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			<title>天地人文</title>
			<description>本職は中日観光交流ですが、「副職」としては、中日交流史を研究しています。たまには自分の文章を載せるか、或いは、他人の文章を転載します。たたき台として、これを持って道を聞きます。有志の皆様方にご見解をおしえてください。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>天地人文</title>
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			<description>本職は中日観光交流ですが、「副職」としては、中日交流史を研究しています。たまには自分の文章を載せるか、或いは、他人の文章を転載します。たたき台として、これを持って道を聞きます。有志の皆様方にご見解をおしえてください。</description>
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		<item>
			<title>中国式ユーモア</title>
			<description>&lt;div style=&quot;MARGIN:0cm 0cm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot; lang=&quot;JA&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;MARGIN:0cm 0cm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot; lang=&quot;JA&quot;&gt;傲慢だとは言わないで、俺は、獣と一緒に居たくないだけだ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;MARGIN:0cm 0cm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot; lang=&quot;JA&quot;&gt;豚はずっと豚、人間はたまには人間でない。これは豚と人間の区別だ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;MARGIN:0cm 0cm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot; lang=&quot;JA&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot; size=&quot;3&quot;&gt;お前の馬鹿ぶりは本当に創造性に富んで入る。&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/53564140.html</link>
			<pubDate>Wed, 15 May 2013 15:52:36 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>狐仮虎威 故事</title>
			<description>狐が虎につかまり食べられそうになった。狐は「私を食べてはいけません。天帝は私を百獣の長としたのです。それを疑うなら私の後について歩いてみなさい」といわれ、虎が狐の後を歩いて行くと、獣たちは狐の後ろの虎に驚いて逃げてしまい、虎は狐の話を信じてしまったという故事から。 
&lt;div&gt;　　今の世界でも、虎の猛威を借りて、他人、あるいは他国をいじめる現象がいくらでも見られる。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/53448228.html</link>
			<pubDate>Tue, 26 Mar 2013 16:53:38 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>ブルドッグ</title>
			<description>&lt;div align=&quot;center&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-91-f6/zbl200629/folder/9996/33/53260433/img_0?1356503053&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_2033_1492&quot; width=&quot;560&quot; height=&quot;411&quot;/&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/53260433.html</link>
