|
9
貴男にはどこからともなく自分を視つめる眼が次第に増えつつあるように感じられた。明らかに敵意に満ちたその眼差しを家々の随所に感じながら、貴男は軽トラックのエンジンをかけたままでいる。村へやってきたものの、いざ村の入口までくると、貴男はそのまま村に侵入することをしばし躊躇してしまった。軽トラックを買って三週間ほどがたっていた。乾物や保存の利く海産物を売るための荷台の簡単なしつらえはナオミの父の協力を得て、どうにか格好がつき、近在の町の乾物や海産物を扱う卸店との話もついた。貴男は一週間ほど前から、近在の村々での商いを始めたが、物を売るということは、最初からそう簡単なものではなかった。ナオミの弟が始めたときも、最初は同じようなものだったと、ナオミや父はやさしい言葉を重ねて貴男を励ましたが、その行き先は決して安穏としていられるものではなかった。ぽつぽつと、馴染み客がつくようにはなったが、まだとても儲けるというところまではいかなかった。貴男にすれば、生まれて初めて経験する商売だった。それだけに、最初の張り切り具合とは裏腹に、なかなか計算の成り立たない行商に少々の苛立ちも出た。その気分をかろうじて抑えることができたのも、ひとえにナオミ一家の温かな支えがあってのことだった。
貴男が町に出かけるようになっても、一家の生活は貧しさが増すばかりだった。町で干物や雑貨を仕入れて他の村で売る。しかし、近隣に村がないことからどうしても遠出になった。そのため、時間がかかりすぎ、わずかの収入しか得られなかった。目前にしている自分たちの村でその生活手段を得ることができない限り、ただかろうじて食べるだけというあかつき村からの食料援助だけではとうてい貧しさからは抜けられそうもなかった。貴男の眼は社地の造成で定期的な収入を得るようになっていたあかつき村に向いた。村人の反応も、まだ他所者である自分に対しては多少違うのではないかと思えた。結果がどうであろうと、少なからず確かめてみたくもあった。貴男はこの日、思い切って町からの帰りに村にまでやってきていた。ナオミたちには一言も相談してはいなかった。商売を始めてちょうど三週間ほどたっている日曜日の午後のことだった。あかつき村の入り口に当たる村の集会所の前の空き地に車を止めたまま、貴男は店を開いた。もっとも店を開くといっても、荷台のシートをめくり、多少の商品を並べ替える程度のものだった。手作りのショーケースにはいくばくかの乾物と前日、町で仕入れた新鮮な生わかめなど、幾種類かの海産物があった。
車を止めてすでに三十分ほどたってはいるが、村人は誰一人顔を出さない。何度か拡声器を通じてあらかじめ録音しておいた商いを告げる声を周囲に流してはみたが、反応はまったくなかった。物が売れるかどうかは別にして、近在の村では、このようなことはなかった。必ずといっていいくらい、村人の一人や二人はその声で顔を出してくれた。どうやら、場所にも問題があったのかもしれない。貴男は半ば絶望的な思いで空を見上げた。冬の穏やかな昼間の空には、限りなく晴天が広がっていた。トンビと思われる二羽の鳥が大きな弧を描いていた。あのトンビの眼に、自分はどう映っているのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい、いつまでもこうしているわけにはいかないと、貴男はアクセルをゆっくり踏んで村の家並みへの道に入った。両脇を家屋に挟まれると、エンジンの音が貴男の耳にも必要以上に響くように思われた。だが、ノロノロと進んでも、虚しくエソジン音が反響するだけで、人影はまったく現れない。今日は日曜日で、たいていの村人がいるはずだった。だが、先ほどから通行する人としてさえ姿を現さない。しかし、家のどこかから自分を見つめるいくつかの眼差しが感じられた。貴男はさらに拡声器から声をかけ、村に商いにやってきたことを告げたものの、相変わらず反応に変化はなかった。
誰でもいい、会えばすぐあいそよく品物にふれよう。余計なことは一切口にせず、ただ商売だけに徹しよう、貴男はいよいよ村にはいったところで、車の速度を最少に落としながらそう思った。まだ一度も足を踏み入れたことのない村だったが、さほど近在の村と変わるところはなかった。それに加えて、自分はまだ他所者だという不確かな存在感が、むしろ貴男の行動を少なからず大胆なものにしていた。まさか、村に入ったからといって殺されるようなこともなかろう。むしろ同情があってしかるべきだ。ナオミの家は弟を失っている。それは同時にまた、村人の心の傷にもなっているはずだ。貴男は勝手にそう思ってもみた。そして、村へ入って最初の曲がり角にきたとき、行く手に数人の子供たちに出くわした。出くわしたというよりは、むしろ子供たちは貴男を待っていたというべきだろう。貴男は自分を見つめる眼がただならない気配を漂わせていることに思わずたじろいだ。その眼はとうてい子供の眼ではない。自分を視つめながら、行く手を遮ろうとする子供の懐疑な眼に貴男は思わず狼狽した。だが、貴男はできるだけの平静さをつくろい五人ほどの子供たちの前で車を停め、あえて声をかけた。
「母さんたちはいるかい」
