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HP「全肥商連九州」の管理人です。このブログやHPへの感想を、「NANA色の風〜九州から(全肥商連九州掲示板)」にお願いします。

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LGBT生産性騒動

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 LGBTには「生産性がない」という自由民主党の杉田水脈衆議院議員の主張が、ここ数日大きな批判を集めていますが、今回の騒動で私は「LGBT」という言葉をやっと覚えました。Lesbian、Gay、Bisexual、Transgenderという4つのSexual minorityを示す単語の頭文字を組み合わせた言葉が「LGBT」だと。

 この話題に関しては杉田発言の明かな非を云々するよりも、竹下郁子氏が『なぜ杉田水脈議員は過激発言を繰り返し“出世”したのか──女性が女性を叩く構図は誰が作ったか』で指摘していたように、杉田氏が女性やマイノリティを過激な言葉で攻撃することで政治家としての“地位”を得てきたという政界の構造を、我々の清き一票で変えていく必要があることを肝として、個人的にはピリオドを打ちました。

 そして、これを機にLGBTについて色々思いを馳せることで気付いたことの一つに、私の関心は次第に重心を移動させてていきました。それは子供の頃に受けた道徳の授業だったと思うのですが、「男は男らしく、女は女らしく」というようなテーマのディスカッションがあったことを覚えていて、あれはひょっとすると間違った教育だったのではなかったのか――という疑問です。

 男は男らしく女は女らしくとは云っても、女性らしい細かい気遣いの出来る男性も素敵だし、豪胆な女性も素晴らしいと思います。生まれた時に付いていた生殖器の形状だけで全てを男女に分けてしまうというのはどうなのでしょうか。

 男女差は生殖器に限らず肉体的にも様々な箇所にあろうし、性格的・精神的にもいろんな特徴を我々は有しています。全ての人間は男の部分が何割かと女の部分が何割かで出来上がってると考えていいのではないでしょうか。その比が戸籍上の性別と比べて9:1なのか3:7なのか、様々あるのではないでしょうか。皆がそんな理解のもとで生活できるようになれば、もう少し懐深い社会に変わっていくのではないかと考えました。

 少なくとも、男として生まれたからには常に男らしくとか、女は女らしくあらねばといった軽薄なジェンダー教育は再考する必要がある。そんなことを、私は今回のLGBT生産性騒動の中で考えていました。

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