			<pubDate>Wed, 26 Dec 2012 15:24:13 +0900</pubDate>
			<category>火災</category>
		</item>
		<item>
			<title>中国式ユーモア</title>
			<description>&lt;div&gt;蛇と象&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　　蛇は自分の体より大きいものも呑み込めます。ある日、ある縄状の肉のものを見つけ、このくらいの大きさだったら、大丈夫と、噛み付いてたっぷり毒液を注入してから、呑み始めました。しかし、あの縄状の肉は象の尻尾で、毒を注入されても、象のからだがあまり大きいもので、死ぬまでにはいたっていなかった。かえって、蛇はのどが咽んで、最後に呼吸できなくて、死んだ。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/53144896.html</link>
			<pubDate>Mon, 29 Oct 2012 17:25:17 +0900</pubDate>
			<category>政党、団体</category>
		</item>
		<item>
			<title>中国式ユーモア</title>
			<description>&lt;div&gt;蟻の放言&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;蟻の子：父さん、外が大変だ。大山が鳴動しているみたい。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;蟻の父：あわてないで、もう一回外に行って見て。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;蟻の子：父さん、見ました。象が家の近くを通りました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;蟻の父：憎たらしい。もっと近寄ったら、危うく家を壊したものだ。今度着たら、わしはこ六本の足で、象たちをみな踏み殺す。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/53144868.html</link>
			<pubDate>Mon, 29 Oct 2012 17:11:18 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>中国のユーモア物語</title>
			<description>　　カラスと豚（一）&lt;br /&gt;
カラス：  　おい、おまえ、黒いんじゃ。&lt;br /&gt;
豚    ：  　そうやけど、黒くない仲間がいるんや。そっちはどう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　カラスと豚（二）&lt;br /&gt;
カラス：  （スチュワーデスに）おい、おまえ、コーヒーをもってこい。&lt;br /&gt;
豚    ：  （スチュワーデスに）おい、おまえ、この俺にもコーヒーをもってこい。&lt;br /&gt;
　　       それでスチュワーデスさんがいやになって、カラスと豚を飛行機から投げ出した。&lt;br /&gt;
豚    ：　（カラスに）どうしよう、死んじゃうよおー。&lt;br /&gt;
カラス：   こいつは阿呆。おれが飛べるんじゃ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/5210551.html</link>
			<pubDate>Thu, 18 May 2006 15:44:25 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>文章転載ーー「尖閣」列島－－釣魚諸島の史的解明</title>
			<description>「尖閣」列島－－釣魚諸島の史的解明&lt;br /&gt;
　　　　　　井上 　清 Kiyoshi INOUE&lt;br /&gt;
筆者紹介：1913年高知県生まれ。1936年東京大学文学部卒業。京都大学名誉教授であったが、2001年11月23日87歳で逝去された。著書に「条約改正」「日本現代史機疚声０歐掘廖崙椶侶街饉腟繊廖嵒落問題の研究」「日本女性史」「日本の歴史・上中下」等がある。&lt;br /&gt;
この論文は、1972年10月現代評論社から出版された井上清氏の著書『「尖閣」列島－－釣魚諸島の史的解明』が釣魚諸島問題と沖縄の歴史との２部構成であるうち、釣魚諸島問題に関する第１部の全文であり、1996年に著者の同意を得、転載するものです（転載責任＝巽良生1996-10-14）。なお、本論文は、1996年10月10日第三書館から上記と同じ書名で再刊されました。&lt;br /&gt;