子供たちはそれに答えず、相変らずの眼で貴男を視つめたままでいた。貴男はその中で一番年下だと思える五歳ほどの男の子に、客寄せに使っている卸店の名入りの風船が入った袋を差し出した。だが、予想に反して、幼子はその袋を強い力で払い落とした。貴男は仕方なく車を降り、袋を拾った。貴男が車を降りる際、子供たちはわずかに退いたが、視つめる眼はさらに険しさを増していた。仕方なく貴男は再びエンジンをかけ、ゆっくりと車を走らせようとした。子供たちは眼で貴男を睨みつけたままで道を空けた。それをどこかで誰かがじっと見ている。確かにいる、再び貴男はそれらの眼を意識した。今日、途中の道路で望見した社地や新しい道路の造成地には人影はほとんど見当たらなかった。見張り役だろうと思える数人の人影はあったが、ほとんどの工事現場には人影はなかった。村人は間違いなく村にいるはずだった。貴男は戸口の一つ一つに眼を凝らしながら進んだが、誰も出てこなかった。子供たちのほか、大人は一人として姿を見せない。貴男はそれ以上に村に深入りすることに一種の気味の悪さを感じ、同じ道を引き返した。そうしながら再び拡声器の声を響かせたが、結果は同じたった。子供たちのほかは誰も顔すら出さなかった。しかし、村の出口にさしかかったとき、村人の一団、十人ほどが集会所の前で貴男を待ち受けていた。貴男は湧き上ってくる動揺を抑えながら、かまわず車を進めようとする。
村人たちは一様に険湿な表情のままで貴男を迎えた。貴男は急速に高まりつつある恐怖感を意識しながらも、できるだけ平静さを装って車を停め、思い切って声をかけた。決して慌ててはならない。だが、声は自然に強張っていた。
「乾物や海産物を売りにきたのですが、いかがでしょうか」
子供たちと同じように答えない。そればかりか、村人たちは貴男の車を取り囲むようにその輪を縮めた。もしかしたら、ここで村人たちに吊るし上げられるかもしれない、貴男は激しい畏怖の念にとらわれ、思わず車を発車させた。だが、まるでにじり寄るかのようにして、村人たちはさらに貴男に接近してくる。貴男は掌に汗を浮かべながら、村人たちの眼に明らかに委縮して映っているのであろう白分を想像する。それでも貴男はアクセルを少しばかり吹かして進もうとした。しかし、走り抜けることは不可能に思われた。車が接近するまで村人たちは動こうとしなかった。貴男は思わずブレーキを踏んだ。その瞬間、予想に反して、村人たちはその道を開けた。だが、一気に走りだせないまま、貴男は背後に恐怖を感じつつ、ゆっくりとその輸から出る。そこでアクセルを踏み込もうとしてエンストさせてしまった。慌ててエンジンをかけようとするが、車はようとしていうことをきかなかった。その貴男に、村人の怒声が投げつけられた。
「もう二度と村へ来ることはなんねえぞ」
「ナオミと暮らしたいなら村の掟を守るこった。守られなけりゃ、それなりに覚悟をしておくこった」
「ナオミの弟のことを知っとるやろ。どこで食いつめて、ナオミをたらしこんでここにきたかしんねえが、それならそれで、ナオミとつるんだままでいろや」
「他所者めが、大人なしく引っ込んでろ」
次々と発せられる怒声に貴男はますます慌てた。貴男はなかなか始動しないエソジソをかけようとして何度もキーをまわした。貴男は仕方なく車から降りて自らの力で押した。村を出たところで再びエンジンをかけると、今度は容易に始動した。「クソッ」。激しく車を叩いた。貴男はまるで小石を投げられたような屈辱に振り向く勇気を持たないまま、一気にアクセルを踏んだ。村はずれの坂道を一気に登ろうとするが、かなり摩滅しているエソジソはやっと登るのが精一杯だった。
村はオレをも拒絶した、村人たちは完璧にそれを実行した。やっと坂を登りきっても、背後に感じられる眼に対抗することができないまま、貴男はそう思い、よろめくようにして坂を登る車のアクセルをさらに何度となく踏み込んだ。坂の上でいったん車を停めて、やっと村を振り仰いだ。すでにそこには誰もいなかった。貴男は大きく息を吸った。村の空には先ほどのトンビがいまだに獲物を見つけることができずにいるのか、さらに大きな弧を描いて舞ったままだった。(つづく)
■『駆けいでるとき』は15回前後の連載予定です。
|
どきどきしました。祖母の家にて育てられましたが、田舎の人の悪癖で「新しいものや、珍しいものは他人に見せてはいけない」(別な話しですが)などと教わったことを思い出しました。yukioさんが知っている田舎とは違うのですが。だからか、風景がすぐに浮かびました。ああ、あの公民館の近くだって。
2007/1/7(日) 午後 5:25 [ 竜 ]
asuさん、これが(それが)日本の原風景なのかもしれません。すぐにまた続けて読んでくださってありがとう。近々、『思想性』についてお話し合いましょう。
2007/1/7(日) 午後 8:48
よそ者に対して厳しくなるのは、好奇心の裏返しでしょうか?嫉妬でしょうか?恐怖でしょうか?
2007/1/13(土) 午前 6:31
saiio3、さん、まずあるのは、よそ者に対しての人間としての嫉妬だと、思っています。他の二つもあることでしょう。村は、今も変わらない私たち社会の縮図です。オーバーに言えば、これは国ということでも言えるかもしれませんね。いつか私たちが克服しなければならないことではないのか、そう思ったりします。作品はそれほど高尚なではありませんが……。
2007/1/14(日) 午前 0:43