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「飛虎將軍」を祀る小廟―鎮安堂
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在朝皇宮保生大帝的管轄範圍內有一間「鎮安堂」,供奉一名二戰的日本軍官。這名軍官被祭祀的原由,可以從官網得知,或是從以下的日本部落格(日本軍人が神として祀られる「飛虎將軍廟」) 記事去了解。再不然,朝皇宮農民曆裡也有一篇專頁報導:
朝皇宮保生大帝の守護範囲内には一軒の小廟「鎮安堂」が鎮座してある、主祭神はなんと二戰の日本軍官でした。この軍官が祀られた由緒について、公式サイトか、日本のブログ(日本軍人が神として祀られる「飛虎將軍廟」)記事からお読めばわかる。または、朝皇宮農民暦にも詔介ぺ-ジがある:
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鎮安堂【飛虎將軍】廟,座落於台南市安南區大安街730號之1。隸屬於海尾朝皇宮管理委員會,建於民國六十年,本廟供奉日本海軍飛行員杉浦茂峰少尉。民國八十二年,由朝皇宮管理委員會提議通過,把原來只佔地四.五坪的祠,改建為廟。由於信徒的鼎力相助,完成為台灣風格的光輝燦煌的造形。
本堂早晚由廟祝點燃七只香煙供奉,並播放日本國歌及海軍進行曲。供桌兩旁豎立中華民國國旗及日本國旗,正殿供奉三尊神像,中間為本尊,左右兩尊為分尊,其中兩座分尊是為應信徒之請,迎奉於家裡供拜的,本堂的主神「飛虎將軍」親自下駕,宣示願隸屬於朝皇宮管轄,之後,管理委員會就積極整理及致力於促進中日文化交流,使日本學術文化界,更加了解我國。
鎮安堂【飛虎將軍】廟は民国六十年(1971)台南市安南區大安街730號之1において鎮座した。海尾朝皇宮管理委員会より管理されて、日本海軍飛行員杉浦茂峰少尉を祭神と祀る。民国八十二年(1993)、朝皇宮管理委員会より決議されて、信者の熱い支援で、本来四.五坪の祠を現在の台湾風の廟に建て替えた。
本堂は早晚、廟祝が七本のたばこを焚て祀って、日本国歌「君が代」と「海ゆかば」を音楽奉納する。神卓の両側に中華民国国旗及び日本国旗を掲げた。正殿には三座の神像が供奉されて、真ん中は本尊、左右二座は分尊(分霊)です。二座の分霊は信者の請求次第に迎えられたり、祭りに出掛けたりする役割です。本堂の主祭神「飛虎將軍」自ら託宣して、朝皇宮保生大帝に属すると宣言した。その後、管理委員会積極的に整理及び我が国を日本学術文化界に理解してもらえるために、中日文化交流に力を入れた。
但我之所以對這間廟特別有印象,是因為大學二年級去明治神宮實習時,指導人員特地安排行程播放了一部錄影帶給我們看,內容就是鎮安堂的拜訪記錄片! 可能是當屆實習生裡有我這名外來者,才特地播放給我們看得吧,內容和神職實習其實一點關係也沒有,同學們大概也都看得莫名其妙 ^^。。。
根據我先生的「民間說法」,在90年代,〈大家樂〉盛行時,這間鎮安堂是求明牌的靈驗廟,由於太過靈驗,引來莊主保生大帝的不滿。畢盡對凡人而言,得偏財者易遭垈,洩漏天數非正神之行為。莊主本想將「飛虎將軍」驅逐,無奈當時的社會賭博風氣盛行,求牌民眾絡繹不絕,只好順勢將他收服,讓他鎮座在境內納為眷屬神。之後便由朝皇宮的管理委員會進行管理,乩童問牌的熱潮才喝止下來。該廟在委員會的推廣下,成為中日文化交流的媒介,雖然平常只是不起眼的小廟。
但し、私はこの「飛虎将軍」に特別印象を特った原因は、大学二年明治神宮へ実習に行た際、指導人員がわざわざビデオ鑑賞をスケ-ジョルに入れた。鑑賞したビデオの内容は鎮安堂の訪問記録映像でした! 多分当回の実習生には私のような外来者がいたから、親切に見せて下さたのかもしれないが、まったく神職実習と関係ない内容でしたので実習生の皆さんもわけわからなかったでしょう ^^。。。
うちの主人の「民間逸話」によると、90年代において、当時「大家樂」(潜り宝くじ、地下ギャボル)流行った時代、この鎮安堂は明牌(当る番号)求めの霊験廟でした、しかも霊験すぎたから、莊主(地元の守護神)保生大帝に不満を持たされた。要するに人間人にとって、偏財を得た者は、災いに会い易いし、また天機を洩れる行為は神としてふざわしくなかった。莊主は本来「飛虎將軍」を駆逐しようとしたが、当時の社会賭博風俗はあまりにも強くて、明牌を求める信者が絶ず状態でした。仕方なく、彼を収服して、境內に鎮座させて、眷属神に納めた。その後朝皇宮の管理委員会より管理が行い、乩童問牌の流行をやっと抑えてきた。当廟は今委員会の推進モドで、中日文化交流の媒介になった、普段あまり目立たない小廟ですけど。

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