Copyright by K. Inoue 1972&lt;br /&gt;
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ &lt;br /&gt;
内容： &lt;br /&gt;
１なぜ釣魚諸島問題を再論するか&lt;br /&gt;
２日本政府などは故意に歴史を無視している &lt;br /&gt;
３釣魚諸島は明の時代から中国領として知られている &lt;br /&gt;
４清代の記録も中国領と確認している &lt;br /&gt;
５日本の先覚者も中国領と明記している &lt;br /&gt;
６「無主地先占の法理」を反駁する &lt;br /&gt;
７琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった&lt;br /&gt;
８いわゆる「尖閣列島」は島名も区域も一定していない&lt;br /&gt;
９天皇制軍国主義の「琉球処分」と釣魚諸島&lt;br /&gt;
１０日清戦争で日本は琉球の独占を確定した&lt;br /&gt;
１１天皇政府は釣魚諸島略奪の好機を九年間うかがいつづけた&lt;br /&gt;
１２日清戦争で窃かに釣魚諸島を盗み公然と台湾を奪った&lt;br /&gt;
１３日本の「尖閣」列島領有は国際法的にも無効である&lt;br /&gt;
１４釣魚諸島略奪反対は反軍国主義闘争の当面の焦点である&lt;br /&gt;
１５いくつかの補遺&lt;br /&gt;
林子平「三国通覧図説」付図「琉球三省并三十六島之図」、釣魚諸島位置図、釣魚諸島略図</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/197930.html</link>
			<pubDate>Mon, 27 Feb 2006 16:36:51 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>文章転載二 一貫して「反戦」を主張している野中広務さん（80歳）</title>
			<description>―――教科書問題や靖国参拝問題で、中国や韓国の反日感情が高まっています。激しい反日運動をテレビで見ると、つい感情的に反発したくなります。侵略の歴史をもつ中国や韓国と友好的な関係を築くためにはどうすればいいと思われますか？&lt;br /&gt;
　今、北朝鮮や韓国、中国に対して厳しい態度をとれば多くの人が拍手喝采をするという風潮があります。それはあまりにも歴史を知らないと思う。特に今の若い人は、縄文時代は勉強させられても、近代史や現代史はろくに学ばないまま学校を卒業してしまう。「日本はアメリカと戦争したんですか」と言う人もいます。&lt;br /&gt;
　中国に対するODA（政府開発援助）が多過ぎるという意見がありますが、日清戦争で勝った時、日本が膨大な戦争賠償金を中国からとったことを知っている人がどれだけいるのか。日本が負けた時、国民党の蒋介石総統は「恨みをもって報いず、徳をもってせよ」と中国の国民に呼びかけました。33年前に日中国交正常化が行われた時、当時の周恩来首相も同じ言葉を述べ、「今もその気持ちは変わりません。だから戦争の賠償は要求しない」と言われたんです。目先のことばかりに気をとられず、歴史を知り、広い視野をもって考えてほしい。&lt;br /&gt;
　歴史というのは、砂の上に字を書いて足で消せるようなものじゃない。先日、チチハルで、日本軍が遺棄した化学兵器が腐食して、こぼれた毒液に触れて傷ついた人が3名、ぼくを訪ねてきました。12歳の少女もいて、胸や足に黒い土をひっつけたような傷になっている。視力も落ちたそうです。さらに、周囲の人が「うつる」と言い出して、彼らを差別するようになってきたらしい。「もう耐えられない」と話すのを聞いて、なんという大きな犯罪を残してきたのかと痛恨の思いでした。こういう事実を国全体で共有しなければいけない。&lt;br /&gt;
―――野中さんは北朝鮮との交流にも積極的だったそうですね。&lt;br /&gt;
　子どもの頃、ぼくの家には朝鮮人の“子守りさん”がいました。その人たちと一緒に寝起きして、弟たちは子守りしてもらって育った。それから戦時中は、ぼくの家の近所に造兵廠という兵器を作る工場が疎開してきたんですが、働いていたのはほとんど朝鮮から来た人たちでした。この人たちが鞭で打たれて血みどろになっている姿をぼくは見ていました。隣町のマンガン鉱も同じような状況だった。朝鮮の人たちは非常に冷酷な扱いを受けていたんです。それを見てきたから、ぼくにとっては北も南も関係ないんです。&lt;br /&gt;
