ゆうやけ・こやけ

求めているのは、雨上がりの夕焼けあとにやってくる青空です。

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「風子」の場合(2)

 「風子」の場合(2)


 その年の夏、お盆を前にした二週間ほど前、母から達雄に電話があった。母は昨年末に帰ったばかりなのに、またすぐにでは大変だろうが、できれば帰ってこられないかしら? と言った。昨年末、ついうっかりして言い忘れていたが、お盆の期間中に、父の父、つまりは達雄の祖父の十三回忌をやる予定なので、帰って来るようにという要請だった。父は長男だった。その父もできればそうできないか、と言っていると母はつけ加えた。達雄は返事を渋った。そのことは別として、母は風子の近況を達雄に伝えた。風子たちが離婚したという。敦夫が時折つき合っていたという女性と結婚したいため、風子に離婚を申し出た結果だった。すでに敦夫の新しい彼女は敦夫の子どもを身ごもってもいるという。達雄は電話口で絶句した。母にとっても、風子は友人の娘ではあるが、かけがえのない実の娘のような存在だった。しかも、風子は結婚で身内になっていた。母は敦夫のことを非難し、風子と子どもたちの行く末を案じた。達雄は風子の店は? と母に訊いた。生活のためには、つづけていくしかないだろうと、ため息交じりに達雄に伝えた。敦夫は敦夫なりに、スナック店の権利や家族名義の全財産を風子たちに残したというが、それだけではいつまでつづくか、そのためにも、ふうちゃんは店をつづけなければならないのだと話した。達雄はこの話を耳にし、即座に帰省することにした。風子のことがそれとなく気がかりだった。
 達雄は帰省したその日の夜、高校時代の友人を訪ねるからと家族に偽って、風子の店を訪ねた。お盆中のこと、あるいは休みかもしれないと思ったが、「風子」の看板には灯がともっていた。店に入ると、女性ばかりの客が三人ほどいた。風子はいなかった。新しい女性がカウンターの中に立っていた。よくよく見ると、どこかで見た顔だった。多分、風子の高校時代の仲間に相違なかった。
 達雄が彼女に「ママは?」とカウンター越しに訊くと、彼女は「お盆なので、ママは今日、弟さんのお墓参りで実家に帰っています。間もなく帰ってくる頃だと思いますが……」と、応えた。
「そうか。ありがとう。僕は、ママとは同級生なんだ」
 達雄は彼女の警戒心を解くために、そう言った。その声に女性客がいっせいに自分に好奇の眼を向けたのが分かった。
 思いがけず、彼女は「やっぱり」という顔をした。「達雄さんでしょ?」と彼女は言った。「高校のときの顔とあまり変わってませんね」と言われたが、達雄は彼女にあまり覚えはなかった。「あの頃、風子ママから達雄さんのことはよく聞いていましたよ。私も、ときどき、ああこの人が達雄さんなんだと、お顔を拝見したことがあります。ママからは『達雄さんは、私の初恋の人』って聞いてましたよ。ウフフッ」と笑った。達雄は笑われても悪い気がしなかった。風子が果たしてどんなふうに彼女たちに自分のことを話したのか不明だが、悪いようには話したわけではなかったろう。
 達雄はその彼女にボトルを出してくれるように頼んだ。彼女は愛想よく「はい、ありがとうございます」と笑顔で返事をし、すぐに達雄の前にウィスキーのボトルを置いた。
 達雄は彼女が注いでくれるままに、水割りを三拝ほど飲んだ。そんなところに、店のドアが開き、「ただいま」と地味な洋服姿の風子が顔を出した。店にいた女性が、「ママ、お客さんよ」と、達雄のほうに顔を向けた。風子はまさか、という顔をして達雄を見た。
「達ちゃんね、よく来てくれたね」
 風子は多少驚いた顔をした。達雄が頷くと、風子が言った。
「ちょっと着替えてくるね。待っててよ」
 十分ほどして、浴衣姿の風子が再び店に顔を出した。達雄は風子の浴衣姿をまじまじと眺めた。店の中が急に華やいだように思われた。よく似合っていた。そういえば、幼いころに母に連れられて風子の家に行ったとき、あれは夏だったのか、幼い風子が浴衣を着せてもらって、達雄の前で嬉しそうにそれを見せたことがあった。二人とも幼かったが、そのとき風子が自分よりもいくつか年上に見えたことを微かに思い出した。その風子が、同じような浴衣姿で達雄の前に立っている。達雄はそのときのことを風子に話した。「そんなこと、あった?」と、風子は笑った。幼いときのままの笑顔だった。
「風子」と、昔のままの呼び方で、女性客から声がかかった。空になったボトルを振りかざしている。「毎度、ありがとう」と風子は言って、新しいボトルを三人の女性客の前に置いた。再び、達雄の前に立つと、風子は三人を振り返りながら、言った。
「あの人たち、みんな、高校時代のワル仲間よ」
 達雄は風子にそう言われて、女性の三人の客に頭を下げた。改めて三人を見たが、そのころの面影は誰にもなかった。彼女たちも達雄のことに記憶はないようだった。風子はその三人の顔を見て笑い、再び達雄の眼をうかがうようにじっと見た。達雄は照れ隠しのように言った。
「ここでは、いまも風子で通っているんだね」
「そう、昔の仲間はね。いまではみんな普通の奥さまになってしまってるけどね」
 その声が聞こえたのか、「うふふ」と小さな笑いが漏れた。
 時間だけが刻々と過ぎていくようだった。達雄は、唯一、芙美子と接触があったころの幼い日の思い出を話したかった。しかし、そんな話をするには、もうかなりの年月を経ており、容易にそんな話は持ち出せなかった。
「敦ちゃんとのこと、聴いたよ」
 達雄はどうしてなんだ? という思いを込めて風子に訊いた。風子はその言葉に動揺することもなく、小声で応えた。
「仕方ないんよ。ウチが悪いんよ」
「そんなことないだろう。風ちゃんは一生懸命やっていたじゃないか」
「ううん、ウチが店なんかやるから、こうなったんよ。あの人が帰るころには、ウチはもう店に出ていたんでね。最初は、いったんはここに寄って食事もしとったけど、そのうち、いまの奥さんのところに行くようになってしもたんよ。ウチが悪いんじゃ」
 達雄はそればかりではないだろうと思ったが、従兄の悪口を言うようで、そのことは口には出さなかった。従兄の敦夫は、これまでにも女性に関する話題はいくつかあった。もちろん、風子とて、そのことは知っているだろう。現在の彼女とだって、果たしてどれほど持つのか、知れたものではない。そのことは別に、二人の子どもを抱えた風子のこれからが案じられた。幸い風子には、両親が健在だった。風子の父は、地元産業ではあったが、市内では有名な会社の重役を務めている。両親にすれば、風子の弟を失ったいまやたった一人のわが子である。経済的なものを含め、陰日向になって風子を応援してくれるだろうことは容易に想像できた。しかし、二人の幼子たちは出て行った父親をなんと思うのだろうか。そしてまた、肝心の風子自体には、この先、どのような人生が待っているのだろうか。達雄はそんなことを考えながら、悩みなどどれほどもないという顔で客に接している風子を見ていると、なおさら従兄の理不尽な行動に怒りを覚えるのだった。
 敦夫と風子の結婚が決まり、達雄のうちに初めてそろって結婚の報告に訪れた日、敦夫が、「風子の相談に乗ってやれよ」と言ったことを思い出した。達雄はその言葉に「冗談じゃないや」と改めて思った。こんなこと、なんで自分が考えなければならないんだ。いまさら、自分が風子のどんな相談に乗ってやれるんだ、考えなければならないのはお前さんで、若い女といけしゃあしゃあと一緒になっておいて、風子の産んだ子どもたちのことはどうなんだと考えた。
 ちょうどそのとき、三人連れの女性客から「ママ」と呼ばれ、風子はいったん、その客のところに行って、二言三言言葉を交わして再び達雄の前に立った。が、達雄は風子の離婚についてはもう何も言えなかった。
「おばちゃんは元気?」と、風子は達雄の母のことを聴いた。「ああ、相変わらず、小言ばかり言ってるけどいたって元気だよ」と達雄は応えた。
「おばちゃんにも、あの頃は心配をかけたもんね。母がちょっと席を外すと、本当に心配そうな顔をして、その髪型はふうちゃんには似合わんよ。どうしてそうするのかはおばちゃんにもよくわからんが、ふうちゃんにはふうちゃんらしい髪型があるように思うんよ、ってよく言ってくれたこともあったわ。ウチ、心の中で、おばちゃんごめん、と謝りながら、いつも聞き流してしまっとった。悪いことしたわ。心から心配してくれとったんにね」
達雄は黙って頷いた。あの当時、母が達雄にもそう言ってこぼしては、わが子のことのように大きなため息をついていたことを覚えている。
「なんだったのかねえ。今から考えてみると、ウチにもようわからんのよ」
 風子はしんみりした口調で遠い昔を思い出すかのような顔をした。
 達雄は思い切って風子のあの事故と髪型について訊いてみた。風子は事故当時の状況を少しばかり話したのち、顔をゆがめて言った。
「達ちゃん、いま考えると、本当を言うと、さっきも言うたように、私にもようわからんわ。どうしてあんなにつっぱってしもうたんか。ウチ、いまになって思うんは、弟があんな死に方をしたのはウチのせいだと思うことから、逃げたかったんだと思うわ。もちろん、弟に申し訳ないという気持ちからもあんなことに逃げたんやと思うけどね。弟ばかりじゃないよ。両親からもそうじゃった。胸が押し潰されそうで、本当のところ、どうしてええのか、わからんかった。罪をつぐなわなきゃと思ったとき、せめて坊主にと思ったんよ。けれどいくらなんでもと美容師さんに止められ、せめてという思いであそこまで刈り上げてもらったんよ。あのとき、ウチ、思ったんよ。弟が死んで、ウチも死んだんだ、こうして生きているウチは、生まれ変わらなきゃあいけん。そう思ったとたん、まず、行儀のいい芙美子を捨てよう、なんだかそのまま生きていては弟にも済まないように、思ったんよ。それがどうしてなのかはわからんわ。とにかく、そう思ったんよ。いま思うと、あのときはそうでもせんかったら、どうしてええのか、わからんかった。弟の死に顔がウチにいつも迫ってきて、気がついたら、あんな風子になっとったんよ。そのうち、ウチの頭をあざ笑うのが出てきた。ウチは何を言っとんじゃという気持ちになり、死んでもいい気で相手をぶちかましにいった。本気度の差よ。そのうち、みんながウチのこと恐れるようになった。ウチのほうから何かを仕掛けたというわけではないんよ。ウチ……それがいつの間にか、あんなふうなスケバンのようになってしもうてた」
 風子の考えられないような変身は弟の死を乗り越えるための風子の捨て鉢な行動だったのだろうか。しかも、その死が直接ではないものの、あきらかに風子自身が否応もなく関係していた事実は、風子には耐え難く、結果的にそんなふうに自分を追い込むほかなかったのだろうか。
 風子がポツリと言った。
「今日も弟の墓参りに行ったけど、ウチの頭から、あの子の面影がだんだん薄れてしもうとることに気づいた。弟にもう何も言えんかった。お墓の前に立ったときね、はて、あの頃の弟はどういう顔をしていたかな、とふっと思うた。そう考えると、なんだか私のせいで弟は……と、思うてしもうてね……」
風子は浴衣の袂からハンカチを取り出し、まぶたに滲んだ涙をぬぐった。
「ふうちゃん、ごめんな。辛いことを思い出させて」と達雄は言った。
 風子は「ううん、ええのよ。ありがとう」と風子は頭を振った。
 達雄は話題を変えた。
「風子のとこのおばちゃんは?」
「元気よ。最近はほとんど孫の世話にかかりっきり。すまないと思っているのよ。達ちゃんとこのおばちゃんも、いまでもときどきお母ちゃんのところに顔を出してくれて、相変わらずお世話になっとるわ」
「そうか。それにしても、おばちゃんも孫二人の面倒を見るのは大変だなぁ」
「最近はね、子どもたちがウチの子か、母の子かわからないくらいなんよ」
「今日は久美ちゃんも、おばさんのところなの」
「そうなんよ。お母ちゃんはあまり小言を言わんでしょ。よっぽど、子どもたちには居心地がいいんじゃろうね」
 その日、初めて風子が笑った。風子が言った。
「達ちゃん、ありがとう。相変わらず、やさしいね」
 風子はそう言って、テーブルに乗せていた達雄の手の上に、自分の手を重ねた。白くて柔らかで滑らかな肌だった。達雄が触れた、初めての風子の肌の感触だった。
 達雄は次の日、祖父の法事を済ませてから、高校時代の友人を訪ねたその足で、友人を誘い、再び風子の店を訪れた。連日の達雄の出現に、彼女は少し驚いた顔をしたが、友人の手前、そのことには触れなかった。友人は店のカウンター席に腰を下ろすなり、「ママのこと、知っているよ」と、風子に話した。風子は驚いた顔で、その友人を見た。彼は言った。
「知っていると言っても、直接どうこうと言うわけではないけど、僕の妹が高校のとき、ママと同じ学校でお世話をかけたことがあったんだ。その妹から、ママのことときどき聞いていたんだ」と切り出した。
「失礼ですが、お名前は?」
 風子はこの突然に話に、少しだけ不安そうな顔を見せた。達雄の友人は妹の姓名を風子に告げた。風子はすぐに「ああ」という顔をした。
 風子が言った。
「そうなの、あなたがそのお兄さんなの?」
 友人は頷いた。風子は少し安心したような顔をした。友人が少し頭を下げながら言った。
「妹がお世話になって有難うございました。妹はあなたのこと誉めていましたよ」
風子は頭を振った。
「私、そんな学生ではなかったよ」
 友人は言った。
「少なくとも、私は妹から、いろんな話を聞いています。でも、風子さんは私のイメージの中では……。とてもスケバン、ごめんなさい。そんなふうには感じられませんでしたけど……」
 その声に、いまは店を手伝っている風子の昔仲間の彼女がこちらを向いた。
 風子が何かを言おうとしたとき、三人連れ、そして二人連れと客が立てつづけに入ってきた。話は、一時的に中断された。達雄たちは入ってきた客のために、一番奥のカウンターに席を移した。風子は「ごめんなさいね。でもゆっくりして行ってよ」と、二人のグラスに酒を注ぎ、新しい客たちの席の前に移動した。
 友人は、かつてその妹から聞いたという、風子にまつわる話を始めた。彼が話した内容は、おおよそ次のような風子の逸話だった。
 それは彼の妹と風子が高校三年の九月のことだった。新学期が始まった九月の下旬、一つの衝撃的な話が校内を駆け巡った。それは風子とはクラスが違っていたが、同じ三年生の女生徒が妊娠しているという、高校生としてはにわかには信じられないような話だった。学校側が即座に動き、その真偽を確かめたところ、それは間違いのない事実と判定された。まず、学校の教職員内でその事実をどう捉えるかが論議された。意見は真っ二つに割れた。つまり、自主的に退学もしくはすぐに退学処分にすべきだという意見と、学校側もそれは不測の事実としての寛大な処置のもと、卒業までは学業はつづけ、しかる後に出産できるように見守ってやるべきだとの二つに割れた。一時的に、ことは後者のほうに進みそうになったが、その判断に立ちふさがったのが父兄会だった。親が親なら子どもも子どもだということもなかろうに、そうした父兄を持つ何人かの生徒が強硬にその正当性を主張し、その子はやむなく退学をよぎなくされかかったという。そこで、学校側は再度、「彼女に自主退学を勧告する」と態度に変えた。これを聞いた多くの生徒が、まずその措置に反対した。誰にも迷惑をかけているわけではない、ましてあと半年もすれば卒業である。出産はそのあとのことになるわけだから、あえて自主退学を求めることはみんなの言うように人権にも反すると、学校の措置に異を唱え始めた。学内の意見は教職員と全校生徒を巻き込んで、真っ二つに割れたまま、ちょっとした騒ぎになった。妊娠した女子学生は精神的には退学寸前に追い込まれた。構内の雰囲気は当事者である生徒には堪え難いものとなりつつあった。彼女の気持ちは「退学」を決断する一歩手前にあった。そこに登場したのが風子だった。風子はその女子学生に言った。
「ビビること、ないじゃん。せっかく授かった命じゃん。そのことを大事にしてやらんかいな。あんたも産みたいんじゃろ? ちゃんと卒業して、産めばいいじゃん。その子のためにも、卒業だけはしたほうがええ。ウチに任せな。ほかの誰にもとやかく言われることはないよ。そんなこと、とやかく言うのがおったら、ウチが受けてやる。ちゃんと卒業して、産んだらええやんか。卒業するまでウチらがあんたらを守ってあげる。堂々としてたらええが……」
 ここまで話を聞いて、ふと、達雄はこのとき風子の頭の中をよぎっていたのは彼女の亡くした弟のことだったに違いない、と思った。
 風子は何人かの仲間を引き連れて、早速、学校側にも掛け合った。風子は一歩学校を出れば、自分に刃向かう相手には牙をむき出しにすることはあったが、意に反して、学内ではそれほど大きな問題も起こしたことはなく、学校側もこうした風子の意見には誠意を持って耳を傾けたという。風子とて、これまで学校に何ほどの迷惑をかけたことはなかった。もちろん、風子をめぐる学内でのいざこざはあった。ただし衆目が一致していたのは、では風子がそのことでどれほどの学内に迷惑をかけたのか、ということでは、頭をかしげるほかなかった。時間が経つに連れ、風子の応援団が増えていった。
 結果的に、学校側は「卒業まではできるだけ、妊娠していることは目立たないように」という、わけもわからないような条件はつけたものの、彼女の卒業までの在籍は認めた。学内での風子の株は一挙に上がった。おかげで、その生徒は無事に卒業までこぎつけた。風子を恐れ、彼女に後ろ指を指すことも、表面的には控えられた。当の風子は風子で、これまた卒業までいつも通りの風子だったという。
 達雄は幼児の頃の風子の面影を胸に描いた。幼い頃の風子は、おかっぱ頭で日本人形のような顔をし、黒髪に包まれた丸い顔をしていた。そんな風子は愛らしかった。同時に、その女子学生を助けたというときの風子の顔を想像した。二つの顔はまったく違ったもののはずであったのに、達雄の脳裏ではその二つの顔が融解し、結局はいまの風子の顔にかぶさった。
 この話をし終えたとき、この友人は意外な事実を告白した。実はその妊娠した当事者というのは彼女の妹だったと達雄に言った。達雄は彼を見て、黙って頷いた。
「そうだったの。それで妹さんは?」と聴いた。
「うん、卒業して無事に男の子を生んだよ。両親が結婚させることを急いだせいで、結婚式は大きくなったお腹を抱えたままだった。結婚式には風子さんも呼んだが、彼女はそのときには大阪にいて、仕事の関係で出席できないからと、お祝いだけ送ってきてくれたそうだ」
 この話には尾ひれがついていた。風子は自分の結婚式に彼女を呼んでいた。彼女は愛し子を抱いて、風子の席には出席したという。
 達雄はまだ、どんな女性とも関係を持ったことはなかった。大学一年生のとき、同級生の学生と少しばかりいい仲になり、キスしたことがあったのが唯一の女性体験で、それ以外には、どんな経験もなかった。彼女とキスした折、達雄は理屈通り、彼女の下着に手をかけた。その瞬間、彼女が「ダメ!」と言って彼の手を押さえたため、それ以上は進めなかった。本当にダメだったのか、さらに手を伸ばせばどうにかなったのか、いまとなっては判断できないが、それが達雄のこれまでの唯一の女性体験だった。その後、キスした女性とは、その後何度かチャンスはあったが、せいぜいキス止まりで、ついに彼女とは性交渉にはいたらなかった。彼女のほうが、頑として拒否しつづけたからでもあった。一度、何かの行き違いから、彼女とは険悪なムードになったことがあった。達雄はそのことを知った彼女の知人からなじられ、「あなたたちはもう普通の関係ではないでしょう。そんな態度、ずるいわよ」と言われたことがあった。何を刺して普通の関係ではないというのか、達雄にはなはだ疑問だったが、彼女とはそれ以上に交際をつづける気も失せ、そのまま彼女とは疎遠になった。それが達雄の唯一の女性体験だった。

