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清和天皇の流れを汲む新羅三郎源義光以前の三代は、甲斐守(国司)を務め、任期が明けるとこの地を去りましたが、その子義清は甲斐(現市川三郷町)に土着し、甲斐源氏の始祖となります。
その孫にあたるのが信義。彼は韮崎の武田ノ庄を与えられ、武田の姓を名乗り、強大な勢力を誇りました。
以来、韮崎は甲斐武田家の故郷になりました。
撮影日:2月22日
御坂峠からの富士山
にわ塚の桜は3月末には満開予定
大村美術館から見る
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甲斐のすべて&歴史
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武田神社と恵林寺に行ってきました。
恵林寺は武田氏の菩提寺、信玄公の牌所のある禅寺。
夢窓国師の開山。
永禄年中に信玄公が寺領300貫を寄贈し、快川紹喜を招いて住職とした。
天正10年(1582)4月3月、織田信長によって火を放たれ、快川和尚は一山僧衆100余命とともに山門楼上で焼殺された。
このとき快川の名言「安禅は必しも山水をもちいず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」はあまりにも有名です。
丁度、紅葉が見頃でした。
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先週は梅雨の中休みが続いていて、金曜日までは青空が見えていましたが、週末からは雨空となっていて富士山も見えません。
そんな中ですが、岩殿山や大月の猿橋やハーブ開催の八木公園で写真は撮っていました。
岩殿山は、戦国時代は山城になっていて、武田氏の拠点となっていました。
かつては自然の地形を生かした山城で、武田氏の重臣、小山田氏の城がありました。
難攻不落の要害城と呼ばれ、関東の三名城のひとつに数えられています。
高さは東京スカイツリーと同じで634m、頂上までは1時間弱です。
途中に丸山公園あり、そこまでは20分位です。
建物あり、展示物を見るのも良いし、入って休憩も可、頂上は見晴らし良く、天気が良ければ富士山も見えます。
猿橋から見た岩殿山
山頂すぐ手前にある、自然の巨岩を利用した岩殿城の城門跡です。この様に岩殿城は、自然の断崖が巧みに利用されていて、攻めにくく守りやすい城だった事が良く分かります。 睡蓮の花、見惚れますねえ。 猿橋は、「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ「甲斐の猿橋」は、日本三奇橋のひとつ。
あじさい. 日本の3奇橋、名勝猿橋から歩いてすぐの猿橋近隣公園。
都留郡の一国一城のあるじで武田、小山田連合軍で長い間、国難をくぐり抜けてきた。
もうひとつは財源が豊かで富士山を登る通行税を取り、かつ諸国の情報も取っていた。
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信玄直筆の願文みつかる
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「沢村信玄」さわやか行進 甲州軍団1500人堂々と
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