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こんばんは!
これも思い出記事で、
昨日の「サンタさん」の後日談でもあります。
まだまだ、今日一日、メリー・クリスマス♪
帰宅してみると、昨日の記事の“続き”がありました。
楽しいクリスマスイヴも終わって、、、
いつもの通り早朝6時すぎに出勤した私は、少々早めに帰宅できました。
はぁ〜、疲れた、、、
と自分の机のパソコンの前に座ると、、、
そこには、ビリビリ!とプリントを破ったような紙に、
拙い文字で、大きく、
“ サ ン タ ”
と。
その下には、
これもヘタクソに、けれど一生懸命折りたたんだような包装紙。
中身は、遊戯王のスーパーレアカードが1枚。
(その頃、息子たちと3人で、よく遊戯王のデュエルをやっていたのです)
私の所にもサンタが来ました♪
どうも、随分ちっちゃいサンタだったようですが笑、
私が出勤した後に、煙突から忍び込んで置いていったようです。
ふと、元妻の仕事机を見ると、
そこにも拙く微笑ましい
“ サ ン タ ”
の文字が。
ちっちゃいサンタ2人が、近所の河川敷からでも摘んできたのでしょうか。
ちょっと元気はなくなってるけど、
つつましやかな野の花が、
同じ包装紙に包まれていました。
(元妻は、花が大好きでした)
ここにも、サンタが来たようです♪
クリスマスにお年玉、
お祭小遣い、バレンタイン、ハロウィン、イースター、恵方巻、大安・友引、七五三…
あれもこれも、贈って、もらって。
日本人って、ホントに節操なし笑
でもね、
なんちゃって比較宗教学者としては、こう言うでしょう。
「想い」「願い」「祈る」ことに、
宗教とか国とか民族とか、
ぶっちゃけどーでもいいよね。
心を込めて贈る喜び、
純粋にもらう喜び、
そこに、
「ただただ素直に嬉しい心」があるのなら、
それがこの地球のどこかに確かに存在するのなら、
イベントの名前や由来がどーたらなんて、
ちんまいことです♪
(義務のプレゼントや、騒ぎに便乗しての経済利用、暴れるのなんて論外!でダメですよ♪)
でも、
「我が家はみな仏教徒なので、クリスマスはしません。」???
ちんまい、ちんまい♪笑
サンタクロースの“心”は実在すると、信じています。
(それをまた「証明」しようと躍起になるのも、またちょっと違う気がするんですよね。
それは、個人がそれぞれの理解で、「信じ」たり「想」えば良いことなのです。
そこに、宗教だのなんだのの「垣根」を作ってしまうことの方が、
よっぽど愚かだと、‶なんちゃって比較宗教学者”は思います♪)
恐らくサンタは、
いつか私の愛する全ての人のもとにも、
現れることでしょう。
メリー・メリー・クリスマス!!!
それにね、
「ああ、懐かしいなぁ。
でも、今の独り身のオレにはもう縁のない話だわ…。」
なーんて!
私は、微塵も思っちゃぁいませんよ♪
はい、同じ形はもうないでしょう。
でも、全然違う形の奇跡が、
まだまだいっぱい私を待っているのです♪
ただ、
「それを願う」か、
そして「それに気付けるか」、
それだけの問題ですもんね♪
やっぱ、オレ、スゲー!(まだ言うか!笑)
いまさら? いまからよ!
ナミすゎ〜ん☆ in 「ONEPIECE」
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過去録
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コメント(10)
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こんばんは!
久しぶりの「昔の思い出」記事ですね〜
(今はもうない)嘘ポジブログアップ記事の時間微調整版再録です。
クリスマスの音楽がそこいら中に響く中、
私も、
今は大学卒業を控えた長男(以降、中のま)との、
ささやかなワンシーンを思い出しました。
確か、
中のまが3歳か4歳くらいのクリスマス数日前の夜だったでしょうか。
中のまをだっこしてベランダから夜空を眺めながら、
クリスマスプレゼントのお願いを聞いていました。
その時、突然
中のまが、ぴっ!と夜空の彼方を指差しました。
「あ、あれ、サンタでしょ?ねぇ、とうちゃん」
流れ星?