 翌年の春、従兄の敦夫と風子は正式に離婚した。風子にすれば、もう敦夫が自分の元には帰ってこないことを実感したのかもしれない。その年の夏、達雄は自分が担当していた原爆の特集記事の取材で八月の中旬、久々に広島を訪れた。途中、新幹線は達雄の故郷の最寄りの駅に停車した。達雄は社外の変わらぬ風景に目を凝らしながら、風子のことを脳裏に描いた。離婚して、風子がどんなふうに暮らしているのかが気にかかった。ほどなく列車は目的の広島を目指して出発した。それから一時間ほどして、新幹線は広島に着いた。故郷の駅から広島まで、達雄の脳裏を占めていたのは風子だった。久々に入る広島の車窓の風景は、達雄の目の前で、ただただ通り過ぎていくばかりだった。爆心地広島に初めて訪れたのは、中学校の修学旅行の際だった。広島県東部に育った達雄たちにとって、広島は決して遠い場所ではなかったが、それでもまだ新幹線のような高速鉄道は走ってはおらず、同じ県内とはいえ、遠い存在だった。その後、達雄は一回単独で、もう一回は大学一年の折のクラスメートと原爆記念館を訪れるために広島を訪れたことがあった。
 広島についたのは夕刻だった。その日はそのままホテルに入り、達雄は翌朝から特集記事に必要な二つほどの仕事をこなした。夕刻、東京まで帰るつもりで、広島駅で切符を買おうとして、ふと口に出したのは故郷の駅名だった。急に、風子に会いたくなったのだ。ここからなら一時間ほどで着く。風子がまだ店をやっているのかどうかは定かではないが、もしやっていなければそのまま実家に泊まることも考えられた。行くだけ行ってみよう。そう考えただけで、風子への切ない思いが達雄の胸に迫った。あの風子が、こんな形で自分を捉えようとは、つい先ほど、広島駅の切符販売窓口に立つまで、思いもしなかった。新幹線に揺られながら、達雄の脳裏にはかつてのふうちゃん、女子高生時代の風子、従兄と結婚する前後の風子と、さまざまな彼女の顔が去来した。
一時間ほどで、列車は故郷の駅に着いた。「風子」にはその駅から十分ほど歩けば行けた。達雄は店までの距離をゆっくり歩いた。達雄の頭には離婚を余儀なくされた風子の様々な顔が浮かんだ。果たして、離婚してからも店をつづけているという風子はこの時間にはもういるのだろうか、本当に店はつづいているのか……など、さまざまな思いが次々と達雄の頭に去来した。
店の看板には明かりが灯っていた。が、店を目前にして達雄の足は止まった。離婚したという風子に、どんな顔をし、どんなことを話せばいいのか、一瞬迷った。が、思い切って店に入ると、客は誰もいなかった。風子が驚いた顔で達雄を出迎えた。風子は「今頃どうしたん?」と、予測もしなかった客の到来に戸惑っているのが見て取れた。
 達雄は広島での仕事のことを手短に話しながら、カウンターに座った。風子は一通りの準備を済ませると、カウンターから出て達雄の隣に座わり、酒をついだ。そんな風子に、達雄は言いにくそうに「敦ちゃんとのことを聞いたよ。大変だったね」と、切り出した。
 風子は言った。
「達ちゃん、その話、今夜はやめとこう。言いたいことは山ほどあるけど、結局は愚痴になるんよ。もう済んだことなんよ」
達雄は「わかった。ごめん」と言うしかなく、従兄の話はそれでやめた。少しばかり、沈黙が流れた。風子がその気まずい雰囲気を払しょくするかのように一度カウンターに戻り、自分用のグラスを手に、再び達雄の隣に座った。「達ちゃん、今夜はウチも飲むわ」と、達雄の前にグラスを差し出した。そのとき、浴衣姿の風子の体から、香水の匂いが漂った。達雄は風子に、それまでは感じたことのない女を強く意識した。風子は達雄の注いだウィスキーの水割りをそれこそ一気に呑んだ。風子はすぐに達雄の前に、空になったグラスを差し出した。達雄は言った。
「ふうちゃん、そんな呑み方をして、大丈夫かい?」
「大丈夫よ。まだ一杯目。今夜、来てくれるとは思いもしない達ちゃんが来てくれたんだもん、うれしくて、呑まずにはいられんわ」
 風子はそう言って、二敗目に少し口をつけてグラスを置いた。達雄はしばし言葉を失った。風子もあらぬほうに眼を向けている。達雄は従兄のことを口にしたことを後悔した。考えてみれば、傷口に塩を塗るようなものだった。二人はしばし、沈黙した。
そんな雰囲気を破るように、風子が言った。
「ウチねえ、達ちゃんのことで、一つだけ覚えてることがあるんよ。さっき、仕事の話をしてくれたでしょ。それで思い出したこと、あるんよ。どうしてそんなこと、覚えているんか、ようわからんけど……。達ちゃん、小学校六年生のとき、ウチら同じクラスだったこと覚えとる?」
 達雄にはきちんとした記憶はなかった。風子がそう言うからにはそうだったに違いない。達雄はなんとなく頷いた。風子はつづけた。
「あのとき、担任の先生が、今日から小学校最後の授業が始まります。そこで、先生はみんなが将来はどんな職業に就きたいんか聴いてみたいと思います、と先生が言ったことがあったでしょ。覚えてない?」
 達雄は頭を振った。まったく記憶になかった。風子が言った。
「どうして、ウチがそんなことだけ覚えているんかようわからんけど、そのとき、達ちゃんは先生にこう答えたんよ。僕は絵を描くことも、書道でええ字を書くことも、それにハーモニカや木琴など、何かの楽器を演奏することも得意ではないです。ですから、何か、文書をつくるような仕事をしたいです、と応えたんよ。覚えてない?」
 達雄は頭を振った。そんなことを言ったこと自体、恥ずかしかった。そう言われてみれば、それがまるっきり他人の言葉ではないような気もした。そのことよりも、思わぬことを風子が覚えてくれていたというその事実に感動した。
「だからね、さっき仕事の話を聞いたとき、ああ、達ちゃんはあのころの夢をかなえたんかなあ、と、感心したわ。私にはようわからん世界じゃけどね。それに楽器がだめだと言うていたくせに、中学と高校ではブラバンにいたんだし、言うことないわ」
 風子はそんなことを言い、自分のグラスを達雄のグラスに当てて、再びそれを一気に呑み込んだ。
達雄はこんなことが風子の口から出るとは思わなかっただけに、少々慌てた。達雄は言った。
「そう言うけど、何でも中途半端なままだよ。六年間ブラバンにはいたけど、他の人のように音感がないせいか、楽譜がないと演奏できんかった。音感があると、リズムを聞いただけで、自分の楽器で演奏できるものなんだよ。そんなこともできんかった。六年もブラバンにいたのにな。何か書くという仕事にしても、本職は編集という仕事だよ。書くことそのものが本筋ではないんよ。何をやっても中途半端なままなんよ。それが俺の人生なんだと、最近はつくづく思うわ」
 達雄は普段感じていたことを隠さず話した。風子は頭を振った。「それは欲が過ぎるというもんじゃないの」。風子の言葉に、自分の言ったことがなんとなく恥ずかしかった。人にはほどほどということがある。それに気づかず、自分はこの歳になってもなお、どんな夢を追いかけているというのか、達雄はやや悲しかった。
「それにしても、よう覚えとったな。さっきのどんな職業に就きたいのか、などいう話、まったく記憶にないわ」
「ウチにもようわからんわ。ただ、達ちゃんのこと思うと、前にもなんか、そのことを思い出していたんよ。どうしてかね。ウチにもようわからん」
 風子は達雄の記憶にない、幼いころの達雄の印象について、いくつか話してくれたが、それらはまったく達雄の記憶から消出されたものだった。
 三人ほどの客が入って来た。風子は「ごめんね。ゆっくり呑んでいて」と、接客の応対にカウンターの中に入った。風子は、時折、達雄のほうに眼を向けたが、しばらくはその三人の客にかかりきりだった。その客につづいて、さらに何人の客が入ってきた。風子が達雄を相手する暇はなかった。彼女は気づいたように、達雄の前に立って、酒をつぐのが精いっぱいで、あとは客の対応に忙しかった。達雄は少し、うとうとした。気づいたときには、達雄の前に、この前に見たアルバイトの女性が立っていた。店はほぼ満席になっていた。
 どれほど時がたったのか、達雄は不意に風子に起こされた。風子が達雄に囁いた。 
「達ちゃん大丈夫。一人で、よく呑んでたわね。ほら、ボトルが空になってるよ。だいぶ疲れているようね。奥の部屋で、少しばかり休んで」と言った。達雄は「帰るよ」と言った。風子は即座に応えた。「駄目だよ。危ない。いいから、少し酔いを醒ましてからにしてよ」。達雄は、風子に抱かれるようにして奥の部屋に移動した。部屋にはソファーベッドがあった。達雄はそこに座らされたことは覚えているが、いつの間にか再び眠っていた。
 気づいたときには、部屋に朝の光が入っていた。風子が掛けてくれたのだろう、身体はいつの間にか、タオルケットにくるまれていた。気づくと、部屋のテーブルにメモがあった。見ると、「お疲れさま。また会えるといいね。出るときには鍵をかけて、郵便受けから中に投げ込んでおいてください。こちらは合鍵がありますから。また会えるといいね。(芙美子)」とあった。
 達雄は身支度を整え、財布から飲み代のつもりで二万円を取り出し、風子のメモ書きの上に置いた。店を出ると、夏の強い兆しが眼を射た。達雄はそのまま、駅に向かった。実家に帰る気持ちは失せていた。結局、その前夜が達雄と風子が会った最後となった。新しい年が明けた元旦、達雄の元に風子からの年賀状が届いた。賀状には新年の挨拶とともに、「おばちゃんからそちらの住所を聞きました。今度帰ったら、また来てください。芙美子」と書き添えてあった。

 それから半年ほどたった真冬の最中、敦夫の新しい妻が男の子を出産した。その翌日、風子が着物姿のまま、海で死んだ。入水自殺したのだと、その理由をいろいろと詮索する者がいたが、本当に自ら入水したのか、酔っていて誤って海に落ちたのか、その真相は誰にもわからなかった。敦夫の新しい妻が子どもを産んだことで、風子はもう夫を取り戻せないと絶望して死んだのではないかというも者もいたし、二人の子どもを残したまま死を選ぶことはなかなか難しいことだから、やはり事故だったのではないかという者もいた。が、その真相はついに誰にもわからなかった。自殺をほのめかすような言動も書き置きのようなものもなかった。結局、風子の死因は「事故死」と認定された。遺骨は風子の母親のたっての希望から、風子の実家の墓の弟のそばに埋葬された。達雄は葬儀には母とともに参列した。さすがの従兄も風子の二人の子どもとともに出席していたが、のちに訊いた母の話だと、納骨のときには、風子の母親に手を引かれた二人のまだ幼い子どもの姿しかなかったという。
 遺影の風子がはにかんだように笑っていた。遺影は次男が生まれたときの家族写真の風子の顔が使われていた。つい数年前の写真ながら、達雄には少女期の風子の顔が重なって見えた。あの頃のままの顔だった。顔のすぐそばには彼女の手によるものと思われるピースサインが覗いている。恐らく長女の久美に習ったものだろう。幸せそうな家族写真をトリミングして使った遺影だった。それだけに、見る人の涙を誘った。中でも、久美の姿は人の心を胸打つものだった。そのときの彼女はもう中学生になっていた。焼香の際、何を思ったのか、久美はその写真に手を差し出し、自分の胸にひしと抱きしめたまま、一際、悲しげな声で「お母ちゃん、お母ちゃん」と、涙声で連呼した。すでにその父親であることを放棄していた従兄が慌てて駆け寄り、久美から遺影を引き剥がそうとしたが、久美は容易に聞き入れず、「お母ちゃん」を連呼した。姉のその「お母ちゃん」と言う完極まった声に刺激されたかのように、まだ幼いその弟までが、声を上げて泣き出した。結局その場は、風子の母の手によってどうにか収まったものの、二人のその完極まったような惜別の泣き声は、参列者の多くの耳にいつまでも残ったことだろう。無論、達雄もまた、その一人ではあった。
 しばらくして達雄は母から、風子の子どもたちは敦夫たちが引き取ることになった、と聞いた。当然といえば当然だが、 これには敦夫の現在の妻の意見を敦夫が取り入れた結果だったという。現在の妻にすれば、風子の死の一因は自分にあると感じてのことだったのだろう。風子の母は最初、これには反対したらしいが、再三にわたる敦夫夫婦の申し出とともに、敦夫の新しい妻の数度にわたる懇願にいわばしぶしぶ承知した格好だった。
 達雄は翌年の夏、故郷に帰った。東京に帰るその日は暑い日だった。達雄は一人で風子の墓の前で頭を垂れ、手にしていた花束を供え、線香に火をつけた。弟の墓石に、新たに「芙美子」と彼女の名前が付け加えられていた。達雄は指先でその「芙美子」と刻まれた文字をなぞった。真夏の寺にはほかに人影はなかった。達雄は幼い日のことを思い出していた。たとえどんな幼くても、異性を意識することはそれなりの恋と呼べるだろうか。いつも母と一緒か、学校などで単独で出会っても、直接接触する勇気はなかったが、彼女の姿を見ると、遠くから眼を離すこともできず、ただ茫然と彼女を見つめていた。それは高校時代もまた同じだった。頭を刈り上げた風子、それもまた、達雄の心の中では幼いころから見ていた同じ「ふうちゃん」だった。
 達雄は合掌し、墓に向かって、心の中から語りかけた。
「ふうちゃん、なんで死んだんだよ。オレ、ふうちゃん……本当は」と言いかけて後は言葉を飲んだ。達雄の眼に急に涙があふれてきた。突然、そばの松の木にとまっていたヒグラシが「カナカナカナ」と鳴いた。その一声が収まると、寺はまた、気怠いままの夏の静寂に包まれた。達雄は海を前にした風子の姿を想像した。そして思った。もしかして、その瞬間にふうちゃんはまた再びあの風子に戻ったのかもしれない、とそう思った。(完)

*本稿は『ちば文学』第20号(2019年1月末日発行)に掲載されたものに加筆・訂正を加えたものです。転載を同意してくださった「ちば文学会」に感謝します。

「風子」の場合(1)

 「風子」の場合(1)


 夏休みが終わって九月の新学期が始まったとき、風子の変わりようは誰の眼にも明らかだった。風子を知っている誰もが考えたことは、その原因が彼女の弟の死と関係あるのではないかということだった。当時、風子は近隣では著名なミッションスクール系の女子学園の中等部の三年生として通っていた。弟の不幸な事故がなければ、彼女はそのまま同じ学校の高等部に進学していたはずだ。当時の風子の髪型は普通の女の子のようなおかっぱだったが、九月の悲しい事故を経た十月の初旬、彼女の頭は、見た眼には後頭部を男の子の坊主頭のように刈り上げ、髪全体も極端に短くなっていた。その異様な髪型は、あのミッション系の学校に通うにはあまりにも不似合いに映った。そのことで学校から注意を受けたのか、自らの意思でそう決めたのか、翌年の四月から風子はそのまま高等部には進学せず、同じ市内の、ごく普通の女子高校に進学していた。髪型は相変わらず、後頭部を刈り上げた、ボーイッシュなスタイルのままだった。
 小学校時代の達雄はその年度によって違うこともあったが、一年生の折に彼女と同じクラスになって以来、小学校を卒業するまで、二、三回は同クラスになったことから、彼女のことは最初からよく知っていた。幼稚園も同じはずだったが、幼稚園での記憶はほとんどなかった。もっとも、では幼稚園では他に誰と一緒だったのか、と問われても近所の者でさえ、誰の顔も浮かばなかった。小学校時代の彼女は勉強もよくできて、いつも担任から褒められていた。その甲斐もあって、彼女は小学校を卒業すると、近隣の女子児童憧れのそのミッション系スクールの中等部に合格し、通うようになった。そこに通うには、バスで三十分ほどかかった。だからだろう、彼女がその学校に通うようになってからは街で見かける機会は少なくなったが、その制服は遠くからでも一目で認められるもので、達雄は時折、他の男の子同様に、その学校の制服姿の風子を一種の羨望の眼差しで見つめていたものだった。当時、達雄は特に親しくなったわけではなかったが、母親同士がかつての女学校の同級生同士だったということから、幼い頃には母親と一緒に何度か彼女の家に出入りしていたこともあり、彼女のことは他の女の子よりは少しばかり親しみを持って見てはいた。だからといって、引っ込み思案な達雄は幼い頃の一時期を除いて、それほど親しく接したということはなかった。母親と彼女の家を訪ねても、達雄が相手にするのはもっぱら弟のほうで、彼女と直接、接触することはあまりなかった。そういう意味では、彼女の達雄への印象も同じようなものだったろう。街で彼女に偶然出会うこともしばしばあったが、幼かった二人は、すれ違いざまにていのいい挨拶を交わすほどの知恵もなく、どちらともなく互いの眼を避け、うつむき加減に通り過ぎて行くのが常だった。達雄もそうだが、彼女もまた母親を通じての親近感があり、どちらもそれなりに相手を意識していたことは間違いなかったが、むしろそれがわざわいしたのかもしれない。
 小学生時代の彼女はおとなしい、可愛い顔立ちをした女の子だった。成績も良く、誰にでも、いつも微笑を浮かべて接し、中学生になるまでずっと女の子たちの中心にいた。その印象は彼女がミッション系の学校に通うようになってからも、達雄には変わることはなかった。ただ、二人が成長するにつれ、かつての照れや恥ずかしさは別の意味で増したように思う。中学校に通うようになってから、達雄はそんな彼女と街で出会うと、彼女は幼児期のように微笑むことはなくなったが、ちらっと達雄に眼を走らせ、はにかむようにして俯いて通り過ぎるようになった。達雄もまた、少々胸を高鳴らせたものの、彼女と同じように眼を伏せ、足早に通り過ぎるのが常だった。二人には、誰もが幼小年期にさしかかる際に体験する、異性に対してのほろ苦い最初の一里塚であったのかもしれない。
 彼女は弟の死という事故があるまで、「風子」と、いまのような通称で呼ばれたことはなく、みんなには本名である「芙美子ちゃん」、あるいは「芙美ちゃん」と呼ばれていた。しかし、彼女が中等部三年の二学期になってしばらく経つと、いつの間にかその呼び名は「風子」に変わっていた。それは彼女が突然、後頭部を刈り上げ、髪全体を短くした時期と重なっていた。彼女の髪型のあまりの変化は、それを眼にした誰でもが驚き、すれ違いざまに何度となく振り返っては見直したものだった。その眼差しの中には、「あの、芙美子ちゃんが……、どうして?」という奇異な視線が向けられていた。それまでの芙美子への印象は髪型一つで、まったくと言っていいほど変わって見えた。もっと言えば、彼女のいつも微笑みが絶えなかったその顔から、その表情が消え、いつも陰鬱で、眼はどこか遠い、あらぬ方向に向けられているようなことが多くなったからだ。彼女のその髪型はそのまま、中等部を卒業するまで変わることはなかった。その頃から、彼女は誰が言い出したのか、現在の通称「風子」と呼ばれるようになっていた。
 達雄にはその風子という呼び名は自分でつけたのか、仲間の誰かが言いだしたのかはよくわからなかったが、彼女はその呼び名が気に入っていたようで、そのうち、彼女自らが自分のことを「風子、風の子の風子」だと、まわりに徹底させてもいるようだった。彼女自体がそう呼ばれることを望んでいたのか、誰かがそう言いだしたのをそのまま受け入れたのかは不明だが、両親でさえ、「ふうちゃん」と呼んで憚らなかった。最も両親の場合はあくまでも芙美子を略しての愛称だったろうが、それが広まり、風子になったのかもしれない。それでも、その事故があるまで、彼女が周りの友達から風子と呼ばれることはなく、普通のごくおとなしい「芙美子ちゃん」、「芙美ちゃん」だった。その彼女が、どうして風子と呼ばれるようになったのか、どうしてあんなふうに変わったのかは、実のところは誰にもはっきりしたことはわからなかった。ただ、誰もが考え、達雄自身もそれが何らかの原因になっているのではないかという、あの悲しい事故がきっかけになっているだろうことは疑うことはなかった。
 その悲劇は彼女が通っていた中等部三年生の夏休みが終わる直前に起こった。当時、彼女には二歳年下の弟がいた。彼女はこの夏、両親にせがんで新しい自転車を買ってもらった。彼女がそれまで乗っていたのは子ども用のもので、中学生になった彼女にその自転車はもう不釣り合いのものだった。彼女は両親に中学生にふさわしい、ほぼ大人用に近いサイズの新しい自転車を買ってくれるようにせがんだ。その自転車が届いたのは、ほどなく夏休みが終わる二日前のことだった。注文はしたものの、在庫の関係で納品が遅れた。彼女はヤキモキした思いで自転車が届くのを待っていた。自転車が届いたその日、彼女は早速、馴らし運転のつもりで試乗した。新しい自転車の乗り心地は上々で、その日は一日中乗りまわした。そして、その日の夕刻のことだった。彼女は弟にせがまれて、その後部荷台に彼を乗せた。皮肉なことに、事故はその直後に起こった。彼女は弟を後ろの荷台に乗せたまま、快適に自転車を漕いだ。自宅から海岸に向かう一本道を自転車は快適に走った。その道から、海の見える大通りに出ようとした。海風を受けて海岸沿いのアスファルト道路を快適に出走すれば、弟も喜ぶだろうと彼女は考えたに違いない。T字路を出て、左にハンドルを切った瞬間にその事故は起こった。T字路を曲がった出会い頭に、いきなり現れた自転車に驚いた軽トラックが急ブレーキをかけたまま自転車の前部に激しく衝突した。彼女の自転車はアスファルト道路に叩きつけられ、ハンドルを握っていた彼女自体はその衝撃にしてはそれほどのダメージは受けず、そのまま気を失った。ところが、後部の荷台に乗っていた弟は衝突の衝撃で弾き飛ばされ、アスファルト道路に激突、首の骨を折って即死していた。彼女は病院で意識を取り戻し、同時に弟の死を知らされた。
 そのニュースはまたたく間に街中に伝わった。滅多にない、田舎町での大事故だった。そのことを知った達雄の母は取るものもとりあえず、大慌てで病院に駆けつけた。達雄は母が帰宅してから、事故の全容を聞かされた。死んだ者への哀悼もさることながら、病院で弟の死を知らされた彼女の嘆き、悲しみがいかようなものであるか、母は涙を交えて、達雄たち家族に伝えた。達雄自身、母の話を聞いた後、自室で少しばかり涙したほど、衝撃的なニュースだった。そして迎えた三学期の初め、学校こそは違っていたが、彼女のその変わりようは瞬く間に達雄の通う学校中にも伝わり、再び達雄はそのことをもって、彼女の事故に対する衝撃の激しさを改めて知った思いだった。しかし、だからといってまだ中等部の三年生に過ぎない彼女がどうしてそんな髪型にしてしまったのか、推測中心の噂が飛び交ったが、ずっとのちに、その理由を彼女自身から聞くまでの長い間、達雄にはわからないままだった。
 風子と呼ばれるようになった彼女が誰の眼にも、ひとかどの「スケバン」もどきになるのには、そんなに長い時間はかからなかった。それまでに、風子が「スケバン」と呼ばれていた何人かの女子生徒と取っ組み合いの喧嘩をして、相手を押さえつけ、「あんたらのズベコウとは違うんだよ」と相手を屈服させたなどというまことしやかな噂が何度か流れるようになると、確かに風子の風貌はだんだんと険しくなり、並の男の子ではもう近寄れず、話しかけることさえも憚れるといった雰囲気を漂わすようになっていた。実際、しばらくの間、風子は顔だけにかかわらず身体全身に生傷をこさえていた。女同士の摑み合いとはいえ、それがいかに過酷なものであったかを物語っていた。風子はその戦いに、どうにか勝ち進んだようだった。かつての彼女の気質からは誰もが考えられない彼女の変化だった。達雄自身も、あのふうちゃんのどこにそんな力が秘められていたのか、想像すらできなかった。自分の前に立ちはだかるどんな相手に対しても、弟を亡くした悲しみに比べれば、捨て鉢な気持ちとなり、ただひたすら戦いに臨んで行ったのか。中学を卒業するまでには、風子は見た目にはもうひとかどの「不良女子」然とした雰囲気を身体中から発散させていた。風子はほどなくその学校の中等部は卒業したものの、高等部には進まず、同じ市内の普通の女子高校に入学した。同時に、いったん身につけた風子としての印象はますます強くなり、入学後まもなく、彼女は常に一人きりということはなくなり、いつも二、三人の取り巻きの女子校生に囲まれるようにして通学し、校庭や街の繁華街を闊歩するようになっていた。達雄にとって、風子は少しずつ遠い存在になっていた。

