ゆうやけ・こやけ

求めているのは、雨上がりの夕焼けあとにやってくる青空です。

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『駆けいでるとき』(8)

           8

 季節が冬から春に変わろうとしているのか、それを告げる稲光が時折、付近一帯を真昼のように染める。湿った南風が何度も家を大きく揺すり、家の中さえ通り抜ける。そのたびに、消えかける蟻燭のゆらめきに、ヨネの眼が不安気に動き廻る。微くさい部屋に閉じこめられたまま、誰も何もいわない。風雨は夜半から間断なく続き、まだ空け切らぬ山間を音をたてて貫いていく。風の音のせいでいつもより早く、家族全員がまだ暗いうちに起きてしまった。電灯をつけてみたが、停電していた。
「いまではめったにないことなのに」とナオミがさらにもう一本、新しい蝋燭に火を灯しながら貴男にいった。貴男は薄明りの奥で稲光に恐れおののくヨネを心配していた。ナオミによれば、ヨネが極端に嫌うものが二つあるという。そのうちの一つが稲光であとの一つは蛇だった。「それはヨネさんだけではなくて、オレだってそうだよ。ナオミだってそうかもしれないよ」と貴男は笑った。ヨネが極端にその二つを嫌うというその理由はわからなかったが、それはすでに幼いときから示していたことだった。それが直接ヨネへのいじめの対象になったことはないというが、山で偶然にも蛇を見つけると、そこで萎縮したまま、逃げ出すこともできず、何度か癲癇による引きつけさえも起こしたことがあるという。

 ヨネはいつも何を考えているのだろう。山間の家にやってきてから、ヨネの視線を感じると、貴男はいつもそう思う。じっと自分を視つめていると思えても、いざ何か話しかけようとすると、その眼はすぐに曖昧なものとなり、視線はぷいとそらされてしまう。きっとヨネはヨネなりに貴男を家族として受け止めようとしているに違いなかった。だから貴男はそのたびに、ヨネが自分に何か話しかけたいことでもあるのかと思ってそれに応じようとするのだが、ヨネは最初の視線とは全く無関係な動作を示してしまうのだった。貴男がさらに呼びかけると、ヨネはぎこちない徴笑をみせたまま、うつむいてしまう。しかし、いまのところヨネとの会話は成り立たなくても、貴男にはなぜだかヨネに安らぎさえ感じていた。家族同士で話しているとき、家の前の畑の手助けをしている折など、ふとヨネの視線を感じることがあったが、貴男はあえてその視線を無視し、ヨネときちんと向き合うときには、決して自分から視線をそらさないようにした。貴男の独りよがりかもしれなかったが、日が経つにしたがって、ヨネの眼から真新しいものを見るといった貴男への懐疑な視線はいつの間にか消えていた。

 ヨネは部屋の隅で竹細工に精を出している老父の傍らに座り、ヨネなりの考えで、父親を助けていた。父親が必要とする道具を選び、 竹くずを丹念に拾い集めるのもヨネの仕事だった。父が長い年月をかけてヨネに仕込んだだけあって、その手際は手馴れたものに写った。それはナオミとて手を出せない、いわばヨネの聖域のようなものだった。ナオミはそのことをよく知っており、たまに後片付けを手伝うことはあっても、ヨネの仕事振りには決して口を出さなかった。父が自分の仕事としている竹細工を始めようとすると、その細工道具、材料の持ち込みなど、そのすべてにヨネは長けていた。父が仕事を始めると、その傍らにいつも座り、父が次に何を求めるのかをじっと眼を凝らして見ていた。何も知らない人がそんな二人の様子を見れば、老いた竹細工職人とそれを支える忠実な弟子との関係に写ったことだろう。それほど二人は寄り添い、日によっては終日作業に没頭していることもあった。今朝は手慰みに父が竹笛を作った。ヨネはそれを与えられ、懸命に吹こうとする。しかし、音は出ない。吹く真似はできるが、微妙な息吹きがうまくできないのだ。それでもヨネは力を入れて何度も音を出そうとする。何度吹いても同じことだった。竹の中を駆け抜ける空音が風の音に混り、まるでそれが部屋の中で何かの獲物を求めて駆けめぐっているように思われた。

 老父の作った笛や、それに類する竹細工を茜村の先にある町の土産物店や雑貨屋に届けるのは行商に出掛けていた弟の仕事だった。しかし、弟が死んでからはそれもできないまま、かなりの品が部屋の隅に放置したままになっている。幸いにも、町の雑貨屋が今日にでも、あかつき村の社地に何らかの品物を届けることになっており、その帰り道にここまで立ち寄ってくれることになっていた。そのことを村人が告げにやってきたのは昨日のことだった。それに伴い、久々の現金収入があると一家は喜んだ。車に便乗できれば、いくばくかの買い物に老父自らが町まで出かけることになっていた。風には雨が混じっていたが、幸いにも雨は小降りになりつつある。しかし、風だけは前にも増して強くなっているようだった。冬から春へ、季節は確実に変わろうとしていた。車に乗せるための竹細工を土間のゴザの上に並べ終え、老父はさらに細工物を吟味している。
 貴男はふとナオミを視る。ナオミはぼんやりとそんな老父の手先を視つめている。その額には汗が薄く滲んでいる。そういえば、先ほどから急激に湿気が増しているようにも思われた。あるいは新たに薪を加えた炉辺の火のせいかもしれない。
「こんな生活なのに、あなたはまだ不溝一ついわないのね」

