かわちのはむちゃん

古墳、遺跡、横穴式石室に迫りたいです。無理をせずボチボチと。

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3月16日7時56分配信 産経新聞

 大阪狭山市教委は、鎌倉時代に狭山池の灌漑(かんがい)用の樋管(ひかん)として転用された石棺群を、市指定文化財に指定した。市指定文化財は2件目、狭山池関連は初めて。

 石棺は全部で7点あり、大正末〜昭和初期の狭山池の改修時、北堤の外側で発見。現在、狭山池土地改良区が所有し、府立狭山池博物館で展示している。

 本来は埋葬用の石棺だが、一部を削り取るなど加工されている。鎌倉時代、池の改修を行った僧侶の重源が、池の水を外に運び出すため、放水部の管として利用したと思われる。石棺群がどこから運ばれたかは特定できていないが、形状の特徴などから、羽曳野丘陵など南河内地域の古墳から搬出された可能性が高い。

 市教委は「狭山池の中世史とともに、南河内の歴史の様相を検討する手がかりになる」としている

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写真がボケてすみません。

記事、コメントが遅れてすみません〜!皆様に感謝しております。

先日、奈良県五條市まで用事があったので出かけてきました。

五条市にあるサティで買ってきました。

昔、大阪狭山市に住んでいた頃、売られていたと言う兄ちゃんの証言です。

粒が大きくて美味しいとの事。

納豆通の方なら知っているかと思います。

大阪のスーパーでは見かけない納豆かも。

連日の現地説明会

昨日は朝からどしゃぶりの雨で今日も天候が悪いです。

昨日は和歌山県立紀伊風土記の丘の郡長塚の石室公開で行ってきました。

今日は岸和田市の蜻蛉池公園に移設された衣ヶ谷(あまがたに)古墳の現地説明会に行ってきます。

両方の写真などのアップは後ほどさせていただきます。

天候がよければ昨日もあちこち散策したかったのですがね〜。

もう少し待ってください。

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3月5日15時19分配信 産経新聞




 平成14年のファイバースコープ撮影で石室内に被葬者の骨や副葬品が埋葬当時のまま残っていた大阪府高槻市の闘鶏山(つげやま)古墳(国史跡、4世紀前半)について、市教委が本格的な発掘調査に乗り出す方針を固めたことが5日、わかった。事前撮影で未盗掘と判明した石室の発掘は国内初で、遺骨のDNA鑑定なども行われる予定。古墳時代黎明(れいめい)期の謎に、最新鋭の技術を駆使して迫る試みで、22年度中に発掘方法を決め、早ければ23年度から着手する。(小畑三秋)

 

 ◆一級の埋葬品

 闘鶏山古墳は、全長88メートルにおよぶ前方後円墳。14年、宅地開発計画に伴い市教委が行った小規模な発掘で、葺(ふ)き石や竪穴式石室が確認された。

 石室内をファイバースコープで撮影すると、あおむけに埋葬された被葬者の頭蓋(ずがい)骨、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国から下賜(かし)されたともいわれる三角縁(さんかくぶち)神獣鏡(しんじゅうきょう)など一級の埋葬品が見つかり、一躍注目を集めた。

 古墳は丘陵の先端部にあり、長らく存在さえはっきり分かっていなかった。14年の発掘はいわば「念のため」だったが、貴重な未盗掘古墳の確認につながる“偶然の大発見”になった。

 だが、18年に行われたデジタルカメラ撮影で、石室の石材落下で鏡に亀裂が入っていることが判明。カビも繁殖しており、保存に向け、早急な発掘調査の必要性が高まっていた。

 ◆模型を作り検討

 未盗掘古墳の発掘調査例としては、石棺内から金銅製の冠などが見つかった藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)が知られるが、石室そのものが未盗掘と分かった上で調査した例は過去にないという。文化庁記念物課は「国内初となるため、万全な態勢が必要」とし、闘鶏山古墳は手つかずの状態が続いてきた。