 高校二年生のときだったが、夏休みの前の七月初旬、達雄は印象に残る風子の絡んだ現場に遭遇したことがあった。それはJRの駅の近くにある城址公園でのことだった。達雄はこの公園が好きだった。中でも、天守閣跡の石垣からは海岸方面につづく街のほぼ全景が見えた。残念なことに、そこから海自体は望めなかったが、当時はそれほど大きな建物はなく、穏やかな街並みや田畑が長く水平線の彼方までつづいていた。達雄は時折、その石垣に腰を降ろし、長いときには一時間ほどもぼんやりと、これといった考え事をするでもなく、時を過ごすことが多かった。いつもの場所に座って、十分ほどたったときだった。眼下の公園の広場に五、六人の女子高生の集団が入って来たのが見てとれた。その中の一人に風子が混じっていた。思わず、身体を少し後方にずらし、下の彼女たちの行動に眼を凝らした。その構図は彼女たちの制服ですぐに判断された。中の二人はかつて風子が通っていたあのミッションスクールの女生徒で、あとは全て風子の通う女子高の生徒たちだった。
 彼女たちの声は切れ切れにしか聞こえなかった。そんな声を解釈すると、どうやら、かつて同窓生だった風子のことをさげすむような言動があったらしい。詳しいことはよくわからなかったが、街中で風子たちとすれ違ったミッションスクールの彼女たち二人が、まるで汚物を見るかのような目で風子を見たというのがその始まりのようであった。これには風子自身よりも、その取り巻きが怒った。彼女たちにとって、ミッションスクールの女子学生たちは鼻持ちならない存在だった。何もなければ、牙をむくことはないが、あからさまに自分たちが優位だという顔をすると、秘めたる怒りが爆発することもあった。おまけに、風子はかつてはその一員であった。その風子があからさまに蔑まれたということは、また別の意味でも風子の仲間たちには許されないことだったようだ。かつての同窓生に、そんな侮蔑的な顔を向けられて許されるのか、と言うのが風子の仲間たちの言い分であったのだろう。それがどんな場面で、どう表ざたになったのかは分からなかったが、普段は地元のエリート然としていたミッションスクールの学生に対して、そうでない他校の学生が何らかの嫉妬を覚えていることは間違いのない事実だった。それが爆発した、ということなのか。
 多勢に無勢、そんなことには夢にも巻き込まれないと思っていたミッションスクール系の女子学生は、いまや自分たちのプライドもかなぐり捨て、自分たちは決して風子にそんな態度をとったことはないと、懸命に釈明していた。ことの顛末がどうなるのか、達雄も結構、どきどきと胸を振るわせながら、その成り行きを遠目ながらに窺っていた。そんな中、当の風子が二人の前に立った。しばしの静寂があった。風子はいきなり、その二人の頬に、素早いビンタを一発ずつ食らわした。そしてすぐに言った。
「もういい。行きな」
 たったそれだけだった。二人は大慌ての様子で、公園を後にした。仲間の不満そうな声を耳に、風子は「黙りな!」とだけ言うと、自らやれやれと言った風情で、そばのベンチに腰を下ろした。そんな風子に数人が寄って風子に何か囁いているようだったが、その声は達雄には届かなかった。すべてはそれで終わった。達雄が耳にしたことのある、相手の上半身を裸にして、あるいはパンティまで降ろさせて相手をいたぶるというような光景はそこにはなかった。公園には一時の静寂が訪れた。しばらくして、風子たちもまた、その公園を後にした。それが達雄の眼に入ったすべてだった。
 そしてもう一つ、達雄には忘れようのない自分に関係した一つの事実があった。達雄が高校二年生になったばかりの春だった。達雄は学校を終え、自分の街に向かうバスを待つため、バスセンターの待合室で次のバスを待っていた。そんな達雄をいつの間にか取り囲むようにして、三、四人の別の高校の男子生徒が囲んだ。彼らは周囲を伺いながら、じりじりと達雄に近づいてきた。達雄はそのわけをすぐに理解した。彼らは名うての不良学生で、こんなふうにして、他校の学生から小遣いをかつあげしているということは聴いていた。その予想通り、そのうちの一人が「おい、少し金を貸してくれんか」とあからさまに凄んできた。達雄は慌て、「そんなに持っていませんけど」とすぐに白旗をあげた。彼らの言い分を拒否すれば、人眼の届かないところに連れて行かれ、金を巻き上げられるばかりか、少しばかり可愛がられるということは予想できた。それに、達雄の財布には大した金額は入っていなかった。これだけしかないと、財布を見せれば彼らとて納得するしかなかろう。達雄は学生服の上着のポケットから、財布を取り出した。そのうちの一人がニヤニヤしながら、その財布を受け取ろうとしたときだった。「やめなよ」という女性のかん高い声がバスセンター内に轟いた。声のしたほうを振り向くと、風子のほかに四人ほどの女子高の制服を姿の女子学生たちが近づいてくる。
「何やってんだよ。誰か警察を呼んできな」と風子はひときわ大きな声を出して凄んだ。そして、その声のまま言った。
「達ちゃん、財布をしまいな。こんなのに引っかかっちゃ、ダメじゃん」
「…………」
 達雄は何も言えなかった。再び風子が声を出した。
「行きな!」
 その一言で、達雄から財布を受け取ろうした男子学生はすごすごと後退した。彼らの親分角の学生が、「行こうぜ」と言うと、彼らはそのままバスセンターから小走りに出て行った。ちょうどバスが出るというアナウンスがあった。達雄は風子を見た。風子は達雄に眼で「行きな」とばかりに合図した。達雄が風子に助けられたのはこの一回だけだったが、うわさに聴いていた風子のスケバンぶりというか、貫禄をまざまざと見せつけられた思いだった。それからも、通学のバスで何度も風子にはあったが、風子は達雄とは決して眼を合わすことはなかった。
 バスというと、達雄は何回かこんなシーンにも遭遇した。風子たちがバスに乗ると、仮にもう席は埋まっていても、男女にかかわらず、風子にそばに立たれた高校生は否応なく風子に席を譲るしかなかった。風子たちが席を譲れというわけではない、なんとなくそうせざるを得ないという沈黙の威圧があった。ただし、達雄が座っている席には風子たちは決して近づかなかった。もちろん、これには理由があったが、必ずしも母親同士が同級生というわけだけではなかった。そのわけは達雄が高校の卒業を目前にした頃にやっと知った。
 そのわけは、達雄をして唖然とするものだった。バスセンターでの一件があったその頃から、風子の髪型は徐々ではあったが、かつてのようなおかっぱに戻りつつあった。だが、相変わらず後頭部は刈り上げていて、その髪型を見ただけで、普通の高校生は道を開けた。そんな風子の逸話の中に、達雄は、彼の従兄との恋愛話を耳にした。従兄は父のすぐ上の姉の長男だった。近所に住んでいたということもあって、一人っ子の達雄にとって、彼は小さな頃から兄のような存在だった。伯母はすでに数年前、病死していた。その伯母のことはともかく、二人の恋愛話は、一方的に風子が従兄を好いているのではないかという話だった。しかし、従兄や風子自身から直接その話を聴いたわけではなかったから、達雄自身、にわかには信じられない思いだった。だが、自分には絶対にちょっかいを出さないばかりか、バスの中でも達雄には決してガンツケをしないことの意味はそれかもしれないと思った。そんな、従兄との出会いの経緯を漏れ聞くに至って、少しは納得できるものだった。
 達雄と風子が高校の二年の二月のことだった。風子たちはある寒い日、学校の帰り道で別の学校の生徒たちに取り囲まれた。その中には、かつて風子たちといざこざを起こし、あえなく風子たちから蹴散らかされた何人かが混じっていた。いわば、風子へのお礼参りのようなものだったらしい。このときの風子たちは女生徒ばかりで五人、相手は二人の男と女七、八人ほどいた。彼ら彼女たちは風子たちの学校の通学路にある児童公園の公衆便所の中に潜んで、風子たちを待ち受けていた。風子たちは学校の帰り道、必ずといっていいほど、しばらくこの児童公園にたむろしていた。この公園にたむろするには目的が一つあった。風子自身はさわりもしなかったが、仲間の何人かがタバコを吸うためだったという。そんな雰囲気の中で、たわいのないお喋りに興じる。タバコを吸うことを除けば、ごく普通の女子高生の集団だった。
 その日も、ベンチのある一角を占め、何人かがタバコを手にしたときだった。急にトイレの中から出てきた一団に風子たちは瞬く間に囲まれた。彼ら彼女たちは手に棒きれのようなものを持っていた。彼ら彼女たちの輪は、徐々に風子たちを小さな塊にするかのようにその輪を縮めてきた。小さな塊にして、一気に叩き潰そうという魂胆が見え見えだった。
「やるんなら、素手で来な!」
 風子が大声で啖呵を切った。
「うるせい! かっこつけやがって!」
 そう言うと、相手の男一人がいきなり風子めがけて手を振り上げた。風子はそれを避けようとして頭をかがめた。が、彼の持つ棒切れは風子の肩を激しくとらえた。「う〜ん」と風子は蹲った。それを合図に、男女入り乱れて風子たちに襲いかかってきた。ドス、ドスという、風子たちの体に食い込む棒切れの音がつづいた。中には泣き出す者もいた。そのときだった。
「こりゃ、やめんか」という男の太い声とともに、三人ほどの土木作業服姿の屈強な若者たちが公園に全速力で入ってきた。そこで、いったん輪ははじけた。
「お前ら、何しとんじゃあー」
 男たちの中の一人が、男子高校生の一人から棒切れを奪い取り、彼らに構えた。「かかって来るなら来い! ワシらが相手になるど!」と偉丈夫の彼が叫んだ。そのうち、他の二人も、棒切れを奪い取り、同じように身構えた。
 しばらく、沈黙が流れた。と、最初に風子にとびかかってきた男子高校生が、「おい、みんな行くぞ」と言うなり、公園の出口をめざして駆け出した。それに、あとの高校生たちも「畜生」とか「覚えていろ」とかを口にしながら、後を追った。あっという間のことだった。公園にいっとき静寂が残った。
 風子が殴られた肩に片手を添えるようにして立ち上がった。そして言った。
「敦ちゃん、ありがとう」
 彼は風子も知っている木村敦夫という、達雄の従兄だった。敦夫は達雄よりも、五歳ほど年上だった。その敦夫が風子に言った。
「風子、お前らもいい加減にせえよ。いつまでも粋がってはいけんよ」
 風子は黙ってうなだれたままだった。
 敦夫は工業高校を卒業後、地元市役所の土木課に勤めていた。たまたまこの日、数人の課員とともに、この児童公園の測量に来ていたのだ。風子たちが気づかなかったのは、彼らが公園の測量のために、公園からは見えない、外周の測量をしていたからだ。そのとき、風子らの叫び声が彼らの耳に届いた。急いで駆けつけてみると、このざまだった。敦夫とて、同じ街に住む風子のことを知らないわけではない。そのことは別として、なんと、風子は自分たちを助けてくれた達雄の従兄に一目ぼれした。と言っても、風子は前から敦夫のことを気にしていたようだったらしいが……。敦夫は身長もあり、中・高校時代にラグビー部で鍛えた体は、まさに威風堂々としたものだった。風子に限らず、この当時の敦夫は、近所の年頃の女子たちの秘かな憧れの君だった。
 この話は、何年か後に風子が従兄と結婚したとき、達雄が風子自身から訊いたものだった。公園でのことがきっかけになって、風子の卒業前に二人は恋愛関係に陥った。といっても、最初は風子のほうが一方的に夢中になったということらしいが……。
 達雄は東京に出て一年目の正月、夏休みはバイトに精を出したため帰省しなかったが、母親がうるさく言うため、その年の暮れには帰省した。その夜、久々の故郷でくつろいでいると、母が従兄の敦夫が近々、結婚するという話を達雄に切り出した。
「敦ちゃんがね、結婚する相手というのが、なんとふうちゃんなんよ」
 達雄がびっくりしたということはいうまでもない。達雄は思わず、どうして、と訊いた。
「どうしてってお前、好き合っていたというから、仕方ないじゃあないか」と、母はこともなげに言った。娘のいない母は、かつての同級生の子どもである風子のことをかなり前から気にしていた。それが、まさか自分の親戚になろうとは夢にも思わぬことだったろう。母親は達雄に、これまでの二人の経緯について話した。もっともその話の大半は風子の母親から聞いたものであるらしいことは、達雄にも察せられた。その話によると、二人が意識してつき合うようになったのは、風子の卒業前からだったらしい。そんなことがあるにもかかわらず、風子は決まっていた大阪の繊維会社に就職を決めていた。恐らく、恋愛といってもまだ初期の段階だったのだろう。二人は時折、土日をかけて大阪とこの街を行き来していた。行くにも戻るにも新幹線で一時間と少しほどの距離だった。二人はそうしながらも、その愛を育んでいた。といっても限界があった。お金もかかった。一方で、二人の仲は急速に進んだ。風子は半年ほどで会社を辞め、故郷に帰ってきて街の鋳物工場の事務員として再就職した。そして今回の、結婚という話になったということだった。何はともあれ、めでたい話だと達雄は思いながら、風子の顔を脳裏に浮かべていた。あの風子がまさか自分の従兄の嫁さんになろうとは、思いもしなかった。風子がそれとなく、遠慮がちに達雄を意識していたのはこのせいだったのかと、達雄はあらためて理解した。
 その話を聞いた翌日の正月、その従兄と風子が揃って結婚の挨拶に来た。達雄が久々に見た風子の顔からは高校時代の風子の風貌は消えていた。もともとは美形の顔に、髪の毛も少々長めで、すでに人妻らしい気風を漂わせていた。それに、すでに風子のお腹は少し膨らんでいるのが見てとれた。従兄が達雄に言った。
「達雄、お前、風子とは同級生だよな。達雄、風子のこと頼むよな。何かあったら、相談にも乗ってやってくれよ」
 達雄は慌てた。頼むよな、と言われてもその意味することがとっさに達雄には理解できなかった。それに、風子から何を相談されるというのか。達雄は曖昧な言い方で「ああ」と言っただけだった。風子が言った。
「達ちゃん、これからもよろしくね」
 そう言って微笑みながら達雄を見る風子の顔には、かつてのあの風子の険しい面影は少しも感じられなかった。彼女の顔にはかつての「芙美ちゃん」が甦っていた。自分が知っているあの風子が元の芙美子に戻ったんだと、達雄は風子がにこやかに笑う横顔を見ながら、ふとそう感じた。
 父と母の強い要望で、従兄と風子は座敷に招き入れられた。正月ということもあったが、まさか風子が親戚になる一員として我が家に上がり込むなどということは、達雄には想像することもできないことだった。父は甥たちが訪ねてきたことにご機嫌で、あまり飲めないにもかかわらず、早速、酒盛りが始まった。達雄も父から参加するように命じられ、仕方なくこれから夫婦になろうという二人の前に座った。風子の華やいだ幸せそうな顔が達雄にはまぶしかった。少し大きくなっていたお腹を抱えて幸せそうに微笑む彼女には、あの荒れていたころの風子の面影はどこにもなかった。幸せそうな従兄たちを見ていると、達雄は否応もなく従兄に嫉妬した。

 それから三年ほど、達雄は風子に会ったことはなかった。結婚した二人は、それを機に従兄の勤める市役所がある町に引っ越していたせいもある。夏休みで帰省した故郷で、達雄は風子が二番目の子どもを宿していることを訊いた。それが母親のもたらした風子に関してのすべてだった。風子の実家は達雄たちの家からさほど離れていなかったが、最近の風子はあまり実家にも寄りつかなくなっていたらしい。もっとも母親に言わせれば、小さい子を抱え、さらに二番目ができたとなると、それはそれで当然だよ、と風子をかばった。
 達雄は大学を卒業すると、そのまま東京で就職した。学生の頃と違って、前のようにたびたび故郷に帰ることはなくなった。そんな達雄が数年ぶりに帰省した。就職して、四年ほど経っていた。その正月の帰省時、敦夫の姉に当たる従姉が新年の挨拶をかねて達雄の家にやってきた。この従姉は敦夫よりもさらに三歳ほど上だった。一人っ子の達雄には、敦夫を兄と思うのと同様、彼女もまた姉のような存在でもあった。従姉は同じ街の同級生と結婚し、やはり近所に住んでいた。従姉は帰りがけに達雄を呼んだ。彼女が言うには、風子が市役所の近くに、スナックを出している。正月明けの明日、その店に一緒に行かないかという誘いだった。断る理由はなかった。むしろ久しぶりに会えるという、風子に感じる高揚感があった。
 達雄はその翌日の夕刻、従姉と待ち合わせてバスに乗った。従姉はすでに三回ほど夫とともに風子のスナックに行ったことがあるとのことだった。
「ふうちゃんにね、今度達雄が帰省したら、達ちゃんを連れて来てってと、頼まれていたんよ。二人は同級生だったんだってね」
 達雄は黙って頷いた。
「達雄、お店に行くと驚くよ。いまは堂々としたお店のママよ。もともとふうちゃんは昔からキレイだったもんね」
 従姉は達雄の反応を確かめるように、そう言って含み笑いをした。
 店の名前は、そのままズバリ「風子」だった。従姉が先に店に入った。「あれ、義姉さん、いらっしゃい」と、声がかかった。 それが風子の声なのか、別の女性なのか、達雄にはすぐには分からなかった。店に入るなり、従姉が言った。
「珍しい、人を連れて来たわよ」
 私は着物姿の女性に向かって、黙って頭を下げた。
「達ちゃん……、達ちゃんだよね」
 風子は驚いた顔のまま、達雄をじっと見た。
 達雄はこのとき、風子に会うのは彼女が従兄の敦夫と達雄の家に来て以来のことだったが、眼の前の着物姿の女性がかつての風子だとはすぐには分らなかった。従姉が言った。
「そうよ。達雄よ」
 達雄はかつての風子の顔を想像し、その顔に眼の前の風子を重ねた。間違いなく、それは風子だった。達雄は少しばかりはにかみながら、「こんばんは。お久しぶりです」と頭を下げた。
「本当に、達ちゃんだ。達ちゃん、久しぶりね。よく来てくれたのね。私がわかる?」
 達雄はまぶしそうな顔をして頷いた。風子がいくつも年上に思えた。風子は息を弾ませるようにしてつづけた。
「懐かしいね。達ちゃんと、こんなふうにしてまた会うなんて、私、なんだか恥ずかしいわ。もう親戚同士なのにね」
風子はそんなことを言った。確かにその顔は照れていた。あの当時の風子では考えられない表情だった。風子は元の芙美子に戻っていた。
 店は、入るとすぐL字型のカウンターがあった。詰めて座れば、七、八人は座れそうだった。店の奥には六畳ほどの畳敷きの部屋があり、十人前後の団体客があると、その座敷に客を上げることもあるということだったが、あいにくその部屋への襖は締まっており、部屋の様子はうかがえなかった。
 達雄が水割りを一杯開けた頃、その閉ざされていた襖が開き、部屋から一人の少女が顔を出した。小学校の上級生に見えた。達雄にはその少女が風子の子とすぐにわかった。達雄とは又従兄妹に当たる。少女は従姉に「伯母ちゃん、こんにちは」と頭を下げた。「ほら、この伯父さんも親戚の人なんよ」と従姉が達雄のほうを向いて言うと、久美は「伯父ちゃん、こんばんは」と達雄にも顔を向けて頭を下げた。「はい、こんばんは」と、達雄は小さな久美に挨拶を返した。久美は少し恥ずかしそうに笑みをこぼした。小さな頃の芙美子の少しはにかんだような笑顔によく似ていた。久美は達雄たちへの挨拶が終わると、店の隅の洗い場に向かい、すぐにそこに置いてあった二、三の食器を洗い始めた。それを見た従姉が「久美ちゃん、お手伝い? えらいわねえ」と笑った。久美は水を止め、振り返って伯母である従姉に言った。
「お母ちゃんが一人でかわいそうなんだもん」
 すぐに風子が「あら、久美、そんなこと言うものじゃないよ」と、少し荒げた声を出した。従姉はどちらにともなく「あらあら」と声を出したが、それ以上は黙ってしまった。少しの間をおいて従姉は風子に言った。
「下のほうの子は?」
「実家の母のとこです。最近は実家の父と母になついてしまって、こっちよりも、向こうのほうがええみたい。それだけ、助かっていますけどね」
「そうなの」と従姉は言って、再び久美のほうに眼を向けた。その後ろ姿を見ながら、従姉が同じように我が子に顔を向けている風子に訊いた。
「敦夫は店に顔を出すことある?」
 風子は即座に答えた。
「はい、たまに。友達を連れて」
 従姉は「そう」と頷いたが、それ以上の詮索はよしたようだった。何かしら、奥歯にものの挟まったような曖昧さの残る返事だった。
 達雄は母から、敦夫に若い女性ができて、最近はその彼女のところに入り浸りのようだと、聴いていた。達雄は先ほどの久美が口にした「お母ちゃんが一人でかわいそうなんだもん」と言った意味がこのことを指しているのだろうかと思った。小学生も上級生となれば、それぐらいのことはある程度は理解してのことだったのだろう。
「敦夫にも、困ったもんだねえ」
 敦夫の姉はそんなことを呟いてため息をついた。久美はだまってコップを洗っていた。が、いまの父と母の確執を知った上でのことだったろうが、その幼子の後ろ姿が、どこか寂し気に見えた。
 それを察したのか、風子が「達ちゃん、何か歌って」と、カラオケのマイクを達雄の前に置いた。が、達雄は固辞した。普段から、カラオケは苦手だった。他の人が歌うのは一向に構わないが、極力、自分は歌うことは拒んできた。
「そう、遠慮してるんじゃあないの。でも、達ちゃんって、中学、高校とブラスバンドにいたでしょ。歌ぐらい平気じゃないの」
 達雄は風子の顔を見た。風子とは中学も高校も違う。どうして自分がブラバンにいたことを知っているのか。そのことを悟ったように、風子は言った。
「実は達ちゃんの高校の運動会を見に行ったことがあるのよ。ダチの彼氏が達ちゃんと同じ学校で、無理むり運動会見学につき合わされたことがあったんよ。そのときブラバンが演奏していたから、私、達ちゃんが中学のときにブラバンにいたということを知っていたから、もしかして達ちゃんがいるかと思ってよく見たら、いたいた、あっ、達ちゃんだと思ったことがあったんよ。中学のときにもブラバンに入っていることは達ちゃんのおばちゃんから聞いていたからね」
 もちろん、達雄が初めて聞く話だった。まさか、という思いに、達雄は顔を赤らめて下を向いた。そんなところに風子が出没していたなど、想像することもできなかった。
「あんたら、小学のとき、同じクラスになったことはあったん?」
 従姉が聴いた。風子が応えた。
「二、三回はあったんじゃない、ねえ、達ちゃん、そうでしょ」
 達雄は相変わらず黙って頷いた。
「高校のブラバンにいたときの達ちゃんは素敵だったよ。達ちゃんが好きだという女の子を私、何人も知ってるよ」
 風子は笑いながらそんなことを言った。
「冗談を言うのはよしてくれよ」
 今度ばかりは、達雄は言下に否定した。
 達雄に替わって、従姉がたてつづけに三曲ほど熱唱した。さらにつづけようとしたとき、三人連れの客が入ってきた。
「そろそろ行こか」
 従姉は達雄にそう囁くと「ママ、お勘定」と風子に言った。風子は「義姉さん、今日はいいです」と片手を振った。「それはだめよ。商売は商売」と従姉は譲る気はない。「それじゃあ」と、風子は金額を書いた小さな紙きれを渡した。「こんなに安くていいの」と、従姉。「それぐらいのサービスはさせてください」と風子。千円札数枚を渡した従姉は達雄に「ちょっとトイレ、待ってね」と、席を立った。風子は義姉がトイレに入ったのを見届けると、達雄のそばで小さな声で言った。
「達ちゃん、今度一人で来て。待ってるから」
 達雄は黙って頷いた。
「本当よ。約束だよ。絶対来てね」
 風子の眼がキラキラと輝いているように達雄には思えた。
 店を出て、達雄たちは再びバスに乗った。バスの中で、達雄は風子のことを思った。達雄の頭の中に蘇ってきたのは「スケバン風子」ではなかった。小学生のときの風子の面影だった。今日の風子はもちろんかつての風子ではない。しかし、達雄の頭の中では、今日の着物姿の風子と小学生時代の風子が重なって見えた。ただ、従兄たちは熱々で、風子は夫の敦夫をあれほど愛していたというのに、彼はいま風子から遠ざかろうとしているのか。達雄はそんな従兄が信じられなかった。達雄の脳裏に娘の久美が「お母ちゃんが一人でかわいそうだから」と言った幼い声が再び思い出された。隣に座っていた従姉はもう、敦夫のことは口にしなかった。達雄たちは着いたバス停で別れた。翌日、達雄は東京に帰った。(つづく)