 貴男の視線に気づいたときナオミはそう呟いた。老父の手が止まり、老いた視線がナオミを捉える。
「私はあなたをこんな生活の中に引き込んでしまったことを後悔しているわ。もうこれ以上、あなたをここに引き留めるどんな理由もないわ」
「ナオミ、なぜ急にそんなことをいいだすんだ。山を越えて帰って行く世界をオレはすでに捨ててきたんだよ。仮にここ以外の場所を求めたところで、同じことだし、形を変えた世間の掟というやつに、やはりオレは縛られてしまうだろう。村がオレたちを拒絶することにももう慣れたさ。いまのオレにはそんなことよりも、オレたちが村を必要としないで生活できる方法をみつけ、ここでの生活をどんなふうに維持していこうかと考えることで精一杯なんだ。それ以外、何も考えてはいないよ。ましてやここを出て行こうということなんか……。そしてそれをつい、いましがた思いついたところさ。オレもお父さんと一緒に町へ行ってくるよ。お父さん、オレも町へ一緒に行ってもいいでしょうが……」
「そりゃ、構わんが、何のために行くのかのう。午前中にはこちらに寄ってくれるという話じゃが、町に着くのは昼過ぎになる。帰りがまた大変じゃ。夜になってやっと帰れるほど歩かなきゃならんぞ」
「お父さんにできて、若いオレにできないこともないでしょうが。構わんですよ。それに買い物の荷物にもよりますが、歩くことはないですよ。帰りは車にしましょう」

 家族全員が貴男を見つめている。その意味を図りかねたのか、ヨネまでが貴男の次の一言を待っているように思えた。「貴男……」とナオミがやっと声を出した。
「そうさ、車を買うんだよ、中古の軽自動車、それもトラック型をさ。それなら安く買えるだろう。中古の安物を買えるぐらいの金はまだある。オレも弟のようにやってみる」
「弟のようにって。商売をするつもりなの。しかし、村では何も売れないわ、村へ行くことすらできないのだから」
「だからこそ、車が必要なんだ。よその村へ行くんだ、車さえあれぱそれもできる」
 貴男はそういいながら、ここにやってきてから初めて、老父が嬉しそうに笑うのを見た。いや、家族全員がだった。だが、ナオミの顔が再び曇った。それを察して貴男はいった。
「だいじょうぶだよ。間違ってもあの道路を突走しるようなことはしないよ」
 その声に、ナオミはやっと満面の笑顔を見せた。

 町で必要なものを買い、貴男と父が帰ってきたのは夕闇の漂う前の時刻だった。父の手には、久々の牛肉があった。貴男の手には、父のための清酒があった。車の中で長く話し合ったのか、父の顔がことのほかほころんでいるのをナオミは見た。すき焼きによるささやかな家族の宴だったが、そのぬくもりは一人一人に料理以上のものを感じさせたことだろう。貴男は久々に口にした酒の勢いで、自分にはなかった家族の暖かさを口にした。幼児期に母と死別、父が迎えた新しい母との折り合いが悪く、高校を卒業するとともに、家出同然で故郷をあとにしたこと。五年ほどで結核を発病、病院に入退院を繰り返したあげく、最終的にはナオミが賄い婦として働いていたサナトリウムで完治し、退院。その一年ほど前に、すでに父は他界しており、のち添えできた義母には子供はなかったことなど。貴男は文字通り、天涯孤独だった。サナトリウムで知り合ったナオミの存在がなければ、いまの自分がどこで何をしていたのか、かいもく見当もつかなかったが、少なくとも家族というぬくもりとは無縁の人生を送っていたに違いない。貴男はそのことだけはどうしても口にしなかった。
 その夜、ナオミが夕刻の出来事を貴男に告げた。すでに父にも話してあるという。
「夕方、二人が帰ってくるほんの前に村から使いがあったの」
 貴男はとっさに、それとなくその内容が想像できた。
「車を買ったらしいが、その車で、間違っても社地やそれに続く道路に乗り入れるようなことがないように十分に心しておくように、との村長からの伝言だったわ。そんなことするわけもないのに……」
 村はすでに、貴男が車を買ったことを知っていた。貴男は天井を見つめたまま、何も応えなかった。(つづく)

■『駆けいでるとき』は15回前後の連載予定です。

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胸にこみあげる力のある温かい作品だと思いました。孤独だった貴男の過去を知って、どんなに貧しい生活でも家族の温もりを大事にしたいという気持ちを察しました。いつも思うのですが、これが一時ではなくずっと続く平穏であることを祈りたくなりました。また、来ますね。

2006/12/16(土) 午前 6:12 [ ]

季節の変化とともに、いろいろなものが蠢きだしましたね。村は、まるでお互いを監視しあっているかのようですね。

2006/12/24(日) 午後 11:51 eterena


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