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自分ががこの予備校と絶縁したとき、英語科にTという「こいつはバカだ」と思わずにはいられない事務員が居た。体格が良く、なかなかのハンサムで黙って座っていれば何も分からないのだが、ものを言うと大学は出たものの予備校事務員になるしかなかったことがモロに出るのであった。
名前は失念したが、オランダの中世の画家に、車を付けた板に乗った「いざり」の絵や「百姓女」の絵を描いた画家がいる。この「百姓女」の絵にはそのバカ面が見事に描かれている。このT、笑うとこれと同じバカ面が出るのであった。
アタマの切れが悪いので、ものの言い方がしつこくて仕方がない。二度ほど怒鳴りつけて追い払ったことがある。
社長への文書は日付が2月21日となっている。そして、「本物教務部の設置は急を要します」と書いている。
その3月の間に「4月から教務部が二つに分割されるそうだ」という噂を聞いた。「オレの手紙が効いたのか?」と胸膨らませつつ4月に登校した。
見ると、今まで通りの人員が二つに分けられ、片方に「学校事務」、もう片方に「カリキュラム事務」という名前が付いているだけであった。
しかも、上記のTがカリキュラム事務の方に入っているではないか!! 「嗚呼」 と天を仰いでガックリと膝を突く思いがした。
「はしがき」 に 「お笑いとしかいいようのない一件」 と記したのはこのことである。
おまけに、当然ながらこの二つの 「教務さん」の間に反目感情が生まれた。これまた何ともアホゥなことであった。
証券畠出身のこの社長にはこういった方面のことは全く何も分からないままで、「売上高」を右肩上がりにして行くことに辣腕をふるったのであった。
日本で大金を手にするには「政治屋になるか宗教屋になるか教育屋になること」 だそうだ。
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何度も書くが、 ××予備校の「営業部員」という事務員には各教科に関する専門知識、深い理論、長い教授体験などは何もない。
思考を基づかせるための基盤がないから、考えるということが出来ず、誰にでも思いつく「老婆心」、即ち 『ド素人の衝動』を太陽の如き真実として行動するしかない。
更に、「教育」という己の手には負えないことを出来るとせざるを得ない結果、常時、講師に対して言い抜け・言い逃れをするしかない上、強く迫られるとふてくされた態度で講師を押さえ込んでその場逃れをする。少し役職のランクが上がるとクビをちらつかせて凄み返してくる。
こういうブツが10年・20年と溜まっていくわけで、 末端の腐れが自家養成されている。
社長自身が 「事務の末端が腐れ切っている」 と述べていたが、 この社長、 今で言う難関経済大学を卒業後、 銀行畑に進み、 その後ハデに潰れた一流証券会社Yの副社長まで行った人だそうだ。
「教育」 とは全く無縁だが、金融業と同じセンスで 「教育産業」 の路線拡張をやってきた。
「教務サン」は大学研究室の副手や助手のような「専門職の職員」でなければならないが、 彼にとっての 「教務サン」 は営業部員の先兵隊員でしかなかったようだ。
だから彼に宛てた文書の中に現在の 「教務部」 なるものを二つに分割し 「本物の教務部」 の設置の必要性を説き、 下記のような図表を付けた。
(完全遮断)
←→
『学校事務部』 『本物教務部』
・受付 ・教授法の研究
・連絡事項の通達 ・それに基づくテキスト編纂
・配布物の配布 ・カリキュラム組
・生徒募集の営業活動 ・講師の担当クラスへの振り分け
・パンフの作成 ・講師の評価(含:資質テスト)
など ・新入講師の養成
など
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もう少し 「ほころび」 を書き足そう。例のテキストをまともにやっていたのでは、生徒の学力との差ともあいまって、成績下位クラスでは1学期の末で出席者50%、 10月の初め頃には30%となる。
下位クラスになる程いいかげんな生徒が多く、 「説明なんか聞いてもどうせ分からないから答えだけくれれば暗記しておく」 という態度の者が多い。 数学の授業に出ないでおいて、答えは何ですかと聞きに来てえらく叱られていた者もいた。
予備校講師は人気が生命だ。 人気を取るには 「下ネタ・ヤーさん話・漫談」 をすることだそうだ。
漫談を始めると止まらなくなり、 テキストが全く進まず、 生徒が 「もうワヤですわ」 と言ったりした人気国語講師もいた。
上記のようないいかげんな生徒には、 お宮さんの祭りの餅投げよろしく、 答えをばら撒いてやり、 後は人気集めをしておれば人気は上がるのだろうが、筆者は三つとも何もしなかった。
だから受講生はどんどん減っていった。 これを、 授業内容など見たこともないお偉い 「営業部長」 たちは 「アンタの授業が生徒のニーズに合わない」 というのだ。
そして当然ながら彼らの口から出る言葉はこの「バカの一つ覚え」でしかない。相談に乗る知能力がないわけだ。自分はこういった生徒のニーズに合わす気は毛頭なかった。
無論、 こういう講師は他にも居る。 それで、 出てこなくなる生徒の数は2学期ともなると相当な数になる。
ここまで読まれた方々はこれら生徒がどこに居るのだろうかと心配になられることだろう。しかも、事務員がそれを掴んでいない。
北予備の真似をしてこの予備校でも生徒用のタイムレコーダーを設置した。しかし、登校時と下校時に時刻が打ち込まれておれば出席となる。
だが、玄関ホールが彼らの溜まり場となっていて、朝打刻すると連れ立ってそのままカラオケ・ボックスに行く者が居る。
9時に合わせて出勤する途中でそういう彼らとすれ違ったことがよくあった。
