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先月の1月31日に函館駅前にある棒二モリヤデパートが閉店しました。
その分館の棒二アネックスはまだ営業はしているのですが、棒二デパートは函館がまだ北海道の玄関口であった頃、本州と北海道を結んでいた大動脈、青函連絡船が来るのを近くで見守っていた場所でもありました。
棒二アネックスから見た現函館駅舎。 連絡線が動いていた時、ここから旧函館駅舎をバックに、入港や、出港していく連絡船の姿を見る事が出来ました。
昔の乗船口のあった近くにある大橋
その棒二アネックスの書店で売っていた本。
北海道新聞社が出した『海峡の鉄路 青函連絡船』というもので、連絡船が誕生して110年、終航して30周年の昨年に出たものでした。
因みに写真右上は二代目津軽丸、左下は悲劇の洞爺丸です。
津軽丸の左は青森駅のホームから降りた人達、真ん中左は青森桟橋での貨車搬入作業、右は戦後の津軽海峡の風物詩だった担ぎ屋さん、右下は最終便の羊蹄丸の様子です。
裏表紙
洞爺丸級連絡船から下りる乗客達。
現役時代の連絡船での仕事風景。
もう30年以上前・・・・・。
長年、連絡船の入港を見続けた棒二も歴史を閉じ、時代の流れと諸行無常さを感じるのでした・・・・・。 |
青函連絡船
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80年間日本を支えた偉大なる巨船達
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廃止から31年後の函館港の摩周丸を見に、若松桟橋に。
雪の中。
桟橋に佇む
かつて冬の雪舞う中、連絡船は動いていました。
若松桟橋で待機したり、そこから発ちました。
昔は乗船口や、待合室の通路があって、船の全景は見られなかったのですが。
雪の日も、ここから貨車を出し入れし、搬入口付近で働く作業員達の姿もありました。
こういう具合に新たな桟橋が出来て、ここにクルーズ客船などの大型船を横付け・・・なんて工事をしたのですが、あまり経済効果については疑問視されていそうです・・・・・。
左舷後部から
どことなく、「冬の荒れた海を越えて、青森に行きたい・・・」と云ってるようにも思えました。
青森の八甲田丸も、同じ気持ちかも知れませんし、青函連絡船のブルースのようなものを感じました。
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青函連絡船廃止の時と、青函トンネル開業の時を同時に収めたアルバムを発見。
まだ民営化(小泉鈍一朗のバカが#)になる前の30年前のものです。
函館発の最終便となった羊蹄丸。
ハリストス正教会から見た羊蹄丸と、修学旅行生達を運ぶ八甲田丸。
八甲田丸はJRマークに代わり、青森発の最終便でした。
花火大会と連絡船
船は羊蹄丸か、十和田丸の模様。
幼少の時、十和田丸に乗って見たことがあったようなないような・・・・・・。
函館を去る羊蹄丸。
しかし、この後に
こんにちは、トンネルって具合にトンネル紹介・・・・・・。
連絡船を廃止させた忌むべきトンネルなんざ、嬉しくもなんともない・・・・・・。
トンネル紹介
30年後新幹線が通っても、函館は余計に貧乏になってしまいました・・・・・・。
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青函連絡船終航30年目で、貨物連絡船が行き来していた函館有川桟橋の現在を見て来ました。
こちら。
対岸に函館山を望むように、函館市と北斗市(旧上磯町)の境目付近にある、かつては貨物連絡船の発着口だった岸壁でした。
現在は埋め立てられて、港町岸壁として新たに新設され、可動橋も取り払われ、往時の面影を残すのは、レールだけです。
こちらは第一岸壁があったところ。
向かって右から、第一、第二、第三という可動橋を備えた埠頭がありました。
埠頭跡
奧のJRFのコンテナがあったのが旧第三岸壁の位置で、黄色い車両止めがあるところが旧第二岸壁、そして手前のレール部分が旧第一岸壁となります。
現在は青函トンネルや、道内から来る大量の物資を運んだコンテナ車両の置き場になっています。
連絡線が動いていた時は、このような形で貨物連絡船が船尾を付けて、そこから貨車を出し入れするようになっていました。
なお、モデルの船は上は十勝丸、下は日高丸で、昭和59年の有川桟橋廃止に伴って終航となり、姉妹船の石狩丸や桧山丸のような客船改造される事もなく、最後の貨物船となった空知丸のように運用される事もなく、青函航路廃止の前年まで、共に係留された後、日高丸は韓国へ、十勝丸は台湾へスクラップ売却されました。
そして有川はその後、廃止された連絡船が一時係留する場合にも用いられましたが、最後に有川でそのように使われた船は、今函館にある摩周丸でした・・・・・・・。
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青函連絡船記念館摩周丸に展示している故釜谷弘氏の模型紹介。
摩周丸。
津軽丸級第五船です。
1/100スケールです。
光で見づらい
初代摩周丸
昭和23(1948)年にデビューした洞爺丸級連絡船第三船でした。
初代と二代目の比較
タービンエンジン四本煙突の初代と、ディーゼルエンジンでファンネルが一基の二台目との違いがお判りでしょうか?
1/80初代青函連絡船比羅夫丸
明治41年にデビューし、釜谷弘氏最後の作品となり、寄贈されました。
1/100初代十和田丸と八甲田丸
台風で沈んだ洞爺丸の代船となった青函航路初のディーゼル客船と、航路近代化の津軽丸級第二船。
十和田丸は見た目は優美ですが、初のディーゼル船という事で、ディーゼルに慣れていなかった人達にはあまり評判が良くなく、静かなディーゼル船となったのは、津軽丸型になってからでした。
フロント部分も近いデザイン。
1/100二代目津軽丸と、二代目十和田丸
津軽丸は新造時、十和田丸は駐車場とシンボルマークが接地された昭和53年以降の姿。
津軽丸級7隻で唯一フィン・スタビライザーが付いたのが特徴の十和田丸。
前後
航路新時代象徴のクイーンである津軽丸と、事実上最後のクイーンとなった十和田丸。
八甲田丸と摩周丸が三菱重工業神戸で建造されたのと同じに、この二隻はどちらも今は無き浦賀重工業で建造されました。
初代羊蹄丸
展示室の入口にある1/300程の模型
1/100二代目羊蹄丸のカットモデル。
上から客室、食堂、貨車甲板、機関室の順に紹介。
1/100桧山丸
これだけはウォーターーラインで、貨車を積む様子のジオラマ
1/100大雪丸
手前に一杯スイッチがありますが
このスイッチを押すと、船のブロック部位の紹介で、模型が光るという面白いモノです。
という1/100
続いて1/500で
この軍艦色は、第九青函丸。
戦時標準貨物船で、青函航路に来る事無く、昭和20年に回航途中の千葉県勝浦沖で座礁沈没してしまいました。
手前は第六青函丸。
上は石狩丸で、下は洞爺丸台風の犠牲者の第十一青函丸
洞爺丸型連絡船の初代摩周丸と大雪丸で、下は初代渡島丸。
台風後の船尾扉も再現
船舶模型では八甲田丸より豊富ですが、翔鳳丸、第一青函丸、渡島丸がある八甲田丸に比べて・・・というのもあります。
おまけ
1/100と、ペパクラ1/1000
ちっさ!
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