*本稿は『ちば文学』第20号(2019年1月末日発行)に掲載されたものに加筆・訂正を加えたものです。転載を同意してくださった「ちば文学会」に感謝します。

  第七章(終章)

(その2)
 酔って家に帰った日から一週間ほど経ったある日の夕刻、私は新宿にある出版社をオートバイで出て、夕闇迫る事務所への帰路を急いでいた。やがて市谷を経て一路、水道橋に向かってバイクのスピードを上げた。ちょうど左に靖国神社を見ながら、神社横の入り口そばの交差点を目前にしたところだった。前を走っていたタクシーが青信号なのに、突然、急ブレーキをかけて停止した。後でわかったことだが、夕暮れの横断歩道を赤信号にもかかわらず、子どもが駆け抜けようとしていたらしい。私は急ブレーキをかけたままかなりの勢いでタクシーに追突し、その反動で空中に投げ出された。私の身体は前のめりになりながらタクシーの横の道路に飛ばされた。なぜか、歩道に激突した瞬間のことはよく覚えている。道路に接した瞬間、私はとっさに、ああヘルメットをつけていてよかったと思ったことを覚えている。なぜか、瞬間的にそう思った。が、そのまま私は気を失っていた。気づいたときには救急車で御茶ノ水の整骨専門病院に運ばれていた。
 病室のベッドで目覚めた瞬間、私は異常に寒く感じ、ベッドの中で震えた。どうやら、横断歩道に打ちつけられたあと、失禁してしまったようだ。私が気づいたことを知った看護婦の手で私は全身の服を脱がされ、病院が支給してくれた下着と患者用のパジャマに着替えさせられた。着替えのため、ベッドから起きようとしたとき、私は腰に猛烈な痛みを感じた。やっとの思いで着替えを済ませた私は看護婦に支えられるようにして車椅子に乗せられ、レントゲン室に運ばれた。
 幸いなことに、主要な骨はどこも折れてはいなかったが、脊髄から枝が生えたように並ぶ腰椎が三本ほど折れているということだった。私はそのあと医療室のようなところに運ばれ、ギブスを巻くため、全裸になるようにと促された。私は「えっ」と声を出した。「誰も見ていませんよ。それにみんなは慣れっこです」と、婦長と呼ばれる年配の看護婦が笑いながら、私に布切れのようなものを手渡した。それは申し訳程度に局部を隠すことのできる三角巾状の白い布に紐のついた、いわば最少の褌ともいえるようなものだった。私は子どもの頃に一、二年間ほど使った覚えのある黒猫と呼ばれていた海水パンツ代わりの小さな褌を思い出した。それもまた、男の子の局部を辛うじて隠すことのできる代物だった。まだ幼児の私でさえ、それをつけることにはいささかの抵抗があった。私は激しい羞恥を感じながら、全裸になり、それを腰に巻いて局部を隠した。とにもかくにも、それで隠したいものは辛うじて隠れた。その間も、腰は極度に痛んだ。立っていること自体が、激痛を誘っているかのように思えた。
「できました」と、まだ二十歳になるかならないような若い看護婦が婦長に声をかけた。「はい、それでは始めましょうか」と彼女は私にここに立つようにと、二本の鉄棒の間を指差した。そこに行くにはわずかだが二、三歩は歩かなくてはいけない。案の定、腰の周りに激痛が走った。若いほうの看護婦の肩を借りて、私は小さな三角巾をつけたまま、恐る恐るそこに立った。婦長は両脇の天井から伸びた二本の鉄棒に掴るようにと私に命じた。手を伸ばし、私は指示通りに鉄棒を握りしめた。それだけでも、腰にまた激痛が走った。
 石膏を溶いたバケツに若い看護婦は自分の手一杯の包帯を投げ入れ、バケツの中で、解いた石膏に包帯がほどよく絡むようにかき混ぜていたらしい。それは私の背後の作業でのことだったが、その音で私はそう想像した。婦長が「はい、ではそろそろはじめましょうか」と返事をした。若いほうが「はい」と返事をすると、その中から、最初の一本を婦長に手渡したようだった。受け取った婦長は、まず私の局部のギリギリの上から、その石膏滴る包帯で身体を一回りさせながら上に上にと巻き始めた。私の腰には冷たい感触とともに、巻き付けては石膏を全体にまぶす婦長の手慣れたリズミカルな動きが伝わった。
 身体に新しい包帯を巻きつけるたびに、バケツから取り出されたばかりの包帯から、数滴の石膏の雫が私の下半身に降りかかる。その幾滴は局部前の三角巾の上にも落ちた。そのたびに石膏の重みで布がずれ、徐々に下に下がっていくのが感じられた。私は気になってならない。つい下を見下ろそうとする。その瞬間、巻いている婦長から叱責の声がかかる。「下を向いてはダメ! ギブスが歪んでしまうの。石膏を巻き終わるまで我慢して」。しかし,数分してまた気になった私はまたしても下を向いてしまう。再び彼女の声がかかる。「駄目よ! 先ほどからもうあなたのものは覗いているの。諦めて前を向いていなさい」。助手をしていた若い看護婦がクスクスと笑った。私はそれを機会に『もうどうにでもなれ』という気持ちになった。
 尾骶骨の下あたりから始まったギブスは、あっという間に脇の下のあたりで巻き終えられた。年配の看護婦が下半身に垂れた石灰の雫を丹念に拭き取ってくれ、慣れた手つきで私の腰の三角巾を外し、自分の顔の間近の局部やその周りの石膏を丹念に拭い落とし、パンツを履かせてくれた。上半身を覆うように仕上がったギブスはまるであたかも甲冑をつけたかのように身体を引き締めていた。まだ濡れたままだったせいか、私は少し震えた。「すぐに乾くから、少し我慢してください」と若い看護婦はそういって笑った。私が車椅子に座るのを見届けると、婦長は私のレントゲン写真を見せてくれた。確かに、尾骶骨の左側の下から三本の腰椎の異常がはっきりと写っていた。写真を見ると、下から一番目の腰椎は完全に分離し、二番目と三番目がちょうど木の枝が折れて辛うじて垂れ下がっているように見えた。「これは骨折?」と、私は訊いた。彼女は「骨折ではなく、腰椎分離ね」と、和やかにいった。
 病室に帰ると、妻が来ていた。事故の後、私のポケットを探った警察が免許証とともに入れてあった保健証を見つけ、そこに記載してあった自宅の電話番号からことの次第を妻に知らせてくれていた。続いて病院からも電話があり、衣服が濡れているので、一式持参して欲しいとの依頼だった。妻はそれがまさか失禁によるものだとは想像できず、なぜ? と思っていたらしい。
「大変だったわね、だいじょうぶ」と彼女は車椅子からベッドに移るのを介添えしながらそう聞いた。「ああ、大丈夫だ。ただ,腰が痛い」と、私は答えた。部屋は三人部屋だった。幸いにもたまたま他の二人は部屋にはいなかった。妻は「いきなり警察から電話があり、急いで駆けつけたから、とりあえず着替えを一通り持ってきたといい、私は彼女に手伝ってもらいながら、妻が持参にした下着に着替えた。体温のせいか、上半身に巻かれたギブスはすでにほとんど乾いていた。着替えをやっとの思いで済ませた私はベッドに横になり、大きく息をついた。トイレのためにベッドから降りるにも、かなり腰が痛みそうだった。
 しばらくして、「子どもたちは私がここに来たことを知らないから、今日はもう帰ります。明日出直しますから、ほかに何か持ってくるものはないですか」と私に聞いた。私は思いつくままにいくつかの品を口にし、ベッドに付したままで妻を見送った。その妻と入れ替わるようにして、警察官が入ってきた。簡単な事情聴衆が始まった。私は思い出すままに彼の質問に答えた。その彼から、他に怪我人はいなかったことを聞いた。信号が赤にもかかわらず横断歩道を渡ろうとした少女も、タクシーの急ブレーキで辛うじて怪我もなく、タクシー運転手のほうも何事もなかったということだし、オートバイもそれほどの損傷はなく、とりあえず警察署のほうで保管してあるとのことだった。私は安堵に胸をなぜ下ろした。
 結局、退院するには一ヶ月ほどかかった。私は病院から、幾つかの出版社に電話し、事情を納得してもらった。中には、中途半端なままで継続不能になった仕事も幾つかあったが、その多くは私の退院後まで待ってもらえた。それでも、妻に何回か頼んで、仕事部屋から運んでもらったやりかけの仕事を病院で少しずつつづけたが、思うようにははかどらなかった。
 退院する日、妻と長男が病院にやってきた。私は妻の運転する車に乗った。途中、小さな公園があった。タバコが吸いたくなった私は、途中で車を降りた。冬の寒い朝だった。妻が一緒に降りた。長男は車に残り、当時流行っていたゲームを夢中でつづけていた。私たちは何もしゃべることなく、少し歩いた。公園のベンチに腰を下ろした。妻もそうした。私には言葉はなかった。言葉に出せば、すべてが言い訳になるだろう。私は黙って煙草を吸った。久々に吸うたばこに少しむせた。
「この機会にタバコは止めたら?」と妻がいった。
「うん」とだけ答え、さらにタバコを吸った。もうむせることはなかった。
 しばらくの沈黙が流れた。妻はベンチから立ち上がり、すぐそばのイチョウの大木に体を持たせかけながら私を見た。
「これからどうします?」
 私は返事に窮した。時間だけが静かに流れていた。
「サヤカさんは病院にお見えになりました?」
「いや。もうそんな関係ではない」と、私はそれだけ答えてさらにタバコを吸った。妻は黙っていた。
 私はタバコを消しながら、妻の眼を避けた。消したタバコの処置に迷った。いや迷っているふうを装った。すぐ先に吸い殻入れがあった。まだ歩行が完全とは言えない私は吸い殻を手にそちらを見た。妻が気づいて、私の手からそれを取り、そこに捨てた。妻は再びベンチに腰を下ろした。
「彼女は、多分、私がけがをしたことを知らないはずだ」
「そんなことはないでしょうに?」
 私は迷ったが、彼女とは完全に別れている、と告げた。
「そう、そうだったの。病院でのあなたはどこか寂しそうだったわ。そうだったの」
 妻は空を見上げながら、そういった。私はそれ以上、サヤカのことは何もいわなかった。サヤカが我が家に電話して妻と話したことがその結果の一端につながっていることを妻も察しているのだろう。
「私って、あなたにとって何だったのでしょうか」
いきなり妻がそんなことを聞いた。
「…………」
「妻? それとも母親?」
「どんな人だって、母親にはなれないよ」
「おばあさまも?」
「そうだね。なれなかった。祖母は祖母なりに精一杯、母親を演じてはくれたし、彼女が考えうるだけの愛情を注いでくれたが、やはり母親にはなれなかった。義母もまたそうだった。最も義母のほうは、早くから思い通りになつかない私の母親になることを放棄したきらいはあったような気がする」
「サヤカさんは?」
「彼女もまた、そんなことを意識してはいただろうが、それはただそれだけのことだった。だれにもそういう思いをさせたのは、私の甘えだ。そう思ってもらえること、ただそれだけでも、私は幸せだったのかもしれない」
私たちはそれ以上何もしゃべらなかった。
「ここは寒いよ。そろそろ行こうよ」
 長男が車の窓から顔を出し、そう声をかけた。私は妻に助けられながら、ベンチからそろりと立った。
 車に乗る前、、私は前を向いたまま妻にいった。
「事務所をたたんで、家に帰ろうと思うが、いいだろうか」
「……いいですよ。大変でしょうが、前のように家からお出かけになられればいいでしょう」
 会社を辞めて半年ほど、私はいまの生業を自宅から通いながら始めた。やがて仕事が増える従って、現在の古いマンションを見つけ、ねぐら兼仕事部屋として借りた。最初の内は週末には必ず帰宅していたが、それがやがては一ヶ月に一度となり、サヤカが時折やってくるようになると、三ヶ月に一度、半年に一度となっていた。それだけ、仕事もあった。実際には、家に帰る時間すら忘れたように仕事にも追い立てられた。社外の協力者も何人かに増えていた。そんなこと、こんなことを大きな理由にして、私は家族の非難を、特に子ども達の非難をないがしろにしてきたのだ。そんな生活を始めてすでに十年余りが経とうとしている。
「最近は、お仕事のほうもあまりうまく行ってないのではないですか?」
「うん」私は、妻の問いかけを素直に認めた。現実に、毎月妻宛に振り込む生活費が遅れがちで、減額して送金することも度々だった。パソコン社会の到来で、出版業界は予想もしなかった不況の時代を迎えつつあった。それにかぶさるようにしていわゆるバブル崩壊がやってきた。そしてやって来た所謂ネット社会、一般家庭へのパソコンの急激な普及で、出版業界は更なる逆風にさらされた。私の受けていた仕事も、その量が減ると同時に、制作単価が落ち、かつての制作費の半分以下という事態も出現していた。私の仕事を手伝ってくれていた数人のフリーの編集者に回す仕事も、極端に減少し、中には就職先を懸命に探す仲間も増えた。
 全部ではなかったが、規模の小さな出版社から私への支払いもときには滞ることもあれば、単価の減額を要求されることもしばしばだったし、支払われないままとなるケースも起こり始めていた。景気がよかった頃のことを考えると、請け負う編集単価や原稿料も軒並み減額、ひどいものとなると、最盛期の半減ということも珍しくなくなっている。本当はすでに、経済状態は火の車だった。どうにか蓄えを崩しながらつづけてきてはいたが、そんなことが長くつづくわけはない。自分のほうさえ、支払えないことも生じつつある。この辺りが年貢の納めどきだった。こうした仕事の激変に合わせ、事務所等の経費の縮小を余儀なくさせた。あるいは友人たちのように再就職という道もあったが、年齢的には到底叶わぬ望みでもあった。ただ一つ取るべき道、それは自宅に引きこもり、経費を出来うる限り節減し、細々と仕事を継続するほかなかった。
 そんなふうに覚悟を決めてみると、かつての取引出版社の中には、事情を察してくれてこれまでにない仕事の世話をしてくれる社もあった。ただし、制作単価は大幅に減額するほかなかったが……。妻のほうだってそうだったに違いない、私には口に出していうことはなかったが、振り込みが遅れるたびに、減額されるたびに、なし崩しに貯金をおろしていたに違いない。現在の事務所の家賃負担がなくなれば、それだけでもかなり息がつける。本当のことを言えば、そこまで追い詰められていた。事故で入院する少し前、私は自宅に帰り、家族に届ける生活費が都合できない現状を妻に説明していた。そのとき、妻は快く承諾してくれた。病院から自宅に帰り、子どもが外に出て行くと、妻はキッチンの洗い場の引き出しから、封筒を差し出した。中を見ると、数十万はあると思える一万円札が入っていた。「姉が用立ててくれました。事務所を引き払うとなると、それなりに清算するためのお金が必要ではないですか。姉には別の理由で用立ててもらったものです。これで足りるかどうかはわかりませんが、これでできるだけ清算するものは清算して、すっきりと出直してください」
 封筒を手にした私の手が震えた。これだけあれが全てではないが切迫している支払いのかなりを清算できる、それにしても……。容易に言葉が出てこなかった。妻になんらかの形で感謝の意を示したかったのに、予想すらできなかったことに、私の頭は真っ白になり、どういっていいのか、どうしていいのかさえわからなかった。が、これで私の決意は決まった。
 私は退院の数日後、すぐに仕事場を引き払うことにした。机、ロッカー、冷蔵庫や電子レンジ、独身者向けの洗濯機など、大きなものは友人の何人かがが引き取ってくれ、資料として使った多数の本、それに私の作品と呼べるのか、いろんな雑誌類、代筆を頼まれた書籍、編集を請け負った多くの単行本、布団や食器、その他の日用品はほんの一部だけを残し、あとはすべて処分した。それらの全ては、私がそこで仕事を始めてから、必要に応じて増えたものだ。持ち帰えったとしても、家では同じようなものは不要となる。それに子どもたちも成長し、それぞれが一部屋ずつ使っていて、他にそれらを持ち込んで置ける場所はなかった。それでも、運送会社の小型トラックの荷台は一杯になった。段ボールに詰め込むことができたものはそうしたが、その段ボールのいくつかは、私の家に運び込まれたのち、相当長い間は持ち込んだままで、なかなか整理することすらできなかった。思い切って事務所はたたんだものの、私の中には言い知れない虚しさが溢れ、仕事中にややもするとその虚しさに押しつぶされそうで、容易に仕事の手は動きそうもなかった。

