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			<title>Ｔｕｔｔｉ ｇａｂｂａｔi！</title>
			<description>毒舌の終焉…</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>Ｔｕｔｔｉ ｇａｂｂａｔi！</title>
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			<description>毒舌の終焉…</description>
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			<title>こうして－わたしは誇らかなるヴァルハラの城に火を放つ</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-a5-b4/zarathustrafuji/folder/412244/60/44322960/img_0?1165814169&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　突然ではございますが、当ブログ「Ｔｕｔｔｉ ｇａｂｂａｔｉ！」を終了することにいたしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ごく最近交流をはじめさせていただいた方もありまして、その方たちにとっては「からかい半分だったのか？」という思いかも知れません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし１週間前には、やめるなんてことはまったく考えてもみなかったことなのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　開業に関係すること、それにあと２，３の事情が重なり、２日前に突如決めたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なにとぞ ご容赦ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　毒舌に付き合っていただきました皆さま、お世話になりました。本当にありがとうございました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　お元気で！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　万が一 他で わたしらしきブログを見かけられ、「ふじさんではないですか？」とお尋ねいただく場合には、どうぞ鍵付でお願いします（笑）。&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　↑わたしにとって最初で最後の「（笑）」です（笑）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/44322960.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Dec 2006 14:16:09 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>忘れし管絃の調べとの再会 ～ のちの心にくらぶれば昔はものを思わざりけり。。。</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-a5-b4/zarathustrafuji/folder/412244/56/44122056/img_2?1165227357&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　＜ぴにょ～ん王国＞のユリ・ゲラー３世さんの記事に、「バーンスタイン＆ＮＹＰの名演といえば？」という話がありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしは即座に ドヴォルザーク：「新世界より」が頭に浮かんだのですが、現在 音を持っておらず、また長い間聞いていないので、コメントに書くのを控えました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それは、中学の時に買った２枚組３０００円のＬＰで聞いて、わたしをレニー・ファンにさせた録音なんです（カップリングはチャイコ「悲愴」）。&lt;br /&gt;
　こういうのは ちゃんとＣＤで買いなおしておかないといけないなぁ、などと思ふ…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　次の日 同記事を覗くと、ジョンさんという方が この録音について「昔好きだった」とコメントされているではありませんか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　嬉しい気持ちだったのですが、同時に自分が今聞けない嘆きの気持ちも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　回転数間違ったのか？というような（う～んＬＰ世代…）、超特急の第３楽章がまた聞きたい…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そこで代わりに、去年買ったクレンペラー盤を聞くことにしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これは悠揚迫らぬような遅いテンポで、バーンスタイン盤とは正反対。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかも 大変野趣溢れる演奏。&lt;br /&gt;
　ターリヒとかケルテシュとか、いわゆる本場ものの演奏よりも、よっぽど「民族的」なんじゃないか などと思ったりして、楽しんでいました。（ちなみにわたしはそのふたりの「新世界より」を聞いたことありませんが）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　第１楽章提示部の反復部分。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　あれ！？　　あれれれれ！？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　不思議にも バーンスタインの音が＜鮮明に＞甦るのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　オレ 最近聞いたんとちゃうのん！？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　慌てて オケの棚へ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　やっぱり あった！！！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　おそらく２～３年前に買ってますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　うれしいんですけど、同時に 忘れていたことを嘆かずにはいられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そこで バーンスタイン盤を聞くのをあとにして、持っていることを忘れているものが他にないか、オケの棚を点検することに。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そうして見つかったのが上の写真のＣＤです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　２日にわたって ダダダーッと聞きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊写真下段左は グローフェ管弦楽作品集。Ｆ.スラットキン指揮ハリウッド・ボウルｏ 他。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　懐かしきクイズ番組「アメリカ横断ウルトラ・クイズ」に使われた ふたつの効果音楽が聞きたくて、確かに買いましたなぁ…。&lt;br /&gt;
　ちなみに番組に使われたのは、ミシシッピ組曲の第２曲と第４曲です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「グローフェの音楽は風呂場の壁画」なんて揶揄を見たことがありますが、…言いえて妙ですな！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊下段中央は ホルスト：「惑星」と エルガー：エニグマ変奏曲。&lt;br /&gt;
　＊下段右は シベリウス管弦楽曲集。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　演奏はともに ボールト指揮ロンドンｐｏ（エルガーのみロンドンｓｏ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしは以前 コメント欄で「惑星」は好きでないのでＣＤを持っていない と書きましたが、なんと持ってました！！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　７８年 ボールト最晩年の「惑星」は、今どきの機能的 かつ鮮やかな音で スペクタクルに、あるいは各曲を描写的に描き分けるのではなくて、純音楽的な上品さと 老いの余裕で聞かせますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　力強さに物足りなさもありますし、またポップスにもなった「木星」の中間部では 音吐朗々と歌わなかったりするため 若い人には不向きでしょうけど、オッサンにはちょうどいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊さて上段左は、「くるみ割り人形」抜粋 他　オーマンディ指揮フィラデルフィアｏ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　オーマンディを持っているとは、われながらビックリ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　いやいや、実はちゃんと理由があるんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「花のワルツ」の１分半くらいから現れる 弦楽による下降メロディ。&lt;br /&gt;
