禅と茶の集い

今年も6月金曜4週連続で禅体験会、開催中です。

太田ワークショップ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2


開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

*ここで前述の第三の方法で述べました「右掌で水を掬うという感覚」の意味を、少し調べてみたいと思います。(ここと次の*では、坐禅の姿勢から離れて、手だけの形に繋意して貰ってもよろしいです)
実は、このような形で右掌に繋意することは通常の坐禅の時にはありませんので、坐禅の時にはこの意味を感じる機会は殆どありません。
しかし私の提案する「歩行と発声の訓練」では重要な意味を持っていることに、皆様は気が付かれるはずです。

特に右掌に繋意しながらの発声では、怒りが完全に抑えられるということを、皆様は体験できます。
「調息山」登頂のためのガイドマップ(9)(10)でも述べましたように、大脳辺縁系の欠陥を露呈するような情動(怒り)とは対極にある感情(「優しさ・思いやり・・・悲しみを感じる心」)が、この「右掌で水を掬うという感覚」の中に含まれているのです。(他にも「優しさ・思いやり・・・悲しみを感じる心」を体得する方法がありますが、この事については次稿『禅仏教の方向性』で示されます)

*以上「右掌で水を掬うという感覚」の意味を探りましたが、「隻手の方の坐禅」で述べました他の「右手の形」の意味を見てみましょう。
取り上げるのは、1「右手だけを法界定印のようにして、親指の赤丸に繋意する方法」と2「右手だけを法界定印のようにして、それから第二指から第五指までの指を離し、各指の間に風を感じる方法」です。

1の場合には、右手の第一指をピンと強く張るのと、右手の赤丸だけに繋意するのとの違いを味わってみてください。ピンと張る場合は緊張度が増し「硬さ・強さ」が感じられ、舌の位置は「ヌ」に近くなります。赤丸だけに繋意の場合は尖鋭度が増し、舌の位置は「ニ」に近くなるでしょう。

2の場合は風の作用によって「ゆるみ・ゆとり」が感じられ、舌の位置は「ハ」に近くなるでしょう。
では皆様に問題。「右掌で水を掬うという形」のばあいは、舌の位置はどのようになりますか?
    

*皆様は、上記のように同じ右手でも違いがあることに気がつかれたことでしょう。
この問題は、「手の形」と「体性感覚」と「心の有り様」という大変興味のある事柄に導いていきます。「印」とか「印契(いんげい)」という問題です。真言密教などでは、イメージや言語が絡んだ複雑な「印」を扱っています。
一方私の取り上げるのは基本的なものです。しかし「手の形」の違いに伴って、体性感覚が有するそれぞれの音色を味わうことは、中核自己の領域に関心のある方ならば、大変興味のある話題です。
いずれ提案する「歩行と発声の訓練」でも、いくつかの「手の形」について実践して頂きますが、このような訓練によって、アントニオ・ダマシオのいう体性感覚と密接な関係のある「感情」を、味わいながら使いこなすという方向性が見えてきます。

*これまで述べてきましたように、「中核自己に備わっている3つの宝物(「断」の機能、「身体のゆるみ・風の感覚・ゆとり・重荷からの解放感・・・楽しさ」、「身体の感じる弱さ・優しさ・思いやり・・・悲しみを感じる心」)」は、何十億年と云われる地球上の生命の歴史の中で、たまたま人類に与えられたギフトともいうべき宝物なのです。

そしてこれらは、自伝的自己(吾我=エゴと云われるもの。一般日常生活の中では、これを基にして生活が回っている)を一時的に棚上げすることによって、誰でもが体得できます。
「3つの宝物」を体得しそれらを味わい使いこなすための具体的方法、「3つの宝物」と自伝的自己の長所(「イメージや言語を操る力」、「過去・現在・未来を考える能力」、更には適度な情動(母子愛・人類愛・喜怒哀楽・・・)とのコラボレーションの在り方、コラボレーションが行われるのに最適の「場」とは何か、最適の「場」と一般日常生活の「場」との関係等々については、次稿で詳しく検討されます。                      
                                           <「調息山」登頂のためのガイドマップ 完了>
*七合目から十合目とその別峰までの工夫としては、前述の二つの方法に加えて後述の第三の方法があります。     

