日々の泡 不思議?日記

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ダンディズムって

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知る人ぞ知るような人物だと思うが、
以下の記事には、ちょくちょくアクセスをいただく。

大河さんの昔の表情は、私も好きなので、うれしいっす♪


*****

「大河寛之」を知っている人は、出版関係の人、芸術愛好家、
単に物好き、美しいものを好きな人を除くと、
20年以上前のニューヨークのお金に困らない夜の遊び人だったか、
芸術家のネットワークを持っていたか、時代の先端を追うアーティストか、
真にクールなゲイだったかだろうと想像してしまう。

私はたまった雑誌を捨てる時、気に入った記事は切り抜いて保存しておくのだけど、
そのとき、何年何月のどいう雑誌かを書き込み忘れることが多い。

この大河寛之のグラビアの切り抜きも、いつごろのものか記載がない。
たぶん1980年代後半頃…

続きは以下のリンクでご覧ください。



1980年代のNYの男性モデル 大河寛之「あの人は今?」
http://blogs.yahoo.co.jp/zennarumiti2004/21048141.html


(ダンディズムの書庫にどーでしょう(^O^)

男の優しさ ケータイ投稿記事

男性の優しさで思い出すのは
初めて付き合った人と再会した時のこと
――まだ20代だったが。

友達がバイトしていたスナックに行って、思い出話をした。

秋だったが、外に出ると寒くて、ブルッと震えた。

その時、後方から彼が
自分の着ていた背広の上着をふわっと私にかけてくれたのだ。

計算がない、あの感覚。

昔の恋人なのに、そんなことをしてくれたことを
不思議な気持ちで思い出す。

根が優しい人なんだろうとは思うけど

男性の優しさといえばいくつか思い浮かぶが…

あまりにもさりげなかったので
しばらく経ってから、ふと思い出して気付いた。

あれは愛だなと。

さりげない優しさを見せる時、そこには愛しかない。

別れた異性の記憶に自分がかっこよく残っていてほしい

という計算が付加されていたとしてもである。


終わってから気付くこともあるんだな。

私が鈍かったのかもしれないけれど。

あれも“愛”の一瞬だったのだ。


(ダンディズムの項目に入れておこう。修正した)