　この録音では このメロディの繰り返しの部分で、ヴァイオリン部がオクターブ音を上げて弾くんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしはそれを 数年前、「レコード芸術」誌の読者投稿欄で知った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それは聞いてみたい と、中古で探し続け（ちょっとやそっとでは新品を買わないやつ！）、苦節約１年 やっと見つけたものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　でも すーっかり 忘れてました！　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて 今回最もびっくりしたのは、なんと言っても 上段真ん中の ベートーフェン：「パストラーレ」と１２のメヌエットWoO.７より９曲。マタチッチ指揮ローザンヌ室内ｏ　８２年ライヴ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大好きな曲と 興味ある指揮者の組み合わせなのに、なぜか忘れてた！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　６月に書いた「パストラーレ」第２楽章再現部のオーボエについての記事で、持っているＣＤ全部調べたつもりだったんですが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それにしても この演奏、ケッサクです！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　まるでムードのない 無骨で朴訥な演奏なんですが、ヘタウマ絵のような味がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　不器用で愚鈍だけど、心優しい巨人みたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　まさにマタチッチのイメージそのものですね。&lt;br /&gt;
　手刀による指揮ぶりもさることながら、生来のぶきっちょで、靴紐を結べなかったそうですから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　特に第３楽章。原始の時代の 巨人族のダンス大会を想像したりなんかして。&lt;br /&gt;
　地響きのようなコントラバスに、ヘタッピなホルンがまた雰囲気満点。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　原始の巨人たちはそこで踊り足りずに、９つのメヌエットで踊りまくります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　雄渾で逞しく、強弱・緩急を大げさにつけた 冗談のような表現で、まさにスケルツォのよう。&lt;br /&gt;
　例の大先生だったら「命をかけた遊び」と喩えるかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　貴族たちが宮殿内で踊る上品なメヌエットは、大地を踏み鳴らしながら踊る野卑なものに変わっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　特に最後に置かれた第１１番のフォルテの強奏は凄まじく、ピッコロはまるで祭囃子のよう！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ん～～、まいった！！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　マタチッチの隠れたる名演と呼びたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし なぜ わたしは長い間 これを忘れていたのか！　嗚呼…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　上段右は バーンスタインの「新世界より」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　若き日のレニーの、剛毅果断・獅子奮迅の表現は、今聞いても楽しい！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ただし「モルダウ」など余白の曲は 荒さばかりが目立って、いただけませんなぁ…。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/44122056.html</link>
			<pubDate>Mon, 04 Dec 2006 19:15:57 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>アルノンクール＆ＷＰのモーツァルトについての駄文・舞文－－え、アルノンクールって７７歳なの！？ 若いな！</title>
			<description>　ブログの間でも評判となっている アルノンクールの来日公演。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ヴィーンｐとのモーツァルト：最後の３つの交響曲の演奏会の模様がＮＨＫで放映され、貧乏人としては願ったり叶ったり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　いろいろ感じても 感想は書かないでおこうと決めていたのですが …書いてしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　第３９番の第１楽章序奏は、高校生の時 コンセルトヘボウｏとの録音を聞いてぶったまげ、その時の衝撃がいまだに記憶に残っているくらいですが、今回の公演では 同じ行き方ではあるけれども、かなりおとなしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　アルノンクールも年をとったのかな、などとほくそえんだのも束の間、第１主題でズッコケました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なんだ このわざとらしい「溜めのひっかかり」は！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　思わずビデオを一旦止め、ヨーロッパ室内ｏ（ＣＯＥ）との１９９１年ライヴ録音を取り出しましたが（コンセルトヘボウｏとの最初の録音は持っていません）、やはり そんな溜め なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　第４０番第４楽章、展開部への経過句にも多くの方がビックリされたことでしょう。&lt;br /&gt;
　これは録音でもありましたが ずっと控えめでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしは、アルノンクールの指揮した、１９９６年 チューリヒ歌劇場での『フィガロの結婚』を思い出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　以前書いたその視聴記で、わたしはアルノンクールの表現をこう記した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
［「ブッフォ」でストーリーを包んでしまうことを拒否し、ロココ風の愉悦のヴェールを引っ剥がし、歌でもレチタティーヴォでも 故意に流れを止めて 観客の感覚を刺激しながら、生々しい感情を込めた よりリアルな、生臭い人間ドラマとしてこのオペラを描いている。］ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今回の３つの交響曲にも、オペラと器楽曲の違いこそあれ、そうしたものに近い意図を感じました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　とは言え 大きな溜めによるひっかかりは、やはり画蛇添足では？ という疑問の念は拭いがたいのですが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　まぁ ともかく アルノンクールは まだまだ老いてはいない。&lt;br /&gt;
　チャレンジ精神 いまだに旺盛のようですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一方 録音同様のアルノンクール独特の語法も、あのヴィーンｐから、聞かれます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　通常のものとは異なるアーティキュレイション。－例えばレガートでないところをレガートにしてみたり、反対に普段聞かれないようなアクセントをつけてみたり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　あるいは 通常聞かれないようなテンポ設定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それに 上に記したような大きな溜めでなくとも、小さな間を作っての小さなひっかかりは ところどころに聞かれますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　管楽器のヴィヴラートも抑えられている。&lt;br /&gt;
　オーボエが時々 －何と言えばいいのか－ 一種不安定な響きを出すのは、ピリオド楽器を意識しているのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ただし 弦のヴィヴラートは、アルノンクール語法によって必然的に減る以外に、部分的に抑えているところもある、という程度でしょうか。&lt;br /&gt;
　弦のヴィヴラートについて、アルノンクールとオケはどういう話し合いをしたのか、知りたいところです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　とはいえ ともかく、ＣＯＥとの録音のような きつく刺激的な音、乾いた音、一種「汚さ」を感じさせる音。あるいは そうした音の俊敏な立ち上がり、鋭利なリズム、というものは 大きく後退していますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そうしたものを駆使して表わされる、モーツァルトが生きた時代の斬新な音楽、生々しいドラマを持ったモーツァルト という、まさにアルノンクールにしかなしえないような 素晴らしいモーツァルト表現は 薄められてしまっているように感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これは当然 オーケストラの違いでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ヴィーンｐ（特に弦楽）は アルノンクール語法を使っていても、やはり伝統と格式の音、あるいは大ホール用の豊麗な音。