 それからおよそ一か月後、私は二年ぶりとなる初夏の瀬戸内海を眼の前にするホテルにいた。眼前の島々はまもなく消えかかる西日を島全体に受け、海は茜色に輝いていた。従兄の結婚式を二日後にして、私は早めに故郷の土を踏んだ。私はまず実家を訪れ、弟二人で両親の墓参りを済ませた。私は今回の帰省のわけを弟に話し、弟の車でホテルまで送ってもらった。いまや、実家は弟一人で暮らしている。彼に負担をかけたくないと考えた私は海岸近くのホテルをとっていた。
 そこに泊まろうと思ったのも、ホテルは私が生まれた本家からわずか一〇〇メートほどの同じ地つづきの海岸沿いにあったからだ。それともう一つの理由があった。もう、何年前になるだろうか。そのホテルは五十数年前に祖母のフサが、産後の肥立ちが悪くて体を壊し、病を癒すために実家で養生していた母を見舞うため、戦時中のその里までの道を往復三、四時間かけて歩いたその足跡を知ろうとして、その同じ道を歩くために同行してくれた編集者のH氏と宿泊した同じホテルだった。母が里帰りの際に折り鶴をまいたという海もまた、眼前に広がっている。ホテルは海岸から道路一本隔てた海沿いにあり、どの客室からも眼前に海が広がっている。ホテルの眼下には私がこの町に暮らしている間、足繁く通った渚が見下ろされた。道路の幅を広げ、防波堤を築いたために、渚のかなりの部分が埋め立てられていたが、新たに築かれた道路や防波堤を除けば、わずかに残された海岸には昔のままの姿が残っていた。
 私はのちに父に引き取られ住まいを替えたが、小中学校時代、あるいは高校に通うようになっても、春から秋にかけては、その放課後の時間の多くを割いて、この浜辺にいた。小学生の頃は祖父も健在で、散歩がてらに防波堤に出、防波堤から私を捜しては手招きして、着物の袂から菓子を取り出し、手渡してくれたこともしばしばあった。当時の浜辺は大小の岩石に交じって、十分な砂地があった。潮の引いた浜辺には冬場を除いて多くの子どもたちの姿があった。モリをもって浜辺を浮遊するタコやワタリガニを捜す者、せっせとあさり等を掘り出すための手鍬で砂を掘るか、または釣り餌を探す者、目的もなく浜辺を歩き、流れ着いた何らかの珍品を拾う者など、その目的は様々だが、誰もが黙々と自分のその日の目当てを求めて、再び潮が満ちるまでの数時間を費やす、そんな浜辺だった。ただし、この浜辺では危険が伴うことから、遊泳だけは学校から禁止されていた。この浜辺と向かいの島の狭い海峡にはサメが泳いでいた。そんなこともあって夏の海水浴のためには、眼前に浮かぶ島の海水浴場に、それもサメよけの網が張られた限られた場所に行かなければならなかった。が、いまの海岸の砂浜にはかつての浜のように子どもたちの姿はなかった。ただ、どこから紛れ込んだのか、首輪のない、一匹の野良犬が狭い砂地をまるで彷徨するかのように鼻を鳴らしながら同じコースを歩きまわっていた。
 私は当時を懐かしみながら、いまは誰もいない、わずかばかりに残された浜辺をしばし眺めていた。私はふと、サヤカのことを思った。サヤカのことはそう簡単に忘れられることではなかったが、そのことも今度の帰省で一時的にも忘れることができるきっかけにはなるだろうと思った。そう思いながらも、未だにサヤカに拘っている私がいた。と、突然、私の眼に涙があふれた。西日がぼやけている。私はあふれる涙を流れるままにしていた。この涙は何だろうと、と思った。サヤカを失ったことへの涙か、家族を悲しませたことへの後悔の涙なのか、少し迷った。私は思った。この涙は何でもない。私の心の演技、サヤカへの憐憫、家族への悔恨、それはすべて私の勝手な思いでしかない、と思った。とすれば、この涙をして、自分へのいい訳でしかない。そのために私は泣いた、と思った。つまりは、ウソ泣きでしかない。私は自分が恥ずかしかった。母が病を癒すために里帰りをする際に海に放ったという折り鶴の話をするとき、私はときに人前で涙を流した。そのたびに、自分がまた、母を利用していると思った。こうまでして自分を正当化しようとしている、その心のありさまがあまりにも見え透いていた。とすれば、母へ、祖母フサへの思いもまた同じようなものだったろうか。私は暮れなずむ海を見ながら、自分の曖昧なこれまでを思い、自分を呪った。いまも海岸を彷徨する野良犬が、まるで私のようにも見えた。
 もう何年前になるのか、私は初老の身体に鞭打って、久しぶりにこの海に潜った。弟も一緒だった。この海に身をさらすのはおよそ十数年前、子どもたちを伴って帰省して以来だった。すでに老い始めていた身体のせいもあったのか、海水がことのほか冷たく感じられた。私は弟の心配をよそに、久々の海の感触にそれなりに感動していた。さすが、海の中にはそれほど長くはいられなかったが、建物は別として、海から見るかつて親しんだ砂浜や釣りに興じた岩礁はまだ幼いころの記憶のままの風情を保っていた。海水が身体に馴染んでくると、私は思いっきり海底を目指し、海底に着くとすぐそばにあった岩礁に手を伸ばし、息のつづく限りそこに蹲ってじっと暗い海底に目を凝らした。まるで何者かが出てくるのを待ち受けるかのように……。が、老いの始まった私の体力はかつてのようにはいかなかった。我慢の限度まで海底に蹲ることはほとんどかなわなかった。蹲ろうにも、身体はすでに浮上しようともがいていた。呼吸もかつてのようには長くはつづかなかった。私は心の内で海にいった。もう駄目だ、もうつづかない。多分もう、こんなふうには潜ることはできないだろう、と誰にいうでもなく、私は心の中で呻吟した。
 なぜか、最近よく夢も似たようなものだった。もともと、ふだんから私の眠りはそれほど深いわけではない。それに私の場合、一日に何時間もぶっつづけに寝るというのではなく、一日うちに何回かまどろみながら、時折、仕事といった状態がつづいている。夢の内容はそれぞれまちまちで、たいていは想像の範囲を超えた不可思議な物語性のものが多かった。
 前にも触れたことだが、私はなぜか、この海、それも私が生まれた家とその前の海に浮かぶ島の間の海が干上がり、剥きだしの海底を歩きながら、そうかやはりこの地域はこのような形だったのかと自ら感心しながら海底を歩き、目の前の島に渡って私が好んで立った小さな岬の上から干上がった海底を覗き込んでいるといったような夢をよく見た。たいていの夢は暗い海底をいくら歩きつづけても向こう岸にはたどり着けないといった夢が多かった。これはなぜだったのだろうか。夢ではいつも空は晴れて周囲は明るいのに、海底は暗く、限りなくダーク色に見えた。夢ではいつも、私はその海底を当てもなく彷徨していた。歩くにつれて、闇は深くなっていった。私は夢の中で、その底なしのような闇にいつも怯えていた。それでいて、夢の中ではいつも海底を歩いてしまうその所在なさに幼い心を震わせていたのだ。子どものころ、そんな夢は断続的に現れた。私はいつもそんな夢の中で慄き、布団の中で身を小さくして震えていた。ホテルでの夜、久々に母らしい人の夢を見た。その人は、私が子どもの頃からよく見ていた黒い海底の中にたたずんで私を見ていた。いつものように、顔は暗くてわからないが、私には夢の中でそれが母であることはわかっていた。といっても、私は夢の中で、母の顔をはっきりと見たことは一度もない。それに近い夢、たとえばそれらしき人が歩いている。母だと思い追いかけるが、もう少しというところでその人影は消えてしまった。また、幼い私はそれらしき人にあやされているのに、その人の顔に触れようとすると、夢から覚めてしまう。母の姿は写真でしか知らないから、それはそれで仕方ないことかもしれないが、たとえ写真であれ、母の顔は知っているのだから、せめて夢の中で一度でもいいから、写真のままの顔で私に会いにきてくくればいいのにと、ずっと思ってきたが、未だにそれは叶えられない。

 翌日、私は従兄の結婚式に参列した。この従兄は母の長兄の長男だったが私よりも齢上で、それだけに晩婚といえるだろう。いずれにせよ、母の里の跡取りとなる。そんな理由もあってか、周囲にはなんとなくほっとしたかのような安ど感に包まれていた。私は会場で初めて会う多くの親類やその縁者に出会った。中学校のとき、私にブラスバンドへの入部を進めてくれた母の従姉妹に当たる音楽の先生にも数十年ぶりに出会った。先生とは同じテーブルだったが、私はなんとなく先生に顔を向け、微笑み返されると慌ててその目を避けた。知らず知らずのうちに、彼女に母の面影を探していたのかもしれない。私は式のあとで、伯父とともに母の墓を訪れた。母の里のたっての願いから、母の遺骨は分骨され、こちらの墓にも埋葬されていた。私は墓の前で手を合わせ、後ろを振り返り、すぐそこにある海を見た。海はほどなく山陰に落ちようとする日の光を受け、黄金色に輝いていた。私は私のすぐ横で同じ海を見ているに違いない母にそっと呼びかけた。「お母さん、ここはいいねえ。毎日こんなに美しい海を見ていられる。しかも、一日中だ。この海を見ながら、思い出すこともたくさんあるでしょう」。母が生きていた頃は、その実家は道路を隔てたすぐ前が海だった。いまでもさほど代わりはない。埋め立てで少し離れたといってもわずかの距離だ。玄関先には母が病気を癒すために実家に嫁ぎ先から接ぎ木を持ち帰って育った沈丁花が、台風のせいで大量に塩水をかぶって枯死したというほど、やはり海には近い。
 母の里の墓所は、瀬戸内海を見下ろす小高い山の斜面にあった。初夏の爽やかな浜風が吹いていた。手向けた花がそんな風に応えるかのように、花びらを揺らした。私はなぜか感傷的になり、心の中で「お母さん」と呼びかけた。こんなことは久しくなかった。
「お母さん、ここはいいですね。いつも海が見えていて、爽やかな風が風いています。幼い頃にお母さんが遊んだ懐かしい海が目の前にあるんですもの……」と心の中でいいかけて、私は思わず涙ぐんでしまった。「私は、この通り、相変わらず、あなたに甘え、あなたを理由にいい加減な人生を送っています。世間には“親に早く別れる子は親を慕わない”という言い伝えがあるようですが、もしかして私もそうだったのでしょうか。私は心のどこかで死んでいるあなたにずっと甘えてきたような気がします。あなたが海に放った折り鶴の話をするとき、私はときに人前で涙を流しました。そのたびに、自分がまた、母であるあなたを利用していると思ったものです……。 私は義母とはあまり口も聞かず、父にはしょっちゅう逆らった。そいう意味では先の言葉を知ったとき、私は私なりにずいぶん思い、悩んだものだった。お墓に供えた幾種かの花の葉が風に吹かれたのか、かすかに震えた。母が何かに応えたのか、それとも私を諌めたのか、私はじっとその葉を見つめた。多分、ここにくることはもうないかもしれない。今度は私の家のお墓でお会いしましょう。私は故郷の菩提寺の本堂の裏にある日当たりのない墓を思った。父も義母もそこで眠っている。もちろん母もだ。そこより、ここのほうが快適な空間に思えた。何しろ、ずっと瀬戸内海が見える。たまには向こうのお墓にも帰ってください、私は母にそう告げた。その墓に一礼して静かに母に別れを告げた。
 墓を離れ、私は海辺にたたずんだ。誰の車か、車内のかけっぱなしのままにされているラジオからの天気予報が「瀬戸内海はこれからところによっては夕立があるでしょう」と伝えていた。
 夏、海岸の正面に巨大な入道雲が現れると、数時間後には一時的なスコールに見舞われることがよくあった。子どもながらにも、海岸線の向こうに出現した巨大な雲の塊を眼にすると、なぜか瀬戸内海の夏を一人占めにしている気がして、叫びだしたくなるようなことがよくあった。いままさに、遠い四国方面の海の彼方に巨大な積乱雲が立ち上がろうとしている。それに映えるように、夕刻の陽が燦然と茜色に輝いている。私が立っているその位置から、かつて祖母のフサが私を乳母車に乗せて辿った山道が見えた。その同じ道を当時のフサの思いを胸に抱きながら、その思いを共有してくれた編集者のH氏と辿った真夏の一日が遠い昔のように思い出された。そのときの思いが募ったせいかもしれないが、私の眼には眼前の海に浮いた何十羽もの折鶴の白い群れが見えた。その鶴がまさにいっせいに飛び立ち、やがて茜色に染まりながら大空を飛翔するのを見たように思った。その先に雄大な積乱雲が、鶴たちを優しく包み込むかのように巨大な姿を変えつつあった。(完)

*本稿は『ちば文学』第19号(2018年9月末日発行)に掲載されたものに加筆・訂正を加えたものです。転載を同意してくださった「ちば文学会」に感謝します。

『瀬戸内海物語』 21

  第七章(終章)

(その1)
 サヤカが福島に帰って二日ほど過ぎた朝の六時過ぎ、チャイムが鳴った。ほどなく鍵音がし、ドアを開ける音がする。サヤカであるはずはなかった。それ以外に鍵を持っているのは妻でしかない。しかし、この時間にそれはあり得ない。やはりサヤカだろうか、と思った。だが、足音は明らかにサヤカのものではない。私は黙ったまま、その人がキッチンに上がる気配を感じながら耳を傾け、これは妻だと思った。私が寝ている部屋の襖がしずかに開けられた。顔を出したのはやはり妻だった。この時間にここに現れるということは、始発に近い時刻に電車に乗ったに違いない。妻は私と眼が合うなり、「誰かさんでなくて、ごめんなさいね」といったが、その言葉に憮然とした私に「あっ、ごめんなさい。朝早くからつまらないことをいって」と部屋に入り、コートを脱いだ。
「連絡もしないで、突然でごめんなさい」と妻がいうの聴きながら、私はゆっくり布団から起き上がり、「今頃の時間にどうした?」と声を出した。私はとりあえず、着替えをすまし、布団を仕舞った。そして、「お茶でも入れよう」と玄関と一体になっている、妻が入ってきたキッチンへ行こうとした。妻はそんな私から眼を離さなかった。私は妻のその視線に何かしら容易ならざるものを感じた。私はその眼を逃れるように、閉められたばかりの襖に手をかけた。妻はそんな私の行く手を阻むように「いいの。すぐに失礼するから」と背後から声をかけた。振り返ると、妻はその険しい眼を私から離さなかった。私はもう一度、訊いた
「こんなに早く、どうしたというんだ」
 妻はさらに険しい眼をしてじっと私を見た。一呼吸して、腰を下ろして彼女はいった。
「あれから、私もいろいろ考えました。サヤカさんのことです。私が彼女にしてあげられることは何かないかを考えました。でも、私があなたと離婚する以外に、どうしようもないということ以外には考えられませんでした。それができないとなると、ではどうすればいいのか、さらにサヤカさんも私もまた納得できること……」
 妻はそこで、いったん、言葉につまった。そして一気にいった。「それはあなたに死んでもらうおうということでした。もちろん、私はそうしてもらいたくないし、彼女もまたそうでしょう。でも彼女があなたと一緒になりたいということを私は絶対に認めることができないとしたら、それしかないように思いました。私には悲しいことですが、まだあなたが私と離婚したいとお考えならば、あなた、私たちのために死んでください。そうしてくだされば、サヤカさんも私もどちらも納得するしかありません。そのことをお伝えするため、朝早く出てきました」
 いきなり何をいうのかと思った。それが妻の真意であるかどうかはさておいて、妻は妻なりに、サヤカへの償いをそんなふうに考えたのだろう。そうは思ったが、「いきなり死んでくれとは?」と、私はそれだけいった。妻が本気で私に死ねといっているわけではないだろうが、妻は妻なりに考え、私を試そうとしているのか。妻は私から眼を離さなかった。私はサヤカがいったことを頭に浮かべていた。
「私は普通の女よ。人並みに子どもも欲しいし、いい母親にもなりたいの」と彼女がいったとき、私は「時間がかかる」とだけ応えた。私は明らかに逃げていた。
「時間がかかる? あなた、私のことで奥さんと話し合ったことがあるの?」
「一度だけあった」
 と、サヤカの問いに私はそう答えた。私は、こんないい方しかできなかった。
 妻が再び口を開いた。
「私は一人の女としてサヤカさんが気の毒でした。いきなり私に電話してきて、あなたと別れてくださいというのは、あまりにも非常識なことです。それでもそこまで精神的に追い詰められて私に直接電話してきた彼女の心情を考えると、それを叶えてあげるためにはどんなことがしてあげられるでしょう。先日、あなたとサヤカさんのことで話し合った後にも、私は彼女のために自分がしてあげられることはないかと考えました。しかし、子どもたちのことを考え、彼女の希望に応えることができない以上、私にはどうすることもできませんでした。そうして私が考えたこと、どちらもが仕方ないことと諦められること、それはあなたに死んでもらうことではないか、そう思ったのです。あなたは二人に責任をとって死んだ、そう思えば、それはそれなりに理屈がつく、と考えたからです。あなたがどうしたいのか、私にはわかりません。どちらにしても、そう考えるほかはありません。サヤカさんととても別れられないとあなたが思っているとしたら、それはそれで私たち家族を欺いていることになります。ということは、どうしようもないことです。私も決心しました。あなた、死んでください。あなたがサヤカさんをとるということは、私たち家族にはとても耐えられないことです。あなたが死ぬことについて、私、昨夜は一睡もしないで考えました。私があなたとは別れない、彼女にはそのことは耐えられない、ということになれば、私が出した結論はその一つしかありませんでした」
 妻の言葉はひどく私を動揺させた。確かに、私はまだサヤカに未練を抱いている。そのサヤカが同じ会社の同僚と結婚するというのに、私はいつまで彼女にこだわるのか。なぜか、そのことを妻にいうことは憚れた。妻が一番の電車で来たということは、彼女のいう通り、一晩寝ないで考え、それなりに行きついた結論だったのだろう。そこに、サヤカに対する妻としての意地と同時に、憐憫の思いが同居してのことだったのではないか。
 実は、ちょうど一カ月ほど前、サヤカから同じようなことをいわれたことがあった。サヤカはいった。
「あなた、私と別れられないなら死んでよ。そうしてくれれば私はあなたのことをあきらめられる、別れられる」
 もちろん、これはそのときサヤカが思いついてとっさに出した言葉だったと思っていた。本気で考えていたわけではないだろうが、そのときの心情は妻が思うところと一緒だったのだと、私はいまにして思った。サヤカは珍しく執拗に私との結婚を迫り、それができないなら、私の青春を奪った罪を感じて死んでほしい、と必要に食い下がった。だからこそ、私は妻に離婚を申し出もした。その後サヤカはそのことについては忘れてしまったかのように私に接していたが、もしかして電話で妻にそのことを話したのかもしれない。
 私は大きく息をついた。私には妻を説得できるどんな言葉もなかった。何かをいえば、それはどんなに繕うとも不誠実以外の何物でもなかったろう。妻が本気で私に死ねといっているわけはないと感じてはいたが、彼女は彼女なりに、サヤカへの誠実を考慮して出した一つの結論だったのだ。奇しくも私は二人に同じようなことをいわれたことになる。サヤカは確かにいった。「あなた、私と一緒になれないときは死んでくれない」。サヤカのその言葉の裏に、それなりに私を思う彼女の言葉の重さが身にしみた。
 妻はつづけた。
「あの人が私に電話したこと、お聴きになりましたか」
私は頷いた。
 私はあのとき、サヤカの言葉は単なる睦言の一種のようなものとして受け止めていたが、その真意には妻の同じような気持ちが流れていたことへの配慮はなかった。
「彼女も同じようなことをいったよ。でも、死んでくれということはないだろう。二人の前から消えるという方法だってありうる」
 私は苦しさまぎれにそんなことをいった。
「ずるいわ」と妻はいった。私はすぐにそういったことを後悔した。妻は私の言葉にたたみかけるようにいった。
「どこかに消えて、それでまた新しい人を見つけて、仲睦まじく暮らそうというの」
「いや、そういうわけではないが」といいかけて私はあとの言葉を失った。自分があまりに陳腐な存在だった。
「自分がいったことに、恥ずかしいと思わないの。よくそんなことがぬけぬけといえますね」
「すまなかった」と私は素直に詫びた。それ以上、私に言葉はなかった。妻がいった。
「あなたは私が知る限り、ずっと編集というお仕事についていらっしゃいました。編集というお仕事がどんな仕事であるのか私にはよくわかりません。でも、私のような者でも思えるのは、それなりの知識もあって、それだけに普通の人よりも思慮深いはずではないのですか。だけどあなたは、子どもたちに一度でも宿題の面倒を見てやったことがありますか。子どもたちに大袈裟にいえば、人生について話してやったことがありますか。あなたの職業ってなんでしたの。お父さまが、旋盤工から叩き上げた優秀な技術者だったと、あなたはよく私に話してくださったわね。その話には、ああこの人はお父さまの職業を誇っている、その一途な職業を理解していると思って、尊敬さえしていました。でも、あなたはご自分の職業を子どもたちに誇ったことがあったのでしょうか……。私とあなたの諍いを耳にした子ども達が顔を出しても、あなたはなんでもないから、部屋に戻りなさい、というのが精いっぱいで、その一言に子どもたちは素直に従っていましたが、あとで少しでも子どもたちにそのわけを話してやったことすらないでしょう。おかげで子どもたちはいつも何らかの欲求不満状態だった。少しでも子どもたちの気持を和らげようという努力もなかった。それが父親というものでしょうか」
 またある日にはこんなことがあった。いきなり妻がいった。
「いまおつきあいのある人って、あなたにとってどんないいことがありますか」
 私は慌てた。私は黙って妻の前で、しばし沈黙するしかなかった。もしかすると、彼女は母親になったつもりで我慢したのかもしれない。そのとき彼女は、まるで私の心の中を見透かすようにいったものだった。
「私はあなたのお母さまの代わりはできません。オイタをしている子どもを抱きしめて、怒りもせず、ああ、よしよし、と慰めるなんて、まっぴらです……」
 妻はしばらく沈黙したが、思い切ったようにいった。
「もしおばあさまやほかの親戚の方々が物心ついたころのあなたに、お母さまの真実を正直にあなたに話し、お母さまについてほんの少しでも子どもが喜ぶようなエピソードなどをお話になっていたら、現在のあなたとはまた違った別の人格が備わっていたのかもしれませんね。私はそのどちらがいいとか悪いとかということではなく、むしろそのほうがあなたは救われたのかもしれません」と、妻はここでいったん口を濁した。そして、一息入れてつづけた。
「こんなことをいうと、あなたに叱られるかもしれませんけど、私、多分高校のときだったと思うけれど、義母と子についての小説を読んだことがありました。いまはその作品の名も、だれが書いたのかも忘れてしまいましたが、話の筋はある程度覚えています。すでに先妻の子どもがいる家庭の後妻に入った妻が、先妻の子の子育てで迷っていたとき、その嫁は姑からこんなことをいわれた、とありました。それは、後妻に入った継母がその子どもを前にして、自分の口から本当の母が亡くなっている事実を正直に伝えてやり、亡くなったお母さまは決してあなたから離れずに、ずっとあなたを見守っていますよ、決してあなたから離れません。いつまでもあなたのそばにいてくれています。ですから、亡くなったお母さまのことを忘れないようにしましょう。お母さまはいつもあなたのそばであなたを見守っていることを忘れないように、というようなことを幼い子に教えなさい。そうすることで、彼女は継母なりの信頼を少しずつながら得ていったというお話でした。確かその姑さんはこんなこともいったよう思います。このことを私や父親がいうことはたやすいが、仮に継母としても、現実にあなたはあの子の母親です。その母親がいってこそ、子どもの胸を打つのですと。私はあなたと結婚して、何度かこのお話を思い出していました。もし、あなたのいまのお母さまがこのようにいうか、せめておばあさまやお父さまが、あなたのお母さまの本当のことを正直にお話しになっていれば、現在のあなたとまた違った人格が生まれていたのかもしれませんね」
「それはどういうことだ」
「先にお話しした小説のように、その通りではないにしても似たような結果になっていたのではないか、と思っただけです。余計なことをいったようですね。ごめんなさい」
 妻には、私の顔が不機嫌そうに見えたのかもしれない。が,私の内心は決してそうではなかった。妻の話をそれなりに理解しようとしていた。私とて、かつて何度もそうであったらと自問したことがあった。私は妻に「そうかもしれない」とだけいった。よくある話といえば、よくある話だったろう。私たちのような境遇に陥った家族の誰でもが同じようなことを考え、自分たちにはこれが一番だとそれぞれに判断したに違いない。私も何度か、同じような問題を扱った小説を読んだことがあったが、あらためて妻からそんな話を聞くと、それにはそれなりの感慨めいたものもあった。
「もし私がそんな立場になれば、どうしたかと考えると、どちらを選ぶにしても大変な決意があったと思います。あなたのご家族は内緒にし通すことを選ばれた。それはそれなりにあなたのことを思って決断されたことだとは思います。いまのお母さまやおばあさまの立場で考えてみれば、あなたはあまりにも幼く、お母さまにつながるどんな記憶もなかったでしょうから、それはそれで最善の方法だと思われたのでしょう。それは誰にも責められません。それでもおばあさまは私と初めて会われたとき、あなたの母恋について尋常ではないことを私に話されました。それはあなたがすでに実母がなくなっていることを知っていると考えた上でのお話だったと思います。もしそうお思いなら、途中からでもあなたに本当のことをお話しなられるべきではなかったのかしら。私はそのことが残念です。おばあさまもお父さまもとうとう亡くなられるまで何もお話にならなかったのでしょう。せめてお二人の口から、あなたに本当のお母さまのことがほんの少しでも伝えられていたらと思います。それがなかったあなたには、無念の思いが残ったままになってしまった。それがお気の毒です。継母と継子というものはその枠からどうしても動かせないものなのか、それがあるとしたら、もしかすると子どもの心を実母の面影につないでやるほうがいいのではないか、私はその小説のことを思い出し、新ためてそう思いました」
 妻はそう言いながら、私の反応を確かめていた。
「それに、こんな話を聞いたことがあります」と妻はつづけた。
「里親制度というものがありますね。その制度で、子供達を預かって育てている人たちの話ですが、その人たちがラジオのインタビューに答えて、こう言っていたのを聴いたことがあります。それは子供達に里親の自分たちが本当の親ではないということを、いつ話してあげるのがいいかという話題でした。大抵は乳幼児のときに子どもを預かるわけですが、そんな親たちにとって、いつ真実を話すのがいいかというのは大きな課題で、結論としては、小学校に上がる前が最適の時期ではないかということでした。子どもに自分たちは里親だと告げることを『真実の告知』というのだそうですが、それは子どもが小学校にあがる前がふさわしい。なぜなら子どもが学校に上がると、様々な手続きなどで、子どもが真実に触れる機会が増える。そのため、できれば子どもが小学校に上がる前に真実の告知をすましておいて、子どもが事実を知ったときに備えておいたほうがいいのではないか、という考え方でした。ではこの真実の告知とは何かというと、実はあなたと私たちは本当の親子ではないことを告げた上で、だけどあなたと私たちの間には本当の親子以上のもっと素晴らしい愛情、固い絆で繋がっています。私たちはここまであなたをそんな深い愛情で育ててきました。この愛情はこれからも変わることはないのです、というようなことを伝えるとのことでした。このことも、先のお話と同じようなことを言っているのではないでしょうか。いずれも、私にはあなたのこと抜きには考えられませんでした。もしあなたにこのようなことがあれば、おそらく、あなたの人生はまた、多少とも違っていたものになったのかもしれませんね」
 私は、妻の話を聞きながら、あることを思い出した。それは私が十六歳になって、オートバイの免許をとることを父に相談したときのことだった。年齢的には中学の三年か、高校に入った頃のことだ。私は父の了解を得て、その手続きしようとした。驚いたことに、父が率先して書類を揃え、届けておいてくれるという。田舎町のこと、街の警察署には確かに父の知り合いが何人もいた。そのこともあって、私は父が頼みがてら警察に行ってくれるものと思っていた。私には、煩わしい手続きを省くことができる。まさか父がそんなふうに積極的に警察署への手続きをやってくれるとは思いもしなかっただけに、私は父の申し出を喜んで、承諾した。私はそのために警察署からもらってきた書類を父に渡した。それには必要な提出書類のあれこれが書いてあった。一日二日して、父が書類の提出を終えたことを聞いた。私は無事、小学校の校庭に引かれた実技試験コースを辿り、試験にパスした。交通知識の講習も同時の行われたように記憶している。
 私は試験の帰り道、ふと、なぜ父がそんなことをしてくれたのかと疑念に思った。その意味を探り当てるまでにそんな長い時間はかからなかった。提出書類の中に、戸籍謄本の提出が義務づけられていた。そうか、これかと思い当たった私は町役場に出向き、戸籍抄本の写しを申請し、すぐにそれに目を通した。即座に眼が止まったのは、母の名に×印があり、死亡したとされる日時が記載されていた。父はこれを見せたくなかったのだ。ここまでやるか、というのが、そのときの私の印象だった。私はここまでして父が隠そうとするものは何かと思った。父は私がその母の死に気づいていないといまも思っているのだろうか。それともことの現実をあえて私の眼に晒したくないと配慮してのことだったのか。私はその日を陰鬱なままで過ごしたことも深く記憶している。
 私の記憶は、一気に新しい家での記憶に直結する。そんなとき、まず現れるのは、両手の一方を幼稚園の保母、片方を義母の手によって、引きずられるようにして幼稚園に連れて行かれる情けない私の幼児期の姿だ。私は泣き叫んでいる。そうして泣き叫びながら、わずか三百メートルほどの距離を、毎朝のように幼稚園まで引きずられるようにして通園するのだ。不思議なことに、そのことを除けば、その幼稚園内での他の記憶はまったくと言っていいほどない。
 私がなぜ、それほど幼稚園を嫌っていたのか、それはわからない。特にいじめられたという記憶もない。幼稚園の思い出といえば、私にはその光景しか残っていない。ただただ毎朝のこの光景が、記憶の襞にしっかりと張り付き、父の新しい生活に引き取られてからの記憶は必ずここから始まる。幼児期の次の記憶はというと、小学校初期の、学内での行事だ。鉄棒の逆上がりがなかなかできなくて、みんなバカにされ、笑われている幼い日の自分がいる。跳び箱が飛べなくて、必ず跳び箱を前にして立ちすくむか跳び箱を飛越せずに乗っかったままで呆然としている自分がいる。遊びとはいえ、どんなスポーツにも加われない自分がいる。そんな嫌な記憶ばかりだ。
 そしてその次につづくのは義母に激しく逆らう幼い私の姿だ。こんな暗い幼児期を過ごした私に、どんな未来があったというのだろうか。
 いずれにせよ、何らかの形で妻のいう幼児期の育てられ方、母のことを隠しつづけられた一つの結果が私のいまを形作っていることはそれなりに頷ける。ただ、もしそうであったとして、私の人生にどんな代わりようがあったことだろうか。そて点でははなはだ疑問だ。私のどこかに、そんな理由で自分のこれまでを簡単に否定できないという、何かしら漠然とした疑念があった。そしてその疑念とは何か。それは私が生まれながらに持っていた、精神的なひ弱さに他ならない。もし母が生きていたとしたら、私はまた、別の意味で、わがまま放題、どうしようもない人間として成長していたかもしれない。多分そうだろう。いずれにせよ、このひ弱な性格は母がいたとしても、持ち前の私を形作っていたのかもしれない。母を理由にして自分を語ること、自分を別人格の人間に置き換えることなど、もうそろそろ終わりにしなければならない。
 妻はしばらくの間は無言のままだった。その妻が、何かに気づいたように言った。
「私はサヤカさんが憎いとは思いません。サヤカさんもまた、あなたの何かに取り込まれたいわば犠牲者です。あの人も、多分、生涯あなたから受けた傷を噛み締めながら生きていくのでしょう。表情や態度には出なくても、彼女の内面に、いつまでも根深く残りつづけることでしょう」
 妻はなんとなく頭を振る私をため息まじりに見つめた。が,それは妻のいうことを否定してのことではなかった。そんな私を見つめながら、妻は「帰ります。勝手なことをいいました。これ以上お話しするのも無駄でしょうから」というと、そのままコートを手にした。私にはそれを停められなかった。彼女は静かに部屋を出て行った。ドアが閉まり、やがて廊下に響くヒールの音が聞こえた。サヤカのものとは違う、どこか淋しく、頼りなげに聞こえる靴音が小さくなっていった。私は妻が帰ってからも、妻がいったことを考えつづけた。が、しょせんいまとなってはどうしようもないことなのだとも思った。
 それから二日ほどして妻から電話があり、サヤカが前の電話のことを丁寧に詫びたあと、結婚すると伝えてきたことを告げた。妻はその後で、早朝にいきなり私を訪ねてきた朝のことを詫びた。私は謝ることはない、とだけ彼女にいい、電話を切った。妻の声は終始、落ち着いていた。だが、サヤカが結婚することになったからと妻の心が晴れやかになったわけではないことは、妻の言葉の端々から感じられた。

