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6月27日付 高知新聞「こえ」ひろばと言う読者の投稿コーナーがあります。その中で「富山冤罪事件」に関する投稿記事がありました。一部を略していますが紹介します。 富山冤罪事件の報道に接して司法の深い病巣を感じています。私達はこの事件の違法な尋問から、裁判の過失責任までの真相究明を求めていく必要があるのではないでしょうか 私自身も民事訴訟を闘ってみて法曹界の住人の法解釈と適用の感性に疑問を抱き法社会学、法哲学を学んでみて気がついたことがあります。 それは、裁判官がご自分の判定に必要がある狭い「判定事実」の世界にしか関心を払わず、法当事者を不在にするため、真相の全容、問題の所在、解決手段の考察は一切ないがしろにされているほう現象です。 ここに法実証主義の盲点が存在し、「不都合な真実」をやみに葬り去る免罪の機構が幅を利かせ、生きて働いていると感じました。 本来なら司法人は憲法体系の規範である自然法の法理と「生きた法」の歴史社会展開に主体的イニシアチブを取るべきではないでしょうか 憲法の要請にのっとって富山地検はこの捜査官を起訴すべきで、富山地裁は自らの審判のあり方を徹底検証し結果を公表する債務が存在すると解します。 そうでなければ私達の平和と安全は脅かされ続けることでしょう 司法人の人間性のある法感覚の目覚めを祈りましょう この記事は高知市在住の女性(43)が実名で投稿したものです。 私が実際に裁判を闘ってわかったことは裁判官 あるいは検察官と私達の法律に関する感覚がまるで違うと言うことです。 なんで こちらの証人はあっさりと無視されるのか? なんで 向うのスリップ痕に疑念を持たないのか? 説明でもあればあればまだしもです。納得できるものではありません。 上の投稿記事のように判決に不都合な真実は闇に葬られるのが実態です。 昨日判決理由文に目を通しました。法廷で読み上げられた内容と違う部分も少なからずあったように思います。 証拠の認定は明らかに公平さと客観性を欠いているとしか思えないのです。 最初に判決ありきつまり禁錮ありきで裁判を進め、その判決に都合のよい証言、証拠は無条件に認定し。そうでないものは無視する。 権力に逆らうものは見せしめのような扱いを受けるのでしょうか こんな裁判官がいたら冤罪はなくなるわけが無い。まさしく恐怖です。
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