飛行機?
正体は分かりませんが、
何か光るものが夜空を走ったのだそうです。
その時、中のまは「サンタさんを見た!」と大はしゃぎで、
その晩は何かとっても幸せそうに眠りについたのを覚えています。
その年のプレゼントは、欲しがった戦隊モノのオモチャだったのですが、
実は中のまが本当に欲しかったのは、
カルビーの「ウルトラマンスナック」についているカード。
その中でも、どうしても!
ウルトラマンティガ・スカイタイプ
のカードが欲しかったのです。
そうは言っても、
コレばっかりは透視でもできない限り狙って当てるのはムリです。
中のまも、それはなんとなくわかっていたようなので、
希望の品は戦隊オモチャです。
私は、
まぁせめてマルチでもパワーでも、どのタイプでもいいから、
怪獣じゃなくてティガが出たらいいなぁ、
と思って未開封スナックを一個だけ、
おまけでプレゼントに添えて置いておいたのです。
その一袋から出てきたカードは、
そう、
ウルトラマンティガ・スカイタイプ!
中のまは「サンタさんはすごい!」と叫んでいました。
本当に、たかがカードのくだらなすぎる話なんですが、
私もほんの少〜し、
ちいさなちいさなミラクルに出会った気がして、
妙に嬉しかったのでした。
そして、、、そんな中のまも、今や大学卒業。
その中のまが高校1年の冬、
「ほんまにサンタさんおったらエエよなぁ〜(笑)」
と現実的なボヤきを発しながら、イブの夜こんな会話をしました。
サンタさんはいつ来るのか!?
と何度も何度も玄関に走る次男(以降、小のま)と娘(以降、はぅ)を横目に、
中のま 「ま、あいつらも、あと数年したら、サンタやかおらんのに気付くんよな〜(||^д^)」
のま 「なん言いよんで、サンタおるけん(^ω^v)」
中のま 「イヤイヤ、おらんかろ、マジで(^д^;ノノ」
のま 「そりゃ、赤い服着て白いひげのおぃさんはおらんと思うよ、父ちゃんも。」
中のま 「ほやろ?笑」
のま 「でもよ?
“サンタさん”って言う存在があるけん、
父ちゃんはみんなにプレゼントをあげようと思えるんやん?
そんでみんながビックリしたり喜んだりしてくれるってことはイイことで、
それってサンタさんのおかげやん?
ちゅうことはさ(^-^)、
サンタさんって、サンタさんの“心”って、実在するんよ。
な?(^ω^b)」
中のま 「・・・う〜ん σ( ^_^;)」
のま 「わからん?笑」
中のま 「…よぅわからんわ…、
けど…
、、、オレもプレゼント置くの手伝うわ。
アイツらの気ぃそらしとったらえかろ?
父ちゃん、そのスキに玄関に置いてこんけん(^ー^b)」
その年から中のまは“こっち側(?)”の仲間として、
弟&妹へのサプライズに協力してくれる「サンタ」になりました。
知らない間に玄関に置かれていたプレゼントを、
歓喜の雄叫びとともに開封し、
枕元に抱きしめたまま、
小のまとはぅは眠りました。
中のまは「よろこんどるなぁ♪」ってつぶやきながら、
隣の布団にもぐりこみました。
はぅも、小のまも、中のまも、元妻も、
それから、私の親しいお友だちも、
知ってる人、知らない人、みんな、みんな、
‶何かがもらえる”クリスマスイヴであって欲しいと、
祈っています。
オヤスミナサイ
メリー・クリスマス
やっぱ、オレ、スゲー!(うわ、後味悪っ!笑)
明日に死を迎えるとしても、
今日から幸福になって遅くないのです。
中村天風
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こんばんは。
今日は、
元義父(まだ結婚しているときに亡くなられたので、元、は外しますね)の命日です。
もう、15年以上も前の話です。
そう、うつで休職していた私が頑張って復職して、
「大黒柱が稼がねば!」と奮闘している頃でしたね。
義父は、とても頑固で厳しい人でしたが、
己が矜持を持ち、面倒見がよく、皆に尊敬されていました。
ある年のお盆休み、義父は暑い夏の公園で、