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　まるで 名門貴族が下町の訛りを真似ているみたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　だからこそ、アルノンクール・アレルギーに方にとっては より聞きやすい音だったと言えるのかもしれませんが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし、アルノンクールは 短調によって感情が激する部分で 疾風迅雷のパトスを表したいのに対して、ヴィーンｐはそれに充分応えきれていないのではないか、という疑問も わたしは感じたりするのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　若いオケ ＣＯＥの方が、自分のやりたいことを気兼ねなく要求でき、またオケも それに柔軟に、積極的に応じられるのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　恐れずに申し上げるならば、わたしにとっては ＣＯＥとの録音の方が面白い、という結論に達せざるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　もちろん ＴＶからの録画の音と比較しての話ですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　つまり お金を払って その日を楽しみに待ち、みずから聞きに出かけ、生の 一期一会の音を集中して聞く という、音楽を楽しむことの本来あるべき姿 －しかも一生に何度聞けるか分からないような名演奏家の－ という状況での音との比較ではありません。元来 生演奏と録音との比較自体が困難でしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　などと うだうだ考えながらも、第４１番は 本当に素晴らしい演奏でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　奇数楽章での、濃やかな陰影をつけ、また間を巧みに使いながらの、モーツァルトの晩年らしい寂寞感や狂気の表出は ＣＯＥとの録音と同様だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　こうした表現は はたしてアルノンクール以外から聞けるのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そして第４楽章の気韻生動、堂々とした輝かしさ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしは ここで ひょっとすると、３９番・４０番のような画蛇添足があるのではないか、とちょっと不安な気持ちで聞いていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ところが 全くの杞憂でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最後のフーガも圧倒的。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　いやはや 見事、本当に素晴らしい！！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　余談ながら、アルノンクールがヴィーンｐを指揮し始めた頃の話だと思いますので、もう２０～３０年ほど前のことでしょうか、ヴィーンｐの団員が（本来オフレコで）アルノンクールについて語ったという話を聞いたことがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「われわれが何十年もやってきたことを、なぜ変えねばならないのか…」&lt;br /&gt;
　「彼には気をつけなさいよ！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　当時は、格下のヴィーン交響楽団のチェロ奏者だったやつの指揮に従わねばならない という屈辱感もあったようですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　時が経ち、屈辱感は当然 もうないでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかしプライドの高いヴィーンｐのことですから、伝統的な奏法を変えねばならないことの抵抗は 今でもあることでしょうね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊＊＊　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最後に大いに気になったことをひとつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　第１ヴァイオリン部後列に色白（むしろ青白い？）、ブロンドの髪の美女がいた！　まぁ 年はそこそこいってそうですけど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その佳人の正体 どなたかご存知ではありませんか？　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それにしても たったひとりとはいえ、ヴィーンｐに女性がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ヴィーンｐも少しずつ変わっているってことですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　となると ひょっとして、今ではアルノンクールに全幅の信頼を置いている という大きな変化もありえるでしょうか。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/44008399.html</link>
			<pubDate>Thu, 30 Nov 2006 21:43:25 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>コンクール３部作完結編－勝手に賞を与えてみる。受賞者は叫ぶだろう。「賞金か何か出ないのか！」と。</title>
			<description>　とうとう全プログラムを終えた ２００６年浜松国際ピアノコンクール。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大いに楽しめたのは、演奏者の選曲にかなり融通がきき、いろいろ聞けたことが大きかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なのに本選は ちょっとガッカリ。&lt;br /&gt;
　何十曲もの協奏曲から選べるというのに、６人中３人までもがラフマニノフだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　若さには やはりラフマニノフなのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また 一番期待していた人が、ベートーフェンの３番。&lt;br /&gt;
　実は これもわたしあまり好きではないんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　３度の予選でのソロの方が断然面白かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ちゃんと聞いたのは ２次以降を中心に、まぁ半分くらいだと思いますが（曲数でですよ）、それでもいくつか 素晴らしい演奏に出会えました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そこで今回、素人の直感で気に入った演奏をご紹介いたします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＜ふじちゃん賞＞の授与として。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大賞もひとつ選びます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　第１位を取ったアレクセイ・ゴルラッチ（１８歳／ウクライナ）は さすがの才能の持ち主ですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　才気煥発、大胆な表現で訴えかけの強い音楽をする わたし好みのピアニスト。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　３次予選のベートーフェン：ソナタ第２８番などのように、曲によってはそれが裏目に出たりするけれど、ハマると圧倒的な音楽となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ひとつ目の＜ふじちゃん賞＞「優勝納得で賞」は、彼による ２次予選での 徳山美奈子：「ムジカ・ナラ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この曲はこのコンクールのために作曲された新作です。日本のわらべ歌をベースにした美しい曲ですが、後半ジャズ的な音の跳躍で驚かされるユニークな佳曲。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　２次予選の時 １０人くらいによるこの曲を聞きましたが、圧倒的にゴルラッチの演奏が面白かった。&lt;br /&gt;
　彼の才能が端的に 鮮やかに現れた演奏になっていると思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　優勝とともに 日本人作品最優秀演奏賞を受賞したことも むべなるかなという感じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　入賞者披露演奏会でも弾いたということは、彼 この曲を気に入ったということでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ちなみに３次予選のショパン：ソナタ第２番も、第２楽章で大きなミスがあるとはいえ、大胆で個性的な表現が聞ける素晴らしい演奏だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ただ残念なのは、本選で弾いたベートーフェンの協奏曲第３番が 立派な演奏ながら、彼らしい才気があまり感じられなかったこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　３位入賞を果たした 北村朋幹（１５歳／愛知）の 本選でのラヴェル：協奏曲。&lt;br /&gt;
　これにも ＜ふじちゃん賞＞を与えたい。&lt;br /&gt;
　「どんなもんじゃ～い！　ヤマハの音楽教室がコンクールに通用することが証明できてよかった…うぇ～～ん…賞」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　お気づきの方も多いと思いますが、前回の記事で 亀田になぞらえ、その本選進出にしらけ感を感じたのは、彼のことだったんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし 本選の演奏は 別人のように冴えたものでした。&lt;br /&gt;