イメージ 1

画像は、

オスカー・ワイルドの妻 コンスタンス・メアリ・ロイド


写真で見て、あまりの美貌に感嘆して、
思わずノートにデッサンしてしまった。
もう15年も前のこと・・・。

最近、ノート類を整理していて、見つけた写真をまた撮ったもの。

ノートはみつからなかった。
捨てたのかもしれない。
いろいろ捨てたい時期が今だから。

あの頃は、ワタシも立派だった・・・。


ワイルドの性的嗜好は両刀だったんだろうけど、
それが当時は、許されなかった。

異端児だった彼は、やりすぎて、
アルフレッド・ダグラスとの不純同性交遊がもとで、
二年牢獄生活を送る。

アルフレッド・ダグラスと出会った頃(1891年)には、
すでに妻との仲は冷えていたが、
妻に失望し、世間から非道徳者扱いの風当たりが
強くなっていた時期だった。

ワイルドはアイルランドのダブリン生まれ。
父親は眼科・耳鼻科の権威で医師。考古学にも興味があった。その面の業績で、
1864年ナイトの称号が与えられた。

父より9歳年下の母親は、弁護士の娘で、
翻訳や詩作や民族学の面で才能を発揮。

地位のある父親は、かなりの私生児をつくり、兄ウイリアムも女好き。
母親はパーティ好き。

だが、ワイルドの育った環境は「田舎」であった。
兄はスポーツと友達づきあいがよいが、
彼は、内気で孤独を好み、お洒落で、勉強ができた。

妹を亡くした後、トリニティー・カレッジに入るが、
そこで出会ったマハフィー教授から、
ダンディズムとヘレニズムを教えられる。

オクスフォード大学に入ったことで、
貴族的な雰囲気を持つこの環境は、
ワイルドにとって、
人生で重要な意味を持つ。

「田舎」から「都会」へと、
旧弊な世界から、自由な新しい世界へと。

彼は開放的になりすぎた。


コンスタンスは41歳で死去した。
1898年4月7日のことである。

その二年前に、母親が死亡。
彼が裁判に負けて、
懲役2年の判決が出て9か月後の
1896年2月3日ことだった。

この一年のちに、「獄中記」の執筆がされている。

そして出獄。

フランスのサロンの女性たちは、
刑務所から出てからが華々しいというのに(笑)
イギリスは実にオカタイお国柄だったんだなあ・・・

時の主権者が保守的だったんだろうけど。

出獄した後も、ワイルドはダグラスとは会っているが、
もはや昔のようではありえなかっただろう。

「幸福の王子」の作家は、晩年幸福だったんだろうか。

12歳の時、妹を8歳で亡くしている。
このことは、彼の生涯を通したダンディズム人生に、
どのように影響しているんだろうか。

彼が世間を風刺した生き方を作風で示したように、
彼を風刺した劇も上演された。

敵は多かっただろうと思う。


ランボーも詩をきっぱりやめたあと、
二度と筆をとらなかったように、

ワイルドもプライドの高い一面を、晩年に見せたという。
生活に困窮している時にこそ、書くことをしなかったのだ。

「ダンディズム」というスタイルは「痩せ我慢」にイコールできる

と私は思っていたが、

このワイルドのあり方から、その印象を持ったんである。

ボー・ブランメルもある意味、
ワイルドと同様に極端だったが、
ある種の野心と軽薄さを
その人格に内包していたように思えるんである。

ワイルドの場合は、
「軽薄さ」が一つの「スタイル」だったように思うが、
ブランメルの場合は、
育ちがよかったワイルドとは、根本的にちがう印象だ。

あくまでも印象です。調べてみなくてはわからない。
ワイルドのことにしても、
読み返してみて、
ずいぶん思い違いがあった。

だが、今の印象として、
ブランメルは普通の人が、
人並みはずれた感覚的才能があったゆえに
最高の評価を受けたが、
(王様よりお洒落だと評価されていた)
人格とは無関係であったというか。

・・・という印象。


知的な支えを習慣に必要とする創作活動は、
ブランメルには、あったんだろうか。

調べてみないとわからないんだけれども。
なんか、ひたすら極端な、服装フェチだとしか思えないんだよね。

今なら、ビジュアル系バンドとして受けたという感じか・・・。

そこには「哲学」がそれなりにあるんだけど、
なんだろう・・・?

深みがないんだよなあ。

たとえば、魅力的な著作がないせいかもしれないなァ。

ワイルドの場合、作品の魅力があって、
死後にも読まれ続けているし、
本人もそれに付随的に研究される。

ショパンも作品の魅力に付随して、
生き方に興味を持って読まれる。


こうして見てくると、
あとに生き方が語られ続ける芸術家は、
根っから優しい人々であるように思う。

生き方の激しさ、皮肉的な態度の奥に、

人間本来のこうあるべき姿を提案して、彼らは実践していたにちがいない。


が・・・


常に、女性は陰で損な立場だということは
忘れることはできない。

結婚した男が、ゲイだったら・・・とんでもない!
それでも失望したのが、ワイルドの方だというのは
ちょっとどうなのよ?

という感じだ。

じゃあ、妻が女性に走っても許せるのか?