当時5歳の私の長男にツクツクボウシを獲ってあげようと木にのぼり、
足を滑らせて転落し、意識を失いました。
公園の奥まったところだったこともあって、救急搬送に時間がかかり、
数日間の意識不明の後、回復の姿を見せることなく息を引き取られました。
孫たちを事の他かわいがり、愛してくれた本当に素晴らしい義父でした。
転落した時に頚骨を折ったため、
すぐに脳内への酸素供給が停止したようです。
病院に搬送された時には既に脳の壊死損傷がひどく、
完全に重篤な意識不明に陥ってしまいました。
私が一報を受け、即座に仕事を中断し到着した時は、
既にICUに収容され面会謝絶でした。
やっと入室できた時、
初めて見た義父はこちらから見て頭を左側に横になり、
まるで眠っているかのようでした。
こちら側に見えている右腕に点滴の針、
そして落ちた時に頭にケガをしたのでしょうか、
額のところに白いガーゼがあててある以外はどこにも大したケガもなく、
本当に普通に、普通に眠っているようにしか見えませんでした。
その義父について、不思議な夢を見たことがあります。
それは事故があった日から数日たったころのこと、
意識を取り戻すことは絶望的と言われながらも、
いつどのような変化があるかわからないため、皆が実家に詰め、
交代で付き添いに行っていました。
いつものように付き添って帰った夜、
やや疲れを感じながら元妻と息子2人、そして生まれて4ヶ月の娘と、
ザコ寝に近い状態で眠っていました。
ふと気配を感じ、うつらうつらとドアを見ると、
義父が立っているではありませんか。
そんなはずはないのですが、寝ぼけた頭で私は思わず叫んでいました。
「お義父さん!大丈夫なんですか!意識、戻ったんですか!」
そういう私に穏やかな笑顔を見せながら、
義父は起きようとする私を手で制して、
「かまん、かまん。」(起きなくても構わないよ)
そう言いながらゆっくりと部屋に入り、
娘の隣に、よっ、と横になりました。
そして嬉しそうな顔で娘をながめながら、
左手で娘の体の上を数回ぽんぽんと優しくなでていました。
左手首の包帯が仄暗い中に妙に白く見えました。
義父はしばらく娘を見ていたのですが、やがてまた、よっ、と立ち上がり、
また起きようとする私を笑顔で制して、ゆっくり部屋から出て行きました。
私は、義父が無事帰ってきた喜びのような、
逆に取り返しのつかない事態になってしまったことに絶望するような、
なにかとても説明できない複雑な気持ちで、
義父が出て行ったドアに向かって涙し、嗚咽していました。
希望が夢の形をとったのでしょうか、あまりにもの哀しく、
しかし心のどこかで、
「もしかして今日、お義父さんが目覚めるのではないか」
と淡い期待を抱かせるような生々しい夢でした。
次の日、いつも通り見舞いに行った私は、元妻に昨晩の夢の話をしました。
元妻は抱いた娘を見ながら、
「父さんがこの子に会いに来たんかなぁ」
と涙ぐみました。
やはり眠ったように動かない義父。昨日とまったく変わりはありません。
「今日は少し体を動かしますね。床ずれができますので。」
と看護婦さんが丁寧に会釈をしました。
同じ体勢でいると、褥瘡(床ずれ)やうっ血が起こるのです。
看護婦さんが体勢をずらすために掛けてあったシーツをめくった時、
私は息をのみました。
左手首に白い包帯。
それはまさしく昨晩見た義父の左手に巻かれていた包帯。
今まで、左手首に包帯を巻いていたこともまったく知らなかった、
それどころかシーツがかけられたままの左手を見たことすらなかった私は、
その時感じました。
ああ、やっぱりお義父さんは昨日あの部屋に来たんだ、
生まれたばかりの孫娘を案じて、あの部屋に現れたんだ、
と。
それから数日後の8/29、
義父は治療の甲斐なく息を引き取られました。
実直という言葉は義父のためにあると思えるほどに、
信望ある素晴らしい人でした。
葬儀は非常につつましく執り行われたのですが、
参列者は膨大な人数にのぼり、
その人柄を推し量るに充分な盛大な葬儀となりました。
