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国の天然記念物に指定されている犬山市池野のヒトツバタゴ自生地です。開花は枝全体に雪が降り積もったようで壮観です。ヒトツバタゴは、 国内では東海地方の木曽川流域と長崎県対馬の限られた地域にしか自生していません。形状がタゴ(トネリコ)に似て、タゴはふつう複葉であるが、 単葉(一つ葉)であることから、この名があります。別名「ナンジャモンジャ」の名でも親しまれ、樹齢約300年、高さ15〜18㍍の大木が花を咲かせました。 いま大事なこと
俳句にとって、一番大事なことはなにか、といえは、私は目を洗って季語‣季題を眺めることだと、と即答したい。
昨今の俳句が、全般に骨細になったといわれる最大の原因は、季語・季題の錘が軽くなったためではないか、と思っている。
季語・季題を無視すると一見俳句は多彩になり、自在になるように見えるが、それはあくまで衣装だけのこと。
作品そのものは、骨のないぬめぬめした海鼠か、芯のない水母のような俳句ばかりになる。
もともと、季語・季題というものは、固定化したものではなく、他の言葉と同じように、見方により、用い方によって、どのようにも反応する命をもったものである。
その命の受け止め方が作品の個性。
かつまた転変して時代の諸相を照らし、作者のいのちを映す。
飯田龍太全集・拝論・拝話・角川書店
村にコンビニひとつばたごの咲きにけり
村のコンビニひとつばたごの朝かな
小姓
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季語や季題の重要性。。大切ですね。
私のような転向して新参のものにははっとする言葉です。これからも精進して季語、季題と付き合っていかなければなりませんね。再確認した今日のお話でした。
村にコンビニひとつばたごの咲きにけり
私はこちらが好みです。素朴な感じがいいのですが「コンビニひとつ」と見えてしまう私が悲しいです。
2015/6/5(金) 午後 9:54
こちらの植物園で、ナンジャモンジャの名前で見たことがあります。
愛知県に自生地があるんですね。
「村にコンビニひとつばたごの咲きにけり」
「村のコンビニひとつばたごの朝かな」☆
この二句の違い…細かな違いで大きく違ってくるのでしょうか…?
私は、“朝かな”の下の句が好きです。
2015/6/5(金) 午後 10:29
クールアウトさん、NOAさんコメントありがとう、後ほどREさせて頂きます。
2015/6/6(土) 午前 7:56
クールアウトさん、ようこそ。
散文詩、短歌を詠まれているんですよね。
間違いなく季語は一句の中で、大きな存在です。
「村にコンビニひとつばたごの咲きにけり」
俳句に文脈はない、といわれていますが、僕は俳句なりの文脈はあると思っています。
内容から、「咲にけり」これはおかしいです、<けり>止めはダメです。
NOAさんのREも参考にしてください。
>「コンビニひとつ」と見えてしまう私が悲しいです。
悲しまなくてもいいです、これも僕の狙いの一つです。
2015/6/6(土) 午後 9:24
NOAさんようこそ。
>違ってくるのでしょうか…?
違ってきます。
「村にコンビニひとつばたごの咲きにけり」
「村のコンビニひとつばたごの朝かな」☆
「に」散文に直すと分かりやすいのではないでしょうか。
村にコンビニがある・村にコンビニが出来る。
「村にコンビニがあって、ひとつばたごが咲いていた」
主人公は村の人ではないですね、観光客、または通りすがりの人。
「けり」の「過去形」は不自然。
「の」は、私の村のコンビニ、朝の散歩でしょうか、今年もひとつばたごが咲いたなぁー
そのような句意。
コンビニを配することによって「村」とはいえ、過疎の村ではない、ということが分かります。
2015/6/6(土) 午後 9:47