　ホント その違いにビックリして、感動すら覚えてしまったほど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その変わりようの理由は、この協奏曲が ３次で演奏したような独墺系に必要とされる音楽性とはまた別のところにある、ということが大きいでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この曲は彼一番の得意曲であるに違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さらに このコンクール直前に同じオケでこの曲を演奏しているらしいので、それも大きいでしょうね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　堂々としていて、ノッていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　審査委員長は、強引にでも彼を本選に進ませれば この曲で聴衆の納得する演奏をすることが分かっていたのかもしれない。&lt;br /&gt;
　…穿鑿しすぎですかな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　前回の記事でへっぽこ分析を試みた ディナーラ・ナジャーフォヴァと同様、豊かな才能を持ちながら 惜しくも本選に進めなかった エフゲーニ・チェレパノフ（２２歳／ロシア）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼もナジャーフォヴァと同様、真摯で求心的な音楽をやるピアニストですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼は曲と曲との間（ま）が長い。グッと集中力を高めているのが分かります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１次と３次では制限時間内に予定のプログラムを演奏しきれなかったのですが、特に１次では、演奏制限時間と 集中力を高める時間との戦いが見られます。&lt;br /&gt;
　いや ただ単に ＰＣの前のこちらが、画面に表示されているタイムを見ながらハラハラしてしまうだけなんですけど。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　渋めのプログラムを組むことを考え合わせると、彼は器用な、世渡りの上手なタイプではないようですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし 外に向かってパアッと放射するのではなくて、内的充実を感じさせるような重みのある迫力と、丁寧にじっくりと歌われる抒情。&lt;br /&gt;
　通好みのピアニストといえるかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＜ふじちゃん賞＞「不器用ですから…で賞」は、鬼気迫るような迫力のある２次のリスト：ソナタ…ではなくて、３次のブラームス：４つのバラードにします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼の沈思黙考的な個性を象徴していますので。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼はブラームスの音楽に合っているのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ナジャナジャこと ディナーラ・ナジャーフォヴァ（１７歳／ウクライナ）は、ブログ仲間の間でも人気がありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１次の３曲も素晴らしいのですが、やはり２次のシューマン：交響的練習曲ですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしのような素人には、コンクールの域を超えた充実の演奏のように聞こえます。　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　「苦学生にしては恰幅がいいで賞」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　 これを＜大賞＞に選ぼうと思っていたのですが…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＜ふじちゃん大賞＞は、前々回で紹介した水谷桃子（１５歳／神戸）の１次 リスト：「リゴレット・パラフレーズ」にしますわ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　…顰蹙？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　いや しかし、あの動物的本能を思わせる 直感型の音楽センスは、個性満開だった古い演奏家を愛する者からすると、ホントもう 燦然と輝いて見える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これからも のびのびと音楽をやって、現代の、日本のリリ・クラウス、エリック・ハイドシェックになってもらいたい！（もうアルゲリッチとまでは言わないからね）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さらには、北村君とともに３位に入賞したキム・テヒョン ３次の リスト：『オーベルマンの谷』に、「バイト先の中国人に似てるで賞」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　テクニックとダイナミズム・華やかさが魅力のクレア・ファンチ ３次の プロコフィエフ：トッカータに、「おしゃれなのか判断が難しいで賞」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　シャープな音で直球勝負という感じの ニコライ・サラトフスキー（６位入賞）。&lt;br /&gt;
　彼にも才気煥発さの魅力を感じるのですが、ひとつ選ぶとなると ちと難しい。&lt;br /&gt;
　思い切って１次のベートーフェン：アパッショナータ・ソナタ第１楽章にするかな。&lt;br /&gt;
　「ミスタッチを減らしてほしいで賞」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　他にサーニャ・ビジャクに「セクシーで賞」、イム・ヒョソンに「朝鮮らしい顔芸で賞」、ミ-ヨン・イに「写真詐欺やん！賞」、崎谷明弘に「写真オッサンやん！賞」…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　アカン、また遊びすぎの悪い癖が…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　このストリーミング配信は 今年いっぱい視聴できるそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　所詮は地方のコンクールじゃねえか、なんて先入観を持たれている方、ぜひ いくつか聞いてみてください。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/43946983.html</link>
			<pubDate>Tue, 28 Nov 2006 22:32:12 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>ナジャナジャを惜しみ、亀田を憂う。－ああ、魑魅魍魎・朝蝿暮蚊のコンクールよ！！（ウソです、ウソです）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-a5-b4/zarathustrafuji/folder/412244/79/43812979/img_0?1164348261&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-a5-b4/zarathustrafuji/folder/412244/79/43812979/img_2?1164348261&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　（小笠原、お前もか！&lt;br /&gt;
　「愛」なんて言葉を売り物にして、むやみやたらに振りかざす集団には用心したほうがエエと思うでー　&lt;br /&gt;
　武士道精神がキリスト教に呑み込まれるのを見るようで ちょっと寂しいよ。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしはプロ野球は好きですが、高校野球にはまったく関心がありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ですからタイガースの選手であっても、誰がどこの高校出身かということはあまり知らないんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そのくせ、関西出身かどうかには敏感なんですけどね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて 本題。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたくし 音楽でも、誰がどのコンクールで入賞した などということには疎いんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今までコンクールにはほとんど興味がなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　音楽でも野球でも「プロの芸」を楽しみたいからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし今回、浜松国際ピアノ・コンクールがネットで －しかも無料で－ 見られるということで、夢中になって見聞きしていました。（といっても基本的には「ながら」ですけどね。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　水谷桃子、ディナーラ・ナジャーフォヴァ、エフゲーニ・チェレパノフ、クレア・ファンチ…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　まだ安定感はなくとも、訴えかけのある音楽を持った人がたくさんいるということを知ることができた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それから 演奏される曲目が多彩なことも楽しい！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたし、コンクールって みんな同じ曲を弾くもんだと思ってたんです。…ドシロウトすぎます？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そうそう、それから「悲しい男のサガ」も楽しんだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　えー、好きな順位は、&lt;br /&gt;
　１／サーニャ・ビジャク　　２／カタリーナ・ビリュマン　　３／五島 史誉　　４／ヴァレリア・クチェレンコ&lt;br /&gt;