 その日の夜、私はいささか酔った。妻が突然やって来て三日ほどたっていた。盛り場から駅に向かった足は、駅に入ると、いつの間にか、家に向かう多摩方面への電車のホームを目指していたのだ。深夜、酔ったまま帰宅した。目覚めたとき、最初に眼に入ったものは天井だった。一瞬ここはどこだ、と思った。酔ったあげくに酒場で出会った女の部屋に泊まり、目覚めて自分がどこにいるのかに狼狽したことも何度かあった。
 そんな思いでゆっくりと部屋全体を見回した。とたんに、そうか、家に帰ったんだと思った。子どもたちはすでに学校へ行ったのか、もの音一つしない。久しぶりの帰宅だった。この前帰ったのはいつだったか、あまり覚えていない。おそらく、半年ぶりだろう。静寂の中でそんなことを考えているうちに、再びまどろんだ。再び目覚めたのは、妻が外出先から帰ってきたらしい物音からだった。妻が私の様子を見るために、襖を開けた。私は慌てて眼をつむり、まだ寝ているふうを装った。
 考えてみれば、大なり小なり、こんな生活がもう十年ほどつづいている。子どもたちはまだ小さかったから、父親が帰ればいつも大歓迎だった。しかし、妻は違った。どこか疑わし気な顔で私を見つめた。彼女はそのことでくどくどと詮索するようなことはなかったが、子どもがいなければとっくの昔に私には見切りをつけていただろう。サヤカだけではなく、これまでにも大なり小なり同じようなことがあった。そのたびに私はそれとなく はぐらかしてきたが、彼女は彼女なりの直感で、そんな私のことを見抜いていたような気がする。それでも表面的には私を許していたのは、ひとえに子どもの存在があったに違いない。私のいないところで、実家の母親にはずいぶん愚痴をいったらしいが、彼女の母親は母親で、私がそうなるのも、あなたの責任でもあるのよと、その都度、彼女をたしなめていたようだった。男の人というものは、たとえ結婚していても一度や二度はそんなことがあって当たり前よ、というのが彼女の持論だった。とにかく、変に怒ってしまえば、結局は女のほうが負けてしまう、そういうものだと彼女は娘を諭した。
 私はいつも、まず自分のことばかり考えていた。よりよい家族、自分にはなかったかもしれない理想的な家族をつくろうとはしたが、そのための努力はほとんどしなかったといっていい。結果として妻を裏切り、父親としての子どもたちの期待には何一つ答えてやることがなかった。
 同じようなことが、私がつき合った、あるいはただ好意を持ってくれた女性たちにいえた。私はいつも自分が正しいと思いながらも、彼女たちのちょっとした好意に、最初はいつも祖母や早くして死んだ母を重ねた。想像はできても、体験のない私を正当化するつもりはない。しかし、そうした女性たちが優しければ優しいほど、私は彼女たちに母のような愛情を感じた。
 いつしかそれは、私にとっては当り前の行為となり、それが満たされないときにただただ相手に対する不信感を言葉に出し、結果としてそんな自分を呪った。だが、それが分かっていても、私は同じような過ちを何度も繰り返した。繰り返したというよりは繰り返すしかなかった。相手が信頼できる人であればあるほど、こうした傾向は強くなった。男女を通じて友人たちはそんな私を見て、ときにははなはだ自分勝手な人だと私の行為を蔑んだ。そう思われても仕方がなかったが、私はそんな自分を、まるで不治の病者のように、ときには愛し、ときには嫌悪しながらも自分を変えようとしなかった。いや、変えようがなかったのだ。私はいままで、誰も愛したことがないように思う。家族も家庭も、友人も、そして私を通り過ぎていったどのような女たちも……。誰も愛せなかった。愛そうとしなかったわけではないが、結果として、だれも愛することができなかった。
 妻が顔を出した。
「お目覚めですか? 昨夜は随分酔っていましたね。もうべろんべろんで、ここが自分の仕事部屋か自宅なのか、分からないようでしたよ。でも、よくたどり着けたものですね。すぐに玄関で横になってしまい、こちらに寝かせるのも大変でした。子どもたちも起き出して手伝ってくれたんですよ」
 私は「そうか」といって眼をつむった。妻に声をかけられ眼を開けると、妻は手に一葉のハガキを手にしていた。手にしてみると、学生時代に良く出入りしていたある喫茶店のママからのものだった。名前を見ただけではよくわからなかったが、文面に目を通すと、それが誰であるかにやっと気づいた。
 当時、ちょっとした縁があって、その店の家族と仲良くした。それは当時。私たちが住んでいた最初のアパートから越してから途絶えたが、向こうの家族と一緒に海水浴やハイキングにも出掛けた。店は長く同じ場所にあったが、私が住まいを替えた関係で、その後は近くに出向いたとき、ふらりと立ち寄る程度で、さらにいまの住まいに引っ越ししてからの親交は長く途絶えていた。私はハガキの文面に目を通した。ハガキにはマスターが肺がんのために、長く療養していたがつい一か月ほど前に亡くなったことが記されていた。たまたま主人の遺品を整理していて、私の転居通知を目にしたので、懐かしく当時を思い出し、お知らせする次第です、といった内容だった。私はまだ元気なころのマスターを思い浮かべた。
 その店は私の通う大学への通学路の路地裏にあり、あの頃のその店のコーヒーは確か六〇円だったと記憶している。周りの店では、八〇〜一〇〇円だった。おまけに午後二時までに行くと、モーニングサービスの分厚いトーストが一枚ついた。バターもたっぷり塗られていた。客のほとんどが、付近にあった二つの大学の学生だった。私たちは、その店で二時間、日によっては三時間も粘ったことがある。当時の学生もまた貧しかった。同じ店で、コーヒーを二杯も頼むような学生はあまりいなかった。それでも店のマスターもママも嫌な顔を見せず、いつも私たちを温かく迎えてくれた
 私が妻と同棲を始めた頃、ある日、私はその喫茶店に彼女を連れて行った。私はそこで同棲中である事実を告げ、彼女を紹介した。何度か二人で店に顔を出していたある帰り際、マスターに呼び止められ、「よかったら、奥さんに店を手伝ってもらえないだろうか」と提案された。条件は日給七百円だった。当時、学生のアルバイトの日給は七百円から八、九百円、ちょっとした力仕事なら千円前後というのが相場だった。私は、どうする? と彼女を見た。彼女はあっさりと、その申し出を承諾した。どうせどこかでパートのような仕事をしなければならないと考えていた矢先だった。
 マスターはいけると思ったのか、さらに条件をつけ加えた。「来てくれればわかるこことだが、最近の客は一日だいたい五〇人平均、あなたが来てくれれば、それなりに客もつきそうだから、一日一〇人増えるごとに日給に一〇〇円ずつ追加するし、その分は毎日払うから」といった。彼女は「私に務まるかしら」といいながらも、その申し出に快く頷き、「では明日からでも来ましょうか」とにこやかに答えた。厨房でそのやりとりを聞いいていたのだろう。ママが顔を出して、「よろしく、ね。私も助かるわ」と口添えした。
 思えば、あの頃は妻が一番輝いていた時代だった。若かったということもあろうが、二人とも生活するのに一生懸命だった。余計なことに神経を使う余裕など二人にはなかった。彼女が店を手伝うようになって、客は徐々に、確実に増えた。よほど彼女の客のあしらい方がよかったのだろうか。もう一つは、大学での私の所属していた文芸サークルのおかげである。「あいつのレコがあの店で働いているらしいよ」ということがサークル内で伝わり、彼らの多くが店に日参するようになったことと、クラスメートもまた、その話を聞きつけ、その顔を見たさに店を訪れるようになったのがきっかけだった。そのうちの何割かがやがては常連のようになり、店はそれなりに繁盛した。おかげで彼女は勤め始めてほどなく、約束の一〇〇円、日によっては二〇〇円を毎日のように手にするようになった。当時の物価でいえば、二〇〇円あれば、二人分のその日の夕食のおかず代に十分足りた。おかげで、一緒に暮らすようになったことを理由に毎月の送金の割増を親に要請することもできなかった私には、毎日のそのお金はずいぶん助かる金額となった。そのうち、我々は以前に触れたような経緯から卒業を前にした一月、正式に結婚したが、結婚すればなおのこと、親にそれ以上の負担は強いられるはずもなかった。
 大学の卒業を前にしたその年の三月、東京に大雪が降った。当時国電と呼ばれていた電車が三日間も運航停止したほどの大雪だった。その雪をついて、妻はいつものように店に出ようとしていた。当時我々が住んでいたのは二階建てのアパートの二階部分だった。雪はアパートの階段にもうずたかく積もっていた。私が外出した後だった。その階段を降りようとして彼女は足を滑らせた。ほぼ尻餅をつくような格好で、上階部から下まで滑り落ちた。アパートの大家の家はすぐそばにあった。異様な物音と悲鳴に気づいた大家の奥さんが何事かと窓からアパートを見ると、妻が階段の下で呻いていた。彼女は一目で階段から滑り落ちたことを悟った。奥さんは大慌てで自分の車を車庫から出し、雪道を警戒しながらも妻を病院にまで連れて行ってくれた。外傷はほとんどなかったが、妻はそれで股関節を痛め、二週間ほどの入院を余儀なくされた。
 私は連絡を受け、急ぎ病院に出向いた。病室に駆けつけると、妻はベッドの上で泣いていた。私は知らなかったのだが、そのせいで妻は流産していた。妻自身、自分の妊娠を疑ってはいたが、産院で確かめる前のことだった。妻は若かった。その分、回復も早かったが、結局、それがもとで、彼女は店をやめた。怪我のことよりも、流産しことが彼女の気持ちをしばらくは萎えさせたままだった。その店のマスターが亡くなったという知らせに、私はそんな当時のことを思い出していた。時計を見ると、まもなく正午に近かった。顔を洗おうと部屋を出た。その物音に気づいて、妻が顔を出した。「体中がお酒臭い。お風呂に入ったら」と、私に入浴を勧めた。風呂から出ると、妻が「これがいま届きました」と、一通の封書を差し出した。
 久々に目にした懐かしい筆跡だった。伯父からだった。母の弟に当たるこの伯父とはもう久しく会っていない。封を切ると、懐かしい人からの書状に添えて、私とは従兄に当たる母の長兄の息子の結婚式への招待状が入っていた。手紙には、私と私の家族の安否を気遣う書き出しとともに、母の五十回忌の際の私たちとの懐かしいあれこれが、つい昨日のことのように認められていた。次いで、従兄の結婚のことが触れられ、これを機会に久々に顔を見せて欲しいとのことが書き添えられていた。普段はどうしても無沙汰気味になる伯父の私への心遣いが嬉しかった。結婚式の日付を見ると、まだ半年後のことだった。これを機会にと、一刻も早く私に知らせたいという伯父の息づかいが文面にはあふれていた。玄関に子どもの一人が帰ってきた気配がした。(「第七章」その2につづく)