与えられた戒名は、「嘉峰進運居士」
(ここに戒名を表記するのは禁忌かもしれませんが、尊敬と自慢を兼ねて、紹介します。)
“嘉”こんで “峰”を “進”み “運”ぶ、
正に地道に実直に人生を「進」み続けた義父にふさわしい戒名でした。
離婚してしまった今となっては、義父はさぞご立腹かと思いますが、
公式に法事に参加できない身として、毎年この日には、
天に手を合わせ「侘び」と「感謝」を伝え祈っています。
余談ですが、
義父の葬儀は今では珍しい自宅葬でした。
既に会社は退職後、しかも駐車場も無いのに、膨大な参列者数となり、
土地柄として焼香を済ませたら普通は帰る(おみおくりには親しい者しか残らない)
という風習にもかかわらず、
300人以上もの方が最後までおみおくりをされました。
この大人数に腰が引けた義父の長兄(喪主)、次兄、元義母は最期の挨拶を逃げ、
何故だか会葬礼状に名前すらない、
長女の嫁ぎ先の旦那である、
姓も異なり、血の繋がりもない、
35歳にも満たない若輩の私が、会葬御礼の挨拶をすることになりました。
その時、よく義父が語っていた、
「親バカにはいくらなってもいい。が、バカ親にだけは、なるな。」
この言葉を、自分に言い聞かせるように噛み締めながら話しました。
私が「うつ」の初期症状から一旦回復を見せ、リハビリ復職をした、
そんな遠い夏の話です。
今では、戸籍上も公的にも何の縁故もない方ではありますが、
私にとっては、永遠の義父です。
お義父さん、ご期待に添えなくて、大変申し訳ありません。
そして、本当にありがとうございました。
のま
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こんにちは!
今日は休日ですが、映画レビューをちょいとお休みして、
(って、ずっと休んどるやん!笑)
思い出日記です。
そうですね、私が高校生の時ですので、
もう30年以上も前になるでしょうか。
古い話ですが、はっきりと覚えているので、ちょっと書きましょう♪
懐かしいですねぇ〜
そのころ、私は中国山地のど真ん中、小さな田舎の町の中で、
さらに山の中に形成された集合住宅地に住んでいました。
今では珍しくはありませんが、
その頃としては新しい感覚(○○タウンとか○○台とかいう感じ?)で、
結構広い土地(といっても元はただの山笑)を拓いて、住宅を集めたようなところで、
CタウンHG(地名です。レイザーラモンではありません笑)と呼ばれていました。
新しかったので、
住む世帯(購買者)も丁度小学生〜中学生のいる、
子育て真っ盛りの家庭が多く、
私の家のように就職した姉と、高校1年になったばかりの私のような、
わりと学年の高い子供のいる家庭は少なめでした。
(ウチは、持ち家ではなく賃貸だったからでしょうね)
でしたので、放課後や休みとなると、
小学生たちがわんさか集まって遊んでいました。
特に、我が家の南西側すぐ近くにある大きな階段は、
子供の溜まり場のようになって休日は賑やかだったものです。
山の斜面を拓いて出来た住宅地なので、
こうやって階段を設けないと道が急坂になってしまいます。
そのため、住宅地の真ん中を南北に通る一本道だけは、
いくつか階段がありました。(側道は、車が通れますが、急坂でした。)
しかも広くて長いので、
中ほどに広い平坦地を挟んで2つの長い階段が繋がっているような形でした。
それだけに、子供も遊びやすかったのでしょう。
上下や平坦地で縄跳びや鬼ごっこ、
階段ではジャンケンで「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」などと昇ったり降りたりして、
ワイワイと遊んでいましたわ。
休日は「うるせー!」ってくらいに笑
私は自転車で高校に通っていて、そこから直接塾に行っていましたので、
運動部ではない(アトピーで)のですが帰りは結構遅くなっていました。
それでも、遅くとも21時までには帰っていたと思います。
そうなると、「時間が分からないと色々不便」というので、
