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おばんですー。
最近、スキャナーを復活させた勢いで昔の写真をガンガンHDに取り込んでいるZBです。
(※そのうちの1枚が今のトップ画像だったりします。
今後もマメに変えていくと思いますがどうぞ宜しく♪)
さて、そのトップ記事でこなぎさんから「なぜ国外へ?」との問いがあったので、
今回はこの辺をば…。笑
※海外アレルギーの方はスルーなさってください。笑
今から20年前(1989年)と言えば世はまだバブル景気真っ只中。
当時俺は18歳でした。
そのまだ世間を知らない俺の眼から見ると、世の中は完全に狂っているとしか思えない狂乱ぶりでした。
世界中の美術品や高層ビルを日本企業が買い漁り、
大学生のクリスマスデートの平均予算が15万で、
竹やぶに何億ものお金が捨てられていたり、
会社の経費は使い放題で、
ホストみたいなスーツ来たサラリーマンもいれば、
ディスコって場所に行くと、裸に近い姿で羽の生えた扇子をフリフリして踊りまくる姉ちゃんもいて、
俺の近所の不動産屋のおっさんは毎月、
ベンツだ、ジャガーだ、フェラーリだと車を買い換えておりました。苦笑
就職情報誌のテレビCMでは「職業選択の自由〜♪あははん♪」なんていうお気楽な歌が流れ、
3Kと言われるキツくて、汚くて、キケンな仕事は敬遠され、
企業は大学生を獲得するのに必死になっていました。(内定した時点で100万円くれた会社もあったな)
繁華街ではタクシーも捕まらず、一万円を振りかざして強引にタクシーを停めるのが下っ端社員の役目だったとか…。
ね?今から思うとクレイジーな世の中でしょ?
きっと今の10代、20代は信じてくれないかも知れませんが、本当にあったんですよ。
んで、当時の俺は「政治・経済」の先生が
「経済は好況と不況がセットになっている」
と話していたのを思い出し、
『このキ○○イみたいな好況のツケはきっと国が崩壊する程の大不況だぞ』
と危機感…いや、絶望感を抱いていました。
頭の中では、
水やパンを巡って争いが起こる「北斗の拳」や、
ガソリンの奪い合いで殺し合う「マッドマックス」の世界が浮かんでいました。
沈むと分かっていてタイタニックに乗っている…そんな気持ちで焦ってたのを覚えています。
で、当時は大学受験だったんですが、
「日本で生き残るにはこの大学を出るしかねぇ!それが無理なら海外で生きるしかねぇ!
今なら移住者だが、日本が破綻してから脱出したら、それは難民だ。」
と覚悟を決めて受験に挑みまして〜、
木っ端微塵に玉砕!爆
で、「1浪ならさせてやる」という両親に、
「もはや日本に未練なし!」とタンカを切ってしまいました。苦笑
で、「あっちの学校、出てくるわ」と。
そらもぉ、親父から反論がバルカン砲のように浴びせられましたよ。
それも「日本の大学にも受からんバカがどうやって向こうでやっていける?」と言った正論ばかり…。
でも、
「俺がおっさんになる頃には日本は終わってると思う。
こっちのしょーもない学校を出ていても少子化が進んでるからヘタすりゃ母校もなくなってると思う。 いずれ、稼ぐためには海を渡って出稼ぎせにゃならんようになると思う。
海外で就職するには日本の大学じゃ信用がない。
アメリカなら卒業証書を担保に金が借りれる。事業も興せる。
税金をしっかり払えば永住権だって取れる。
仮にアメリカから出る羽目になっても、あの国の大学でてりゃぁ、ヨーロッパでもアジアでも
それなりに評価されると思う。
だから今こそ将来の為に地獄を見なければならんと思う。
『若いうちの苦労は買ってでもしろ』っていうでしょ?」
と、まぁ、こんなやり取りを10日ぐらいやりあいまして、最後に親父が、
「金はどうする?」と現実的な話になったので、
「大学出したと思って金を貸してくれ」と土下座。笑
私大4年分の学費に相当する額の金を借り、
証券会社の口座を作ってもらい…。
それとバイトの掛け持ちをしてひたすら金を集める事に専念して、
2年後、成人式を迎える頃にはそれ相応の額になっていました。
(※お金の話が好きな方がおられるなら、また次の機会にこの話は掘り下げますが?笑)
で、機は熟したという事で海を渡ることにしました。
当時、シカゴを選んだ理由はいくつかあって…
・第二の都市としてビジネスが発展してた(ニューヨークにライバル心満載って所が大阪的♪)
・全米でもこのエリアの英語が一番早口(ここの英語を聞き取れればどんな英語でもついていける)
・気候が厳しい。夏:40度、冬:マイナス40度(故に規模の割りに治安が良い)
・日本人が少ない(ほとんどの留学生は現地で知り合った日本人とばかり遊んでいるのが現実)
と、己の希望に合致している点が多いと判断したからです。笑
で、母校に高校3年間の成績表を英訳してもらい、
銀行に『預金残高証明書』を発行してもらい、
これで願書を添えて申し込み…
2ヵ月後に大学から、
『英語力に不安があるので、英語学校を卒業してからならオッケー』
と、「条件付入学」の許可がおりたので、スーツケースに辞書と着替えを詰め、
胸の中には不安を詰め、
自分の机の引き出しには、もしもの際に備えて両親宛てに「遺言書」を入れて
1991年7月20日、当時まだ国際線があった伊丹空港からアホは旅立ったのでありました。笑
(そしてここからトラブルがドミノのように起こり、4年10ヶ月の珍道中が始まるのでありました。)
うわぁ、ここまで書いてやっと出発まで…。苦笑
この調子で卒業まで書いたら本になるかもしれないですね。
ここまで読んでくれた人、お付き合い頂きありがとうございます。笑
こなぎさん、こんなんで満足してもらえました?