*本稿は『ちば文学』第19号(2018年9月末日発行)に掲載されたものに加筆・訂正を加えたものです。転載を同意してくださった「ちば文学会」に感謝します。

『瀬戸内海物語』 20

   第六章
 
 父が逝って五年ほどたった梅雨が開ける前の六月下旬、義母が老衰のために死んだ。弟だけが父と義母の両方の死を静かに看取ったことになる。結果的に、弟は両親の介護にも明け暮れた。そればかりか、二つの葬儀、それにつづく何年かおきにやってくる幾多の法事など、私に苦言を発することなくすべてを仕切ってくれた。弟には、弟なりに気持ちがあっただろうが、私には何もいわなかった。これもまた、私の立場を知ったうえでのことだったのだろうか。私は弟とそうしたことを話したことはなかったが、弟には本当にすまないという思いだった。
 父の葬儀につづいて義母の葬儀の前日、父の葬儀のときと同じように、子供たちの家族を含め、私は家族全員とともに帰省した。その折、私の長男のたっての願いで、私たちは家族全員で私が生まれ、祖母・フサの手を煩わしていた幼児期に過ごした本家を訪ねた。私たちは仏壇のある部屋に案内された。カメラを手に、鴨居に並んだ数々の肖像写真やそれぞれの屋内を親父のルーツがここかといいながら、長男は肖像写真を始め、家の各所をカメラに収めた。仏壇のある部屋は私の母が伏せっていた部屋だった。祖父の肝いりで造られた築山風の庭も、それに面したこの部屋も当時とはあまり変わっていない。変わったといえば、母が生きていた時代には南方で戦死した父の弟である伯父の写真が部屋の鴨居に掲げられていただけだったが、いまはそれに加えて、フサと祖父、父の兄夫婦の肖像写真が鴨居にぐるりと掲げられていた。
 そんな私たちを何の遜色もない笑顔で迎えてくれ、しばし相手をしてくれたのは、いまはこの家の当主となった最年長の従弟の妻の「お姉さん」だった。私たちはこの人のことをずっと前から「お姉さん」と呼んでいた。お姉さんは、私がまだ中学生だった頃に従弟と結婚していた。彼女は終始にこやかに私たち家族を歓待してくれた。彼女が従弟と結婚してから、折にふれ、私のことは当然、相当詳しく聴いていただろう。彼女はまるで、自分がそこにいたように、鴨居のフサの写真を時折見上げながら、私とフサの関係を私の家族に丁寧に説明してくれた。私は子どもたちには単に母が早く亡くなり、いまの祖母は義理に当たるという程度のことしか話していなかったが、子どもたち家族はフサの写真を見上げながら、お姉さんの具体的な話にいたく感動した面持ちで耳を傾けていた。長男と次男はまだ父が健在の折、妻とともに何度か帰省に同行していたから、父や義母のことはよく覚えていた。しかし、お姉さんから聴く私にまつわる話の多くは、二人の子どもとその家族にとっては初めて聞く話ばかりだった。
 その翌日、義母の葬儀を終えた私たち家族は街の前に浮かぶ島を訪ねた。息子たちはお盆や祭事の際に私や妻とともに何度か帰省し、この島での海水浴での思い出も多かった。島に渡るのは初めての小さな孫たちも、初めて乗った島への渡船や目前にした海岸に幼い歓声をあげた。海水浴シーズン前の、まだ人気のない島の海岸だったが、普段の暮らしには海も山もない都会育ちの孫たちにとって、そこは別世界だったに違いない。私はそんな孫たちを見ていて、ふと、祖母が夢見たという島での花見のことを思い出した。海岸でもようされるその夢の中には、幼い私も母もいた。その夢の中の一コマは、きっとこんな風景だったんだろうなと、私は幼い孫たちを見ながら、そっとフサの持っていたやさしさを思い出していた。
 島から街が見渡せる丘に登った。そこからは街の大半が見渡せ、私が幼児期を過ごした家も展望できた。街は梅雨の合間のぼんやりとした薄い靄に包まれていた。
 そんなとき、そのころ持ち始めていたポケットの携帯電話が鳴った。サヤカからだった。サヤカはいつ帰るのかを聞き、すぐに電話を切った。「どなたから?」と、妻が私を見た。「仕事先からだ」と私はいいながら、電話器をポケットに戻した。そして同時に、すでに深いつき合いを始めて数年になるサヤカのことを思った。サヤカはことあるごとに、瀬戸内海に連れて行ってくれるよう、私に哀願していた。私が変装してでもいいから、自分を連れて行くように、何度も私に頼んだ。そんなサヤカの顔がなかなか私の脳裏から消えなかった。
 義母の葬儀を終えた私は、二日ほど多摩近郊の自宅で過ごしたのち、東京の仕事部屋に戻った。仕事場に戻ってから一週間ほど後、私はようやく約束の仕事を終えた。そのことを電話で確認したサヤカが顔を見せた。いつもなら、チャイムを鳴らすなり、自分でドアを開けて入ってくるのに、その日は私がドアを開けるまで、ドアの前にたたずんでいた。「どうした? 入ってくればいいのに」私は、思わずそういった。「誰かがいるかもしれないから」とサヤカはいった。「いつもそんなことはなく入ってくるのに」と、私は私の視線を避けるようにして応えたサヤカを見た。明らかに、いつもとは違っている。その夜、サヤカは夜の床で不機嫌なままった。私には直接には思い当たる節がなく、ただただ機嫌が直るのを待つしかなかった。
「田舎はどうだった。お葬式は無事すんだ?」
 サヤカはかたくなな表情のままでいった。「ああ」と応えながら、そうかと、思った。私が家族をあげて帰省したことに、サヤカはある種の苛立ちを示しているのだ。たとえそれが義母の葬式であろうが、私が子供の家族を含めて瀬戸内海沿いの街に帰省したという事実は、サヤカに相当のプレッシャーを与えていたのだろう。彼女の頭には、私と家族の団欒の様がよぎっていただろうことは紛れもない事実だった。そのことに直接、強い不満や怒りをぶつけてきたわけではないが、どこかにその事実がくすぶっていると見えて、私の顔をまともに見ないし、極端に言葉数も少なく、態度もよそよそしかった。サヤカの気持ちは痛いほどわかっていた。私の求めにも積極的に応じる気配はなく、一時間ほどすると用事があるからとそそくさと帰っていった。そんなことはこれまでになかった。サヤカとつき合い始めたのは、昭和天皇が亡くなったことを知らせてくれた少し前からからだ。すでに五年ほどが経過していた。
 そのサヤカから、翌日になって電話があった。「昨日はごめんなさい。生理で体調が思わしくなかったの。少しイライラしていたの……」。私は「そうか」とだけ答えた。ほかに彼女にかけてやれる言葉を持たなかった。少しの沈黙が流れた。「ねえ、お願いがあるの」とサヤカがいった。「ん?」と私は次の言葉を待った。「私を瀬戸内海に連れて行ってくれないのなら、私をお山に連れてってよ」サヤカはその当時の流行語になっていた『私をスキーに連れてって』の調子に合わせるようにそういった。私は瀬戸内海にという言葉には触れず、「山に……?」とだけ答えた。「そうよ、お山よ。ただし低いところはいや。三千メートル級の山がいいわ。うんと高いところへ登って、気分をすっきりさせたいのよ」「そうかわかったよ。どこがいいか、調べておくよ。間もなく夏山シーズンも始まるし」「絶対よ。来週にでも有休をとるから……」。
 私はちらっとカレンダーを見た。来週までにはもう三日ほどしかない。実はもう一つ、やらなければならない仕事があった。だが、仕事を理由に先に延ばせば、サヤカが何をいい出すかわからない。先方には、義母の葬儀にかこつけて締め切りを四、五日ほど伸ばしてもらうしかない。多分可能だろう。「どうしたの。明日中に決めておいてよ。明日行くからね」「ああ、わかった。明日までに決めておくよ」「じゃあね。絶対よ」サヤカは努めて明るくそういうと電話を切った。私は大きく息を継いだ。「じゃあね。絶対よ」というサヤカの声は、いつものサヤカの口調に戻っていた。これでサヤカのご機嫌が直ればそれにこしたことはない。私はしばらく電話機を眺めたままだった。

 サヤカとのつき合いが始まってしばらくたったとき、部屋の鴨居にピン止めしていた槍ヶ岳の写真について聞かれた。登ったときの写真と答えたのが始まりだった。当時の私は春先から低山、夏に向けて徐々に高山を目指す近隣の山岳同好会に所属していた。山岳同好会についてあれこれ話すうちに、「私もどこかの山に連れてってよ」とサヤカ。「そうか。登ってみるか」とうなずいたのがきっかけとなった。最初に登ったのは神奈川県箱根の金時山だった。標高は一、二一三メートルで、童話「金太郎」の舞台となった山だ。この山は歩く時間が短く、登るに連れていたるところから富士山の展望が楽しめる。
 その日、箱根仙石の国道一三八号線にある金時山登山道入り口でバスを降り、金太郎のモデルになった坂田公時が祭神として祀られているという金時神社向かった。この神社から登山道への道がつづいている。歩き出してすぐに、神社の境内に入った。境内では四、五人の男たちが落ち葉の焚き火を囲んで談笑していた。あたりに焼芋を焼いているらしい香ばしい匂いが漂っていた。そのそばを通りすがりに、サヤカが「ああ、いい匂い」と思わず声を出した。するとその輪の一人が、「いい匂いでしょう。食べていかんかね。どうぞ、どうぞ」とその輪の中に私たちを招いた。私たちがその輪に入ると、声をかけた男はさっそく、焚火の中を探り、器用な手つきで一本の焼芋を探り当て、丁寧に軍手で灰を払ってから半分に分け、「大きい方が奥さんだな」と、私たちに差し出した。「ありがとう。おいしそうね」とサヤカは奥さんと呼ばれたことがよほどうれしいのか、満面に笑みを湛えて、男に礼をいった。「ご夫婦で山登りとは羨ましい。この芋で精をつければ、どんどんと登れること請け合いだぁね」男も嬉しそうにそう応じた。
「私のこと、奥さんだって。そう見えるのね」とよほどうれしかったのか、サヤカは再び歩き始めるとそういって私の顔を見た。私はそれに頷いただけで、サヤカの前に出、歩行を速めた。途中、金時宿り石と呼ばれる大岩の前を通過し、公時神社分岐からさらに進むと、三、四十分ほどで金時山山頂へ到着した。
 頂上には熊に跨る金太郎のかなり大きな絵のプレートがあった。その金太郎の顔に穴が開き、その中に顔を差し込んで記念写真が撮れた。ファインダーの中でサヤカがそこに顔を出し、笑っていた。サヤカは多少小太りで、金太郎に似てなくもない。私は熊に跨ったサヤカを金太郎に見立てながらシャッターを押した。その撮影用の台から降りてすぐサヤカがいった。
「笑っていたでしょう?」「いいや」私は即座に答えた。が、笑い顔は隠せなかった。サヤカは後ろを振り返った。「わかったわ。私が本物の金太郎に見えたということなのね」「とんでもない。かわいいなあと思っただけだよ」「嘘つき!」サヤカはそういってほおをふくらませた。「ごめん、ごめん。そういうつもりではなかったんだ」「絶対そうよ、嘘つき」サヤカはさらにそういいながらも、今度は自分も笑った。そんなこともあったが、その日は無事に登山を終えた。サヤカはその 一日だけで、それなりに山登りの楽しさを知ったようだ。それを機に、私たちは多くの山に登った。たいていは奥多摩や丹沢山塊の低山だったが、サヤカと登った山で一番高い山は上越の谷川岳だった。上京してきた弟が登りたいといい、サヤカに話すと「喜んで」と即座に同行することを承知した。谷川岳の標高は一、九六三メートルである。ハイキング気分ではそう簡単に登れる山ではない。が、サヤカはここでも健脚ぶりを発揮し、私に負けず、黙々と歩いた。サヤカにとってはそれが高い山への初めての挑戦だった。
 今度のサヤカの要望に応えて、私は雄大な雪渓を踏みしめて登る白馬岳を選んだ。三〇〇〇メートルには少々足りないが、それ級の白馬岳は彼女にとっては谷川岳以来の高山への体験になる。私たちの久々の山行が決まった。

 白馬村に一泊した翌日、白馬岳への大雪渓を登りきったところで霧雨になった。汗なのか、雨のせいなのか、私の呼びかけで振り返ったサヤカの顔が濡れている。むろん私もそうだったろう。霧雨のせいで、あたりの展望は途絶えてしまった。幸いにも頂上小屋まではあと少し。ここからは落石や滑落の心配もない。ただ一つ、「寒くはないか」と私はサヤカを気遣った。「熱いくらい。大丈夫だよ。それよりも早く山小屋まで行きましょう」サヤカは頭を振りながらいった。そのサヤカの襟元から、ほんの少し湯気が立った。このまま突っ立っていると、からだは急速に冷える。私は「急ごう」とサヤカを促した。サヤカも自ら歩を早めた。
 頂上小屋は多くの登山客で満杯だった。こうした小屋には風呂の設備はないことを知ったサヤカは盛んに自分の汗の匂いを気にした。これに山小屋ではありがちな、満杯の客のため、寝るときは一つの布団に二人が寝ると説明を受けたせいだ。「汗臭いのはお互い様だよ。それに二人連れだから、見ず知らずの他人と一緒に寝なくて済んだんだ。それだけでもよかったろう。それに山の空気は乾燥しているから、そんなに汗の匂いはしないものだ」と私はサヤカに話した。
 翌朝は好天に恵まれ、私たちは初夏の白馬の稜線を辿りながら、大池を目差した。大池までは天候に恵まれ、稜線からの景観を楽しみつつ軽快に足を進めたが、大池を目前にしてスコールがやってきた。幸いなことに雨が降り始めたとき、私たちは避難小屋のすぐそばを歩いていた。避難小屋は突然の雨で満員となったが、おかげで雨をやり過ごすことができた。短い間の雨だったが、それだけで足場は滑りやすく、大池からの下りは難渋を極めた。
「まるで神様が選んでここにいろんな石を積み重ねたようね。どうしてここにだけこんなに岩が集まったのだろう」とサヤカは足元に気をつけながら、周りを見回した。サヤカのいう通りだった。私は何度か同じ道を歩いたことがあるが、いつもは晴天で、岩場は乾いていた。しかし、その日は違う。足場はまだ濡れたままだった。簡単に石から石へ飛ぶということはできない。二人ともあまり身長があるほうではない。それだけに歩幅が短く、足場が濡れているだけに大変だった。岩から岩へ、慎重に歩を進めた。それでも、途中で何度か休憩を取りながら、まだかまだかという思いで、何とか平地にたどりついた。
 ここまで来るのにずいぶん時間をかけてしまった。やれやれという思いでなだらかになった山道を急いだ。その途中、サヤカがぬかるんだ地面に足を滑らせ、転んだ。慌てて駆け寄った私はさやかを抱き起こした。振り返って「ありがとう」というサヤカの顔を見て私は「あっ」と声を出した。サヤカの額を一筋の血が流れたからだ。彼女が転んだ場所を確認すると、ちょうど転んだ頭の先にちょっとした岩石が露出している。どうやら転んだときに頭をそこにぶつけたらしい。
「頭から血が出ているよ。痛くはないか」
「ちょっと痛いわ。でも、それほどでもないよ」
私はポケットティシュを出し、サヤカの額を拭った「ちょっと傷口を見せて」私はサヤカの頭を覗き込んだ。頭頂部に一筋の血痕が浮いている。私はそこも拭い、「とにかく急ごう。白馬村の診療所へ行こう。今からなら、まだ間に合うかも知れない」といった。
 私ではないが、かつての登山で同じようなことがあり、同じ診療所を仲間とともに訪れたことがあった。幸いにも、診療所の開いている時間に間に合った。傷口を消毒し、包帯で覆ってもらい、それがずれないようにと医療用のネットを被ったサヤカが医療室から出てきた。私は一瞬、「えっ」という思いでサヤカを見た。
「大丈夫よ。念のためよ。傷口を守るためよ。今夜だけ、このままの状態にしておくようにとのことよ」。「そうか、よかった」私は軽傷で済んだことに胸をなぜ降ろした。