―――中国や朝鮮の人たちに対して日本人が何をしてきたか。ご自身で見聞きしてこられた野中さんとは違い、多くの人は伝聞での知識しかありません。戦争を知らない親が、戦争や平和について子どもに教えるのは難しいです。&lt;br /&gt;
　やっぱりぼくは昭和史をきちっと正確に見てほしいと思います。本当は明治まで遡ってほしいけど、せめて昭和史だけでも。日本がわずか20年ほどの間にどんな誤りをしたのか。そしてその後の60年、いったいどんな努力をしてきたのか。&lt;br /&gt;
　戦争に負けて国中が焼け野原になった5年後に朝鮮戦争が起きました。これも朝鮮のなかで起きた事件なのか、アメリカが仕掛けた事件なのかはわかりません。とにかく日本は米軍の兵站基地になり、軍需景気で日本の経済が潤った。朝鮮戦争がなければ、日本はあれほどの経済復興はなし得なかったでしょう。しかしそれと引き換えに警察予備隊、後々の自衛隊がつくられることになったわけです。ぼくは、朝鮮戦争が起きていなかったら、日本はもっと謙虚な道を歩むことができたと思いますね。&lt;br /&gt;
　今、日本はイラクに自衛隊を派遣しています。今のところ“犠牲者”は出ていませんが、今後のことはわかりません。本当に危ないことがわかれば、自衛隊への志願者は減ります。いずれは徴兵制が議論される時がくるでしょう。庶民が戦争へ行かなければならない流れになってきますよ。ぼくはそれが一番怖い。&lt;br /&gt;
　軍隊をもつ国は、経費のかかる正規の軍隊を多くもちたくないから、民間の“下請け”に任せています。彼らのなかにも犠牲者が出ているのに、その数は発表されません。現地の人が多いからです。貧しい人が“戦争下請け人”となり、誰にも知られずに死んでいる。こんな現実もあるんです。　&lt;br /&gt;
　日本は広島・長崎で原爆の洗礼を受けた民族として、世界に向けて核被爆宣言をやれる特権をもっています。しかしそれをやらないで、防衛の名のもとに軍備を増強しようとしている。このままいけば、憲法を変え、自衛隊が自衛軍に、防衛庁が防衛省になり、やがてかつて我々がたどってきた道を再びたどることになるでしょう。&lt;br /&gt;
　過ちを繰り返さないためには、メディアや派手なパフォーマンスに踊らされないこと。そして戦争の悲惨な現実を知ったうえでさまざまな判断をしてほしいと思います。&lt;br /&gt;
＜インタビューを終えて＞&lt;br /&gt;
野中さんは被差別部落出身であることを隠さずに政治活動を行ってきた。幾度となく差別の壁に直面し、そのたびに壁を“正面突破”してきた。野中さんは言う。「自分の出生を言いふらしたり、それをテコにしてものを取ろうとしたり、あるいは権利にしたりしても、何にもならない。人間は真面目にやれば認められる。俺はその見本に なろうとやってきました」。しかし野中さんが何かに“成功”すれば、部落出身者であることをあげつらい、足を引っ張ろうとする人間が現れた。&lt;br /&gt;
　野中さんは、政界からの引退を決めた2003年9月、最後の自民党総務会でこう発言し ている。「・・・野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあとおっしゃった。・・・わたしは絶対に許さん！」。その目は真っすぐにひとりのメンバーを 見据えていたという。&lt;br /&gt;
「人間は真面目に、一生懸命やれば認められる。そういう社会でなくてはならない」。政治手法に対する見方はいろいろあるが、野中さんの信念は常にそこにあった。&lt;br /&gt;
参考資料：『差別と権力』魚住昭著　講談社　1800円&lt;br /&gt;
2005年8月24日インタビュー　text:社納葉子</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/18004.html</link>
			<pubDate>Mon, 13 Feb 2006 17:50:08 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>関西大好き</title>
			<description>中国国家観光局大阪駐在事務所長&lt;br /&gt;
鄭　保壘さんへのインタビュー　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第１１回目となるKANNSAIダイスキ。今回ご登場いただくのは中国国家観光局大阪駐在事務所長の鄭保壘（テイ ホルイ）さんです。&lt;br /&gt;
中華人民共和国の山東省ご出身の鄭さんは北京の大学で日本語や日本の歴史文化を学ばれ、私達のインタビューにもとても流暢な日本語でお話しくださいました。&lt;br /&gt;
  鄭所長は３年前、中国国家観光局大阪駐在事務所に勤務されるために来日されました。それまでにも中国への観光キャンペーンのために東京をはじめ日本の大都市を訪れる機会が何度かあったということです。今までにお訪ねになった都市と比較して関西の印象を伺いました。&lt;br /&gt;
