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東日本大震災がおこり、その余波を受けて福島第一原発が起こってしまいました。
原発の安全神話がもろくもくずれこれからの電気事情に暗雲が垂れ込めています。
これからも原発を推進して行くべきなのか?逆にやめて昔の水力と火力発電に舞い戻る事が可能なのか?
もちろん原発を辞めれば今の便利さに慣れてしまった僕らには絶えられない不便さを感じてしまうかもしれへんなぁ〜
僕が大阪から愛知へ移り住んだ頃は家の回りはまだ舗装されていない砂利道ばかりやった。
電気事情と言えば夏の夕立の頃となればしょっちゅう停電してたものやった。
僕はまだ小学生だったからやと思うけど停電となれば見たいテレビが見られず残念に思う程度の不便さしか感じなかった。
今とは完全に生活スタイルも違っていてDVDもなけりゃPCもなくPCが使えず仕事に差し支えるなんて事もなかった時代・・・思い返せば不便な生活なりの幸せもあったような気もするんやけどな〜
人間にする事に間違いはつきものやけどその間違いに人間が滅ぼされてしまうんとちゃうか?と考えるとほんとに原発の便利さに甘えててもええんやろうか〜?
一丁目の夕陽を見てた頃は不便なりに時間もゆっくり流れて人間らしい暖かみのある生活が送れていたんとちゃうかな〜?
それが懐かしくもありイザとなれば経験した者であれば戻れそうな気もするのは僕だけやろうか〜!?
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一丁目の夕陽を見た頃の話
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詳細
僕に生まれた年、育った年代はその映画とピッタリ合うんです。
僕の住んでた所は大阪市東淀川区○○一丁目」でした。
「ちょっとマネました・・・」
三丁目は東京の様子でしたが僕の住んでた大阪のその当時からのお話をしたいと思います。
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僕は幼稚園の年少の時に大阪市から愛知県西春日井郡西春町(現在の北名古屋市)という所へ引っ越しました。 前回も少しお話したようにそこは僕が初めて見る光景でやったんです。 家の回りは360度グルッと見渡すと田んぼ、田んぼの田んぼだらけやった。 遙か向こうに隣の家が見える・・・ まさに田んぼの中の一軒家(正確には長屋風の借家やったんで田んぼの中の10軒屋かな?)やった・・ 家は小さく狭くもちろん庭などない家やったけど家の回りは全部庭の様なものやった〜 そこで我が家は初めて犬を飼う事にしたんです。 犬の名前は「ゴロー」!!! もちろんそのゴローがこれから巻き起こす事件の事など知る由もなかった・・・ ゴローは母親の仕事関係のお宅から「貰ってくりゃぁ〜す!?(名古屋弁で・・)」というお話を頂いて我が家にやってきた。 ゴローの親が長毛のフサフサの洋犬のような犬やった〜! それでゴローもきっと「エエ犬になるでぇ〜?!」という事から飼う事にしたんです。 「なのに・・・なのに・・・?」 ゴローは大きくなっても一行にフサフサの犬にならへんかった〜 「騙された〜〜〜〜〜!!!」 大きくなるにつれ柴犬を大きくしたような犬に成長していった・・・ 「柴犬かな?」 でもよく観察すると4本の足に白足袋を履いている・・・ どうもただの雑種やったようです。 でも今更返す訳にもいかずもちろん捨てるような事はできない、愛情も湧いている・・・・ 結局飼い続ける事にした・・・ うちのゴローは今と違っていつもいつもリードを付けて散歩させるような事はなかった。 時には家から解き放って好きなように散歩させていたんやな〜。 今じゃとても許されない事なんやけどその当時はそれが当たり前のようなところもあったし何せ家の回りは田んぼと畑しかなかったから全てが庭のようなもんやった・・・ 他の家の犬もそうやったし野良犬もたくさんおった〜 ゴローはすくすくと育ち後ろ足で立つと小学校2〜3年の僕と同じぐらいの大きさになっていた。 そんなある日近所の農家の話が又聞きで伝わってきたんです。 「最近うちの田んぼやキャベツ畑が荒らされて困ってるんだぎゃぁ〜(名古屋弁)」 ひょとして?と思い早朝の散歩の時間にゴローをいつものように解き放って僕とオヤジはゴローの後をそっと尾行した。 ゴローは一目散に駆け出し僕とオヤジの目から消えて行った・・・・ 僕とオヤジがゴローを探しているとある田んぼの稲穂が波打ったように動いては穴が空いたようになって行く所を目にした・・・ そう!ちょうどミステリーサークルの様やった〜〜!! すると稲穂の間からゴローが顔をヒョコっと出しよったんですぅ〜 「こらぁ〜〜!!」と追いかけるとゴローはさらに面白がって人をおちょくった様に掛けだし今度は畑の方に・・・・ 必死に追いかけると今度はキャベツ畑で「バサァ〜〜!バッサァ〜〜!!」と何やら柔らかい物が潰れるような音がする・・・ 目を凝らしてみるとやっぱりまたヤツやったーーー!! 何とゴローが面白そうに畑にできたキャベツを一つ一つ全体重をかけて潰して回っていたのだぁ〜!! その後僕のオヤジとオフクロが農家さんへどう対処したんか、僕は覚えてへんねんけどゴローのフリー散歩が終わりを告げたのは確かやった・・・・
