)も現れた。

 2009年に確認された3世紀前半としては国内最大規模の大型建物跡の東側で、楕円(だえん)形の穴(直径約2・2メートル、深さ約1・1メートル)から土器や木製品、獣骨と一緒に見つかった。今回、卑弥呼の時代の建物跡は確認されなかった。

 市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は、骨や亀の甲羅を使う占いが7世紀後半からの律令国家で国の機構の一部に組み込まれたと指摘。「弥生時代に民衆レベルで行われた骨占いが、国家的なものに変わっていく経緯を考えるうえで重要だ」、石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)は「卑弥呼の後継者の女王・台与(とよ)の時代に伝統的な卜骨が行われ、居館域の東側に祭祀(さいし)を行う特殊な空間が広がっていた可能性もあるのでは」と話す。

 現地説明会は2月1日午前10時〜午後3時。問い合わせは市纒向学研究センター(0744・45・0590)。(塚本和人)

今年は不幸だらけ

今年ももう、終わりですね。


私の父親が8月16日に他界して、丁度そには明日香村で都塚古墳の現地説明会だったのですか、いけませんでした。


今年は、3月に平城京の現地説明会、11月は藤原京の現地説明会ぐらいで、殆どいけませんでした。


体調もすぐれなかった。


宝くじでも当たらないかな〜。


写真は来年ぐらいに、アップしようかな。

皆さんの、ご健康と良き年になりますよう、願います。

藤原宮>古墳壊し敷地造成か

毎日新聞 11月6日(木)21時34分配信





.


 7世紀末に建設された藤原宮跡(奈良県橿原市)の発掘調査で、奈良文化財研究所(奈文研)は6日、天皇が即位などの重要儀式を行う地区「大極殿院」から、古墳を囲んでいた周溝の跡や埴輪(はにわ)片が見つかったと発表した。当初あった古墳を壊し、敷地を造成したとみられる。森川実主任研究員は「宮が造営される以前の景観を考える上で重要な手掛かり」としている。

 大極殿院は東西約120メートル、南北約170メートルの区画で、中心に大極殿があり、内庭を挟んで南側に南門があった。奈文研の調査で、石敷きの内庭の下の地層から古墳の周溝が見つかった。

 周溝は幅約1.5〜2メートルの弧状の溝で、形状などから古墳は直径約12〜15メートルの円墳とみられる。円筒埴輪の一部や土器などが出土し、周辺から耳環や管玉など古墳の副葬品らしい遺物も見つかった。墳丘を削って平らにし、宮を造営したらしい。

 藤原宮跡ではこれまで、大極殿院の南側でも別の古墳の周溝の一部が見つかっている。日本書紀には藤原京の造営の際に「掘り出された屍(しかばね)を改葬させた」という趣旨の記述がある。

 和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)は「(古墳を壊したとしても)大和三山に囲まれた景勝の地に宮を造営することが大切だったのだろう」と話している。

 現地説明会は8日午後1時半から。小雨決行。【矢追健介】

父が

父が先月から様態が悪くなり7月から先月に8月16日に亡くなり、大変でした。

お通夜、お葬式とばたばた騒ぎとなり、無事に終わりました。

85歳(86)でした。

全88ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
かわちのはむちゃん
かわちのはむちゃん
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

検索 検索

Yahoo!からのお知らせ

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事