「例えば東京と比べて、大阪はとても庶民的な街という印象ですね。一方で奈良や京都のように歴史と文化の町もある。関西という地域に暮していると、中国との共通点と相違点の両方を強く感じます。」&lt;br /&gt;
　共通点と相違点、具体的にはどういうことでしょうか？&lt;br /&gt;
「共通点というのは、両国の長い交流の歴史の中で育まれてきた日本の文化の中に見ることができます。京都や奈良の古い文化財や日常使っておられる漢字まで、多くのものに中国からの影響を見ることができます。ただ、日本人はそうやって外国の様々な文化を取り入れながら、それをうまくアレンジして日本独自のものにすることに長けています。例えば、日本のラーメン。もとは中国の麺料理ですけれど、日本で日本人の口に合うように独自の味付けがされてきました。日本のラーメンのスープは中国のものと比べても本当に美味しいと思いますよ。」&lt;br /&gt;
「一方、相違点は両国の近代化の歴史ですね。日本がこの二百年ほどの間に、西洋諸国から多くのことを吸収し近代化を進める一方、中国は近代化への扉を長い間閉ざしたままでした。今、中国は多くの点で日本を見習いながら近代化を推し進めています。」&lt;br /&gt;
　関西には歴史と文化が息づくとともに、非常に近代化された都市景観も見ることが出来ます。その点についてはどのような感想をお持ちですか？&lt;br /&gt;
「素晴らしいと思いますね。便利で快適で。特にそれを強く感じるのが交通機関です。鉄道も、道路も、都市と都市をつなぐ交通機関は、どれも安全で正確です。このような交通システムに社会のルールを守り勤勉な日本人の国民性がよく現れていると思います。近代化を進める中国がぜひ見習うべき点ですね。」&lt;br /&gt;
　交通機関についてのお話からも伺えるように、鄭所長は、関西の文化・歴史遺産や名所旧跡、景観などを眺めながら、常に同じ視野の中に、そこに暮す人々の姿も捉えようと努めておられるようです。&lt;br /&gt;
そんな鄭所長に関西のお気に入りのスポットをお尋ねすると真っ先にあげられたのは、京都の祇園、花見小路の家並みでした。昔からここで生活してきた人々の息遣いが感じられるような景観。そこに鄭所長のこだわりがあるようです。「美しく伝統的な景観というだけではなくて、今もそこに人々が暮らしている、生活の姿が感じられる。そこに惹かれますね。」&lt;br /&gt;
鄭所長がお書きになった日本を紹介する本を拝見すると、その中には所長ご自身が撮影された写真も多く掲載されていますが、例えば京都・嵐山を撮影した写真にも、そういうこだわりが感じられました。それは、嵐山や渡月橋というおなじみの風景をバックに、川のほとりを散策する京都の人々の姿を写した写真でした。&lt;br /&gt;
「美しい風景なら中国にもたくさんあります。中国の人々の心を惹き付ける外国の風景というのは、そこに暮す人、集う人の姿が見える風景だと思います。」&lt;br /&gt;
大阪の魅力を「庶民的なところ」とおっしゃるように、鄭所長は様々な地域の伝統や風習が、今も人々の暮らしの中にしっかりと息づいている点に関西の魅力があるとお考えのようです。&lt;br /&gt;
「関西には祇園祭やだんじりといった有名な祭りがあります。また、それぞれの町にもそこに暮す人々が集い輪になって踊る盆踊りのような伝統が残っています。それが、大阪や京都といった大都会の中にも残っているのがすばらしいですね。中国では、地方に行けばそういう風習も残っていますが、例えば上海などのような都会では、近代化に突き進む一方でそういう風習が消えていきつつあります。」&lt;br /&gt;
そんな鄭所長から伺った吉野についてのお話に私たちはとても感銘を受けました。&lt;br /&gt;
「今までに訪れた所で特に印象深かったのは桜の頃の吉野山ですね。」&lt;br /&gt;
　やはり満開の桜の風景には感動されましたか？&lt;br /&gt;
「確かに、山全体に咲き誇る桜は美しい風景でした。でも、それ以上に、私の心をとらえたのはそういう風景を長い間大切にしてきた日本の人たちの存在です。中国にも全山桜が咲く山はあります。けれど、それはサクランボを採るための果樹園としての山。吉野のように見て楽しむというものではないのです。」&lt;br /&gt;
「吉野山の風景は、何百年の間、この国の人々が大切に育んできたものです。それだけの長い間、あのような風景を次の世代に伝える人々がいて、またそれを愛でる人たちもいた。地元や近郊の、庶民のレベルでそういう人たちが多くいたのです。そのことに、私は昔から日本の人たちが持っていた本当の豊かさを感じます。美しいものを愛する心の豊かさ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国と日本は長い交流の歴史を持っています。鄭所長は、両国が今後も真に平和で友好的な関係を深めるために観光が果たす役割の大切さを強調されました。&lt;br /&gt;
