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ストーリー:ノルウェー船のクルーとして、世界中を旅して回ったラモン・サンペドロ。
そんな彼は25歳の夏、岩場から海へのダイブに失敗して頭を強打し、
首から下が不随の身となってしまう。
それ以来、実家のベッドで寝たきりの生活に。
農場で懸命に働く兄のホセ、母親のような愛情でラモンに接するホセの妻マヌエラなど、
家族は献身的にラモンの世話をしている。
だが事故から26年目を迎えた時、
ラモンは自らの選択で人生に終止符を打ちたいという希望を出した。
感想:正確に言えば、彼の死は「尊厳死」でもなく、「安楽死」でもない。
彼は「自殺」したのであり、彼を支援する立場は「自殺幇助」であろう。
映画の中に「尊厳を守るために死ぬ」という彼の言葉がある為、
そこから「尊厳死」というひとつのイメージが喚起されるが、それを限定的に扱ってしまうと、
この映画から僕らが受けるより深い響きを損なってしまうように思う。
それはとても勿体無いこと。
彼は頚椎損傷を原因とする四肢麻痺により、28年間も寝たきりの生活を余儀なくされ、
そこには既に長い長い物語が横たわっている。
しかし、敢えて言えば、この映画は、彼と家族の長い物語の果てに、
フリアとロサという全く違うタイプの二人の女性が彼らに関わる、
その中で彼らが彼の自殺を決心し、
そして決行する、短い期間に凝縮された感情の物語として私は捉えるのである。
もっと言えば、この物語は彼だけの物語ではなく、彼に関わった人たちの物語でもある。
彼は自殺する。
しかし、そこには、自殺する彼を中心にして、
彼らの「生きる」ことへの濃密な意志と疑義が垣間見えないだろうか。
そして彼自身についても、生と死への思いが微妙に捩れる瞬間が、
その人間的な揺らぎが、共振するように僕らを揺さぶるのである。
「海を飛ぶ夢」とは何だろうか?
映像とともに印象的に語られる彼の「海を飛ぶ夢」とは?
それは叶わない夢でありながら、
彼を28年間支え続けてきた不可能性の可能性ではなかったか。
彼はフリアに想う。「永遠に縮まらない距離」のことを。
フリアもロサも結局は錯覚してしまったのだと私は思う。
彼だけが彼女達との触れ合いの中で揺らぎながらも、
結局はその距離が決定的であることを悟るのである。
そんな彼自身が決して相対化され得ないこと、そのことを今度は僕らが悟るに至るのだ。
間違ってはならないのは、彼は仏のように悟って死ぬのでは決してなく、
人間という不可解さを自明のものとして死ぬのである。
それは生きることへの揺らぎと言っていい。
そこに逆説的に浮かび上がる、
静かに切り取られ選び取られた生の有り様こそが僕らの胸を強く掴むのであろう。
私としてはやはり彼に焦点を当ててしまうが、
やはり、この物語は彼に関わった人々の「生きる」物語である。
そしてもちろん、その反映の中に僕らも含まれている。それが観るということだろう。
キャッチコピー:約束しよう。
自由になった魂で、きっとあなたを抱きしめる。
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