高校生の男の子の入学祝いといえば「腕時計」というのが相場でした。
(昔は携帯もスマホもありませんでしたので、時間を知る方法はそれしかなかったのです。)
私が入学した頃は、アナログ時計とデジタル時計が合体した、
シチ○ンの「デジアナ」というのが大流行で、
私もそれの「ブラックタイプ」を買ってもらい、非常に気に入っていました。
今、思うと、高いし重いし見難いし、
で決して実用度は高くなかったように思いますが、
「デジアナ」を持っているというのが、なんとなく自慢になるお年頃でした。
(今でも、止まったままですが持っていますよ♪)
その日は、GW前の暖かい日で、
少し早めの19時半ごろには帰路につきました。
早め、とはいっても流石にもう結構暗く、
ライトをつけて坂道を大汗かきながら登り、
その長い階段の手前で左に曲がると我が家です。
が、階段の下でふとキラッと何かがライトの反射で光ったようだったので、
自転車を止めて近寄ってみると、
それは留め金が壊れて部品が外れた、ウサギのキャラクター
(ミッフィーではなかったですが、エセミッフィーのような笑)
のキーホルダーでした。
金属で出来ていたので、反射したようです。
こういうのをランドセルの横につけるのが流行り始めた頃でしたから、
多分、ランドセルを背負ったままの子供が、遊んでいて落としたものでしょう。
私はしゃがんでそれを拾おうとしましたが、
その時、後ろから、タタタタ…と子供が走り寄るような足音がしました。
落とし主が拾いにきたのかな?と振り返ろうとした時には、
その子は既に私の横を走りぬけて階段に向かっていました。
それは、赤いランドセルを背負った小学生の少女で、
制服でしたが、一目で隣家H家のKちゃんだとわかりました。
Kちゃんはまだ小学2年生でしたが、
私の姉も全く同じKという名前で(漢字は違いましたが)、
お隣同士になってからずっと家族ぐるみで仲良く遊んでいた少女です。
どっちかの親が「Kちゃん♪」と名前を呼ぶと、2人が同時に振り向くので、
笑ったことがよくありました。
その時、Kちゃんは、暗い階段を軽い足取りで昇っていき、
真ん中を越え、最上段までトトトッと走り抜け、姿を消しました。
「Kちゃ〜ん」と呼んだのですが、聞こえなかったようです。
さすがに、小学生が19時を過ぎて遊んでいては、
隣のHさんも心配しているだろうと思ったのですが、
Kちゃんは昇り切ってすぐにどっちかに曲がったようで、
分からなくなりました。
私は再びしゃがんでキーホルダーを手にした時、
また後ろから、子供が走り寄るような足音がしました。
あ、Kちゃんが側道をぐるっと回って戻ってきたな?
と思い、「これ、Kちゃんのじゃないん?」と声を掛けようと思った時には、
やはり既に私の横を走りぬけて階段に向かっていました。
Kちゃんは、少し笑いながら階段を軽い再び足取りで昇っていきましたが、
私が、
「Kちゃ〜ん、これ、Kちゃんのじゃないん?
探しにきたんなら、ここにあるで〜。
もう暗いけん、一緒に帰ろぉやぁ♪
おばちゃん、心配しとるじゃろうしー。」
と声を掛けると、真ん中の平坦地で立ち止まって、くるりとこっちを向いて、
ニコッといつもの笑顔で笑って手を振りました。
で、こっちに来るかと思いきや、
また階段を昇って側道に消えてしまったのです。
こりゃ、参ったな〜、と思いつつも、
私が外れた部品の方を拾うためにしゃがんだ時、
また後ろから足音がしました。
子供は元気じゃなぁ、よぉ走るわぁ、と思いましたが、
今度はちゃんと捕まえようとした時、
足音は横を走りぬけるというより、私の背中に向かってきているようでした。
Kちゃんは庭でも階段でも遊んではしゃぎ出すと必ず、
私の背中に後ろから走りながら飛び乗ってくることが大好きだったので、
あ、来るな♪と思って、受け止めておんぶする体勢で待ち構えていました。
すると、案の定、小さな体がぴょんと背中に飛び乗ってきたのです。
「Kちゃ〜ん、これKちゃんのじゃろ?
壊れたん?