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そう言えばそんな時代ありましたよね(笑)
あの時代でも私は恩恵はほとんど受けませんでしたがよもやここまで落ちぶれるとはあのときは思わなかった人多かったでしょうねw
2010/1/8(金) 午前 1:08
その時代まだ小学生か中学生かくらいだったので、30代前半もバブルを知らないんですよね。。。
ジャパン アズ NO1と言われた時代を。
バイトが出来る年齢になったときには既に不況で、この年になるまでずっと不況が続いているんですが。。。苦笑
明けない夜は無いとか言いますが、実はあるんじゃないかと最近思っています。笑
職業選択の自由あははん♪はリクルートのCMでしたっけ?
それはなんとなく覚えていますわ!
次回楽しみにしています。
2010/1/8(金) 午前 8:03
こんなのタダで読んじゃっていいんですか??(笑)
これまた楽しいシリーズが始まりましたね\(^o^)/
でもあまり無理なさらないでくださいね。
義実家の借金の元凶はこのバブルでした。
素人が銀行や建築業者やらにそそのかされてマンションなんて建てるから…。
私の実家はまったくバブルなんて関係なかったですね。
欲しいおもちゃひとつ買ってもらったことがありません。
ジェニーちゃんが欲しかったんですがバスケさせてやってるでしょう!と(悲)梅桃に買ってあげて自分で遊びます(笑)
2010/1/8(金) 午前 11:11
もちろん!!
早速リクエストに答えていただき ありがとうございます
でもさぁ 18でそんなこと考えるなんて すごいねぇ
偉いのは 2年間お金と情報ためて すでに一人で生きること考えていることですわ
海をわたり(といっても四国ですが)生まれて初めて親元離れて短大へ行った私に比べ 大人だわ〜
バブル時 新入社員だった私 ベースアップはうなぎのぼり
中規模証券会社の友人は最初の冬のボーナスが80万!!
金曜の夜なんて ここみたいな田舎でもタクシーつかまりませ〜ん!!