「観光は人と人が出会い触れ合うことで本当の意味で相互理解が深まります。今、日本は海外からの観光客を増やすキャンペーン（ヴィジットジャパンキャンペーン）に取り組んでいますね。現在、中国人の日本への観光ビザは北京、上海、広東の住民に限られていますが、それをさらに数都市増やすだけで１０００万人の訪日外国人誘致という目標はすぐ達成できるのではないですか？観光客誘致のためのインフラやホスピタリティは充分なレベルに達していると思います。あえて今後充実する必要があるとすれば、駅などの公共施設における外国語表示でしょうか。もちろん都心の大きな駅はそういう表示もされるようになりましたが、地方の小さな駅にまでお願いしたいですね。」&lt;br /&gt;
「現在、中国政府は世界の主要な国々に国家観光局を設置していますが、ほとんどが一国一事務所です。一つの国に駐在事務所が二つある国は米国と日本だけ。米国は国土が広大ですから東海岸、西海岸にそれぞれ必要でしょう。その意味で狭い国土ながら二つの事務所がある日本を特別な国、大切な隣国として中国政府は位置付けています。中でも、来日する中国人の半数以上が&lt;br /&gt;
入国する関西は、日本の玄関口として、そして両国の長い交流の歴史の中心地として、とても重要な地域です。」&lt;br /&gt;
最後に、鄭所長は関西を広く海外に紹介するに当って、より広い視点、例えば外国の人たちの視点に立って自分達の観光資産を見つめなおすことの大切さを語られました。&lt;br /&gt;
「中国の人たちに日本の仏教寺院などをただ紹介するだけでは、中国にはもっと古くてりっぱなものがたくさんありますからあまり興味を示さないと思います。中国との繋がりを宣伝することでより興味を持つのではないでしょうか。例えば、宇治市にある黄檗山萬福寺は中国から渡来した隠元禅師によって創建されたといったことを紹介することが大切です。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
吉野の桜を眺めながら、その風景を長い間愛しんできた人の営みに思いをはせる、そんな鄭所長の目を通して紹介される日本の風景は、そこに暮す人々の息遣いまでが感じられる「生きた風景」です。そんな「生きた風景」がより多くの中国の人々の目に触れ、両国の更に親密な交流の礎となるように、これから鄭所長が益々ご活躍されることをお祈りしてインタビューを終えました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/1170.html</link>
			<pubDate>Thu, 09 Feb 2006 16:45:47 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>中国のシルクロード</title>
			<description>シルクロード&lt;br /&gt;
説明者：　中国政府観光局大阪駐在事務所&lt;br /&gt;
　　　　　　　　所長　鄭保塁&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「シルクロード」名称の由来&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	「シルクロード」の名称は、1877年、ドイツの地理学者 リヒトホーフェンが著した「ヒーナ(チャイナ)」の中で、主に絹を運んだ中国～中央アジアの交易道路を「ザイデンシュトラーセン(絹の道)」と記載。その英語が「シルクロード」であり、ユーラシア大陸の東西を結んだ交易路の名称として使用されるようになった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	研究の進展とともに現在では、中央アジアの乾燥地帯を走った「オアシスルート」、その北の草原を抜けた「ステップルート」、アジア大陛の南の海を結んだ「海の道」の3ルートを指すが、一般的には狭義のオアシスルートを指して使用され、東は西安(中国)、西はイスタンブール（トルコ）が東西それぞれの起点とされている。東は奈良、西は中国からシルクが運ばれたローマまでと主張される一部の学者もいる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シルクロードの西段&lt;br /&gt;
シルクロードのオアシスの道&lt;br /&gt;
「シルクロード」とは何ですか？&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	総じて：「シルクロード」は人類史上にあった２０００年以上の歴史を持っていた東西平和的交流の大動脈です。&lt;br /&gt;