第一の方法の場合
      
七合目から九合目までは、適応しません。      
十合目に近い技法として、右第一指の赤丸と右第二指の橈骨側の爪の角が接した部位に意識します。呼気吸気共にこの部位のみに、只々繋意します。
十合目 別峰に近い技法として、右第一指の赤丸と右第二指の橈骨側の爪の角が接した部位を意識し、その二点を少し離して(おおよそ3〜6mm位)、互いの点が引き合っていることと空気の層を感じてください。しばらくしてから、二点を軽く接触させ、その隙間を流れる微かな風の感覚に繋意します。
両手による「薄紙一枚の坐禅」とは違って、風は右下方に流れます。あたかも深い渓谷によって左側が断ち切られた断崖の頂上から、右下方に微風がながれているような感じです。
     
第二の方法の場合

七合目の2(白骨の坐禅)に近い技法として、右手だけを法界定印のようにして、それから第二指から第五指までの指を離し、各指の間に風を感じる方法です。
風の感覚によって、ゆとり・重荷からの解放感を感じてください。
ここで鉢巻効果を利用とした時は、両手の法界定印の時より眠気が出やすくなるでしょう。
八合目に近い技法として、右手だけを法界定印のようにして、右掌の労宮に繋意して、そこに月を受け止めるような感じです。
九合目に近い技法として、右手だけを法界定印のようにして、右赤丸と右赤丸から両親指の末節骨の中間部(尺骨側)にかけての空気の流れ(風)に繋意します。
十合目に近い技法として、右手だけを法界定印のようにして、右赤丸だけに繋意します。この時右赤丸を気海に少し「押し込む」ようにするとよいでしょう。
又十合目 別峰に近い技法として、右赤丸の近辺に風を感じる技法があります。

第三の方法
右手の5本指をくっつけ、右掌で水を掬うような形にします。
この技法では、七合目・九合目・十合目に近い物はありません。
しかし八合目に倣って、掬った水の中に月が映っているように感じてみてください。勿論この段階では、掬った水の中に月が映っているというイメージは坐り始めには良いのですが、坐って行くうちには右掌の体性感覚のみに集中するようにしてください。
この感覚を体得するには、両手の方より隻手の方のほうが早いでしょう。(ここが隻手の方の有利な点ですから、早くこれをマスターしてください)
ここで重要なのは「月が映っている感覚」より「右手の5本指をくっつけ、右掌で水を掬うという感覚」です。
以上隻手の方の坐禅の方法について、私のマップに倣って述べてきました。
*51年前、私は医学部の教養時代の時に坐禅を始めました。その時、お一人だけ隻手の先輩にお会いしています。中央大学を卒業された少壮の学者で、既に『兜率三関』の第一関を透過され、耕雲庵老大師より黒絡子を授与されていらっしゃいました。     
当時は私自身の「安心」を求めるのに精一杯で、隻手の方の工夫が如何なるものかについては、全く関心はありませんでした。
今から思うと残念なことですが、隻手の工夫について特に隻手の場合の「安心」に至る技法について、その先輩に何一つお尋ねしたことはありません。

*前述のように、神光居士の到達した「心不可得」の境涯と、このガイドマップの十合目とその別峰の踏破によって得られたものが同一のものかどうかは別として、今後隻手の方が坐禅を希望された場合の指導方法を、参考までにガイドマップに従って述べてみます。 
神光居士に倣って、右隻手による工夫とします。

*一合目・二合目の1では、右隻手のみ右股に置きます。2・3では⑧に示した組手はできませんので、右手の第一指と第二指とでリングを作り、他の3本の指は軽く伸ばし下腹部に当てます。

この場合両手による組手と比べると、手の温かさや気海(臍下丹田)の温かさはやや弱く感じられるでしょう。

*三合目から六合目までの工夫として問題になるのは、両手による法界定印における両親指の赤丸に替わってどこに繋意するかということです。 
私は二つの部位を提案します。 
第一は、前項で述べた右手の第一指と第二指とでリングを作り、他の3本の指は軽く伸ばす方法です。第一指の赤丸と第二指の橈骨側の爪の角(爪の先端部と皮膚との境)が接した部位に意識します。この部位は⑩で述べましたように、針等の極細い物を抓む時に用いる処で、元々鋭敏な処です。
 