　５／オレシヤ・トゥトバ　　に 変更させていただきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　サーニャ、セクシーやわぁ！！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これまた 失礼いたしました…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかしなんでヴァレリアの映像だけボケてるの？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それにしても、優勝候補と思っていたナジャーフォヴァが本選に残れなかったのは、本当に残念です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　確かに３次では ショパンが期待はずれだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　とはいえ、１次・２次の彼女の演奏を改めて聞き直してみると、本選に残れなかったことが やはり残念でなりません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　粒立ちのよい透徹した美音。　－弱音による美しい歌は 情緒的であるよりも、冷たい肌触りの透明感を感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　表現の多彩さ。　－音の強弱、伸び縮み、タッチの変化を駆使し、音楽に大きな起伏を与えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　強靭な強音によるマッシヴなダイナミズム。　－エネルギーの凝縮を感じさせるような力感。しかも音にはムラッ気がなく、整然さを保っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　知性を感じさせるパースペクティヴ。　－燃えるような演奏にも 根底には冷静な目があり、音楽の設計がしっかりしている感じ。即興的な要素が皆無に近い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　例えば、観客の「ブラヴァ！」を引き出した、熱狂的なハンガリー狂詩曲の演奏も、緻密な計算と訓練の賜物でしょう。&lt;br /&gt;
　何度弾いても、基本的にはああなるような気がする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　他方、彼女の演奏は決して表情豊かとはいえないような気がします。&lt;br /&gt;
　また音色が色彩的であるわけでなく、華麗な演奏ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　つまり 彼女は、ロシア系の演奏家にしばしば聞かれるような（彼女はウクライナ人ですが）、集中力の高い、求道的な、透徹感のある、そういった音楽性を持っているという気がします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　以上のことは 当然 完成された域にあるわけでなく、ムラがあるんですけど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　３次のショパン：練習曲集は、表情の変化、軽やかな音の飛翔に欠け、やや重く暗く、単調になりがちのように聞こえる。&lt;br /&gt;
　 曲との相性もあって、彼女の苦手な部分が欠点として現れている感じがする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　残念です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　とはいえ 彼女はまだ１７歳ですからね。音楽性の成熟・完成に期待しましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし １７歳とは思えないような大人の演奏です！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　☆稚拙なナジャーフォヴァ評（黔驢之技というやつです）への補足・反論等をお待ちしております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし本選出場者の６人の名を見て 愕然としてしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　３次の演奏を聞いた時、「幼い演奏やなぁ。よく３次に進めたもんだ。ハイ、ひとり消えた！」と感じていた人が、何と残っていたからです。（１次・２次の演奏は聞いていませんでした）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それやったらナジャナジャ選ばんかい！！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　怒りと 虚脱感…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　本選への興味を失ってしまう…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし、思い直しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　誰が優勝でもいいではないか。演奏を楽しめば。演奏者に罪はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　いながらにして ただで聞けるねんから、むしろ感謝せな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼は ひょっとして亀田興毅の心境にあるかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼の演奏も逆に興味深くなってきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊写真は１９６０年、ＮＨＫｓｏとともにロンドン・デビューを果たした時の審査委員長。　曲はショパンの協奏曲。　今も変わらぬ髪型と、そっけない態度、大またでぎこちなく歩く姿が印象的でした。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/43812979.html</link>
			<pubDate>Fri, 24 Nov 2006 15:04:21 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>孤独の中の神の祝福－途中で話をやめてしまうという斬新で大胆なテクニック（？）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-a5-b4/zarathustrafuji/folder/412244/81/43692681/img_1?1164015174&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　このところ ピアノばっかり聞いています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それは らぶちゃまのピアノ演奏を聞いたこと、現在 ネットで 浜松ピアノ・コンクールを聞いていること が当然大きいのですが、それ以前に ＣＤでも、ピアノに手が伸びるようになっているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　というのも、わたしの机のすぐ隣にあるＣＤ棚が、ピアノ、ヴァイオリンなど、楽器別のコーナーなんです（器楽曲の他に協奏曲等を含む）。&lt;br /&gt;
　背の低い横長の棚の、上半分のほとんどがピアノですから、机の前に座ったまま さっと取り出しやすいのは ピアノのＣＤなんですねぇ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しぜんとピアノ中心に聞くような仕組みになっているわけです。&lt;br /&gt;
　いや、当然 たまたまなのですが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　オケもの、オペラ、声楽曲、室内楽曲、バロック以前、NAXOS・ARTE NOVAレーベル、クラシック以外は 隣の部屋なんです。そういえば 以前オケものの棚は写真をご覧いただきましたね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ところで－&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたし 毎週土曜日の夜は、ちょっとしたわけがありまして、柄にもなく 沈んだ気分になりやすいんです。&lt;br /&gt;
　奥さんは仕事に出かけますので、ひとりですし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この間も ぼんやりとした寂しい気分。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そんな時、何か聞こうと 適当に取り出したのが カツァリスによるリスト集でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　曲目も確かめずに かけたのですが、１曲目が『孤独の中の神の祝福』でした。そう、『詩的で宗教的な調べ』の中の１曲ですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　皆さまももうよくご存知だと思いますが、わたくし 反キリスト教ですので、「神の祝福」などというタイトルを見ると 反射的に身構えてしまうのですが、「孤独の中の」とは なんともタイムリーだな と、緊褌一番（？）、じっくりと耳を傾けてみることにしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なんともいえない、満たされたような、静かな充溢感…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　光彩陸離 とまで言うと眩しすぎますが、闇に淡い光がきらめく感じで。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　（正直に申しますと、カツァリスの演奏には、ちょっと不満な部分もあったのですが…。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　おお神よ！　どこから来るのか、わたしを浸すこの平安は－&lt;br /&gt;
　　どこから来るのか、わたしの心に溢れるこの信仰は－&lt;br /&gt;
　　いましがたまで迷い、動揺し、&lt;br /&gt;
　　いかなる風でも起こる懐疑の波にもてあそばれていたこのわたし－&lt;br /&gt;
　　賢者の夢の中の善、真実を求め、&lt;br /&gt;
　　そして雷雨の鳴り響く心のうちの平安を求めたわたしに－&lt;br /&gt;
　　わたしの額の上を何日かがかすめていくやいなや&lt;br /&gt;
　　わたしには思われるのだ&lt;br /&gt;
　　ひとつの世紀、ひとつの世界が過ぎ去ったと－&lt;br /&gt;
　　そして、無限の深遠によってそれらとは分け隔てられて、&lt;br /&gt;
