|
・
悪人なお往生とげる麦の秋
和田悟朗
悪人でも強盗殺人を犯したのではない、それでは詩にならない。
*
角川・俳句・2014年11月号
兜太の方言
ホトトギス御三家の様子をみても、「玉藻」の星野高志氏も、「ホトトギス」の稲畑廣太郎氏も、これからの作者である。
ただ坊城俊樹氏については妙な人気があり、それが軽視できない気持ちがある。
というのは、小生たちの「海底」では、年に一、二回、道場と称する勉強会をやっているのだが、その世話をしている宮崎斗士は坊城氏に講師を頼んだのである。
つまりそれだけの人気があるということで、小生も一員としてとして受講したのだが面白かった。
漫画だか戯画だか正体不明の絵を画き、虚子も画いていて愉快だった。
俳句はまあまあだが、妙な個性がある。
ホトトギス御三家の方たちからみれば、金子兜太は目の上のたん瘤、悪人である。
しかし、兜太の方言で留飲をを下げる人も多いと思う。
兜太は大往生を遂げた。
――・――
逃げ水をちひさな人がとほりけり
畳から秋の草へとつづく家
水底に影ありかまきりが動く
鴇田智哉
才能があり、もっと活躍してほしい俳人。
・
|
俳句の勉強は角川俳句
-
詳細
コメント(4)
|
・
――――・――――
近世俳句は、しばしば、古典知識や、社会状況、またはプライベートな情報を背景にしていて、それを共有している仲間でないと、作品を理解できないということが起こり得た。
「座」と呼ばれる共同体は、そのような限定された読者の集団といっていいだろう。
座のメンバーにとって平明であっても、その外部に属する者にとっては、難解ということになってしまう。
談林俳諧などは、その最たるもの。
古典の詩句をパロデイ化したり、新奇な言葉遣いを用いることを怖れない作風は、当時、外国語のように理解不能という意味で、
「阿蘭陀流」と呼ばれた。
現代に生きる私たちにとっては、「十に一つぐらいしか分からない」「(百人百句)」と大岡信氏が語っているように、より一層の壁の高さを感じないわけにはいかない。
固定かされた価値観の中に閉じこもっていれば、詩想の光は届かず、感性の潤いは失われ、やがて句は枯れてしまう。
このような座の閉鎖性に注意を喚起して、芭蕉の門人各務支孝は、「門前の姥にも問合わせて合点をせぬは俳諧にあらず」
(「俳諧十論」)と喝破した。
――――・――――
河鹿鳴く分だけ心付け渡す
茄子の花子供が増えてゐたりけり
梅を干す酸つぱき顔といい顔と
羽抜鶏手配写真の顔変る
馬の名を呼ぶ炎天を懼(おそれ)れけり
呼び捨ての名前が増えて茄子太る
本当のことを知りたる蠅叩
小笠原和夫
原稿を依頼する出版社も、作者の年齢はわかるはず。
でも、心身の健康までは分からないからやむを得ないかも知れないけれどこれは酷い。
・
|
|
「第四十八回角川俳句賞候補作品」から引用。
平井照敏_「炎天の影に殺られるかもしれぬ」なんてつまらない。
読み解けないからつまらないのでしょう。
影には強力な光がある、長時間直射日光にさらされれは死ぬ。
大峯あきら_しかしこの句はだめだ。影に殺れるとはどういういう意味でしょうか。
熱中症です。
宇多_気味の悪い黒い影だと思う。この句は面白いと思うんです。
平井_これは見えない影なんですよ。別の言葉でいえば鬼みたいなものだと思う。
悪選は与奪殺生に係る。
大峯_この作品は伝統的な俳句の発想じゃないですね。ただ、そういうユニークなところを試みるにしては力不足、もっとうまく言えないかなという気がしないでもないな。
鋭い感覚、独自の視点、力不足ではありません。
※歳取って選句眼の衰えほど自覚できないものはない。
飯田龍太
|
|
「第四十八回角川俳句賞候補作品」から引用。
平井照敏_「炎天の影に殺られるかもしれぬ」なんてつまらない。
宇多喜代子_「殺す」には「やる」と言う読み方があるんですか。
平井_ありますね。
大峯あきら_しかしこの句はだめだ。影に殺れるとはどういういう意味でしょうか。
平井_真昼間の明るい中、あんがいみんな影を持っている、その潜んでいる影に殺されてしまうかもしれないって。
宇多_気味の悪い黒い影だと思う。この句は面白いと思うんです。
平井_これは見えない影なんですよ。別の言葉でいえば鬼みたいなものだと思う。
大峯_「炎天の影」と言えば普通は「片陰」です。「片陰」は伝統的な季題になっているから混乱したんでしょう。
この作品は伝統的な俳句の発想じゃないですね。ただ、そういうユニークなところを試みるにしては力不足、もっとうまく言えないかなという気がしないでもないな。
※歳取って選句眼の衰えほど自覚できないものはない。
飯田龍太
|




