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村上春樹著「騎士団長殺し」
第1部 顕れるイデア編(上下)
第2部 遷ろうメタファー編(上下)
(新潮文庫全4冊 約1370頁)
「騎士団長殺し」の文庫本が春先に発売されていたので、久しぶりに村上作品の長編を読んでみました。
妻と別居をすることとなった肖像画家の「私」は、友人の父親(著名な日本画家)が入院したため空き家となっているアトリエを借りて住むことになる。
その「私」は画家が屋根裏にしまっておいた「騎士団長殺し」という題の絵を見つける。
村上作品は、82,3年ころから小説を中心に読み続けてきましたが、共通していると思われるファクターは、曖昧な人間(男女)関係、解けない(わからない)テーマ、彷徨と帰還、そして欠かせないのが音楽、オーディオ、車、映画などでしょうか。
本作でよく登場する音楽は、主人公「私」がレコードで聴くリヒアルト・シュトラウスの楽劇「薔薇の騎士」(指揮ショルティ・楽団ウィーン・フィル)など。
読者としての私は、読みながらその世界に浸ってその場で何かを感じるだけでよく、それ以上に作品のテーマは何かとはあまり考えたりはしません。
しかし、最後まで読めばなんとなく落ち着きどころはわかります。
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本
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「湘南」の誕生 増淵敏之著(出版社リットーミュージック)
先月のことですが、散歩で立ち寄った大型書店でたまたま目に触れ、買ってみた本です。
著者は法政大学大学院政策創造研究科教授。
目次を見ると
第1章 第1章 湘南の発祥と範囲
第2章 第2章 湘南の音楽
第3章 第3章 湘南の文学
第4章 第4章 湘南の映像
第5章 第5章 湘南のマンガ、アニメ
第6章 第6章 プリズムの湘南
となっていた。
ざっと興味のあるところを中心に読んでみました。そもそも湘南とはいったいどのあたりのことをいうのかという問題。
この著者が引用していた「Jタウンネット神奈川」というところのアンケート調査では34.4パーセントで1位だったのは、「茅ケ崎・藤沢・鎌倉・逗子・葉山」。2位は「大磯から葉山まで」。
まあ、こだわっているのは地元民と地元出身者だけだと思いますが。
私は、小学生3年の頃からこの地域に住み始めましたが、子供の頃は湘南ということを意識したことはなかったと思います。
個人的には、あえて湘南としてイメージできるのはどこあたりかといえば、やはり茅ケ崎市・藤沢市・鎌倉市・逗子市・葉山町でしょう。茅ケ崎市と藤沢市について、地元民として厳格に言えば、東海道線の海側のエリアに限ると言いたいのです。人気のテラスモール湘南は東海道線の山側にありますが駅に接続していますので妥協しましょう。
高校受験の当時、公立高校の学区があり、私が受験した頃はこの範囲を湘南学区と呼んでいたはず。この学区の公立高校は、茅ケ崎高校、北稜高校(茅ヶ崎市)湘南高校(藤沢市)、藤沢高校(女子高)、鎌倉高校、逗子高校などでした。
湘南の文学
鎌倉には川端康成など著名な作家が多くいましたが、この本の著者は、その中で立原正秋にスペースを多めに使っています。彼は鎌倉愛が強く、鎌倉に住む主人公の作品が多かったからでしょうか。立原は流行作家(本人は芥川賞が欲しかったが、受賞したのは直木賞だった)としてかなり読まれていた人でしたが、1980年に54歳の若さで亡くなりその後次第に忘れられていったという印象があります。私は、立原の死後でしたが、立原の作品(小説・随筆など)をかなり読みました。
湘南の音楽
なぜだか茅ケ崎出身者が多い。今はサザンオールスターズですが、その昔は加山雄三、加瀬邦彦とワイルドワンズ、尾崎紀世彦、ブレッド&バターなど多数います。
しかし「コバルト・アワー」の歌詞に湘南ボーイと横須賀ガールを登場させたユーミンは八王子出身。
湘南の映画
大船(鎌倉市)に松竹大船撮影所があったからだと思いますが、木下恵介や大島渚の自宅は、藤沢市内(辻堂)にありました。