　　新しい人間がわたしのうちに再生し再び始まっていると－&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この曲は、ラマルティーヌという詩人のこんな詩に インスピレイションを受けて書かれたものということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　反キリスト教だからなのか よく分からないところもあって、そうした者からすると いかがわしい内容ということになるのでしょうが、この曲を聞きながら あるいは聞いたあと、この詩の内容に想いを巡らせてみると、それこそ穏やかに、詩人の想い・作曲家の想いを共有できているような気持ちになっている自分がいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「平安を求め」るのは、宗教や思想が異なれど 同じこと。&lt;br /&gt;
　それに 自分に「新しい人間の再生」を思う人も、わたしに限らず、宗教や思想を超えて 決して少なくないでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　とはいえ、求める「善・真実」とは何か ということは、詩人・作曲者と わたしの想いに相違があるでしょう。間違いなく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ということは、詩人の想い・作曲家の想いとは別の形で 「感動」が、わたしの中に再生されたということになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　えー、このあと 続きを長々と書いておりましたが、自分で鬱陶しくなって消してしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　結論だけを書きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　西洋音楽という芸術は、なんと素晴らしいんだ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　…ア、アカン？　飛ばしすぎ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　むしろ、ややこしいこと読まんで済んでよかったでしょ？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/43692681.html</link>
			<pubDate>Mon, 20 Nov 2006 18:32:54 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>コンクールを、素人が家にいながら審査できる時代。そこで天才を発見！ ん？らぶちゃまとの趣味の違い発覚！？</title>
			<description>　＜ピアノの音色に包まれて＞のアンジェラさんに 面白いものを教えてもらいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　現在行われている 第６回浜松国際ピアノコンクールの映像を、ネットで見ることができるんです。&lt;br /&gt;
　&lt;a HREF=&quot;http://www.hipic.jp/index_j.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.hipic.jp/index_j.html&lt;/a&gt;　「ストリーミング配信」をクリックしてみてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしは 最初に映像を少し見てから、仕事のＢＧＭ代わりとして音だけ聞いていました。好きな曲を中心に。&lt;br /&gt;
　と同時に、正直言いますと、女性を中心に聞いていました…。男の悲しいサガとお笑いください（男どもの演奏は２次予選以降聞くことにしまぁす！）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　－中国人（系）と韓国人（系）が多いなぁ。&lt;br /&gt;
　－写真と実際の顔が全然違うなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　－やっぱり若い演奏だなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　のんきに見聞きしていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ところが、水谷桃子嬢の「リゴレット・パラフレーズ」を聞いて、仕事の手を止めざるを得ませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なんとも大胆な表現！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これが１５歳の女の子の演奏！？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　速いテンポを基調として、音楽は大きく伸び縮みする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　クリアで強い音、幅が大きくて鋭いダイナミクス、型にはまらない大胆なアゴーギク。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　フレージングに「呼吸」がない、と感じられることがあります。&lt;br /&gt;
　本来柔らかく歌うところでも 余裕や優雅さには目もくれず、決然と弾きまくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかしそこから生まれる、息詰まるような緊張感たるや！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかもそれは、そうせざるをえないかのようです。&lt;br /&gt;
　考えて弾いているという感じがしない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしは その演奏に、獣の子供が 子供同士でじゃれあったり、狩の練習をしたりするのを思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　恐れとか戸惑いのようなものがなく、本能で弾いているよう。&lt;br /&gt;
　おそらく他の演奏者よりも その傾向は強いでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　演奏中の彼女の表情、あるいは演奏が終わった直後のしぐさにも、そうした彼女のテンペラメントが表れているような気がします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「美しい」演奏を心がけ、結果的に訴えかけるものに乏しくなってしまうピアニストが多い中、桃子嬢の演奏は 荒削りながら、「天才」を感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一方 ハイドンでも、速いテンポでの粒立ちのよい音の弾みが魅力的です。&lt;br /&gt;
　とはいえ 演奏は直線的で、表情の変化、余裕あるユーモアなどは表出されない。&lt;br /&gt;
　…それができていれば、もう一流でしょうけど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「平均律」はさらに幼さが出てしまってるかなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　でもいいではないですか。レパートリーをむやみに広げずとも、その中で感動を与えてくれれば。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　成長するにつれ、恐れを知ったり、あるいは分別くさくなってしまうのではなく、自分の感性を大事にして、自由にのびのびと学び、大家になってもらいたいものです。&lt;br /&gt;
　若き日のアルゲリッチのような！&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼女、１次予選は通過するでしょう。大きなミスもなかったですし。&lt;br /&gt;
　２次予選の演奏もまた楽しみです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　もし１次予選落ちてたら、メールで抗議してやる！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　余談ながら、見た目の好みは 写真では、１日目のミ-ヨン・イ嬢か、４日目の川村友乃嬢、５日目のヴァレリア・クチェレンコ嬢なのですが、実際の映像では、また違うんですよね。&lt;br /&gt;
　かっこいいオレシヤ・トゥトバ嬢か、清純な五島史誉嬢（ともに１日目）、４日目のサーニャ・ビジャク嬢…。&lt;br /&gt;
　いやスレンダーな長身のカタリーナ・ビリュマン嬢（３日目）にしようかな。昔っぽいメガネもいいじゃないですか！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　え、そんなこと誰も聞いてないって！？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これまた失礼いたしました！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最後にもう一言。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　同じ「リゴレット・パラフレーズ」を弾いたエスター・パーク嬢（１日目）も、訴えるものを持った演奏をしますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ただ ベートーフェンの出だしで目立つミスをやらかしてます。&lt;br /&gt;
　これ、採点にどれくらい影響されるのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　合格発表が楽しみです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しばらくこのサイトから目が放せません。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/43572868.html</link>
			<pubDate>Thu, 16 Nov 2006 19:47:01 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>＜ピアニスト・ラプソディ＞らぶ子嬢に、シューベルトのソナタを弾かそう会へのお誘い。。。</title>