のま兄ちゃんが直しちゃるけぇ。
帰ろで♪
また明日、遊ぼな♪」
と言ったとき、
「うん♪のまにい、また遊ぼ♪」
という小さな声とともに、私の顔の右横からひょこっと顔を出したKちゃんは、
満面の笑みで、そして、その顔は、笑顔とまったく別物のように、
真っ赤な血にまみれていました。
気付くと私は階段の前で倒れていて、膝や肘が痛みます。
立てたはずの自転車は倒れていて、バッグは飛び出し、
まるで自転車の運転をあやまって、転んだように見えました。
ケガは右手の平に少しかすり傷があった程度で、
服も破れてはいませんでした。
しかし、買ってもらったばかりの「デジアナ」をアスファルトに打ちつけたようで、
アナログ時計は21時12分で止まったままで、
デジタル時計はストップウォッチモードで延々と計測を続けていました。
ガラス面にキズもあり、
アナログの針はリューズを操作しても動かず、
デジタルのストップウォッチもボタンをどう操作しても止まりませんし、
モードも変わりませんでした。
ショックでため息をついた私は、
腕時計の方が気になって気付くのが遅れたのですが、
その左手の下には、壊れたウサギのキーホルダーが落ちていました。
私はそれを拾い、自転車を押しながら帰宅したのですが、
21時を過ぎているのは明白なので、
厳しい父に「遅い!」と怒られるのと、
腕時計を壊してしまったことを叱られるとの思いで、
おどおどと玄関を開けました。
しかし、予想外に父は怒るでもなく、「遅かったのう。」と言っただけでした。
母は、何かの電話をしているようで、
私は壊れた腕時計を、どう言い訳して直してもらおうか思案中でした。
買ってもらったばかりだし、高いし、転んだのは自己責任だし…。
と、母が居間に戻ってきて、
「あ、のまくん、帰っとったん。遅かったんね。」
とだけ。
ため息をついて次に出た言葉は、
「HさんちのKちゃん、ダメじゃったみたい…。
頭を強く打ったゆうて聞いたけど、意識がもどらなんままじゃったって。
明日がお通夜で、明後日が式じゃけど、Kちゃん、時間空けて出たげれん?
のまくんは、母さんから先生に電話してみるわ。
出たげてぇね。
Hさんのおばさんにも言われたけん。」
翌夕、Kちゃんの通夜に出た私はそこで、
Kちゃんが昨日の夕方、
ランドセルを背負ったままであの階段を駆け上がって、
真ん中のところで誰かにぶつかった後、
後ろ向きに転げ落ちた、
という顛末を聞きました。
その時、
ポケットでチャラリ、と何かが重く沈んだような感覚がして、
思い出しました。
「おばさん、これ、拾うたんですけど、Kちゃんのじゃろうかと…。」
そう言って部品を直したキーホルダーを差し出した後、
仲良しだったKちゃんの不慮の事故のショックで、
止まったままだったことをすっかり忘れていた腕時計を見ました。
ストップウォッチは、
あれからずっと永遠に0.01秒を加えながら、忙しく刻み動き続け、
アナログ時計の針は、
あの時、凍りついたように止まったままでした。
21時12分。
それは、Kちゃんが息を引き取った時間だったそうです。
Kちゃんは、最後に私の背中に飛び乗って、遊びたかったのではないかと、
今でも思っています。
…っていう怪談話を、この夏の少年サッカーチーム夏合宿の夜に、
OBコーチの飛び入りで話してやろうと思うのですが、
どーでしょうかね?
あ、しゃべる時は、もっとくだけた喋り言葉ですよ♪
え?話?
いや、もちろん!オールフィクションですよ♪笑
さっきサクッと思いついたんで、軽く文章に起こしてみたんですけどね♪
やっぱ、夏合宿の夜は、ザコ寝の部屋で電気を消して、
布団をかぶって怪談話でしょう!
コーチの頃から、のまコーチの話は怖い!
(結構、レパートリーは多いです♪フィクションと、聞いた話ばかりですけどね笑)
という定評がありましたので、楽しみにしているようですし♪
う〜ん、もうちょっと、こう、バーン!
とインパクトがあった方がいいでしょうかね〜?
