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……………………………………………… 毎年、夏になると、再掲していた記事。 この小説は、私にとって、実は、かなり、苦い思い出と、幸福感を引き出されるものなのだ。 こうして思い出となってしまった今も、記憶を創作の中に封じ込めて、残そうとして、 生まれた創作物を読むたびに、思い出してしまうんだなー、あのトキメキ。 好きになった人の中で、彼ほど、触れられることにドキドキした人は、いなかったんじゃないだろうか。 (と、遠い目) 本当に好きだった。 (いったい、記憶の中の何人に、「本当に好きだった」と言っているのさ! 呆れるね〜) チョイと、手直ししたけど、まだ読みにくいかも。
……………………………………本文ココから
………………………………(終わり)Mは現在40代半ばの会計士、バツイチ、 まだ小さな子ども2人と別れた妻に養育費を送っている。 体調を崩して監査法人を辞めてから、つきあいのあった会社の社長に勧められ、 14年下の彼の娘と見合いして35歳の時、結婚した。 妻となったYは、小学2年生のとき母親を亡くしていて、通いの家政婦に育てられた。 父親の社長は娘の気持ちを考えて再婚はしなかった。 現在、Mは、元義父である社長の会社で、得意分野を生かした仕事をしている。 Yは小学生の時、母親を亡くしている。通いの家政婦さんに育てられた。 社長には結婚の意思はなく、独身で、ゲイの噂があった。 21歳の妻は控えめで、料理が上手で、繊細だった。肌は白く、しみ一つなく滑らかだった。 妻は、若いのにもかかわらず、器用で、Mのワイシャツを数枚作った。Mには、巷で 売られているワイシャツより、高級なものに見えた。聞けば、生地が、かなり高価だという。 妻は、大学に鬱病で通えなくなった。だが、引きこもった日々を「お笑い」が救った。 ものをつくる楽しみを知り、恋愛もした。失恋後、再びうつになるが、友達に勧められた カメラを持って街に出た。 「パソコンで編集するときが一番の幸せ」Yが言った。その頃、鬱は鳴りを潜めていた。 そんな頃に社長はMを見て、まだ、学生だった娘の夫にどうかと考えたのだった。 幸福な数年が流れた。 子供ができ、仕事も順調でなんの不満もない日々。だが、下の子が生まれたあたりで、 家の中が荒れてきたなとMは感じるようになった。それは本当に徐々に目立ってきた 妻のすさんだ姿だった。朝食も作らない日が増えた。 ワイシャツが汚いまま放置されている。その中から着れそうなものを選んで着た日もあった。 洗濯、片付け、買い物、それらをMは妻のかわりにこなした。 「少しは掃除したら」ある日、そっと言ってみた。 すると妻は「なによ。自分は外で自由にやってるくせに、育児は大変なのよ」 部屋はどんどん荒れ果てていった。 離婚を言い出したのは妻の方だった。Mは驚いて、妻を説得した。 何カ月もないセックスを誘ってみた。妻は応じたが、もうかつてのような安らぎはなく、 おざなりな行為に終わった。 それでも、その後、ときおり妻とセックスをした。Mは空しかった。 「別れようか」何カ月か経って今度はMの方が言った。 「いまさら?」妻は面倒臭そうに言った。 室内は相変わらず荒れていたが、上の子の幼稚園のお弁当だけは、妻は熱心に作っていた。 その余りものが、Mの朝食になっていた。 (このままでもいいか・・・・・) そう思える日もあった。 「やっぱり別れようか」妻がある日、淡々と言った。 「私、一人で考えてみたくなった。あなたは素晴らしい人だよ」 でもね・・・・と妻は続けた。 「自信が持てないの。私、あなたの前で堂々とできないのよ。こんなダメな私を、 あなたは何も言わずに支えてくれてるし・・・・私、自信がない」 そんなことは・・・とMは言おうとしたが、言葉にならなかった。 「わかった・・・・」Mはそう言うと、妻の前で大きく息を吐いた。 妻は言った。「ありがとう・・・・・」 あれから三年である。 Mは離婚して以後、一度も妻とは会っていない。手紙と子供の写真は何通も届いた。 妻は料理教室に通い、レストランで働いている。裕福な父親の家を出て、子供たちと 中野のマンションで暮らしている。 義理の父親とは会っているが、Mは、いつも気まずい思いに苛まれた。