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とにかく暑い熱い、2018年の平成最後の夏。
8月2日の今日は、名古屋でも39度6分まで気温が上がったとのこと・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
どうしても水辺と緑陰を求めて、貼ってしまいます。
アユ釣りのお父さんに交じって、水に飛び込む子供たちの歓声。
30分おきに現れる時計代わりの赤い電車の吊り掛けモーター、軋むレールの金属音、街では聞かれなくなった鐘の踏切の音。
そして、鼻孔をつく鉄シューの焼ける匂い。
【2001年8月5日・北野畑〜赤石】
【2001年8月5日・北野畑〜赤石】
【2001年7月1日・緑陰の谷汲駅】
【2001年8月15日・陽が陰った夕暮れの北野畑〜赤石】
夏は、もういいかな・・・
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気がついたらいつのまにか梅雨入りしてしまい、しばらく傘が手放せず鬱陶しい毎日が続きます。
節電だ、エコアクションだ、なんだかんだ言っても、うちの会社は「クールビズ」を導入していないので、エアコンの設定温度を28度に保つのはやめてほしいですよ。暑がりなので・・・^^;
さて、夏の声を聴くと思いだすナンバーのなかにも、いろいろあります。
中でも自分は「切な系」アイドルソングが好きなのでこの歌を今日はとりあげて・・・
石川秀美さんの『夏のフォトグラフ』 あっ、永ちゃんのほうじゃありませんから、念のため。
『夏のフォトグラフ』石川秀美
作詞:竜真知子/作曲:小田裕一郎/編曲:入江純 (1984年5月3日発売) 「西城秀樹の妹コンテスト」によって「花の82年組」としてデビューした、千葉県木更津市生まれ、愛知県瀬戸市出身の秀美ちゃんの10枚目のシングル。
夕陽が沈むまでふたり海岸に佇んでいるような、そんな情景が目に浮かぶ・・・・・・いやぁ青春ソングだなあ
あの時代、夏をイメージするアイドルの象徴でもあり、元気ハツラツ・健全な?お色気も魅力的だった彼女ですが、中学3年生の時に聞いたこの「青春ほろにが・切な系」の曲調が自分にはたまりません。
間奏部分に入る「泣きのギター」も、昭和アイドル歌謡のお約束でシビレますね。
セカンドシングル「ゆ・れ・て湘南」とともに、秀美ちゃんの大好きな曲でした。
関係ないけど、以下は当時の「夏のフォトグラフ」。
高校受験のため1984年の夏はあまり出かけておらず、翌1985年8月5日に江ノ島で撮った数枚を。
いや、ただただ湘南の海に憧れてたんですよ、あの頃は(笑)
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タイムマシンに乗って、懐かしい名鉄電車の車両と桜のコラボレーションを。
鮮やかなスカーレットと桜の淡いピンクは、本当に絵になる風景でした。
最近のステンレス車とは、いまいちなじまないんだよねぇ・・・
【名鉄名古屋本線・新川橋〜須ケ口(2000年4月)】
★護岸改修前の堤の見事だった桜並木
【名鉄谷汲線・更地駅(2000年4月)】
★有名だった旧・谷汲線、更地駅の一本桜
【名鉄谷汲線・黒野北口駅(2000年4月)】
★味わい深い、古い電車と桜の老木の組み合わせ |
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名古屋の街に27年ぶりにSLが走ったそうで・・・。
昨日と今日(2月16日・17日)の土日は、あおなみ線のSL運行で盛り上がってたようですね。
名古屋市の河村市長の肝いりイベントで、とにかく沿線はなんかすごい混雑だったみたい、、、、、
でもって、私は風邪でダウンしてたので、今回おとなしく自宅待機orz。
くやしいので、その27年前に名古屋にSLが走った時の1枚を貼ってみる・・・。
【1986年5月5日撮影:国鉄東海道線 名古屋〜熱田間】
写真はまだ金山総合駅がなかった頃のもの。後方に写る跨線橋は、今はなき名鉄金山橋駅のそれでした。
「愛知の鉄道100年フェア」イベントの一環で、武豊線開通100周年記念に走らせた「SL1世紀号」(名古屋〜武豊間運行)の写真ですね。
よく見れば、今回あおなみ線で走ったカマと同じ、C56 160じゃないか・・・!
あの頃はまだのんびりしていた東海道線上にSLが走り、それを歩道橋から優雅に撮影できたんだなあ。今じゃ、警備上の人員配置の問題や、ATSタイプがどうのこうのって、何かと大変ですな。
本日、SLあおなみ号の撮影に参加された人は、とにかくお疲れ様でした・・・。
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あの日と同じ、雨の9月30日。そして日曜日。
早いものであれから11年たちました。
2001年9月30日(日)名鉄谷汲線(11.2km)は75年続いたその役目を終え廃止となりました。
この日、名鉄は谷汲線と同じく赤字にあえぐ不採算線区の揖斐線(黒野〜本揖斐5.6km)、八百津線(7.3km)、竹鼻線(江吉良〜大須6.7km)の4線区を一挙に廃止、そればかりかJR高山本線に乗り入れるディーゼル特急「北アルプス号」さえも廃止するという大合理化策を行っています。
沿線風景が素晴らしく、戦前製の旧型車が活躍していた谷汲線。
私にとって、足繁く通ったこの谷汲線の消滅は、鉄道への写欲を大幅にそがれてしまった一大事でした。
なにか心にぽっかりと大きな穴があいた、2001年10月1日月曜日の記憶がよみがえってきます。
【↑北野畑駅での離合・最終日は夜の終列車までファンで賑わった。(2001年9月30日)】
【↑谷汲駅を発車しようとする上り最終列車。20:58発、黒野行き。(2001年9月30日)】
【↑谷汲駅に張り出された、営業最終日の午前9時台以降の時刻表。(2001年9月30日)】
【↑廃止まで1週間、満員になり発車を待つ谷汲駅の黒野行き電車。(2001年9月23日)】
【↑名残を惜しむ大勢のファンに見守られ谷汲駅に進入するモ510形2連。(2001年9月30日)】
なお、この日の4線区&北アルプス号の廃止は名鉄にとってはよっぽど気持ちが良い整理だったのか、翌日2001年10月1日のダイヤ改正を告げる車内吊りポスターに、『快晴です。10月1日ダイヤ改正』の文字が躍っていたのが、実に印象的でした。
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