私的には、じわっ…と来る方が好きなのですが、
小学生にはもっとベタにインパクトがある方が怖がるんですよね〜笑
まぁ、ちょっとこれをベースに修正して、
あれっ?なに?このキーホルダー…
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今日は、映画レビューをお休みして、私の昔の経験談からの一言です。
「まずは、知れ!事情を知らずに嘲るものは愚者。」
3月に入りましたね。
私の心の中には、3月に入ると、今も思い出す教訓的出来事があります。
それは、昔、
クリーニングの集配のパートをやっていた時のことです。
安くて、朝早くて、キツい、元妻曰く「所詮、パート」でした。
クリーニングは春の衣替え時期が最高の掻き入れ時なんですよね。
だからその時期(だいたい3月中旬から始まりますね)は、
値下げセールをやって、
いっぱい受け付けていっぱい処理するんです。
その分、集める方(私)も、洗う方(工場)も大忙し!
そんな時、ある小さな田舎の取次店で、 いつもはほんの5〜10点程度が関の山の小さなお店に、 大きなダンボール箱が5箱以上積んであります。
ナニ!?
と思って恐る恐る聞いてみるとそれは全てクリーニング!
いつもの数の10数倍以上はあります。
ええっ!どしたんですか?
とおじさんに尋ねてみると、 一人で100点以上持ってこられたお客さん
がいるとか。(1点300円にしても3万円以上!)
「うわぁお!こりゃ、車に積みきれるかな!?」
と、内心苦々しく思いながら、 なんとかぎゅうぎゅうに詰め込んで帰りました。
これには、工場の人もビックリ!
「え!?あの店で、100点以上!?あり得ない…」 お昼休みの食事中にその話題がのぼり、私は、
「いやぁ、たった一人で100点以上ですよ? このくそ忙しい時に、積みきれるかどうかで大変でしたよ〜。 他の店も、ただでさえ多いのに。
しっかし、そんなにクリーニングに出します?
フツー笑! どんだけ溜めとったんや、って感じですよねー笑
万単位のお金を払ってクリーニング出すかなー、 ははは!」
だよね〜♪と、みんなで大笑いしました。
翌々日、出来上がったクリーニングを、その取次店に届けに行きました。
窓口にいたのはいつものおじさんではなくて、その奥さんでした。 私が大汗をかきながら大量のクリーニングを店に運び込んでいると、
(吊るとこなくて、マジ困りました)
奥さんが、
「たくさんで大変だったでしょ。」
と労ってくれました。
私は笑い飛ばすように、 「いやぁ、仕事ですから♪ それにしてもこんなにたくさん、一人の方なんでしょ? スゴイですねぇ〜笑」
と冗談めかして聞きました。 そこで穏やかな笑顔で返ってきた言葉は、
「ゆっくりでよかったんですよ。
亡くなった方の服をキレイにしておきたかっただけらしいんでねぇ。」
その時私は愕然とし、
「なんて愚かな!」と自分の今までの言動に激しく後悔しました。
そう、大量のクリーニングにも事情があるのです。
それは、亡くなった方の形見だったのです。
100点以上もの、亡くなった方の思い出を、
少しでも綺麗に、
もしかしたら、どなたかに譲るおつもりだったのかもしれません。
その想いが詰まったクリーニングだったことを、
見えない世界に、そんなこともあるのだということを、
今更ながらに知った愚かで愚かな私でした。。。
人の事情を知ることも、慮る事も無く、
考えなしに自分勝手な決めつけで
物事を言うもんじゃない!
とその時、思い知りました。 全ての行動に、
事情も理由もない人はいないのですよね。
事情も知らずに笑うものは、愚者。
そのとき私が学んだことです。 人には、その行動には、
何事にも事情や想い、苦しみや悩みがあると思えること。
それを知り、そして「認める」こと。
そうすれば、なにか不満なことがあっても、
相手を思いやって行動ができるはず、
と思うようになりました。 今でも何度も、
そして何かにつけて思い出す教訓です。。。
「クリーニングを運ぶ」
ただそれだけのパートでも、
いつの日か、何も役に立たないなんてことはない!
そうやって塵が積み重なって、
今の私の「認める」信条がある!
そう確信できる、大切な思い出でもあります。
たとえ、その時にどんなに「無意味だ」と思う時があったとしても、 「無駄な時間」などというものは、
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