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鹿児島市内で、薩英戦争時に使用した天保山砲台跡を見ていると、すぐ横に調所広郷(笑左衛門)の像があり、
意外な出現? に驚きました。 像の下にある碑文を読むと、薩摩藩に対する功績が大にも関わらず、
いまだに名誉が回復されていない・・というような内容でした。 まさに正論です。
大河ドラマなどでも、島津斉彬の敵方のように描かれているので悪役扱いですが、この人が、
薩摩藩の膨大な借金(500万両)をなんだかんだで整理して、200万両という蓄財をしたからこそ、
斉彬、西郷隆盛、大久保利通、要するに薩摩藩が幕末から明治維新以降の活躍となったのでしょう。
司馬遼太郎などの小説では、薩摩藩、長州藩は関ケ原の積年のうらみを果たしたような話ですが、
何よりもこの二藩が、幕府と戦うお金があったことが要因だと思います。
調所が、薩摩藩の膨大な借金を消すために、商人から踏み倒すようなことをしたり、密貿易をしたり、
奄美の農民を苦しめたことも当然あったでしょうが、島津斉彬がその正反対とはまったく思えません。
調所が薩摩藩のために手を汚し、泥をかぶって切腹したということでしょう。
私は、不確かな知識ながら、その子が札幌農学校の校長でその後、県知事などを歴任したと聞いて
いましたので、名誉回復がされていなかったとは驚きでした。 功績は薩摩のベスト5に入るくらいです。
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