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ミーちゃんが「旬くんにあいたーい」というので、
今日は気力、体力的に充実してるので(仕事明けで十分寝ました)
『カリギュラ』観ています。
この収録は東京でしたね。
私は大阪を観たので、ちょっと収録の時とは演出も変わっているところも多く、
カリギュラの狂気がより強かったように思えましたが。
ドラを鳴らすところも激しく、「狂っている」と
貴族やセゾニア達に印象を強く持たせたように思いました。
ケレアのセリフがまた聞き応えがある。
「論理が錯乱するのを待とう」
「私が行動を起こすのは野心ではない。理由のある抗議だ」
このケレアの論破が、より、カリギュラの狂気、恐怖を説明するのに十分である。
いかに無理難題を突きつけながらも、反論の余地を許さないカリギュラの論理の恐怖、
皇帝としての権力の行使も、私利私欲でないことがカリギュラの恐ろしさであることを
ケレアの演説で伝わってくる。長谷川さんピッタリでしたねえ。
貴族達との恐怖の食事のシーンも、さらに演出は加えられ、
さらに傍若無人な振る舞いが、貴族達の恐怖と、カリギュラの苛立ちが伝わってくる。
さらに貴族への失望、自分の存在価値の意味、傍若無人な振る舞いをしながら、
カリギュラの孤独が伝わってくる。
貴族の皆さんの恐怖の演技が伝わってきて、ワクワクした。
自分がカリギュラになっていくような、錯覚。そして、誰も正面切って反論してこない
貴族への反発と、貴族が忍耐することの意味を考えさせられた。忍耐とは弱いようで
なんてしたたかな強い感情だろうと。貴族達が恐ろしく、信用できない人達であること
として伝わってくる。ああ、カリギュラの恐ろしいほどの孤独。
そして、セゾニアの愛。「理解してあげて」
難解で、複雑なカリギュラの心を本当に理解しようと苦しんでいたのは、セゾニアだったと思う。理解し、カリギュラを救いたいと思っていたのも。切ない。
そして、シピオンとのシーンはカリギュラが唯一人間らしい一面を出しながら、
さらに狂気に自分を追い込み、自分の論理に挑戦していく過程として、大切なシーン。
シピオンが純粋であることが、さらにカリギュラの心のバランスが崩れていることを
強調し、カリギュラの悲しさがより伝わってくる。
勝地くん良かったですねえ。抱き合うシーンは2人の間には、「愛」が存在していた。
しかし、シピオンにはなれない、カリギュラの悲しさ、理性が伝わる。
「孤独、本当の孤独というものがお前にわかるものか」癒されるものすらもたない孤独。
こんなカリギュラに愛情を示すシピオンが説く。
「どんなひとも人生の中に1つの優しさをもっている。こころががすり切れたと感じたと 思った時、ひとはそのやさしさの方を振り向きます。あなたの人生の中にそのようなも のはないんですか。ひっそりとした隠れ家のようなものは。」
「あるにはある、軽蔑」
鳥肌が立つくらいの恐怖、絶望を感じた。軽蔑することを癒しとするとは。
歪んでいる。カリギュラの孤独と絶望の悲しみを目の前にして、
なにが出来るのだろうと無力さを感じずにはいられなかった。
ああ、苦しい。
この作品は小栗旬が演じるカリギュラがもちろんメインであり、演出家の小栗旬への深い愛情を感じずにはいられない。愛されてるなあ。また愛されるに足る小栗旬である。
この残酷で理不尽な暴君をこんあにも魅力的に演じられるヒトが他にいるだろうか。
残酷だが、優しを垣間見せ、憎いけど、愛しい人。
こんな相反する複雑な人を演じられるのは、当たり前だが、小栗旬しかいないだろう。
後半はまた後で。気力も体力ももたない、家族も。
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