かわちのはむちゃん

古墳、遺跡、横穴式石室に迫りたいです。無理をせずボチボチと。

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8月8日18時0分配信 毎日新聞

 ◇大王墓の可能性/石室上部囲む特異な「丸太垣」−−専門家、熱い視線
 ◇「大規模」調査、前例少なく「どきどき」
 初期ヤマト王権の大王を葬送する儀礼の荘厳さを象徴するように、丸太を密に並べ立てた「丸太垣」跡が見つかった桜井市の前方後円墳、桜井茶臼山古墳(全長約200メートル、3世紀末〜4世紀初め)。県立橿原考古学研究所(橿考研)が8月後半に発掘を再開し、石室内を改めて調査する。大王墓とみられる大規模な前方後円墳のほとんどは、宮内庁が陵墓として管理し、発掘はもとより立ち入りさえも厳しく制限している。このため、規模などから大王墓であることがほぼ確実な桜井茶臼山の調査には、各方面の専門家から大きな期待が寄せられている。【高島博之】
 橿考研は6月12日、同古墳の後円部にある石室上を取り囲む「丸太垣」のイメージ図を公表した。遺構から想定した丸太垣は、直径約30センチの木材が約150本使われ、地表に約2・6メートル出た状態で、すき間なく取り囲んでいた。
 調査を担当した橿考研付属博物館の岡林孝作・総括学芸員は「『丸太垣』の存在など、古墳として特異性が際立っている。死者への恐れがあり、霊を封じ込めたいという思いがあったのではないか」と話す。
 古代祭祀(さいし)に詳しい国学院大神道文化学部の椙山林継教授(考古学)は、イメージ図から感じた印象を「神社では、神を迎え、送る神事を行う場所を、木の枝などで取り囲んで隠すことが現在も行われている。この『丸太垣』も、同じような意味合いがあったのではないか」と話す。
 さらに、椙山教授は「福島県郡山市の清水内遺跡(古墳時代中期)では、祭祀を行ったとみられる広場を、高さのある木で囲っていた遺構が見つかっている。比較して考えるとよいのではないか」とする。
 また、大阪大大学院文学研究科の福永伸哉教授(考古学)は、調査の内容について関心を示す。「桜井茶臼山古墳のような、200メートルを超える古墳が発掘された例はほとんどない。『丸太垣』の図からも、中小規模の古墳とは全く異質な様相をしていたのだと強く感じた」と話す。
 60年前に一度発掘された同古墳を、再調査する意義についても、福永教授は「当時の調査は急いで行われたようでもあり、今回、21世紀の技術を使い、かつては逃していたかもしれない問題がいくつも確認できるはずだ」と期待している。
 一方、考古学研究以外から、この調査成果に異なった理解を示す研究者もいる。神戸大大学院工学研究科の黒田龍二准教授(日本建築史)は「現段階で復元形態は一つに絞れないが、丸太の列は高い柵列ではなく、石室上の土の流出を防ぐ土留め杭だった可能性がある」と指摘する。「聖なる空間を区画していたとしても、死者のたたりなどを恐れ、霊を封じ込めるための施設だったとする見方には根拠がなく、疑問だ」と指摘する。
 橿考研は8月からの調査で、丸太垣が完全に石室上部を取り囲んでいたかを確認する。さらに、60年前に石室内で確認したコウヤマキ製の木棺を取り出す方針だ。石室内の全体が見えるようになった段階で、現地説明会を行う予定にしている。
 岡林総括学芸員は「これまでも多くの古墳の調査に関係してきたが、今回の発掘は全く規模が違う。全体像が見られると思うと、どきどきする」と話している。

8月8日朝刊

来る8月、22日(土)、23日(日)

大阪府立近つ飛鳥博物館

両日共、午前11時〜午後4時

と大阪府立近つ博物館のホームページに書いてありました。

私は行けるかどうかはわかりませんが、近くの皆さん行って見てはどうでしょうか?