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それは突然やってきた。 |
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今のように歯の衛生教育が全くと言ってええほど行き渡ってなかった僕の幼かった頃どの子もみんな虫歯だらけやったな〜 僕もそんな子供の中の一人やった。 奥歯には大きな洞穴の様な虫歯穴がいくつも空いていた・・・ 虫歯ってヤツは不思議と夜になるとうずき出すんよね〜〜?!(何でやねん・・・?) 最初のうちはよく今治水を綿に湿らせて虫歯の穴に詰めて痛みを紛らわせていたんやけどそれも何回かやってる間に効かなくなってくるんやな〜 するともう痛みに耐えかねて僕はよく泣いていた・・・ その頃ってまだ乳歯やったせいもあるけど虫歯ができたからと言ってすぐに歯医者に連れて行くなんて考えはなかったようやね〜。 僕が泣いていると母はいつも僕をおんぶして家の横を走る阪急電車を見に連れ出して行ってくれた。 ほんの30分もするとなんと不思議な事に僕の虫歯の痛みが嘘の様に退散して行ったんやね〜 日によっては一日に何回もそれを繰り返した事もあった様な気がするな〜〜 今思うと母は同居していた舅、姑から息抜きするために僕の虫歯を良い口実に表によく連れ出してくれていたと思えなくもないんやけどおんぶされた母の背中がどんな歯医者よりも名医に思えたんよね〜 もう今は亡き母に感謝です・・・
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何歳の頃やったか?4〜5歳ぐらいやったかな?
その歳ははっきり覚えてへんけどこの世に生まれて初めて人から罰を与えられた時の事を今でもはっきり覚えてるなぁ〜 僕は近所のある大学の附属幼稚園に通ってた。 我が家は決して裕福な家庭やった訳でもなく近所にはそこしか幼稚園がなかったからやねん。 その幼稚園の制服は今時の幼稚園服と対して変わってへんと思うけど防止は角帽で角に房が付いていたね〜 ちょっとお上品な雰囲気の幼稚園でお山の大将でガキ大将やった僕には全くふさわしくない場所やった・・・ その頃僕が住んでいた家の回りには男友達が一人もいなかった。 回りは女の子の友達ばっかりでまさにハーレム状態やった。 集合場所から集団登園していたんやけど女の子の間では毎日誰が僕とお手手つないで幼稚園に行くかジャンケンの死闘が繰り広げられていた。 そんな浮ついた気持ちで通っていた幼稚園生活でそれはおこった。 幼稚園では毎日午後3時に「おやつの時間」があった。 その日におやつは今でもハッキリ覚えている。 その日は「よもぎ餅」やった!喰いもんも恨みがこわいぞぉ〜〜〜!! おやつが配られた時「いただきます!」の挨拶をする前に隣の友達としゃべっていたんよ。 今時ならば幼稚園児なんやからおしゃべりもするし仕方ないで済まされるかも知れんねぇ? でもそこ時の担任の先生はいつまでもしゃべっている僕に立たされ罰を言い渡したのだ! 何で立たされたのか?4〜5歳の僕には分からへんかった。 先生から何で立たされたのか説明をされた時も「何で僕だけ・・・?」と思った。 でも逆らう事も知らない、そんな知恵もない純粋な僕?には言われるがまま立っているしかなかった。 その間にも「いただきます!」ははじまりおやつの時間は始まったのだ。 組のみんなは楽しそうにおしゃべりをしながら楽しそうによもぎ餅を頬張っていた。 僕はお腹を空かした犬の「おあずけ状態」のまま恥ずかしさと羨ましさで一杯やった〜。 みんなが食べ終わる頃ようやく「座っていいよ〜」という許しが出た・・・ 僕は一人寂しく急いでよもぎ餅を胃袋に押し込んだ。 それが僕が初めて他人からうけた懲罰の経験なんよね〜〜! 幼稚園児にそこまでする事が今ならやりすぎなのか当たり前なのかよう分からんけど僕の社会におけるルールの存在を認識する第一歩となった事だけは間違いなさそうやね〜〜!? |




