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「わたしの言動や、フロントの対応の仕方において、少なからず皆さんに戸惑いや不信感を与えたことを謝りたい。許してください」
激動のオフだった。首の頚椎を痛めていた赤星に球団が引退を勧告。泣く泣くユニホームを脱いだ。マリナーズを退団した城島の入団に押し出される形で、長く虎を支えてきた矢野は野球協約の減額制限を超える、1億4000万円減ダウンの7000万円で契約した。金本は年の頭に「今年は選手たちの力だけで勝ちたい」とコメント。フロントと選手には明らかに溝があった。
前代未聞のオーナー謝罪に驚いたのは球団幹部だった。赤星への引退勧告、矢野への大減俸提示は球団として出した結論だった。赤星が1年現役を伸ばし、万が一、首を痛めるようなけがをした場合、責任を取れるのか。断腸の思いで通告した。矢野の年俸も痛めている右ひじの状態を考慮し、翌年の出場機会を想定してはじき出したものだった。実際8試合に終わり、その年限りで引退した。
球団幹部は「プロの世界、誰もが幸せになれるはずがない。オーナーに謝られてしまうと、球団が間違ったことをしていたような印象を与えてしまう」と苦り切った。
真意は? 坂井オーナーは後日、サンケイスポーツの取材に「赤星のことにしても城島の獲得にしても、球団として考え抜いた末に決めたことだが、その真意がどうも選手に伝わっていないようだった。であれば、あの席で私が謝ればいいと思った」と説明した。球団の説明不足による不協和音を察知し、事態収拾のため、トップが頭を下げた。しかし、球団社長でなく、電鉄のトップであるオーナーが、謝罪する必要があったのか。
02年オフ、桧山がフロントとの感情のもつれからFA宣言した際、星野監督が間に入り、残留にこぎ着けたことがある。真弓監督ら首脳陣に選手とフロントの間に入って取りなすようなリーダーシップはなかった。というよりも球団はここ数年、リーダーの育成そのものを怠っていた。
阪神には2軍監督を経て、1軍に昇格させるという従来の方針があった。90年代では中村勝広、藤田平。岡田彰布は野村政権、星野政権下で2軍監督として経験を積み、昇格に備えた。04年から5年間、指揮を執った岡田政権の間にも後継者づくりを怠り、08年の辞任後、近鉄でヘッドコーチのキャリアしかない真弓監督に急きょオファー。監督未経験者のもろさをこれでもかと露呈し続けた3年間だった。真弓阪神の間に平田2軍監督は退団。後継者育成を忘れていたと言われていても仕方ない。
そもそも真弓続投の基本線は後任不在が理由だった。求心力があり、チームをまとめて引っ張っていく人材がいない。前代未聞のオーナー謝罪は球団の空洞化を象徴した事件だった。(続く)
(紙面から)
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真弓 Tighers ’11
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