私はひこにゃんの方が?(笑)

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2009年7月10日


 天皇をしのぐ勢力を誇った飛鳥時代の大豪族、蘇我氏一族の墓との説がある大阪府河南町のシシヨツカ古墳(6世紀末)から、鳳凰(ほうおう)を銀象眼(ぞうがん)で表現した豪華な大刀(たち)飾りが見つかっていたことが9日、分かった。平成14年の発掘調査時には土やさびのため「鉄の塊」のようだったが、さびを除去したところ鮮やかな象眼が当時のまま残っており、被葬者の地位の高さを裏付ける資料となった。

 シシヨツカ古墳は東西60メートル、南北53メートルの方墳。14年に府教委が発掘し、横穴式石室から金象眼のある鞍(くら)金具などが見つかった。

 さらに、さびで覆われた鉄製品が出土。奈良大学に保存処理を委託したところ、六角形をした亀甲(きっこう)文の内側に、2羽の鳳凰が向き合う姿が銀象眼で表現された大刀の柄頭(つかがしら)の飾りの一部(縦8センチ、横6センチ)と分かった。

 シシヨツカ古墳の北約3キロには聖徳太子墓や推古天皇陵があり、一帯は「王陵の谷」といわれている。保存処理を担当した西山要一奈良大教授(保存科学)は「鳳凰の象眼のある大刀飾りは全国で30例前後見つかっているが、シシヨツカ古墳の象眼は特に精巧で、被葬者の権力の大きさがしのばれる」と話した。

 大刀飾りは11日から、河南町の府立近つ飛鳥博物館で初公開される。

(2009年7月10日 07:48)
タグ:シシヨツカ古墳, 奈良大, 蘇我氏, 象眼, 近つ飛鳥博物館, 飛鳥時代

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南北に延びる7世紀前半の石垣。手前右に2石が縦に並んでおり、排水口と考えられる=17日、明日香村川原の甘樫丘東麓遺跡
 飛鳥時代に絶大な権勢をふるった蘇我入鹿(?〜645年)が館を構えたと考えられている明日香村川原の甘樫丘の東麓遺跡で、7世紀前半の石垣が屈折部や排水口を持つなどの特徴を持っていたことが分かり、17日、奈良文化財研究所が発表した。

 平成6年以降の発掘調査で、7世紀の焼けた土壁や建物跡などが次々と見つかり、日本書紀に「谷(はざま)の宮門(みかど)」と記された入鹿邸との関連が注目されている。

 今回の調査区域は、倉庫跡などが見つかった平成18年度調査区の南東約1150平方メートル。この時に出ていた石垣が谷に沿って南方に19メートル延び、全長が34メートルあったことが分かった。

 幅8メートル、深さ1.2メートルの谷地が確認でき、石垣は、東側の岸の傾斜に1石ずつ積み上げていた。南端部では50度の勾配があり、高さは1メートル。屈折部や谷へ下がる階段状の石列、開口部20センチの水口施設があった。

 調査区域の東隅では幅1.5〜3メートル、長さ8〜9メートルの石敷が見つかった。谷側に底石のない溝を造り、山側は端を直線的にそろえた縁取り状。尾根に沿って遺構が広がることが予測される。

 そのほか7世紀中ごろの土師器や須恵器がほぼ完全な形で出土した。7世紀後半の層に長さ12メートルの石組み溝があるなど、7世紀代に複雑な土地利用が行われていたという。

 調査を担当した次山淳・都城発掘調査部考古第三研究室長は「特徴のある石垣だったことで技術的系譜や構造的な意味を考える材料となる」と話している。石垣の性格としては防御的機能を指摘。日本書紀では「城柵(きかき)」を作ったり、兵士に守らせるなど蘇我氏の館が高い防御性を持っていたことが記されている。正殿は見つかっていない。

 現地見学会は21日午前11時―午後3時。午前11時から1時間ごとに計4回、担当者が説明する

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6月12日22時7分配信 毎日新聞

大王の葬送儀礼にかかわる「丸太垣」が見つかった桜井茶臼山古墳(左下)=奈良県桜井市で2009年6月12日午前10時、本社ヘリから小松雄介撮影

去年、訪れた時は何もしていなかったですが、近い内に行ってみたいですね〜。

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