　　（次のも問題点からご理解いただけるとおもいます。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	東西貿易の大動脈。　主にシルクとシルク製品、陶磁器、ほかに金銀、宝石（トルコ石、琥珀、ガラス製品、象牙、サンゴ、真珠、など）、香料、医薬品、物種が輸送され、販売されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	科学技術交流の大動脈。「シルクロード」を通して伝わっていたのは、養蚕技術と紡績技術、製衣技術、火薬、製紙生産、印刷技術、らばん、製鉄技術、漆器、ガラス製造技術、医学、などがありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	文化交流の大動脈。「シルクロード」を通して伝わっていたのは各国の政治制度、軍事、経済、建築、歴史、文学、法律、歴訪、宗教信仰、音楽、舞踊、生活習慣、民族風情、食事文化、言語文字、価値観などがありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	人的交流。人種の交流（混血） 、民族の交流　（混血）　も行われました。&lt;br /&gt;
　　（胡人、胡姫）&lt;br /&gt;
「シルクロード」の歴史&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	紀元前約５世紀から、紀元１６世紀までの約２１００年間、シルクロードが栄えてきました。１４世紀に鄭和が海のシルクロードを開通して以来、シルクロードの「オアシスルート」の交流がだんだん衰えて、１６世紀に末ごろ、つまり中国の明の末期になると、殆ど途絶えた状態になりました（近距離の交流と文化の伝わりは絶ったことがありません）。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歴代中国政府が「シルクロード」を守るためにだいぶ貢献してきた。 &lt;br /&gt;
&amp;#8226;	漢時代以前、中国の四大発明とシルク生産技術が民間ルートに沿って、西のほうに伝わった。これはシルクロード前身でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	漢武帝（紀元前１４１－８７年在位）、まず、将軍霍去病、衛青らを西の方へ出撃させ、道を開かせた。続いて、西域各国に使者張騫（？－１１４年）を派遣して、通使（外交樹立）をした。由って、シルクロードが不安全な民間の交流ルートから政府主導の国と国の交流ルートに生まれ変わりました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	その時から、歴代中国政府がシルクロードの平和交流を守るために要塞を作り、軍隊を駐屯させました。シルクロードの中国境内段にある武威、張掖、酒泉、嘉峪関、陽関、敦煌、交河、高昌、楼蘭などがシルクロードを守った重鎮でありました 。&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	シルクロードの一番栄えたピーク時代は中国の唐時代でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シルクロード中国国内段の主な観光地 &lt;br /&gt;
&amp;#8226;	全長１３０００キロもあるシルクロードの中に、中国国内段が４０００キロ以上あります。しかも、歴史の原因で、一番よく保存された、内容の一番豊富な段で、ゴールデン・エリアとも言われています。中国国内アリアは陝西省、甘粛省、寧夏回族自治区、青海省、新疆ウイグル自治区からなっています。 &lt;br /&gt;
中国陝西省&lt;br /&gt;
中国の世界遺産・西安兵馬俑&lt;br /&gt;
秦時代の銅車馬&lt;br /&gt;
唐時代の楊貴妃縁りの華清池&lt;br /&gt;
唐時代の宮廷音楽舞踊&lt;br /&gt;
西域風情の唐三彩&lt;br /&gt;
唐時代の建築スタイルで建てた陝西歴史博物館&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西安の古城壁&lt;br /&gt;
西安大慈恩寺内にある唐時代の大雁塔&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
河西走廊に恵みを与えた祁連山&lt;br /&gt;
シルクロードの重鎮・武威&lt;br /&gt;
酒泉公園の入り口&lt;br /&gt;
李白の詩句：天上若無酒、何以有酒仙。&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　地上若無酒、何以有酒泉。&lt;br /&gt;
万里の長城の西果てー嘉峪関&lt;br /&gt;