 石室(推定長さ7メートル、幅1メートル、高さ1・3メートル)は大人が立って入れないほど狭く、作業は至難の業。石室の壁は、厚さ数センチの板状の石材を内側にせり出させて積み重ねた三角屋根のような特殊構造で、不用意に石材を抜き取るとバランスを失って崩れる危険もある。

 市教委は現在、石室の原寸大模型を製作し、石材の取り外し方や補強方法などを慎重に検討している。鐘ヶ江一朗文化財課長は「さまざまなケースを想定している」と言い、文化庁の了解が得られ次第、23年度にも調査にかかる方針。被葬者遺骨のDNA鑑定も行う予定だが、同庁は「正確な鑑定には、骨の上に担当者の汗ひとつ落とすことも許されない」としている。

 ◆異例の「覆い屋」

 「石室に外気が入ると、遺物の劣化スピードは速くなる。現状のまま保たれる保証はどこにもない」。保存科学が専門の肥塚隆保・奈良文化財研究所副所長は「遺物を救うため、発掘など適切な措置を講じる時期に来ている」と強調する。

 調査では、石室内の温度や湿度が急変して遺物に影響を与えないよう、空調設備を備えた「覆い屋」を設ける予定。覆い屋は、国宝壁画の描かれた高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体で導入されたが、発掘調査では極めて異例だ。

 天皇陵クラスを含め、大半の古墳が盗掘を受けながら、幸運にも被害を免れた闘鶏山古墳。すぐ南に神社があることから、市教委の担当者は「お宮さんの古墳として、盗掘者も手を出せなかったのかもしれない」と推察する。石室は現在、数千個の土嚢(どのう)で埋め戻し、鉄板を敷いて厳重に保護され、来るべき調査本番を静かに待っている。

3月4日19時48分配信 産経新聞

 大阪府岸和田市三ケ山町で、7世紀初めの古墳の横穴式石室が道路工事中に偶然発見され、同町内の府営蜻蛉(とんぼ)池公園に移築保存された。7世紀は古墳時代終末期にあたり、府南部の泉州地域でこの時期の古墳は極めて珍しい。地元豪族の墓とみられ、当時の葬送儀礼などを考える上で貴重な資料になるという。7日午後1〜3時に蜻蛉池公園で現地説明会が開かれる。

 見つかった古墳は、これまで全く知られていなかったため、調査を行った府教委が衣ケ谷古墳と名づけた。

 平成20年5月、道路建設のため、工事業者が丘陵斜面を重機で掘削中、重さ1トン以上もある巨石を発見。「山を削っていたら大きな石が出てきた」。業者が、遺跡の可能性があるとして府教委に連絡したのが、古墳発見の始まりだったという。

 府教委が急遽(きゅうきょ)発掘を行い、重さ百キロ〜1トン以上の石を数百個積み重ねた横穴式石室(全長6メートル、幅1・1メートル、高さ1・2メートル)と確認。石室内には、被葬者が身につけたという金色の耳飾り、土器などが出土した。墳丘は一辺約10メートルの方墳だった。

 府教委と府岸和田土木事務所は、石室を約2キロ南の蜻蛉池公園に移し、築造当時の状態で保存。古墳の案内板は、石室天井石を加工してはめ込まれ、石室の一端を身近に感じられるように工夫した。

 7世紀の古墳は、府東南部を中心に、聖徳太子墓など皇族クラスの古墳が集中するが、泉州地域では築かれなくなる。府教委文化財保護課の橋本高明主査は「石室が天井石まで残っている例は珍しく、石室の雰囲気を直接感じとってほしい」と話す。

 現地説明会が行われる蜻蛉池公園は、JR阪和線下松駅からバスで「職業能力開発大学校前」下車、徒歩約5分。問い合わせは府教委文化財調査事務所((電)072・291・7401)へ。

行って見たいが行けるだろうか?是非、見てみたい。


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