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インドは程なく独立する・・・
■グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士) このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。 インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。 インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。(1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶) ■ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士) 要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。・・・・私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演) ■アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者) 第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」) 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」) ■ククリックド・プラモード (タイ国元首相 ) 「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において ) ■バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より) 約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答 日下公人 PHP研究所) ■ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥) 日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言) ■ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授) 大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。 ■ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者) すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁) ■ラグ・クリシュナン(インド、大統領) インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。(昭和44年「日本経済新聞」) ■アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士) 日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(「魂を失った日本」未央社、57〜65ページ) ■ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相) 我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。私達の先人は大東亜戦争を戦ったのですより引用 |
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なんか、嬉しいですね。分かる人には分かってもらえていると言うのだけでも嬉しい☆
2006/10/19(木) 午後 7:55 [ ミツコ ]
「インドは程なく独立する・・・」の一言が、多くを語らずとも、なんて胸を打つ言葉だろうと、感動しました^^
2006/10/19(木) 午後 11:03 [ zgenech ]
いい加減涙腺がゆるくなっているもので、プラモード氏の言葉を読むたびに涙が出そうになります。
2006/10/20(金) 午前 1:15 [ zombiepart6 ]
ええ、定期的に皆さんを同じネタで泣かせておりますです、ハイ(笑)こういう事を学校で聞かせろよと思うのですが、先生も生徒もなんか歪になっちゃってまぁ・・・昨今は。良い意味でのプライドなり誇りを教えろよって・・・ねぇ。
2006/10/20(金) 午前 2:17 [ zgenech ]
台湾春秋さんのブログで拝見しました。日本の罪科ばかりが喧伝されるマスコミや教育しか知らない人たちに知って欲しい言葉の数々です。転載させて頂きます。拝。
2006/10/25(水) 午後 1:56
戦争を肯定するためではなく、事実として伝えられるべきなのに全然知られてませんね・・ 転載させてください。
2006/11/9(木) 午後 3:33 [ 月 ]
転載ありがとうございます。自虐史観でズタズタになった心を多少なりとも癒せたらと思います。
2006/11/10(金) 午後 2:47 [ zgenech ]
TBありがとうございました。こちらからもさせていただきます。日本精神の素晴らしさを間接的に他国の為政者から聞けるのは嬉しいことです。絶対マスコミでは流れてこないですから。傑作ポキッ♪
2007/4/20(金) 午前 9:38
●「かつてのアジア太平洋戦争を侵略戦争でない」という。
田母神さん、本当かい?
では、アジアの国々の歴史教科書をチェックしてみなさい。
調べなくても、中国や、韓国、北朝鮮は、勿論、「日本軍の侵略」となっていますね。
・シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリッピン、ビルマ、タイ、…
みんな、「日本軍が侵略して来た」「日本は植民地にした」
「その日本の軍政に対し、反日レジスタンス運動が起こった」と書いてあり、
その様に国民に教えています。
「日本は、アジアへの侵略戦争でない」と歴史教科書で教えている「アジアの国」が
一つでもありますか?
あったら、それを示して欲しい。
⇒ Coffeeでも、東中野修道でも無理でしょうね。
観念して、目を覚ましなさい。ハイ。
2008/11/12(水) 午前 6:55 [ イエスちゃん ]
あほか。当時、独立国は、アジア、アフリカには、大日本帝国と中華民国と、タイ王国しかない。
日本が侵略したのは、中華民国のみ。それ以外は
アジアではない。みな、欧米諸国である。
中華民国は、もう存在していない。
すなわち、大日本帝国が侵略した国は、何処にも存在しない。
2008/12/4(木) 午前 0:34 [ ママヨの親父 ]
戦争、特に民間人も動員される総力戦がもたらした惨状に向き合うことなく、自己の主張する大義を説いても戦争の本質はつかめない。
戦争の大義、国家戦略の前に、大量破壊、大量殺戮をもたらすという帰結を冷静に確認すべきである。
戦争を正当化する大義を認めれば、お互いが自己の大義を振りかざすだけで、破壊と殺害が正当化されてしまう。
平和の理念、個人の幸福、国の繁栄を、戦争よりも優先して考えるべきです。
2009/9/3(木) 午前 11:54 [ TAKA ]
どんなに美化しても、
日本が中国・朝鮮・アジア諸国で行った蛮行は、許されないと思います。
第一日本は別に「アジアの解放」のためにアジアで戦争という暴挙を行ったのではなく、
石原莞爾さんの「世界最終戦論」だったかな?