あるイメージ、たとえば紺野まひるみたいな、
お嬢様っぽい清楚な女性をゲットしたら
普通の男性なら自慢しそうな訳だが・・・

そういう男性優位は未だ、社会に根強い。

女性は男性より、飾り物的要素が強いのだ。

多情は男には許され、
女には卑しい視線を送られるようだ。

でも美人なら許すところがある。

女性だって、同じだが・・・

本音いえば、男性が、
「俺ってもてるんだぜ」という話をする場合、
相手が水商売で、金を引き出すために
気を引く話をするにすぎないことが多いのを
勘違いしてる人って、今もいるんだろうか。

本当にそういう人はいたから・・・

そんなのと比べたら、ワイルドの心は綺麗だ。

書き直しているうち、妙なラストになってしまった。

(いちおう終わり☆)

イメージ 1

あの時、本当は抱かれたかった・・・。
でも、恐かった。

だから逃げた。

好きになるのが恐くて逃げた男の部屋。

画家だった。
そして、教職者でもあった。

それまで、二十何年間、そうした感覚衝動に襲われる

恋愛対象と出会ったなどということがなくて、

彼の絵に向かう背中にむしゃぶりつきたいような、
髪の毛に指を入れて、撫で回したいような、

私をケモノになりそうにした、雰囲気のある男。

ありがちな状況設定の、

訳ありで、
陰があって、
愛する機能が壊れていたデスパレートな男で、

まともではないと今ならわかるが、

若いとき、それも自分になにか非を感じている特殊な時期だったので、

男の出来の悪さが見えないのだった。

彼の週末のアトリエ。

川と、雑木林と坂道。
輸入木材で造った手作り感溢れるアトリエ。

そこに女性をたらしこむことさえなけりゃ、

それがバレなきゃあ、
つきあった女たちには、普通の思い出で終わったはずだったのだろうが・・・。

さて。

最近、知人たちの、二つのアトリエを見せていただいた。

もちろん、創作をする人々で、女性で
お一人は学者でもある。
彼女のアトリエは、

床も天井も壁も庭もすべて、彼女の手作りだ。

彼女の貪欲な探求心は、情熱の原点である。


そこで、かつて愛したひとりの女性の思い出を語るのを、
聞かせていただけた。

美とは

時の経過を振り返る人間の、
人々の織りなす感情の残酷さについて語る、
真っ最中の「時」のなかにある。

熟したワインのように、酔いしれるに相応しい、
暗転の時期を思い出しながら、彼女は語る。

出来事と心境だけを淡々と、
自分の当時の感情さえ冷淡に扱い、

人間に自分が熱くなれないことに、
もう驚かないのが今だと言い、

「でも、身内は別ね・・・鬱の身内がいるから、なんとかしてあげたいと思うと、研究に集中できなくて」


絶妙なバランス。

それから、魂の話をした。

よく覚えていないけれども。(苦笑)


私の忘れていた物語のテーマが、何食わぬ顔をして、そっと忍び寄ってきた。

仮面をつけて。

私の創作のイメージって、

挑発、そして暗示・・・予感、誘惑、破綻・・・カタストロフィー・・・・


アトリエは舞台だ。


芸術という小道具を駆使して、女を自分の欲望を満たす道具にしていた男。


すぐに醒めなかった私は、
どうかしていた。

本当にどうかしていた。


ワイルドの言葉だったか、
愚行を繰り返せば、青春などすぐに取り戻せる・・・
なるほどと思った。おもしろい言い回しだと思った。

でも、ダンディズムを実践すると、時代の顰蹙を買うことが多い。


国王よりリスペクトされていたボー・ブランメルも、
同性愛の罪で投獄されたワイルドも、
後年から見れば、ちいさい男のように思ってしまうが、
今の、女々しい男たちをとくに不自然さを感じないように、

時代こそが「舞台」だったんだろう。

そこに溶け込んでいたんだろう。


ときおり、美?を理解せず、芸術家の足元を突き崩す石頭はいるものだ。


少なくとも、歴史に残るダンディーたちは、紳士で、快活で、
偽善的ではなかったのでは。

だが、やっぱ「ちいさい」わ・・・・。


女の掛け持ちをアトリエでやる20世紀の男よりは、純粋だけどね・・・。

写真は、「世紀末とダンディズム オスカー・ワイルド研究」山田勝著 1981年創元社刊より
なのである。
たぶん長くなりそうなので、いくつかに分けて段階的に書いてゆきたいと思う。