嘉峪関関門の石道&lt;br /&gt;
ここを通して、古代ローマ辺りに繋がりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
莫高窟の入り口&lt;br /&gt;
莫高窟&lt;br /&gt;
敦煌壁画&lt;br /&gt;
敦煌鳴砂山麓の月芽泉&lt;br /&gt;
敦煌鳴砂山麓&lt;br /&gt;
寧夏回族自治区&lt;br /&gt;
古代の西夏王陵の遺跡&lt;br /&gt;
ガラス茶碗&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寧夏の固原から出土した&lt;br /&gt;
古代ペルシアの&amp;#37775;金飾壺 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
須彌山石窟仏像&lt;br /&gt;
西夏王朝が建てた百八仏塔&lt;br /&gt;
砂坡頭の砂滑り&lt;br /&gt;
砂坡頭黄河の羊皮筏&lt;br /&gt;
砂坡頭黄河の羊皮筏の川くだり&lt;br /&gt;
青海省&lt;br /&gt;
チベット伝来仏教のゲルクパ派の発祥地・青海タル寺&lt;br /&gt;
タル寺の伽藍&lt;br /&gt;
タル寺山門外の経幢&lt;br /&gt;
海抜４０００メートルに近い青海省の高山牧場　&lt;br /&gt;
海抜３２００メートルの青海湖&lt;br /&gt;
新疆ウイグル族自治区&lt;br /&gt;
ウルムチ・博物館&lt;br /&gt;
ウルムチの南山牧場&lt;br /&gt;
カジュガル・アパクホツオ墓&lt;br /&gt;
カジュガルの西瓜&lt;br /&gt;
トルファンのぶとう&lt;br /&gt;
カジュガル・バザール&lt;br /&gt;
トルファン・蘇公塔&lt;br /&gt;
アルタイ・ハタス牧場&lt;br /&gt;
カジュガル・エイティガール寺院&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
庫車（クチャ）・火炎山&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
交河故城&lt;br /&gt;
トルファン・交河故城&lt;br /&gt;
トルファン・高昌故城&lt;br /&gt;
庫車（クチャ）・キジル千仏洞&lt;br /&gt;
庫車（クチャ）・石城&lt;br /&gt;
五彩城&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シルクロードと日本人&lt;br /&gt;
　　日本人の身の回りのシルクロード：&lt;br /&gt;
　　日中文化交流は歴史が長い。紀元前５世紀から、中国文化がシルクロードを通して、ユーラシア大陸各国の文化を吸収して、中国文化を中心とした大陸文化に生まれ変わりました。この中国式大陸文化はまた中日文化交流のルートを通して、日本に伝わったのである。　&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	物種方面：蕎麦、葡萄、柘榴、無花果 （中央アジア）、蚕豆、ほうれん草、葱、 （西アジア）、胡瓜、ナス （南アジア）、玉葱（西南アジア）、人参（地中海沿岸）、スイカ、紅花、ヒマワリ（北アフリカ） 、ゴマ（東アフリカ） 、ヒマ（アフリカ）、猫（南アジア、アフリカ）、大蒜（西アジア、北アフリカ）など）。&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	文化方面：仏教信仰と仏教文化、胡弓、琵琶、獅子、象&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	生活用品方面：胡坐、絨毯など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の正倉院に保管されている中国の唐時代にシルクロードから伝わった古琵琶&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国の甘粛省に出土した唐時代の古琵琶&lt;br /&gt;
古琵琶の局部&lt;br /&gt;
古琵琶の駱駝デザインの比較</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/zbl200629/1160.html</link>
			<pubDate>Thu, 09 Feb 2006 16:38:01 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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