自習室として解放している教室で、スナック菓子片手に、ジュースを飲みながら楽しくキャハハとやるのも逃れ場だ。
晩の高校生クラスの時間帯に、柱の陰で男女生徒がくっつき合っているのを見たという講師もいた。
北予備ではこんなことは絶対に起こり得ない。自習室でキャハハなどということもあり得ない。生徒の感想文の中に「あの自習室の雰囲気のお陰で自分の学力が伸びた」というのが幾つも出てくる。
北予備では、自分に任された生徒の所在は『教務職員』が常時確実に把握している。
一方、××予備校ではクラス担当に、若い主婦をアルバイトで雇ったりしている。預かった生徒に対する責任のもち方が初めから全く違うのだ。
こういったことを色々と比較して、××予備校は貰うものさえ貰ったらその後はほったらかしなのだという感じを強く持った。
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なぜ、従業員がここまで仕上がっていくのか、通算6年も居たがとうとうその原因は分からなかった。これはやはり理事長の自分のやっていることに対する考え方の違いであろう。
ここの理事長はいい酒を作ること一本に全てを掛けて、信念を一切曲げない杜氏なのだ。
だから、教室に入ると理事長自らが教壇のチョークの粉をモップで拭いていることがあった。「ヒェ〜、理事長おん自らがこんなことをなさるのですか!!」 とすっとんきょうな声を発してしまったことがあったが、彼にとってはこれは当たり前のことなんだ。
そして、従業員全体が彼のもとでファミリーをなしている。だから、教壇も廊下もトイレも常時ピッカピカだ。
一方、××予備校の理事長はいつも深々とした椅子に社長然としてドッカと腰掛けているのだろうと思う。彼が回って来る殆んど遣うことの無い特別室は立派だった。官僚のやるムダと同じ発想だ。無論、廊下のモップ掛けなどするよしもなかろう。
ここでは清掃は業者にまかせ、一日に一度の掃除しかしないから、教壇の上などチョークの粉はたまり放題。歩くと足の跡が残った。講師に対する気の使いようもまるで違うわけである。
トイレもいつも薄汚れており、セッケン水を入れる丸いプラスチックの容器は大抵壊れたままで空になっていた。
北予備のトイレは鏡までいつもピカピカで、洗面台には鉢植えの花が置いてある。それも造花でなく本物だ。そして、この花も花びらをちぎったりするいたずらがしてあったりしたことは一度もなかった。おまけに、この花は生徒からのプレゼントであることが多い。
入学してからの生徒の「人間的質の向上」が此れほどに違うのである。
「21世紀の校舎」と謳った北予備の博多駅前の新校舎には社長室然とした部屋はない。理事長は生徒の使うような机に着いて、確か折りたたみのパイプ椅子に座って授業内容をモニターしていた。
こういうことが生徒の質に関わってくる。両予備校の生徒から受ける感じは全く違うものであった。
これは、下校時に校舎から出てくる生徒の表情を見ると歴然と現れている。北予備の生徒は「ここに来て本当に良かった。楽しくてしようがない」といった感じで楽しそうにお喋りをして歩いている。
もう一方の予備校生では灰色の浪人生活に疲れたような鬱々とした表情だ。更には、情報部員としてスパイにも使われるのだ。目つきも悪くなろう。
この頃の生徒はマンガを見て育っている。××予備校では彼ら・彼女らが喜んで生徒が確保できると思ったものか、校舎の壁に保育園の絵のようなものを描いたりもした。
何ともかんとも幼い発想だが、大切なのは抽象的『中身』なのである。
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『北予備は厳しい』は北予備の表看板だが、「厳しい」といっても一時大流行した「地獄の特訓」的な厳しさではない。
根性を鍛えてやるとばかりに、厳寒の中で頭から氷水をぶっかけて、青い竹刀でビシバシと叩くようなことはしない。
「オレがこうやりたいからこうやってるんだ。それが何が悪い」と他人の迷惑など考えようともしない現在では、もう今では見られなくなってしまった戦前の日本人が持っていた美風に染め上げていくのである。
やっていることは何とも田舎っぽいが、今の世の中では、これが逆に新鮮に見える。この指導ができるのは、やはり『教務職員』の人柄による。筆者は彼らを「教育者」として尊敬の念を持っていた。
ウソと言い抜けで膏薬張りをし続ける「営業部員」などにはどう引っくり返ってみても真似出来る芸当ではない。
寮での生活は規律を重んじなければならない。筆者は北予備の寮の質問教室の担当をしたことがある。
寮長は、朝の6時半起床からマイクで全館に指令を発し全寮生を規律正しく動かす。
また寮生には通学生以上に細かい規制があるのだが、寮生は実に伸び伸びとしており、人懐っこく仕上がっていく。
夕方に出勤し自習室を通ると、担当していないクラスの生徒たちまでも「センセ今晩は」と声をかけてくれる。
賄いのおばさん達に会うと「お疲れさまでございます」などと挨拶されてしまい、また寮長の気の使い様が極めて繊細だった上、たった1時間半の質問時間に20人もの質問者が来たこともあったりして、いつもルンルン気分で帰宅した。
北予備では合格した生徒から感想文を書かせたものを3冊の小冊子にして毎年次年度の生徒に配る。北予備の守備範囲だけの区域であろうが、時には一般にも無料配布するから、その広告が新聞に出たら取り寄せて一読するといい。
これは、生徒の直筆の文をコピーしたものだから、講師や事務員が捏造したものは1枚も入っていない。
その中に「寮母さん、寮長さんありがとう」という言葉が頻繁に出てくる。この予備校では、寮母さん・寮長さんまでもが「教育者」なのである。
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