社長は仕事と 私生活は分けて考える人間だったので、娘や孫については、何も言わなかった。 それは、義父のそれなりの配慮だったろうが、かえって、Mの気持ちを重くさせるのだった。 ある日、妻からウエディング・ドレス姿の写真が送られてきた。結婚専門雑誌の写真ページ のようだった。 “アルバイトで、雑誌のモデルをやりました。十年前の私たちの結婚式を思い出しました” 妻は、とても美しかった。出会った頃は、初々しさと不安気なまなざしに惹かれた。 妻は、例えれば、つぼみのバラ、ひな菊、かすみ草のような印象だった。小さな真珠の ようでもあった。目立たないが、誰も、疑問は持たない、清らかで、清楚な美しさ。 だが、写真の中の妻は自信に満ち、微笑み、魅力的なオーラを発散していた。 Mは少し嫉妬した。この元妻の輝きはどこから来るんだろう、と。 街をそぞろ歩く。好きだったアンティークの家具を扱っていた店が消えていた。 会社に戻った。午後の太陽がすりガラスを通してでもまぶしかった。 どーん どーん しゅるしゅる (どこかで花火があるんだな) Mはこめかみを指でマッサージした。いつもの癖だ。ブラックコーヒーを飲みながら、 遠い日の、不安気な表情の妻と行った花火を思い出していた。 |
【創作】散文・詩ほか
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ときに人生の季節さえ無視して物語を創造してゆく。
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もう思い出す事も希になってしまった、大昔の思い出。 |
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ひっそりと控えめに咲く、愛らしい花々のような。 |
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まさか、こんなふうになるとは思わなかったわ。
もちろん、これは創作であり、妄想。 不思議に思う事があるの。 『あれらは本当の事だったのか』 とね。 『選べるのだ』と“それ”は言ったのよ。 『あなたの好きなイメージを選べるのです』 『世界は選べるのです』 常に、過去は、私が主役だった。良くも悪くも。 悲劇と喜劇と、その中間の奇妙な時期。 未来がわかるようになるなんて、イマジネーションの無い人間だからよ。 何も楽しくはなく、山あり谷ありを選んだら、退屈な連中しかいない人生。 私はそんな人生しか描けないのよ。 人間同士の化学変化など無知だったし。 コミュニケーション能力も無く。 でも、知的でなければ、ドラマは生まれない事は知っていたわね。 知らないの? 聡明な人々が主役でなければ、ストーリーは退屈だってこと。 馬鹿の悲劇じゃあ、社会問題にしかならないわ。 “それ”は言ったわ。 『あなたは何の欲もなく、ずるさも無かった。 そういう人々が、世界の未来を決める』 人生の虚しさと引き換えに。 |
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24歳の頃は、出版社でバイトしながら、
ハンバーガー屋さんやアイスクリーム屋さんでバイトをかけもちしていた。 いろいろな事をやりたくて、楽しくて。 男の子3人くらいと付き合っていて、漫画を描いて、小説を書き始めていて、 渋沢龍彦を読んでいて、心理学に興味を持っていて、精神分析に通っていて、 新興宗教にも好奇心を持ち、すべて、偏りなく、忙しく ソトへソトへと行動的だった。 男の子は、私より先に酔いつぶれていたな(笑) 美術欄のスケジュールを作っていて、画廊もあちこち覗いていた。 可能性に満ちていたような気もするが、私の内側から、声がしていた。 『道なき道を歩め』 心の深いところからの声が、私を揺さぶった。 いつも、いつもだ。 私を、安定から引き剥がす声がするのは。 本当の人生は、ソトがつくるのではない。 私自身が、内的必然の要請に促されて、否、振り回されて いつも、いつも、崖の前に立たされるのだ。 24歳の頃。 可能性に満ちていながら、私は「形」を捨てた。 私は混沌へと、混乱へと、曖昧へと、促されるままに、歩み出したのだった。 |



