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名鉄の路面電車・岐阜市内線本線(通称:長良線、徹明町〜長良北町3.9km)がなくなってから、はや24年が経ちました。
「長良線」は、繁華街「柳ケ瀬」や伊奈波神社・岐阜公園・岐阜城、鵜飼の乗船場所がある長良橋など岐阜市内の観光スポットを結び、城下町岐阜のおいしいところを縫って走っていた風情ある路線でしたが、惜しくも1988年(昭和63年)5月31日限りをもって廃止されてしまいました。
廃止の理由は御多分に漏れずモータリーゼーションの激化にありましたが、特に空襲を免れ戦前から古い街並みが残る、伊奈波通より先のクランクや細い道路幅(8m)の区間などは、大型車が入線できず長年輸送量の大きなネックとされていました。
結局、この年の7月から開催された「ぎふ中部未来博」のアクセスに支障をきたさないよう、とどめを刺されてしまったわけです。
後年、名鉄は岐阜地区600ボルト線区全廃の決断を下し、岐阜の路面電車は2005年の3月にすべて消え去ってしまいましたが、素晴らしい岐阜の観光地の数々をつないでいたこの市民の「足」を捨て、クルマに依存することを選んでしまった行政の戦略は、岐阜の地盤沈下を結果的に加速させてしまったような気がしてなりません。
今日は、懐かしいこの長良線の記憶を留めるため、知人に譲っていただいた貴重なポジから、1988年5月31日営業最終日と思しき画像をご紹介します。
【↑金華山をバックに公園前−鵜飼屋間を走るモ551電車。道路幅の狭い長良線は、同じ城下町を走る北陸鉄道金沢市内線から来た、車体幅の狭いこの550形しか入線させない運用となっていた。】
【↑終点の長良北町。ご覧のように、岐阜市内線の各停留所には安全地帯がなく、道路上のペイントで囲まれた1区画から乗り降りしていた。】
【↑「謝恩」「無料電車」「ご自由にお乗り下さい」の文字が見える営業最終日の模様。】
【↑新岐阜(現:名鉄岐阜)駅前の様子。後方の「明治村・リトルワールド」の看板が立つ各務原線の新岐阜駅ビルの横には、現在「岐阜ロフト」が建っている。】
【↑車内吊ポスターによる廃止告知】 |
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こんばんは(^^)。
かつては金沢市内でも、このような感じで走っていたんだろうな・・・、と思いながら拝見させていただきました。
モ550形は、平成8年頃に岐阜市内を走っているのを見たことがありますが、結局一度も乗ることなく終わってしまいました。
路面電車が見直されてきている時期であったにもかかわらず、岐阜市は電車よりもクルマを優先する愚策を行いました。
結局公共交通の存続は、自治体によって左右されますね。もし岐阜市の市長が富山市の市長のような方であったなら、このようなことにはならなかったでしょう。
岐阜600V線区の最終日におわかれ乗車をしたのを、いま懐かしく思い出しています。過疎地域を走っているわけでもないこの路線が何で廃線になってしまうのか、いまだに不思議でなりません。
2012/5/31(木) 午後 10:33 [ じゅん ]
通りすがりのおじさんですが、コメントさせていただきます。
この岐阜の街の路面電車は、おじさんの青春の思い出のヒトコマ。
いろいろと懐かしい岐阜の写真に、思わずジ〜ンとしてしまいました。
2年前に約20年ぶりに訪れましたが、路面電車が無くなっていて、ちょっと寂しかったです。
2012/6/16(土) 午前 11:27 [ Ted Yockey ]
じゅんさん、こんばんは。金沢生まれの細面のモ550は、長良橋近くの岐阜の古い街並みに本当によく似合っていましたよ^^。
かつて、元・京都市電の古いチンチン電車が明治村で走ることが決まった時、宣伝とお披露目のために名鉄が岐阜市内線でその電車を走らせたところ、たちまち岐阜市長より「文化都市・岐阜にそんな古い電車を走らせるな!」とクレームがついたそうです。
岐阜は昔からそんな冷たい町だったんですね。
2012/6/19(火) 午後 9:02
Teddyさん、こんばんは。JRも名鉄も、どちらの岐阜の駅前に降り立っても、もうすっかり路面電車の痕跡は消え去ってしまいましたねえ。
私も岐阜は思い出の町で、ジーンときます。
小さいころ名古屋から岐阜市内線に乗って、かつての繁華街・柳ケ瀬の伯母の家によく遊びに行ったので、何もかも寂しくなった岐阜の街を見るとみぞおちの辺りがキュンと切なくなりますよ^^。
2012/6/19(火) 午後 9:09