映画としてはよく観に行った東宝の若大将シリーズが湘南のイメージだったような。
忘れられない湘南の映画としては藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」と石川セリの主題歌。
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横光利一「旅愁(上・下)」(岩波文庫)
上下巻合計1141頁の長編小説。
横光の死(1898年-1947年)により未完の作品となっている。
「旅愁」は、戦後の占領軍による検閲でかなりの部分が書き換えられたが(民族主義的な記述部分)、2016年に発売された岩波文庫版は、検閲前のテキストによるものとなっている。
横光の作品は、10代の頃に集英社の日本文学全集の配本として届いた横光利一集の中の「春は馬車に乗って」「機械」などの作品を読んだことがあり懐かしい作家の一人。長編の「旅愁」は読んでみたかった作品だった。
この小説の精神的な軸をなしているのは、西洋対日本、カトリックと古神道。
主人公の矢代は、横光のある部分での分身のような男。
矢代は、ヨーロッパへの遊学中、友人久慈(横光の別の分身ともいえる人物)の元交際相手で遊学中の千鶴子と一緒にチロルに出かけたりして交際するようになる。しかし、古神道に拠って立つ矢代は、結婚相手としてはカトリック信者である彼女とは相容れないものを感じ、一定の距離を置きながらの交際が続く。
この作品が完成していたら、二人の関係はどうなったのだろうか。
当時、横光がヨーロッパを訪れたときには日本から多数の芸術家や作家が留学していた。横光がそこで知り合った芸術家などがこの作品中に登場する人物のモデル(文庫版表紙写真左の岡本太郎は新進気鋭の写真家として)になっているところも面白い。
横光は、当時、「小説の神様」という異名を持っていた。
リズム感のある繊細かつ鋭敏な感覚で散りばめられた文章には魅了された。
これが横光利一のことを新感覚派と呼ぶ理由なのであろう。
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「蠅の王(新訳版)」(ウィリアム・ゴールディング著・早川書房 2017)
「蠅の王」とは、新約聖書に登場する悪魔ベルズブブを指しており、作品中では蠅の群がる豚の生首を蠅の王と形容しているとのこと。
戦時中、少年たちを疎開させるための飛行機が南太平洋の無人島に不時着。少年たちだけの生活が始まる。なかなか救助が来ないため少年たちの間で苛立ちが始まる。
著者のウィリアム・ゴールディングは1983年にノーベル文学賞を受賞している。
作者は「大事なことはただ一つ、まずは物語の中に入って、そこで動き回るという体験をすることだ。その後で、自分の好きな解釈、正しいと思う解釈をすればいい」と述べている。
こんな経験はしたくはないので、考えるのも億劫ですが、仲間と話し合って決めるにしても、個々の命にかかわることなので、多数決で決められるものかどうか。この作品の少年たちも仲間割れすることになるのですが。
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谷崎潤一郎「猫と庄造と二人のおんな」(新潮文庫)
書店で、平積みになった赤い表紙の文庫本が目に留まりました。 谷崎の「猫と庄造と二人のおんな」でした。
この作品は読んだ記憶がなく、手にとって裏表紙の説明を読むと「ニャアとひと声聞くや、たちまち痴態を晒す人間の不思議。愛猫家必読の風刺劇!」と。
私は、愛猫家ではないけれどおもしろそうなので買ってみました。
猫好きの谷崎らしく主人公の猫愛が熱を込めて描かれていて、それがとても滑稽なのです。
主人公はうだつのあがらない感じの男。浮気をして4年ほど暮らした妻とは離婚し、その不倫相手の女性と再婚している。
前妻は今の妻あてに手紙を出し、前妻が飼っていた猫を渡して欲しいと。男は不承不承ながら猫を元妻に渡したものの、10年も一緒に暮らした愛猫のことが忘れられないでいる。そして主人公のとった行動は。
これ、とても面白かったです。
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