この方法の場合、右第二指の先を気海(臍下丹田)に向かうようにする方がしまりが出ます。この時舌の位置は、「ル」・「ヌ」より「ニ」に近くなります。
 
第二の方法は、右手だけを法界定印(右親指を他の4本から離して立てる)のようにして、親指の赤丸に繋意する方法です。両手の両赤丸に繋意するのと比べると、やや弱く感じられるでしょう。それを補うため、右親指の先の方を突っ張って尺骨側の緊張感を強く感じて、それから徐に右赤丸の温かさ・拍動・シビレ・痛さ等を感じるようにしてみてください。
 
右手の赤丸に繋意する方法の場合、特に五合目(木陰で小休止を含む)と六合目(見晴台で大休止 重畳法6,7,8、9を含む)の場合、重畳する相手の部位によって、右赤丸の位置が微妙に変わるかもしれませんが、気にしないでドンドン先に進んでください。
 
見晴台 大休止の重畳法10は、隻手では難しいでしょう。第一、第二の方法共に六合目の見晴台で大休止 重畳法10、つまり「息(そく)の呼吸」には馴染まないでしょう。
*古来から調息の実習では、②の「数息」「随息」「止」の定義にもありますように、結跏趺坐又は半跏趺坐という坐法を前提にしています。ですから椅子による調息の指導書はないというのが実情です。      
そこで参考までに私なりの考えを記しておきます。     

*椅子に坐る時、足の開きは肩幅くらいにします。膝関節の位置より股関節の位置を少し高めにして、両足の爪先・土踏まず(「足心」)・踵(「失眠」)が全て床に着くように椅子の高さを調節します。必要ならば、坐布団なども使用してください。腰は背もたれまで深々と掛けないで、浅く掛けます。そのために不安定なパイプ椅子等を避け、又掛ける処は傾斜や凹凸のないものがお勧めです。     

*具体的な方法は、「調息山」登頂のためのガイドマップに沿って進めてください。
      
一合目・二合目・三合目・四合目・五合目・五合目(木陰で小休止)までは同じです。六合目の前半は椅子では無理なので飛ばし、六合目(見晴台で大休止)の重畳法8の「○呼気・吸気共に、「赤丸」と両「足心」とに繋意」及び重畳法9の「○呼気・吸気共に、「赤丸」と両「失眠」とに繋意」に進んでください。
      
どちらかというと、「○呼気・吸気共に、「赤丸」と両「足心」とに繋意」のほうが体得し易いでしょう。

⑬で述べました鉢巻効果がありませんので、身体感覚に集中するというのが、どうしても希薄になりますが、これは致し方ありません。
      
それから七合目・八合目・九合目・十合目と進んで行くのですが、結跏趺坐や半跏趺坐で体得されるものと大分差があります。それは何故なのでしょうか?先ほど鉢巻効果がないことに触れましたが、椅子の場合のもう一つの問題点は、床(大地)からの反発力が乏しいということです。
      
結跏趺坐にしても半跏趺坐にしても尾骨と両膝頭による三角形というかなり広範囲の部分の床(大地)からの反発力があり、そのために臀部から上の身体をドッシリと支えることができているのです。
      
ところが椅子の場合は、尾骨と両足底によって支えられていますが、この支えている尾骨と両足底とに高低差があること、床(大地)からの反発力を感じる部位(両足底)と法界定印とが離れていること等から、身体のエネルギーが下に抜けてしまうのです。(結跏趺坐や半跏趺坐の場合、鉢巻効果や床(大地)からの反発力を感じる部位と法界定印とが接近しているのも、大きな意味をもっています)
     
その為に七合目から十合目及びその別峰における法界定印への繋意によって得られる「幸せ感」や「充足感」もまた、結跏趺坐や半跏趺坐に比べると、希薄になってしまうのです。
しかし椅子での坐法の弱点を少し補う方法があります。
それは、⑳の痛みの対処で述べました、左右の足の脛骨側の側面の「太白・公孫・然谷」のライン上と法界定印の各部とに繋意する方法です。是非試みてみてください。

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事