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10月のある朝、1組の親子が高い建物の屋上にいた。 その日は雨上りで、重い鈍色の空だった。 「いやぁぁぁっ、いやぁぁぁぁぁーーーーっ!」 幼い少女は、小さな手指が血の気を失い真っ白になる位、 力いっぱいフェンスにしがみついて激しく泣いていた。 「お母さんも一緒なんだから、恐くないでしょ?」 「いやぁっ、恐いっ!いやっ!いやっ!いやぁーーーっ」 「ヒカル、お母さんの言うことが聞けないの?お前だけ生き残るの?」 「いやぁーーーーっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいーーっ!」 「お母さんがこんなに頼んでるのに!」 母は娘をフェンスから引き剥がし、下へ投げ落とそうとしていた----- それは、ヒカルが3歳から4歳になるまで何度か繰り返された。 またある時は、 窓や戸の隙間に目止めを施して完全に締め切った真暗な部屋の中、 ヒカルは布団の中で母に強く羽交い絞めにされたこともあった。 部屋にはガスが引き込まれていた。 「ほら、お母さんが一緒だから恐くないでしょ?」 「ヒカル、いい子ね。一緒に逝 こうね…」 声を出せないように口を押さえられていたのでガスをまともに吸った----- 結局、心 中は未遂に終わったが、ヒカルは深い心の傷を負った。 〔私は、生きていていいのだろうか?〕 誰かに問えば「いいに決まってるじゃない!」という答えが返ってくるであろう。 それでもヒカルの心の中では --- 問〔私はなぜ生きているのか?〕 答〔あの時、死ななかったからだ ---〕 問〔なぜ死ななかったのか?〕 答〔母の頼みを拒絶したからだ ---〕 問〔なぜ拒絶した?〕 答〔---- 私は悪い子なんだ! ----〕 そんな不毛な問答が繰り返されていた。 こんな考えは間違っているのだろう。が、どうしても消せない。 いつもこんな事を考えていては普通の生活が送れない。 だから普段は心の奥底に封印している。 それでも、親子心 中のニュースを聞くとパニックを起こす事がある。 あどけない赤子の顔を見ると、自然に涙があふれてきてしまう事がある。 ヒカルは今でも高い所が苦手だ。 思い出さない・考えない --- これがヒカルに出来る精一杯の対処法だった。 他に何が出来ただろう。 フィードバックが起こってもただ逃げ回るしかなかった。 でも、いつかそのツケが回ってくるのではないかという予感が、 ヒカルを常に不安にさせていた --- 子どもにとっての親の存在は大きい。 それは、「まだ未熟な自分を、自立出来るようになるまで養ってくれる」 …というだけのことではない。 何しろ、この世に自分を誕生させた存在だ。幼子にとっては神にも等しい。 その神が死 ねと言う。お前を生んだのは失敗だったと言う。 そして実際に殺そうとしたのだ。 何度も、何度も。。 普段の母はとても優しかった。 心 中を取りやめてくれた後は、特に甘えさせてくれた。 ヒカルの洋服や身の回りの小物は全て母の手作りだった。 ヒカルは母の愛を信じたかった。 でもまた裏切られる。 いや、幼いヒカルは「裏切られた」とは考えなかった。 自分が悪い子だからだ。ダメな子だからだ。 私はいい子になるのに失敗したんだ。--- 私 が 、 悪 い ん だ --- そう考えていた。 家が貧しい事。父の浮気、暴力。母の孤独---幼すぎたヒカルには知ることが出来なかった。 だから、愛情深い母の行動の原因は自分にあると思い込んでしまったのだ。 死を決意させるほどに母を哀しませた---それはヒカルの心をずたずたに引き裂いた。 ヒカルは3歳で自我に目覚めた。 目覚めを促したのは「絶望」だった。 ヒカルが「私」を意識した時、 目の前の世界は、すでに死んでいた。 (続く) |
残酷な神が支配する
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ある悲しみの話を しようと思う---------
