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北九州市門司区の部埼(へさき)灯台へ初めて行きました。
この灯台の下の道路横に松明を掲げた白い像が立っていました。
後ろ姿しか見えませんので、海岸に降りて、見上げれば修験者?かと思いましたが、
階段を登り、灯台を見物したときに、説明版と復元された火焚場の様子を見て納得しました。
道路からは後ろ姿しか見えない 僧 清虚(せいきょ)の像
歴史的価値が高い1872年にできた日本灯台50選の部埼(へさき)灯台
詳しい説明が書いてありました。 火焚場の再現
簡単に言えば、 大分の僧 清虚(せいきょ)は、高野山へ船で向かう途中、この海で多くの難破船、
犠牲者が出ることを知って上陸して、山の中腹で、1836年から74歳で亡くなるまで13年間、
航海の安全のため、火を焚いて読経を続けたとのことです。 海岸の像はその清虚でした。
1872年に部埼灯台ができて、火を焚くことは不要となりましたが、何とも素晴らしい話です。
恥ずかしいのですが、北九州に住んでいながら、この話、この灯台の存在を知りませんでした。
この話を早速、知人と食事をしたときに話しました。 話しながら、有名な 稲むらの火 の話を
思い出してこの話も知人にしました。 知人は二つの話とも初めて聞いたと興味なさそうでした。
稲むらの火は、村の高台に住んでいた庄屋が、地震の後、潮が引くのを見て津波を予想して、
自分の田の稲むらに火をつけて、それを見た村人が、消火のために高台に集まったために、
津波の被害から助かったという話で、かつては教科書にもあった津波から命を守る教訓なのです。
まとならない話ですが、自分にとっては知識が増えたり、無知の恥ずかしさを感じた経験でした。
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