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子規から学②
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「明星所載落合氏の歌」
君が母はやがてわれにも母なるよ御手とることを許させたまへ
男女のなからひか義兄弟の交りかいづれとも分からねど今の世に義兄弟というような野暮もあるまじく、ここは男女の中なること疑ひなし。
男女の中とした処で、この歌は男より女に向ひていへる者か分らず。
昔ならばやさしき女の言葉とも見るべけれど今の世は女より男の方にやさしきにやけたるが多ければ、ここも男の言葉とみるが至当なるべし。
「御手とる」とは日本流に手を取りて傍らより扶くる意にや。
西洋流に握手の礼を行う意にや。
日本流ならば善けれどもし西洋流とすれば母なる人の腕が≪老人であるだけ≫抜けはせずやと心配せらるるなり。
それから今一つ変に思わるるは母なる人の手を取ることの許可を母その人に請はずしてかへつてその人の娘たる恋人に請ひし事なり。
されど手を取るといふ事及びかくいひし場合明瞭ならざれば詳しく評せんに由なし。
この身もし女なりせでわがせことたのみてましを男らしき君
「せで」は「せば」の誤植なるべし。
「女にて見たてまつらし」など『源氏物語』にあるより翻案したるか。
されどそれは男の形もうつくしきを他の男よりかく評せるなり。
しかるにこの歌は男の男らしきを側の男よりほめて「君はなかなか男らしくて頼もしい奴だ、僕が女ならとうから君に惚れちよるよ」抔いうのであるから殺風景にして少しも情の写りやうなし。
前者は女的男を他の男が評する事故至極尤と思はれど、この歌の如きは男的男を他の男が評する事故余り変にして何だかいやな気味の悪い心持になるなり。
畢竟この歌にて「男らしき」とうい形容詞を用ゐたるが悪しきにて、かかる形容詞はなくてすむべく、また他の詞を置きてもよかりしならん。
(傍「かたわら」扶「たす」)
(側「そば」)(抔「など」)(故至極尤「ゆえしごくもつとも」)
(畢竟「ひつきよう」)
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短歌
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