彼女が何処の誰なのか隠さなくてはならないので、私とどこでどう知り合ったのかは記述出来ない。 それを条件に、彼女から彼女の事を記事にする承諾を得た。 彼女は、自身が「救われたい」とか「救ってもらいたい」とかは全く考えていない。 それに、同情や慰めも求めてはいない。 私にその悲しい過去を打ち明ける時も、声を詰まらせる事も無く、 ただ淡々と---静かな微笑さえ浮かべて---話してくれた。 多分、受け手(私)に過剰なショックを与えないよう配慮したのだと思う。 今回のことは、我が子を手にかけるという痛ましい事件を少しでも減らしたいと 彼女が考えたからだ。(あの、二児を餓死させた母親の事件がきっかけだ) 私を信頼してくれた彼女の為に、筆致未熟な私だが、 努力してみようと思う。 私がヒカルに会ったのは22歳の頃。 ほっそりと華奢な手足。長く伸ばした艶のある黒髪。 小柄な体つきだったが、深い物語るような瞳が印象的で、 沢山の人の中に埋もれてしまうタイプではなかった。 ヒカルは私と同い年だったが、初めは1つ2つ年上だと思っていた。 彼女はよくしゃべり、誰とでも明るく接していた。 話は機知に富み、軽いジョークにも「あ、この人、頭が良いな…」と思わせるセンスがあった。 親切で機転が利き、よく動き回る彼女だったが、 少々恥ずかしがり屋なところもあり、皆の先頭に立つ事は避けているようだった。 そんな彼女が深い悲しみの中にいる事を私が知ったのは 随分後のことだった。 ヒカルは泣いていた。 声を漏らさぬよう泣いていた。 でもどうしても涙はあふれ、止める術は無かった。 ヒカルはたまたま公園で出会った赤子を見て泣いたのだ。 近くにいた女の子たちは口々に「かわいい」を言い、 若い母親の許可を得てベビーカーを取り囲んだ。 無垢な赤子の穏やかな表情。母親の幸福そうな笑顔。 それを見てなぜヒカルは泣くのか。なぜ涙を隠すのか。 人が集まり、盛り上っているその場を離れる不自然さを承知していたのだろう。 ゆっくりと集団に背を向けるに留め、こっそりと涙を拭っていた。 「ヒカル、どうしたの?」 「ゴメン。あんまり、幸せそうなんで…」 「???」 「ヘンだよね、泣くなんて。でも私、赤ちゃんを見ると、どうしても……」 私は聞いてはいけない事を聞いてしまったのかも知れないと感じ、 「あー、分かる気がする。私、初めてエレクトリックパレード見た時、泣いちゃったんだ。 すっごく幸せそうだーって思って。この世にこんな世界があるんだっ!って思ってさ」 そう言ってその場を治めようとした。 でもその日のその後のヒカルは笑顔もぎこちなく、言葉少なになってしまった。。 だけど、次に会った時には彼女はいつものヒカルで、その後の日々も平和で…。 そんなことがあったのを私は殆ど忘れつつあった。 彼女が私に本当の事を話す気になったのは、 出会って3年ほど経ったある寒い冬の日だ。 当時TV報道もされた、ある親子心中事件が起ったから。 その事件はこうだ。 ノイローゼになった母親が、自分の7歳と5歳の娘に灯油を掛け火を点けた。 自分も死のうとしたが死にきれず、のた打ち回る娘達を見て叫び声をあげた。 異常を察知した同じAPの住人が駆けつけ火を消し止め、命だけは救われたが、 二人の少女は全身に大火傷を負った。 母親はその後逮捕された。-------と、いうもの。 ヒカルは言った。 「ねぇ、この子供達、助かって良かったと思う?」 私はヒカルの言葉に、すぐには返答が出来なかった。 ------良かったに決まってるじゃない!------- 彼女の目は、そんな単純な答えを押し戻させる力があった。 絶望。 それが、彼女の目の中にあった。 -- 続く -- |
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↑写真はイスタンブール市内。数年前に撮影。 |
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