まず、同性愛は、ダンディズムの極致的状況ではないだろうかと感じる。
ダンディズムを書きたいなと思ったら、同性愛にテーマが絞られていった。
オスカー・ワイルドなど唯美主義者の「獄中記」著者である彼は、また、
女性のダンディズムを書いた作家でもある。
ダンディズムにこだわって生きた作家でもあった。
(ワイルドの野卑な唇はセクシーだと思ったことも触れておきたい)

さて。
オスカー・ワイルドは美貌の妻がいたが、同性愛事件がもとで破綻した。
ワイルドにとっては、同性愛は趣味であるダンディズムの具現化の姿だと思うが、
人生を賭けた趣味になってしまった。
二年に及ぶ獄中生活から出ても、彼はかつての輝きを二度と取り戻すことは
なかった。まだ若かったが、みじめに老いて死んだ。
サヴォイホテルだったかな。資料も見ずに書いてるので。
というのも、ワイルドの「獄中記」は高校時代、読んでたからなー
坂口安吾を文芸部部長は読んでたんじゃなかったか。

えーと、話をもとに戻すと、同性愛は、ダンディズムの極致的状況では
ないだろうかと感じる、というところから。

ふつうの男女のカップルを「ヘンタイだわっ!!」と言ってのける
「同性愛嗜好者」から見れば、おかまとおなべが結婚して、
戸籍上はなんの問題もないカップルに対してさえ、
夫役のおなべが「妻(♂)のために子どもを生む」というような、
どんなに男前なことをして一般的社会である周囲が評価しても、
「いや〜ん、そんなのヘンタイだわよ!!」
と体全体をヒネリながら悪態つけてきそうだ。(笑)
もちろん、ジョークとしてであるけど。

同性愛者は、時代を先取りする達人としてもてはやされている。
しかし、あのハリウッドですら、「自分はゲイです」とカムアウトして
干されることがなくなったのは1990年代だった。
日本は、マイノリティだけど、承認されていたゲイもいたのだから、
感覚がアメリカと違うかな。

おかまやおなべが、本来求めるべき同性でなく、異性と恋に落ちてしまうことは、
社会の同性愛や倒錯愛行為者への偏見を拭い、まちがってるにせよ、
理解を深め、認知度が広がることに貢献しそうなのだけど、
そういえば、本来のあるべき姿ではないような気もする。(笑)
同性愛者は、彼らを異文化と捉えるように思う。
そうだね。確かに異文化かも。(笑)当然、今はマイノリティ。
長年蓄積されたおかま文化や伝統?に対する反逆かもね。(笑)


では、同性同士の結婚はどうか? 
同性どうしの「結婚」は戸籍上のさまざまな制度を駆使して行われるんだろうけど、
「家族」となるのだから、そこにはお互いに責任が生じる。
ひとつのけじめをつけることのできた者を、社会は単純に評価する。

けれども、こんなに簡単に社会に認知してもらえる人々を、
孤独なゲイ達は腹立たしく思わないだろうか。
彼らは長いこと、欲望の先が異性でないということで、自分達が
「社会的にみて無意味な行為をする者である」という自覚がついてまわり、
常に他者から自己否定される不安と向き合ってきたと思う。
努力と才能で社会的認知を獲得した独り者のゲイも含め、
そんな同性愛者の多くから見れば、長期契約で結ばれた同性愛者は、
どうしようもなく嫉妬と羨望の対象だと思う。

でも、芸能人で才能豊かな人で「結婚」してる人がいるけど、
「結婚」してようが、同棲してようが、コミカルでバラエティ系のくくりで
完結してしまうタイプのタレントだったら、関係ないですね。

ふと、ダンディズムを表現してる人には、性的魅力は不可欠だと思えてきた。


あ〜疲れた。頭の中がぐるぐるしてきた。
とりあえず、今回はここまで。

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