あれの準備のために「アジアの盟主となり支配下」におくことが目的だったのではないのかと思います。
あの戦争で日本が勝ち続けていたら、インドも植民地化して、独立はなかったと思いますよ。
もちろん、「戦争へと進んだのは」日本だけの責任ではありませんが、
少なくとも最初に開戦したのは、「日本」だということを忘れてはいけないと思います。
「安全保障」のためだろうが、「国を守る」ためだろうが、戦争を選んだことは間違いだったことを認識して欲しいです。
マッカーサーやアメリカの言葉は彼らの最大の目的は、
「日本をスムーズに統治する事」なので、それを考えて判断すべきだと思います。
勝ち目のない戦争を選んだ日本は愚かだったと思います。
2011/3/5(土) 午後 0:03 [ - ]
蛮行といえば、例えば原爆は許される蛮行だったとでも?戦争という状況においては残念ながら蛮行は避けようもない。こういう状況は誰だって好きな人は居ないはずです。出来れば避けたい。そのためにはどうするか・・・他国と対峙するためには同等もしくは上回るパワーを見せつけないことには、相手だって歯止めが効かない状態だと思います。これらを回避する具体的で現実的な解決策があれば言うことは無いです。理想論だけでは、聞こえは良いですが、やがて他国にからめとられるのがオチです。人間はまだまだ愚かというか動物から抜け切れていないのです。
2011/3/5(土) 午後 8:05 [ zgenech ]
プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの撃沈が語られるならば、必ずセットにしてほしいエピソードが、「日本軍は後日、英国兵士と日本兵士の犠牲者を追悼するため、わざわざ海戦地の海原に花束を二つ、海に投げ入れた」ということでしょうね…。
我々日本には、元々敵など、いません。あるのは、悲しい状況情勢と、それに翻弄される人々の営みでしかありません。たとえ敵意に満ちた者が我々に仇をなすとしても、それは何かの勘違いでしかない、故に憎しみも起ころうはずもない。
…ただし、降りかかる火の粉は、全力で払わせていただきますけどネ^^☆
2011/5/30(月) 午前 2:23
そうですね敵をあえて作る理由もないし、できればお互い和気藹々と美味しい物でも食べながら、人生を謳歌したいですもんねw
2011/5/31(火) 午後 7:01 [ zgenech ]
当時日本が進出した東南アジア地域は、ことごとくが欧米の植民地でした。
ミャンマー(ビルマ)イギリス領
マレーシア イギリス領
シンガポール イギリス領
ブルネイ イギリス領
ベトナム フランス領
カンボジア フランス領
ラオス フランス領
フィリピン アメリカ領
インドネシア オランダ領
東ティモール ポルトガル領
タイ 当時も独立国として日本と同盟
パリ講和会議にて日本が提案した人種差別撤廃条項を理不尽に葬り去った欧米よりも過酷な支配を、日本がこれら東南アジア地域に強いた、というわけでもありません。
これらの多くの地域の独立を支持し、各国の指導者を集めた大東亜会議では、絶対に欧米が認めなかった人種差別撤廃を宣言しています。
そしてこういった経緯が、日本敗退後再び元の宗主国に支配された東南アジアが独立を勝ち取っていく精神的下地となっていた事実があります。東南アジア各国の指導者が、様々な折にそのような日本への評価を語っています。
2012/10/21(日) 午後 3:24 [ アジアや世界の歴史や環境を学ぶ ]
その独立勢力の中心的な役割を果たすことになったのもまた、日本の勇敢な兵士達であったという・・・。
2012/10/26(金) 午前 7:09 [ zgenech ]
米第32代大統領、フランクリン・ルーズベルトは、不戦を公約に掲げていたので、日本から攻撃をさせるように工作をしました。
日本は、日米交渉で和平努力をしていました。しかし、昭和16年11月26日、米国側当事者、コーデル・ハル国務長官から日本側に提示された交渉文書「ハル・ノート」により和平を断念しました。
日本がハルノートを受け入れ、日本が支那や満州から撤退していたら、日本では失業者が溢れ、夥しい数の日本人が餓死などで死んでいたでしょう。
亜細亜の大国の地位を失い、小国に転落すれば、米国・ソ連に植民地支配されていたでしょう。
さらにアジア諸国はアフリカの植民地と同じような不幸な道を歩んだことでしょう。
2013/8/15(木) 午前 11:51 [ 一党独裁中国の反日デモを軽蔑 ]