私たちだって 飲み会は料亭でしたよ(笑)
職場はバブルとは無縁の職種でしたが それでも今とは違ったね〜
狂っていたんですよ やっぱり
続き 待ってまーす
2010/1/8(金) 午後 10:14
WRYさん。
今思うと夢のような時代でしたね。苦笑
製造業の我が家もバブルの恩恵には授かれていませんでしたが、
周りの景気の良さは感じていました。
あの時の羽振りの良さと今の没落っぷりを見るに…
日本って『アリとキリギリス』のキリギリスのようです。苦笑
その童話では最後、ホームレスになったキリギリスは雪の中で行き倒れになって死んじゃうんですが…そうはなって欲しくないですねー。
2010/1/9(土) 午後 6:41
Rさん。
そうですねー、俺(38)がバブルと思っていた時期も実は「終焉期」だったわけで、ピークを過ぎていたんですよね。
俺が大学2年の頃に『バブル崩壊』をアメリカのニュース番組で知りましたから…。汗
Rさんが以前、ご自身のブログで書いておられましたが、
『失われた10年』ってのはもはや『失われた20年』に表現を変えるべきでしょうね。
北欧では一日中空が明るい「白夜」がありますが、
南極なんぞでは一日中暗い「極夜」というのがあるそうな…。
日本も極夜になったみたいだ…。汗
あははん♪は御指摘の通り「リクルート」だと思います。
あの当時は1人あたり10社ぐらいの内定は取れてたそうですよ。
だから誰もがワガママ放題だったんでしょう。
我が業界では日本人が集まらず、外人雇ってるところが沢山ありました。
それを見ていて、当時のピュアな俺は「今度は日本人がこうやって外国で汚れ仕事をする番になるんだな・・・」と悟っておりました。苦笑
続きって・・・需要、あるかな?笑
やるなら本腰いれて書庫増やします。笑
2010/1/9(土) 午後 7:02
コゼットさん。
『シリーズ』って…。笑
いやぁ、実は渡米してから卒業して帰国するまでの4年10ヶ月間、
ず〜っと毎日、日記を書いていまして、実家の押入れには100冊近い大学ノートが眠っております。
渡米前の空港で別れるとき、母親が「今の体験は将来、きっと財産になるのだから全てを記録しておきなさい。私がお金を出すからそれを本にしなさい」と言ったのでね。笑
皆さんの反応を見て、「行ける」と思ったら自費出版でもしましょうかね〜♪
そうそう、バブル当時、しがない鉄工所の実家に銀行員が来ては、
「お金貸しますからマンション建てましょうよ」としつこくお願いにきてました。
あの話に乗っていたら、今頃ZB家はこの世に生存していない事でしょう。汗
信用がない相手に何億もお金をばら撒いた時代です。
今思うと狂ったいたとしか思えないですね。
本来ならばある周期でまた景気が戻ってきても良いのですが、
バカな政治家が自分の財産を増やす事だけに夢中になっていて
その隙に他のアジアの国がちゃっかりチャンスを根こそぎ持っていってますからねぇ…日本が再浮上するのは相当難しいですね。
2010/1/9(土) 午後 7:21
こなぎさん。
お気に召したようで何よりです♪
どうやら「留学シリーズ」としてこの話が続いていきそうな気配。笑
本にするかどうかを占う為にもちょっとずつ書いていこうかな〜
と思ってたりします。笑
天邪鬼な俺ですからね、
多勢と反対の事をやっちまう習性があります。笑
ゆえに景気が良くて皆が浮かれている時は
悪くなった時の事を深刻に考えていました。苦笑
で、その時の悲観論がドンピシャで当たったわけですよ。
お金に関して言うと…親父は一度も小遣いをくれた事がありませんでした。
小学生の頃から、「お金が欲しかったら働け」と、工場の掃除したり、
社員の作業服を洗濯したりしてお駄賃貰ってまして…。
中学からは工場の旋盤まわして金属削ってました。笑
ま、ちょいと変わった家系なんです。爆
5歳年上の兄(42)は当時、社会人1年目にして500万円の車を
キャッシュで買えてました。汗
やはり狂っていたとしか…。苦笑
そんな時代のしっぺ返しが今なんですが…
返済が何年ローンになっているのか神様に聞きたいですね。爆
2010/1/9(土) 午後 7:46
バブルって話しだけで自分はまだ社会に出てなかったんですよね〜
うらやましいというかバブル直後の就職がどんだけしんどかったことやらと
困った記憶が・・・
でもその年齢で海外に目を向けたってすごいわぁ!!
今だったらいきたいって思うんですけどねぇその頃はゲームばっかりしてましたヨ
2010/1/12(火) 午後 1:29
CJZさん。
俺も大学3年辺りで就職氷河期に突入したクチです。苦笑
「たった数年でここまで変わるか!?」と驚愕しましたよ。
俺はどうも悲観主義でして、子供の頃から世界地図を見ては、
「こんなちっちゃい国、いずれはどこかに占領される」と勝手に危機感を抱いておりました。苦笑
「資源を持たず、輸入に頼っている」という社会の先生の教えがベースにあると思うんですけどね。笑
で、爺さんに教わった「ろうそくは消える前が一番明るい」という話をバブルが重なって見えたとき、「脱出」を検討したわけです。笑
今からでも、いや、今だからこそ将来を見据えて「避難経路」を考えておいたほうが良いかもしれませんよー。
まぁ、これが杞憂に終われば何よりですけどね〜、
実際の話、仕事がなくなった町工場のおじちゃん連中がこぞって中国やミャンマーに出稼ぎに行き始めてます。滝汗
う〜ん、コスト重視で海外に進出する企業が多すぎます〜。(T-T)
2010/1/14(木) 午前 1:04