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山にも谷にも行っているが、記事にする内容でないので、しばらくは雑談でも。
昨秋、尾瀬のヘイズル沢を詰めて、至仏山に登ったときに驚いたことがある。
それは沢よりも、登山道の方が滑りやすかったことだ。木道ではそうでもなかったが、丸〜く、ツルツルに磨かれた露岩が非常に滑りやすかったのである。
これは、おそらく人圧によるものだろう。過度を凌駕するほどのオーバーユースが、岩を穿ち、磨き上げた作品がこの有様だと思う。それは乾いた岩では抜群のフリクションを誇るラバーソールの沢靴でも、太刀打ちできないように仕立て上げたわけである。
至仏山は日本百名山に選出されなかったとしても、尾瀬ヶ原という大ブランドを抱えている以上、相当なオーバーユースになったことは否めないだろうが、この「百」ブランドの相乗効果は確実にあるはずだ。そしてその効果は、功罪の両面性を持ち、この問題提起は間違いなく「罪」の方である。
深田が「日本百名山」を書き上げたのは今から50年以上前のことだ。現在とは登山道やアクセス状況が全く異なるケースが多いが、尾瀬ヶ原は50年前でもかなり繁昌していたとこの本には記されている。
しかし深田のセレクションにおける三本柱である「品格・歴史・個性」の中にも、“静かな山”であることが各山の文章に中で言及され、深田がそういった雰囲気を好むことが読みとれる。そして深田が至仏山を選ぶための基準である彼自身の山行(想い出)も、人ずれしない大正時代〜戦前のことであったという。
登山をするのには目的意識があった方がいいし、それが「日本百名山の踏破」というものであっても、それはそれで素晴らしいことだろう。私はそれを目標にはしないが。ただ、あまりにもそれに踊らされているのではないだろうか?
もっともその原因は、それを煽るマスコミによるものも大きいだろう。NHKしかり、新聞社しかり、そして山岳関係の出版社しかり。まるで百名山以外の山は、格下であるかのように。
あるいは日本人の国民性によるところもあるだろう。ブランドに弱いという点で。
日本人は「百」という数字が好きなのは、同じ国民である私も何となく理解できる。百人一首、百発百中、百花繚乱、百鬼夜行、なんたら百景などなど・・・収集可能な大きさ・量を示すのに頃合いでキリの良い数字なのだろう。
そして前出のブランド力に魅入った百名山ハンターは、とにかく最短距離・最短時間でそのピークを踏むことに熱中する。我が関西にある百名山の「大台ケ原山」と「大峰山」は、一日でハシゴするハンターも多いことだろう。私から見たら、季節もルートも問わずに、そんなに急いで登って、何か得るものがあるのかいな?と思うのだが、それは価値観の相違なので仕方ない。
そしてハンターのうち、ブロガーでもある方々の多くは、こんなタイトルをよく付ける。
『日本百名山・○○岳に登ってきました〜』
これって、『エル○スのバッグをゲットしました〜』と同じような気もするが、じゃあ、百も三百も花も付かない“非名山”は登る価値もないのかな? 当該ブロガーは全くそんな気はないだろうが、知らないうちに山を格付けという名の差別をしていることになっている。
そして私の知っているガイドであるDさんは、下記のような文章をしたためている。
「世間では百名山のように数多くの山へ登ることが一般的だ。登山を志すものにとってこれは一種の呪縛のようなもの。満願成就を果たした人を少なからず知っているが、残念ながら各地の名山を登って満足している人に出会ったことがない。それどころかますます飽くなき探求は続き、落ち着かないのである。
さらに200名山、300名山と続くが、これまで登ったなかで気に入った山へ再び出かけよう、という方向に向かわないのはなぜだろう。青山もあの山脈の向こうには、という憧れは強いものがあるが、その一方でホームグラウンドの山々の春夏秋冬の姿や、その山にしてもっとふさわしい他のコースが残っていないか気になってしかたがない。
生きものには縄張り、テリトリーがあり、人には生活圏というものがある。これを確保して初めてその先を開拓しようということになる。うまくいかなければ、逃げかえればいいからだ。最近の風潮に危惧するのは、そうした場所もなく、やみくもに外へ向かっているような気がすることだ。途上で歩が止まればすべてを失いかねず、貴重な時間や体力を使いきるのはどうだろう。
万が一そうなった後では身近な山もあったものではない。適度に憧れを残し、それを想いながら生活圏の山々をくりかえし歩くと心は和み、それまで気づかなかったものがどんどん見えてきて、得るものは多い」
私とは方向性が少し異なるものの、同感な部分が多く、含蓄のある言葉でもある。
もっとも私は(私のことをよく知る多くの読書もそう感じていると思うが)、北は北海道から、南は南西諸島まで“遠征”が多い。だがそれはなんたら名山を収集するわけではなく、また日本百名谷を遡行する目的でもない。
(「日本百名谷」は格付けではなくカタログとのことらしいが)
じゃあどうやってその対象を決めるかと言うと、どこかの雑誌・ガイド本・webも含めた記事を読んで、魅力的に映った谷や雪山を登ってみたいと思うからである。そしてこの地形・気候・植生が異なる「広いニッポンの山谷」の多様性を経験してみたいからである。
繰り返して言うが、もはや深田久弥の時代とは半世紀以上も異なる。深田が再臨したとしても、現在、車道が伸ばされ、ロープウエイが敷設され、人で溢れる伊吹山や大台ケ原、剣山などを再び選んだだろうか。当時(50年前)の美ヶ原の俗化を嘆いていた深田だが、それ以前の誰にも会わなかった静かで気品溢れる追憶を元にそこを選んだのだから、やはり外せないのだろうか。
そして自分の選んだ山が金字塔となり、多くの人で溢れ返り、そのために俗化され、登山道や植生が荒れて行く様を深田が天から見て、果たしてシアワセなのだろうか。ギモンでならない次第である。
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