 翌日、白馬村で一泊した私たちは白馬駅から松本に向かい、そこで特急に乗換えて新宿に向かう帰路についた。一時間ほどして列車が立川駅に停車するというアナウンスが車内に流れた。私はぼんやりと車窓を流れる風景を見ていた。サヤカがポツリといった。「立川からだと、うちは近いの」私は通り過ぎる車窓に目を向けたまま、「そうだね」とうなずいた。
「うちに寄って行かなくてもいいの」
「どうして?」
「だって、近いからそうしたらと思っただけよ」
「そうか」
 私はそう応え、サヤカの顔を見た。サヤカはまた、私たちの帰省について何事かを心に描いたのかもしれない。私は再び眼を車外に向けた。ほどなく列車は立川駅に到着した。サヤカはもう何もいわなかった。
 列車は再び走り出した。私は車外に目を凝らしたままでいた。一五分ほど走れば、ほんの一瞬だが自宅が見える。やがてそのマンションが見えた。三階のその部屋のベランダには、洗濯物に混じってふとんが乾されていた。一見、何事もない多摩丘陵のどかな光景だった。私はサヤカに家のことはいわなかった。立川駅を出て以来、気まずい沈黙が流れていた。私はそれを避けるようにして瞼を閉じた。
 列車は定刻通り、新宿駅に到着した。私たちはそこで別れ、私は水道橋に、サヤカは代々木へと最寄り駅への電車に乗りかえる。私は別れ際にサヤカにいった。「仕事がたまっている。一週間ほど会えないけど、終わったら電話する」「わかったわ。ごめんね。仕事があったのに」サヤカはそういいながら、私の眼をじっと見た。その別れ際にサヤカがいった。「ねえ、あなた、私、間もなく三十になるわ」そういった後、サヤカはじっと私を見つめ、大きく息を継いでから「どうもありがとう。楽しかったわ。それじゃあ、行くね」と眼を伏せ、そのまま足早に去った。私はその眼が気になったが、それ以上考えることはやめて自分の乗る電車のホームを目指した。
 山から帰って、私は三日間ほど仕事に没頭した。その間、私からサヤカに電話したことはなかったし、サヤカからの連絡もなかった。仕事を終え、仕事先の出版社にファックスしているところに妻から電話があり、相談があるから、二、三日うちに帰ってきてほしいという連絡があった。私は明日にも帰ると返答し、電話を切った。
 自宅に向かう前日、サヤカに連絡をしようとして私は一瞬、躊躇した。が、それをいわないまま留守にすれば、かえって彼女を傷つけることになろう。山から帰るときのことが気になったが、私はありのままの理由を伝えた。私の連絡を彼女はあっさりと承知した。このとき私は気づかなかったが、サヤカには私の妻がなぜ私の帰宅を促したのか、わかっていたはずだった。私がそのことに思いつくはずもなく、声にはいつもの明るさがないことにだけをいぶかった。私は今夜会えないかと聞いた。
「やめてよ。明日奥さんところに帰るんでしょ」
 そういわれて、私には返す言葉がなかった。サヤカはつづけた。
「私にそんなことで気を使わないでよ。いいから、奥さんの相談に乗ってあげて。それにね、私、今夜は会社で会議があり、そのあと飲み会があるの」
「そうか、それなら仕方ないな。用事が終わり次第、すぐに帰ってくるよ」
「私のことで、そんなことやめてよ。ちゃんと、奥さんの相談に乗ってあげてよ。いらない気を使わないで。じゃあ、いま仕事中だから電話を切るね」
 電話はすぐに切れた。何かおかしいと私は感じた。が、これまでと同じように、自宅に帰るというとサヤカが気分を悪くしただろうが、今回もいつもと同様に、一過性のものとしてとらえていた。
翌日のお昼過ぎ、私は予定どおり帰宅した。家には妻と私だけだった。たまたま妻はキッチンにいた。私はそばの食卓に腰を下ろし、妻にウィスキーの水割りを頼んだ。「お昼からお酒ですか?」といいつつも、妻は私の前にウィスキーを水で割ったグラスを置いた。酒は喉に気持ちよく流れた。二杯目を頼んだときだった。妻はいきなり洗っていた茶碗を流しに投げつけた。そして、叫ぶようにしていった。
「そんなつまらなそうに飲むんだったら、ここではなく、向こうで飲んだらいかがですか。せっかく帰って来ても、そんな顔をしたままでは、こちらのほうまで息苦しくなってしまいます。どうぞ向こうへお帰りください」」
 私は驚いて妻の顔を見た。妻が先ほどから何とはなしに苛立っていたのはわかっていた。彼女が初めて口にした「向こう」だった。さらに「そんなにいやなら、サヤカさんのところで呑んではいかがですか」と、いきなりサヤカという名を口に出した。驚いた私は内心の動揺を抑えながら妻を見た。妻は二杯目の水割りを私の前に置き、テーブルの対面に座った。
「一昨晩遅く、サヤカさんという方から電話がありました」
 私はグラスを手にしたまま、妻の目を避け、グラスに目を落としたままだった。
「最初は、あなたのことで電話させてもらったということでした。とても丁寧で、落ち着いた話しぶりでした。本当ならお会いしたいが、自分にはそこまでの勇気はないので失礼は十分承知しているが、電話したことを許してほしということでした簡単な自己紹介と、あなたとの関係を話し、要するに私にあなたと別れてほしいということでした……」
「それで君は?」
「できません、とお断りしました。たとえ別れて暮らしていようと、私は妻です。あの人は子どもたちの父親です。どうぞ、よろしければ一緒にお暮らしください。ただし、どんなことがあっても私は絶対に別れませんから、とお話ししました。電話は一方的に切れて、それからはかかってきません。あの人が私に電話したこと、お聴きになりましたか」
 私は頭を振った。
「そうだろうと思いました。すぐにこのことをお話ししようとあなたにずっと電話していたのですが、まるっきり出る気配がありませんでした。サヤカさんとあなたがどのような関係であろうと、子どもたちのためにも私はあなたと別れる気はありません。サヤカさんには申しわけありませんが、私は決して別れませんから」
妻はそこで沈黙した。私の反応を確かめているのだろう。私は黙ったままだった。
ちょうど一カ月ほど前、サヤカが私と一緒になりたいと口にした。サヤカは珍しく執拗に私との結婚を迫った。もしかしてそれが契機となり、妻に電話したのかもしれない。
 再び妻が口を開いた。
「もう何年前になるかしら。あなたが唐突に、私と別れてくれないか、いったことがありますね」
 私は黙ったままだった。むろんそのときの相手はサヤカだった。ずっと前のこと、サヤカとつき合い始めて一年ほどたったころだった。あのとき私がそのことを切り出すと、妻は「えっ!」という顔をして私を見た。私はいった。
「もう一年ほどつき合っている人がいる。その人と一緒になりたいんだ」
「そういう人がいるらしいということはわかっていました。その人のどこがいいのですか? 若い人なんでしょうね」
「いや、若いからということではない。彼女といると、楽しいんだ」
 私はのちに、楽しいといったことを後悔した。妻はすかさずこういった。
「楽しい? 楽しいですって。それはそうでしょうね。楽しくてしょうがないでしょう。残念ながら、私はそれに対抗しようもありません。でも、私はあなたのなんだったのでしょう。最初から楽しくない女だったのでしょうか? あなたのいう楽しい、ってどんなことか教えてください。そんなこと、よくいえますね。楽しくない女にしたのはどなたなんですか」。妻はさらに声を荒げ、「その人といると楽しいから別れてほしいとはどういうことでしょうか。私たち家族は、あなたにとって何だったのでしょう。子どもたちにはどう説明しろというのでしょうか」
 そのとき、私はそれ以上、何もいえなかった。むろん、このことはサヤカには話していない。話せるわけもなかった。妻はおそらくその後も、私と彼女の関係がつづいていることは薄々気づいていただろう。いつこの話が再燃するか、何年も声を潜めて耐えていたに違いない。
 妻はつづけた。
「サヤカさんは、奥さん、私にあの人をください。私にはそうお願いするしか考えられないんです。私もずいぶん悩みました。奥さんのことを思うとこのようなお願いが実に理不尽なものであるかはよくわかっています。でも、とにかく奥さんに会おう。会って話してみよう、と思ったんです。ですが、私には奥さんにお会いできだけの勇気がなく、さすがにそれはできませんでした、と話してくれました。そして、あなたと別れて欲しい、あなたを私と一緒にさせてほしい、と。これがどんなに理不尽で、勝手なお願いだということはよくわかっているが、私にはあの人が必要なんです。では私には? と思いながらも、若い彼女の気持ちは痛いほどわかりました」
 妻はそこで声を詰まらせた。
「彼女は私より一五歳も年下なのね。あなたが夢中になるのもよくわかるわ。でも私は、あなたの二人の子どもの母親なのよ。私はあえて彼女のそのわけを聞きませんでした。聞くまでもないことです。私の口からそのことを話す必要もないでしょう。私はお断りしました。あれ以来その関係をつづけていたあなたの気持ちもよくわかります。だからといって私があなたと別れなければならない理由はありませんからと。彼女は私の返事を聞くと、多分泣きながら、『そうですね。私のほうが非常識でした』といい、『そうですよね』と繰り返し、だまってしまいました。電話のあと、私は私なりに彼女のことを思いました。私にも、この話は悲しいものでした。私は彼女を負かした、私が勝ったという思いは一切ありませんでした。そして、私が彼女にしてあげられることは何かないかを考えましたが、でもどうしようもないことです。でも、あなたが彼女と一緒になりたいということを私は絶対に認めることとができません」
 妻はこの後、私とサヤカがもう何年つき合っているのかと訊いた。私は正直に答えた。
「そうですか。すると彼女のいう通り、もう五年にもなるのですね。彼女はどんな思いでここ数年を過ごしていたのかよくわかります。前にあなたからお話があったとき、私にはどんな人がお相手なのかよくわかりませんでしたし、どうせあなたの気まぐれで、また始まったというくらいにしか思っていませんでした。もうずっと前にも今回のようなことがありましね。あのとき、あなたに問いただす前に、子どもたちが聞きつけて、泣きながら、『お父さん、もうやめなよ。お母さんが泣いてるじゃないか。別れないでよ、別れては絶対にいけないよ』とあなたの前に二人とも両手を広げて立ちふさがりましたね。恐らく子ども部屋で耳を澄まし、事の成り行きを、私たちがやりあう声を子どもなりに心配しながら息を殺していたに違いありません。さほど広くもない家ですから」
 あのとき、妻は子どもたちを抱きしめながら、声を立てずに泣いていた。数分後、私は黙って家を出た。その私を子どもたちが追いかけてきた。私は子どもたちにさえかけてやる言葉を失っていた。近くのフルーツパーラに入り、二人のためにフルーツパーラを注文し、私はビールを頼んだ。二人は私を時折盗み見ながら、黙々とパフェーを食べた。店を出ても、二人は駅に向かう私についてきた。
「お父さんは仕事があるから、これから事務所へ行くよ。もう心配しなくていいから、ここから帰りなさい」
 そういうと二人は納得し、まるでこの二人からも逃げるように小走りになった私に手を振った。私は思わず泣いた。その涙は誰に対してものだったのか、私にはわからなかった。私たちはその日以来、それ以上、話すことをやめた。以来、妻も私もこの話を蒸し返すことは互いになかったが……。
「そのことで話はうやむやになりました。それを見て、あなたも少しは自重されることと思っていましたし、私のほうも、話を蒸し返してはあなたを追いやることになる。子どもたちのこともあるからと、それ以上のお話はつづけようとは思いませんでしたが、今回はサヤカさんという人に形をかえてまたしても同じようなお話ですか。あなたの病気はその後もずっとつづいていたんですね」
 私は空になったグラスを見つめていた。そうする以外に、私にはすべがなかった。その一方で、そうか、と私は思った。つい最近のサヤカの態度が腑に落ちた。サヤカは私に業を煮やし、直接行動に出たのだ。そして彼女は妻と話すことで、彼女なりの結論を得ようとしたということだろう。
 妻はいった。
「私は何もいわなくなった彼女にはっきりいいました。お気持ちはわかるけれど、私にはこれっぽっちもそんな考えはありません。絶対にお断りします。あの人が何をいったのかわかりませんが、私は絶対に承服しません。たとえどんな条件を出されようが、このことだけは妥協しません。子どもたちのためにも、絶対にありえないことですと」。一息ついで妻はつづけた。「ただし、それでよければ、どうぞあの人との関係をつづけてください。そのことについては、私は我慢しましょう。私は一人で子どもたちを支えていきます。しかし、子どもたちのためにも、絶対に離婚だけはしませんから、どうぞご一緒に、というと、サヤカさんは『突然こんなお電話をして失礼しました』と一方的に電話を切りました。このご返事は、同時にあなたにも申し上げます。私の決意は変わりません。ただ、私はむしろ、このことでサヤカさんが自暴自棄にならないかを心配しています」
 私は完全に打ちのめされていた。サヤカのために何かをいわなければならないと考えたが、妻にはかける言葉はなかった。「心配かけてすまない。よく考えてみるよ」と私は苦しさを紛らわすかのように、ようやくそういった。妻は一歩も引き下がらなかった。
「よく考えてどうするのですか。あなたがどのように私を説得なさろうと、サヤカさんには申しわけないけど、私は妥協しません。サヤカさんもサヤカさんです。あなたが家庭を持っているということを承知でおつき合いを始めたのでしょ? そしていまになって、あなたが欲しい、結婚させてくれとは虫がよすぎます。お気の毒とは思いますが、私にいわせていたければ、勝手すぎませんか。妻子持ちとつき合うなら、そんな話は持ち出さない、というのが世間のルールではないのでしょうか。もちろん、今回の責任は、すべてあなたにあります。向こうが承知だからといって、手を出す男の人も男の人です。話がこじればこうなることはわかっていたでしょうに。ただの遊びなら許されることかもしれませんが、彼女がそう思うようになった大きな責任はあなたにあるのですよ。そういった面で、彼女がかわいそうです。要するに彼女はあなたにうまく遊ばれ、利用され、期待を裏切られた、ということではないんですか。すべてはあなたの責任です。私にはあなたを助けるどのような手立てもありません。離婚も絶対にしません。そのうえで、サヤカさんとの仲をどうするのか、今回のことでどうなさるのか、あなた以外には誰も口添えなどできませよ。ご自分がまいた種です。どう刈り取るのか、私には興味もありません」
 妻は一気にそんなことをまくし立てた。ただ妻は、私のグラスが空になっていることに気づいたのか、新たに酒を入れて私の前に置いた。私はそのグラスに手が出なかった。しばらく沈黙がつづいた。柱時計が夕刻の四時を告げた。
 妻がつぶやくようにいった。
「もし、おばあさまがこのことを知られたとしたら、一体どのようにおっしゃられたでしょうね」
私は妻の顔を見た。同時に妻と祖母が初めてあった日のことが浮かんだ。あの日、祖母は妻に私の母親のことを伝えた。妻はこれまで、そのことをどれほど意識してきたかわからないが、その思いを抱いたのは今回だけではないだろう。母を恋しく思うことと、女性と性的な付き合いをつづけるということは明らかに違う。だが、果たして、私にとってどれほどの差があったのか。つき合いのあった女性は決して母親代わりではなかった。だが私の内部のどこかで、だから許されるという勝手な思いはなかったろうか。おそらく妻は、そのあたりを攻めているのだろう。私はこう答えるしかなかった。
「前に話したことがあったと思うが、祖母たちに徹底的に母のことを隠しつづけられることで、私の母親恋し増したこともあったと思う。もしかして、もっとフランクに母親のことをみんなが話してくれていたら、もう少しマシな男になっていたのかしれない」
 妻は冷ややかな目で私を見た。
「ごめんなさい。おばあさまのことを持ち出して。あなたにそんなことを話させるつもりはなかったのに、ごめんなさい。」
 妻は涙をぬぐった。そして改めて私を視た。
「私はあなたより確かに年上だけど、結婚以来、私はあなたの母親を意識したことはありませんでした。確かにそのことでおばぁさまからお聞きしましたが、実際にあなたと暮らし始めたときも、正式に結婚してからも、私はそのことをそれほど意識したことはありません。現実に、あなたも私にそんなことをお求めになったことはないでしょう。これまで少なからずの女性とおつき合いなさったことでしょうが、相手はあくまでも女性としてであって、決して母親を求めていたわけではないでしょうに」
 妻のいう通りだった。私は打ちのめされた思いだった。私は彼女が私より年上であることを改めて実感させられた思いだった。
「帰る」と私はかろうじていった。
 妻はただ「そうですか」とだけいって、自室にこもった。しばらくしてその部屋から、彼女のすすり泣きが聞こえた。私はそれを確かめるべくもなく、静かに玄関を出た。
 
 事務所に帰って帰ってから、私はサヤカからの連絡を待った。が、この一週間、サヤカから連絡はなかった。妻への電話の一件を聞いたいまとなっては、それはあり得ない期待だった。さらに二日たったが、サヤカと連絡は取れなかった。私から一、二度、会社にも電話したが、いつも留守ということだった。
 そんな日の日曜日だった。日曜日の午前中なら、サヤカは部屋にいるだろうという思いもあった。新宿駅で別れ際にサヤカがいった言葉も気になっていた。私はオートバイを駆り、まっすぐに池袋近くにあるサヤカのアパートを目差した。
 アパートの見える路地に入り、いるかどうかを確かめるつもりでそのベランダを見た。そして、慌てて五〇メートルほど手前でオートバイを停めた。二階の彼女の部屋のベランダに若い男が立ってタバコを吸っていたのだ。男はベランダの手すりに体を預け、物珍しそうに周囲の様子を眺めている。男の顔には見覚えがあった。彼はサヤカの同僚だった。何人か一緒の席でサヤカに紹介されたことがある。そのときの私は、サヤカとつき合いがあった恩師の担当編集者として紹介された。サヤカと私の関係が深まる前に、もう一度二度会ったような気がするが、彼の存在は私の記憶からは消失されていた。その彼が、どうしてこんな時間にサヤカの部屋にいるのか、そう思うだけで私の胸は高鳴った。彼はベランダから私を一瞥したが、ヘルメットにサングラス姿の私を気に止めるでもなく、すぐに眼を放し、相変わらず周囲を見渡している。もしそれがサヤカなら、一瞬にして気づいただろう。サヤカは私のオートバイを見慣れているし、ヘルメット姿にもすぐ気づいたことだろう。私はポケットから煙草を出して火をつけた。彼の眼にそのしぐさが入ったのか、彼はもう一度ちらっと私を見たが、これといって不振さを抱いているという様子もなかった。ちょうどそのときベランダへの引き戸がわずかに開き、男は手にしていた煙草を簡易灰皿で慌てて消し、部屋に戻った。サヤカに呼ばれたに違いない。男のベランダでの仕草からして、男が初めてサヤカの部屋を訪れたことは想像できた。そんな様子からしても、男とサヤカの関係は容易に想像できた。私が疑う余地はなかった。サヤカは私でさえ、ベランダに立つことを嫌った。女性の一人暮らしの部屋に男の姿があること、大家の家が近所であることを警戒してのことだった。
 私の思い通りなら、サヤカの大胆な行動は予想すらできないことだ。私はサヤカの望みをこれまで受け入れないできた。その努力さえしてあまりこなかったといっていい。非は全面的に私にある。としても、サヤカのこの急な行為は、普段の彼女からは理解できないことだった。私はタバコの火を消し、もと来た道にオートバイの方向を代えてエンジンを吹かした。
 サヤカに対する怒りはなかった。その男とサヤカの関係がどうであれ、私に何がいえただろうか。それでも平気でいられたわけではない。夕刻になって私はサヤカに電話した。が、サヤカは電話には出なかった。私は思い切って再び出かけることにした。まだ男がいるかもしれないという思いがあったが、それはそれで仕方ない。私は再び、オートバイに跨った。
 アパートの部屋に明かりが灯いているのに、サヤカは留守だった。私はアパートの玄関脇でサヤカを待った。三十分ほどしてサヤカらしいヒールの音が背後に迫った。どこか、買い物にでも出ていたのか、服装は普段着だった。手にはコンビニの袋がぶら下がっている。ヒールの音は私の近くで一旦止み、今度は駆け足で私のそばを駆け抜けた。薄暗い中にたたずんでいるのが私であることに気づいたに違いなかった。私はゆっくりとサヤカの後を追い、サヤカの部屋の前に立った。とっくに部屋に入っていると思われたが、部屋からは物音一つしなかった。しばらく様子を見たが、なかなか返答がない。明かりさえも消しているようだった。私はサヤカの部屋のチャイムを鳴らした。少し間をおいて、灯がともされ、サヤカが顔を出した。その顔には戸惑いとともに、なんらかの開き直りといった表情が同居していた。サヤカが出てきた部屋の引き戸は開かれたままで、まだひきっぱなしの夜具が見えた。玄関先には男物の革靴まであった。それを見た私にサヤカが気づいたかどうかはわからないが、サヤカは私が部屋に一歩踏み入るのを妨げるようにしてドアの外に出てきた。「誰か来ているのか」と私は小声でささやくようにいった。サヤカはそれには答えなかった。
「悪いけど、今日は帰って。私、急用ができたの。明日大事な用があって福島に帰るわ。その準備もあるの。もし、時間があれば、一度あなたのところに寄るわ。これからその準備もあってあまり時間がないの。話は明日にしてくれる」
 サヤカは小声でそういった。その顔にはいつもは見せない苦悶の色が浮かんでいた。私はそんなサヤカをいぶかったが、「そうか」といい、さらに「電話があったことを聞いたよ」とつけ加えた。が、サヤカはそのことには何も答えなかった。私は黙ったまま、部屋の前でサヤカと別れてアパートを出た。この一連のサヤカの態度は明らかにいままでにないものだった。私が拒絶された初めての体験だった。まだ敷かれたままだった夜具に、私は朝ベランダに立っていた男を想像した。
 その夜、当然ながら、私はなかなか寝つかれなかった。切れ切れに妻の言葉が思い出され、これまでのサヤカの言葉も思い出された。二人の顔は暗く沈んでおり、私はそのたびに、ウィスキーを口に運んだ。眠ろうとしたが、酒の勢いを借りても、睡魔は容易にやってこなかった。やがて訪れた眠りの中で、私は瀬戸内海の海にいた。なぜか、その海は干上がり、街の海岸から向かいの島までは徒歩でいけそうだった。海岸や船から見る海底の様子は明らかに違っていた。干上がった海底には大小の岩が散乱していた。暗い海底のそれらの岩石は私の行く先を何度も阻んだ。私は夢の中で、これは私が子どものころによく見た夢だと思った。薄暗い岩陰のあちこちに、かつて釣りをしていたときに岩に釣り糸が引っ掛かり、やむなく切断するしかなかったその糸を見つけた。周りをよく見ると、釣り糸はあちこちに絡まっていた。夢の中で私はそんな糸を一本一本丹念に拾っていた。中には魚がかかったままの糸もあった。その魚が死んでいるのか、まだ生きているのか判断できなかった。どうしたことか、いくら歩いても、対岸の島にはつかなかった。私は夢の中で焦っていた。再びいつ潮が満ちてくるかもしれなかった。が、行けどもいけども対岸にあったはずの島にはたどり着かない。子どものころ、もしこの海の潮がすべてなくなったら、海底はどうなっているのかをたびたび夢想していた。そのせいか、潮の引いた海底を歩く夢もまたたびたび見た。またそのころの夢には、幼いときにフサからきいた海坊主が出てくることを夢の中でも恐れていた。だが、幸か不幸か、夢の中では一度も海坊主は現れなかった。が、どこかに隠れている気配はいつも感じていた。そんな夢も、年を経るにしたがって見ることはなくなっていたのに、何十年ぶりに同じような夢を見たのか、ふと目覚めた私は寝汗を拭いながらそう思った。まだ夜は明けていなかった。私は夜の闇の中で、しばらくの間、じっと暗がりを見つめていた。その日の長い夜は、まだなかなか明けそうになかった。
 翌朝早く、チャイムが鳴った。「宅急便です」と声がした。ときおり、仕事先の出版社から、資料を詰めた宅急便が届くことはあったが、そんな予定もなかった。私はドアを開けた。段ボールが二個、手押し車に積まれていた。配達人は、手際よく、玄関と併設されているキッチンの床に、その二つを積み重ねた。受取証に印鑑を押そうとして、その差出人がサヤカからのものであることに気づいた。サヤカの丸みを帯びた文字が私の目の中で踊った。一瞬「あれッ」と思ったものの私は中身が何であるのかを察していた。段ボールの封を切ると、果たして私の予想通りのものが詰まっていた。その中には、私がサヤカの部屋に泊まるために置いていた歯ブラシ、着替え、仕事の道具、何冊かの本など、置いたままにしていた日用品だった。中には、こんなものまでサヤカのところに置いていたのかと、すっかり忘れていたものまで、整然と詰め込まれていた。まだパソコンが普及する前の、いまは使うことがない古い卓上ワープロまで入っていた。何かの折に捨ててくれとサヤカに頼んでいたものだが、どこかにしまっていたのだろう。最近では、仮にサヤカの部屋で仕事をするにしても、私が常時持ち歩いていたノートパソコンを使っていた。サヤカの部屋にときおり泊まるようになって五年、そのわずかで長かった歴史がその古いワープロに見え隠れしていた。これらの品は一体いつこの箱に片づけられたのだろうか。恐らく、あの彼を部屋に入れるまでにすべてが処理されていたのだろう。私はそれらの品々を眺めながら、改めてサヤカの決意を知った。妻に電話したのも、私との承諾を得るというよりも、自分としての決着をつけようとしたのだと思った。
 もう私の前に現れることはないと思っていたそのサヤカが、お昼近くになってやってきた。ドアを開け、私はサヤカを招き入れた。玄関にはサヤカから送られてきた宅配便が封を切ったまま積み重なっていた。サヤカはその荷をちらっと見た。「まあ、上れよ」と私はいった。が、サヤカは頭を振った。
「急いでいるのですぐ失礼するわ」そういってじっと私を視た。その眼に見るみるうちに涙がにじんだ。
「私、結婚することにしたの。今日はその彼と上野で待ち合わせ、福島に一緒に行って、両親に合わせるの」
 サヤカは眼を伏せ、手の甲で涙を拭った。
「多分、もう知っているでしょうが、奥様に電話してしまいました。奥様には悪いことしたと思っています。奥様は少しも何も悪くはないのに、とんだとばっちりだったでしょう。でも、奥様には申しわけないことをしたけど、おかげで私はあなたのことをきっぱりと、形をつける気になりました。ありがとう、楽しい数年でした。私はいつまでも忘れないことでしょう。長い間ありがとう。それから荷物の中で足りないものがあったら連絡してください。多分全部あると思うけれど……」
 サヤカは静かに頭を下げた。ドアを閉めながらサヤカがいった。「あなたを嫌いになったわけではないのよ。いまでも好きです。でも。これ以上はどうしようもないの……ありがとう。ごきげんよう」。
 やがて静かにドアが閉まった。「そうか、結婚するのか」と私は声に出して呟いた。その声が、サヤカに届いたかどうかはわからない。聞き覚えのあるヒールの音が遠ざかって行く。そのサヤカを追いかけようとして、私はいったんサンダルに足をかけ、ドアノブに手を触れたが、それ以上は足が出なかった。追いかけたところで、私に何がいえただろうか。やがて私の耳に、エレベーターのドアの開く音が聞こえ、すぐに閉じる音が響いた。私はドアを開いて一、二歩廊下に出た。が、その足は動かなかった。
私の前に、暗い海の海底が広がっていた。そのとてつもない暗い、潮の干した海に私は宝物をなくしたような気がした。その宝物は、海底ですでに光を失っていた。それをどう探そうが、決して再び私の手に戻ることはないだろう。私は部屋に帰り、じっと段ボールの箱を見つめた。その中には、五年に及ぶサヤカとの思い出が詰まっていた。中から、本など、いくつかのものを取り出すと、私はその中身をゴミ袋に詰め、階下のごみ箱に捨てた。このごみも、いつかあの暗黒の海の海底に埋没することだろう。私はゴミ箱のふたを閉めながらそう思った。
 私は部屋に帰ってからも、ごく自然に、サヤカとの五年を辿ろうとしていた。が、サヤカの影は海底の岩場に隠れ、再び出てくる気配はなかった。海は暗くなる一方で、私にはもう何も捜しようがないように思われた。(第七章に続く)

*本稿は『ちば文学』第18号(2018年2月末日発行)に掲載されたものに加筆・訂正を加えたものです。現在も連載中ですが、転載を同意してくださった「ちば文学会」に感謝します。なお、本稿は次回第7章にて完結します。
 

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