			<description>　風が強く、冬のような寒さ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なんでもうこの時期に と、コートを引っ張り出した日曜日、奈良で８組の演奏者による合同演奏会を聞きました。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　とはいえ わたくし 風邪気味で、重い頭、垂れる鼻水と格闘。失礼ながら、前半の４組だけ聞いて帰らざるをえませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　演奏者は女性ばかり（後半の出演者も含めて）。しかもそのほとんどが若い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかしその演奏は硬く、音楽をする喜びや、音楽の表情を感じにくいものでした（十把一絡げで申し訳ないのですけど）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　照れた表情で ぎこちなくなされるお辞儀。&lt;br /&gt;
　観客のこちらまで思わず気恥ずかしくなってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　モシュコフスキ：２つのヴァイオリンとピアノのための組曲（抜粋）などという、存在すら知らなかった佳曲が聞けたり、ピアソラの楽しい「リベルタンゴ」、あるいは わたしの大好きなシューベルトのリート「ガニュメード」が聞けたりしたのはうれしかったのですが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし そんな中にあって、ひとりだけ 光り輝いているピアニストがいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一番最初の演目の、モーツァルト：２台のピアノのためのソナタ ニ長調 Ｋ.４８８（３７５ａ）で、その第一ピアノを弾いた女性。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　彼女はステージに登場する時から、他の演奏者とは違っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　自然な微笑みと、余裕ある立ち振る舞い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　こちらに緊張や羞恥を感じさせることがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼女は演奏中も 顔の表情と体を大きく使っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そしてそのまま、彼女から発せられる音は 生きた表情を持っていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　フレーズは膨らみ、しぼみ、微妙な陰影がついている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　２台のピアノのためのソナタは、モーツァルトとしては 大変ピアニスティックな技巧曲。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一本調子になってしまいがちなのでしょうが、彼女の演奏はそうではありませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　こまねずみのように駆け回る音から湧き上がる愉悦の魅惑を、充分に表現していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その閨秀ピアニストこそ、何を隠そう、＜ピアニスト・ラプソディ＞ らぶ子嬢。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼女のブログ記事は、－読まれたことのある方はご存知でしょうが－ 愉快なだけでなく、大変表情豊かで、そして表現力に富んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　演奏はまさに、そうしたものを感じさせるものだったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　やっぱり出るんですね。そういうものは。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　次の日の彼女からのメールには、「わたしのピアノはどんな作曲家の曲が合っているか」と書かれていたのですが、素人の上、１曲しか聴いていない者には あまりにも質問が重すぎる！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　聞いた演奏でさえ、できることならもう一度聞いて書きたいと思っているくらいなのに。&lt;br /&gt;
　アルゲリッチ－ラビノヴィチのＣＤを聞きながら書いているのですが、らぶちゃまたちはここどうしてたっけ？と首をかしげてしまう部分もあるくらいなのに。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ただ、モーツァルトと相性がいいのは間違いないと思われるので、ショパン－ラフマニノフではなく、モーツァルト、そしてシューベルト、の路線でいっていただきたいところ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　失礼、単に個人的な趣味でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　らぶちゃま、ありがとう！　また聞かせてちょーだい！（１２月以降でね）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/43506474.html</link>
			<pubDate>Tue, 14 Nov 2006 18:08:37 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>内田氏言うところのモーツァルトの「許し」でもって、わが漱石枕流を見逃したもれ。。。</title>
			<description>　前回の記事の最後で、次回は「ディオニュソス的なもの」について書きたいと記したのは　－正直に申しますれば－　わたしが「アイネ・クライネ」についての記述で、その語の意味を拡大解釈して使ったことの漱石枕流（こじつけ）をしようとしていたからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「ディオニュソス的」というのは本来、わたしが使ったような、思わず激情の本心を表してしまうこととは違う、でしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それこそまさに ディオニュソス祭の音楽のように、熱狂・興奮によって 理性や節度の箍（たが）がはずれ、陶酔的なもの（オルガスムにも似た）となるような芸術を指す　－と思われます。&lt;br /&gt;
　たとえば ベートーフェンの交響曲第７番第４楽章や、ラヴェルの「ボレロ」なんて、ディオニュソス的なものを表した音楽と言えるのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なのにわたしは、まず「アポロン的」と書いたことの対比として、収まりがいいので、格好がつくので、強引に使ってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そして 負い目を感じながらも使ってしまった牽強付会を、さらなる強引な牽強付会で理論武装しようとしたのだ。&lt;br /&gt;
　ohime!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかしそれから時間が経ち、いざ記事を書くとなると、素直に非を認める気になりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ともかく 読んでいただいた方、すみません！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　嘘に嘘を重ねることは、決して得にはなりませんよね、役人諸氏。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　反省はこれくらいにいたしまして…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇◇◇&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１１／３、『モーツァルト生誕２５０年目の真実』というＴＶ番組をやっていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたくし、クラシック音楽に縁もゆかりもないタレントをレポーターにしたような番組から得るものはないだろうと、全く見る気はなかったのですが、途中チラッと見たら、…結局最後まで見てしまいました。&lt;br /&gt;
　とはいえ得意の片手間にですけど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　生涯をたどったさまざまな映像を見ていると、モーツァルトという人間が確かに実在した、ということを改めて感じさせられました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　２５０年前、天才が中欧に、確かにいたようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　…当たり前のことなのですが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一方、番組で最も印象的だったのが、内田光子氏のインタビュー場面。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　－笑っていたのに、突然ふと泣き出す。－&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼女はモーツァルトの音楽の特殊な「すごさ」について、わたしがこじつけ記事で書いたことと同様のことを語っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ところが そのあと、モーツァルトのオペラには哲学があると言っていたのにはビックリ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そんなこと感じたことなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　当時の道徳観（進歩的な）を表しているだけだと思っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼女はモーツァルトのオペラには、「許し」がテーマとしてあるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そう言われてみれば…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　－神が人間を許す（『イドメネオ』）&lt;br /&gt;
