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昨オフ、楽天から監督就任のオファーを受けた星野SDは坂井オーナーと会談したが、強い慰留はなかった。坂井オーナーは「星野さんは球界の宝。私たちのエゴで引き留めることはできない」と話した。そのまま退団し、阪神在籍9年でピリオドを打った。
亡くなった久万俊二郎元オーナーに招かれた星野監督は就任2年目の2003年、リーグ優勝。大胆な血の入れ替えを実行し、阪神を改革した。健康面を理由に退任後もオーナー付SDとして、編成、現場に目を配り、後方支援。森田一成らの指名など、ドラフト面でも発言力を持った。特に06年途中に就任した宮崎恒彰前オーナーとは二人三脚で強化に乗り出し、FAでの新井獲得などに尽力した。
だが、宮崎前オーナーが08年5月に退任してから、星野SDの存在感が薄れていった。院政を引いていると考えられることを嫌う星野SDも自ら球団側に歩み寄らず、微妙な溝ができた。球団は闘将が築いてきた外国人ルートなどを活用せず、SDの存在そのものが形骸化していった。球団は星野遺産を認めた上で、球団主導の真弓体制で新しい阪神を作っていくという考え方だった。
編成やチーム方針にほとんど口を挟まない真弓監督は球団としては扱いやすい。ベンチワークの弱さは球団主導で行った城島、小林宏、藤井彰らの大型補強で補えると考えていたフシがあった。
球団の思惑は3年目のシーズンに入って瓦解。新井は打点王トップ、マートンは首位打者と最多安打を争い、平野、鳥谷が打率3割近くを打ち、球児がセーブトップに立つ個人成績を残しながら、ベンチワークの甘さが勝負どころで出て、4位に終わってしまった。
真弓監督は情報発信力がまったくなく、敗戦によるファンの不満を抑えられるようなコメントを残すことはなかった。10月4日からのヤクルト戦(京セラD)は観客が1万8030人。客離れが鮮明になった。2003年以降、球団の上昇ムードは消え、閉塞感でいっぱいになった。
新監督の外部候補として日本ハム・梨田監督が浮上している。この惨状を手腕があり、人気も見込め、メディア対応をそつなくこなす外部監督の手腕で立て直そうと考えているのか。もちろん勝つことがファンを満足させる最優先の条項に変わりないが、監督のクビのすげ替えだけですべてが解消されると考えているなら大間違いだ。
しっかりとしたドラフト戦略、骨太の育成システム、指導者の育成、球団の管理態勢。クライマックスシリーズという球界の大イベントに影響を及ぼしそうな形で勃発した阪神の監督問題。暗黒時代がフラッシュバックするお家騒動を繰り返してはならない。(終わり)
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真弓 Tighers ’11
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