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手(その1)←こちらから
ころころとビニールボールが向こうから転がってきた。直也は足下からそれを拾い上げ、ボールを追って走ってきた男の子に渡そうとした。
今までにないような近い距離で、子どもの顔を見つめた。そして「あっ」と小声で叫んでしまった。 子どもは化粧をしていたのだ。おしろい……女性が塗るファンデーション……というやつを顔全体に塗っていた。それもかなりの厚塗りだった。まるで白っぽいゴムマスクをつけているようだった。 直也はつい我を忘れて、子どもの顔をじろじろと何秒間も見てしまった。ゴムマスクをつけたような子どもの顔が次第にこわばっていく。
「不審者だ。」 子どもは言い、ぱっと身を翻して友達のいる方へかけていった。まだ直也の手にビニールボールは残っている。 ……子どもの発したその言葉は、直也の心を崖から谷底に向かって突き落とした。 直也は立ち上がり、ビニールボールを片手に持ち子どもたちの方へ向かって全力疾走した。そうせずにはいられなかった。 蜘蛛の子を散らすように逃げる子ども達の中の一人に直也は追いつき、その手首をつかんだ。わっと泣き叫ぶ子ども。 「大丈夫、僕は不審者なんかじゃないから。ボールを返すだけだ。」 直也は震える声で言うと、子どもが逃げないようにさらに強く手首をつかみ、その手に無理矢理ボールを握らせた。 子どもはおびえてぎゃーぎゃー泣き叫んだが、本当は直也の方がもっとおびえていた。 「大丈夫、不審者じゃない。一つだけ教えてほしいんだ。そうしたら放すから。教えてくれ。どうして顔に化粧なんかしてるんだ? いつからそんな化粧をしてるんだ。」 ぎゃーぎゃーと泣き叫ぶ子ども。一緒に遊んでいた子どもたちは逃げるに逃げられず、遠巻きに見ている。 「僕は化粧のことが知りたいだけなんだ。どうしてだ? 電車に乗っている子もテレビに出てくる子も皆、白い顔をしてる。誰がそんな命令を出した? それが知りたいだけなんだ!」 「教えてやるよ。」 一人の勇気のある子どもが直也の後ろから声をかけた。 「『命令』は連絡網を通ってぼくの頭へ届くんだ。」 「連絡網?」 直也は納得せずに繰り返した。 「何だ? 連絡網って。学校の連絡網のことか?」 「学校のわけがないだろ、頭の中の連絡網だよ。教えたんだから、タッちゃんを放せ。」 「頭の中の連絡網? いつからそんなのができたんだ。皆の頭の中にあるのか? もっと分かるように話してくれ。」 「タッちゃんを放せよ! 早く!」 子どもは震える声で訴えた。しかし直也は放すわけにはいかなかったのだ、子どもの言っていることが全く飲み込めないのだから。 その時だった。数人の大人が公園に乗り込んできて、あっという間に直也を取り押さえた。 左右の腕を二人の男にねじ上げられ、直也には抵抗する力も気持ちも、これっぽっちも残ってなかった。 パトカーが来た。直也は警察に連行された。 取調室の椅子に座らされて、状況を説明しろと言われた。 「ただ僕は知りたかっただけです。連絡網って何ですか? どこから出てるのですか? 何のために子どもは化粧をしているのですか?」 直也はかすれた声で、繰り返し叫び続けた。口の中が渇いて、だんだん声が出なくなっていった。 聞き取り調査を行う警官は、冷ややかな目で直也を見つめるだけで、何も答えてくれなかった。 「だいぶ精神の錯乱状態が見られます。頭が変です。まず、こりゃ医者に診せた方がいい。悪意は見られないようですが、一人で家に帰すのは危険が伴う。家族を呼びましょう。」 数時間後、隣の県から車を飛ばして直也の父母が駆けつけた。母は直也の顔を見るなり、一筋の涙をこぼした。 直也も母の姿を見てほっとした、一瞬は……。 しかし、すぐに新たな疑問が頭をもたげた。この母は、今まで直也を育て上げてくれた母と同じ者なのか? 頭に連絡網とやらが通じている、母の皮を着た別人かもしれない。温厚だった父も、今は父の皮を着た別人かもしれない。 直也はしばらく大学を休み、家で静養するように言われた。 家でのんびり過ごすことは確かに直也の心を少し癒してくれた。 家族は直也の心の中にある思い出といくぶんも違わず優しかったし、家も庭も自分の部屋も懐かしかった。 ただ、近所に住む結婚した姉の子は、毎朝顔を真っ白に塗って幼稚園に通っていた。下の赤ん坊は、化粧されていなかった。 姉の和美が子連れで遊びに来たときに、直也はしらばくれて和美に聞いた。 「赤ん坊は、化粧しなくていいの?」 とぼけ顔でそれだけ聞くのに、心の中は非常に高ぶり、手のひらに冷や汗をかいた。 「なんで赤ん坊が化粧する必要があるのよ。」 逆に和美に聞き返された。 「じゃあ、幼稚園のハルカはどうして化粧するの。」 「しょうがないでしょ、ハルカがやりたいって言うんだから。こういう時代だと子どもの本能も変わってくるの。」 「本能?」 「防衛本能よ。世の中の道理がわからない不審者を見分けるため、頭の中に新しい本能ができるの。最近ではファンデーションなしでは、絶対にこの子は外出したがらないわよ。」 直也は自分がそれで騒ぎを起こしたことを思い出して、ギクリとした。 「僕を取り調べした警官はそのことを質問してもちっとも教えてくれなかった。ただ頭が変だと言っただけだ。」 「連絡網で命令されるんじゃないの?」 「ま、そんな感じよ。どこかから電波みたいに飛んできて、いつの間にか頭の中に入ってるの。本能って教え事じゃないのね。」 「電波? どこから飛んでくるの? 誰が命令を出すの?」 「さあ、神様なんじゃない。」 そこまで言うと和美は顔をしかめ、口を直也の耳元につけて小声でささやいた。 「これ以上詮索しちゃだめよ。考えてごらんなさい。この世は誰が創ったか? どうして自分はここに存在してるのか? なんて私たち真剣に考えて論議してる?」 「いや……。」 「人間や動物の本能は誰が決定してるかってのも、それと同じようなレベルのことでしょ。」 「まあ、そうかな……。」 「そうでしょ。そんな話は哲学者とか宗教関係者とかに任せておけばいいの。巷の人間がそんなこと真剣に考えて普通の生活が送れないとしたら、そりゃあ、狂ってるわ。」 「でも、僕は……。」 「しっ。」和美は口に指を当て、直也の言葉を制した。 「知ってるわよ。あなたには連絡網が届かないのね。でも、分かってるふりをしなさい。周りを見て真似するだけでいいの。簡単よ。」 そう言うと和美は子どもの頃よくやったように、直也の頭を優しく何度も撫でた。 「いい子ね……。何の心配もいらないのよ。自分が何かなんて思っちゃだめ。ただ大勢の人の真似をして生きていけばいいの。」 ◆明日の記事へ続く◆ |
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(。-`ω-)ンー直哉が追い詰められていく様子が
すっごいよくわかります
転載させてもらいますね(*ゝω・)σ凸<☆ポチ
2010/1/6(水) 午前 9:08 [ - ]
連絡網って不思議だよね、警察に信じてもらえない気持がよくわかります。みんな連絡網があるのかなぁ、そんな気もする。
ポチ凸
2010/1/6(水) 午前 11:05
アナザーワールドに行ってるのかなぁ(^^;
次の展開が楽しみです(^^ポチ^^
2010/1/6(水) 午後 7:35 [ ぺけ ]