　－イスラム教の大将がキリスト教徒を許す（『後宮』）&lt;br /&gt;
　－夫の浮気を妻が許す（『フィガロ』）&lt;br /&gt;
　－彼女の浮気を彼氏が許す（『コシ』）&lt;br /&gt;
　－皇帝が部下の裏切りを許す（『ティート帝の慈悲』）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　確かに「許し」がクライマックスを作っているオペラが多いと言えそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　モーツァルトは「許すこと」こそ、人間が最も大切にしなければならないことと考えていて、こうした台本を好んで取り上げたのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　内田氏も同様に考え、それこそ現代に最も欠けているものと言いたいのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし考えてみれば、「許す」という行為は、「善」と「悪」という図式が その両者において、共通の認識のもとにないと成り立たないですよね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　自分が悪いと思っていないドン・ジョヴァンニは、騎士長に許される筋合いはないし、同様に夜の女王もザラストロに許してほしいと思っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　同じく、お互いに自分こそ善だと思っているイスラム教とキリスト教間、日本と北朝鮮間には、一方がもう一方を「許す」という図式にない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ドン・ジョヴァンニや夜の女王は地獄落ちという制裁を加えられたが、そのうちそれらの宗教や国家も同じような目にあうのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし、どちらが制裁を加える側なのだろう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　仮に「許し」こそ時代・地域を越えて大切なもの として、モーツァルトはオペラにそうしたメッセージを込めたのだと仮定しても、そのテーマはあまりに単純すぎて、もうひとつ説得力を持たないような気がするのですが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それよりもやっぱり、オペラのストーリーはどうであれ、モーツァルトの音楽が永遠なのだ、という方がカッコイイなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ご意見をお持ちの方がおられましたらぜひお聞かせください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　われわれは本当のところ、岐阜や奈良や京都のペテン役人やヤクザ役人なんかを許さないといけないのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　モーツァルトも『役人はみんなこうしたもの』というオペラを書いてくれれば、分かりやすかったんですが。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/43319457.html</link>
			<pubDate>Wed, 08 Nov 2006 18:33:19 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		<item>
			<title>モーツァルト晩年の暗く悲しく寂しいもの。なぜ彼はそうしたものを表さなければならなかったのか。…わからん</title>
			<description>　前回 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」第４楽章、第３のロンド（ソナタととれば展開部）で、ディオニュソス的な感情の爆発があると書きましたが、それを言うだけでは片手落ちだと感じるようになりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　第３のロンドに続く第２の挿入部があってこそ、まさしくディオニュソス的なのだ、ということを付け加えさせてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　第２の挿入部に続く第４のロンドはソナタととれば再現部で、長調による明るい調子が戻ります。&lt;br /&gt;
　つまり第２の挿入部は、第３のロンドで荒れた情緒を立て直す役目を果たしています。&lt;br /&gt;
　第１の挿入部の変奏による、ほんの十数秒の部分。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　第１の挿入部も 実は単に明るいだけでなく、暗いものを含んでいる微妙な音楽だと思うのですが、第２の挿入部の最初の部分は 完全に不安げに 手探りのように鳴らされる。&lt;br /&gt;
　精一杯努力して感情を整えているよう。まるで涙をぬぐい、鼻水をすするよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また そのあと、ヴァイオリンによる主旋律は明るい調子に戻るにもかかわらず、コントラバスによるオスティナートの強調があるのも、まるで心の中ではモヤモヤが残っていることを示しているよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この部分があるからこそ一層、第３のロンドでのパトスの爆発が 単に刺激的な短調の音楽とは違って、モーツァルトが思わず激し 心の内をさらけ出してしまったもの －すなわちディオニュソス的なもの－ のように感じるわけであると、前回の記事を書いたあと 気づきました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　わたしが最も愛するモーツァルトは、まさにこうしたモーツァルトなのです。&lt;br /&gt;
　貴族を楽しませる明るい音楽の中に、激情や寂寞感・諦観を込めずにはいられなかったモーツァルト。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「アイネ・クライネ」にそれがあったことに、今の今まで気づかなかったなんて。&lt;br /&gt;
　それこそ 第２の挿入部で気づかなくてはいけなかったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　反省はそれくらいにいたしまして。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　交響曲第４１番ハ長調Ｋ.５５１。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この曲は 以前から時々触れているように、わたしの最も愛する交響曲の中のひとつです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この曲が 他を寄せつけないくらいに素晴らしいと思う理由は、まさにあだ名の「ジュピター」のような輝かしさを第４楽章に持っていながら、「アイネ・クライネ」と同様に、いやそれ以上に「本来は隠したい本心、のようなもの」を含むからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そう、晩年のあれこれの曲と同様、寂寞感や激情・狂気が表されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　以前書いた記事と同様のことを書くことになりますが、わたしは若い頃、この曲の第４楽章以外が 好きではありませんでした。&lt;br /&gt;
　第１楽章は 堂々としているようでいて あまり明るい表情ではなく、しかもすぐ ふと暗い表情になる。&lt;br /&gt;
　また第３楽章の寂しさや、無表情で狂気を感じる木管の合奏。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それが嫌いでした。なぜ徹頭徹尾 明るく輝かしく作ってくれなかったんだと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし 数年前、それこそ モーツァルト晩年にしか創りえないすごさであることに気づきました。&lt;br /&gt;
　陰影とか深みという言葉では片付けられないもの。&lt;br /&gt;
　なんと言ったらいいのでしょう。　…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ともかく途端に 最も愛する音楽のひとつとなった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この曲の偉容や輝かしさを誉めそやす言葉はあちこちで見ることはできますが、そうした寂寞感に言及したものを、わたしは見たことがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それが解せないんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ひょっとして「ジュピター」という、作曲者の死後つけられたあだ名に騙されてしまっているのではないか、などと思ってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　まあ、わたしはあまり本を読まないので、プロの評論にそうした指摘があるのを知らないだけだとは思いますが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　だから わたしは、この曲がよくわからないという意見の方が むしろ共感できるんです。&lt;br /&gt;
　わたしがかつてそうであったという意味においてですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これも以前の記事の反復になりますが、アルノンクール指揮ヨーロッパ室内Ｏの録音には、そうした寂しさが強調されて演奏されています。&lt;br /&gt;
　よろしかったら、聞いてみてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　次回は「ディオニュソス的な音楽」について、わたしが感じていることを書きたいと思っているのですが、書くのはまた１週間後ですので、気が変わってるんだろうなぁ…。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zarathustrafuji/43097596.html</link>
			<pubDate>Wed, 01 Nov 2006 19:15:59 +0900</pubDate>
			<category>その他音楽</category>
		</item>
		</channel>
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