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生身の人間が素潜りで到達した世界最高記録は現在のところ水深162m。 また、特別な用具を使って潜水した記録は水深534m。 世界初の潜水調査船は、1929年日本の「西村式豆潜水艇」(水深200m)だった。 これって明治時代じゃないかい?w このころすでにマニュピレーターまで持っていたんですよ・・・凄い! 世界的な深度記録はトリエステ号(米) 1960年 水深10920m 日本の「しんかい 6500」はインド洋で日本の研究チームが 発見したインド洋にある熱水噴出孔では、スケーリーフットと呼ばれる奇妙な貝が捕獲された。この貝の軟体部は 鉄と硫黄からなる堅い鱗で覆われ外敵からの攻撃を防いでいる。
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2007年05月17日
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呉市にある鯛乃宮神社には第六潜水艇殉難者之碑があり、毎年、事故のあった4月15日に追悼式が行われる。 第六潜水艇の遭難事故概要 明治43年(1910年)4月15日、第六潜水艇はガソリン潜航実験の訓練などを行うため岩国を出航し、広島湾へ向かった。この訓練は、ガソリンエンジンの煙突を海面上に突き出して潜航運転するもので、原理としては現代のシュノーケルと同様であった。 午前10時ごろから訓練を開始、監視に当たっていた潜水母船歴山丸が一瞬見失った間に沈没。長時間たっても浮上しないことに気づいた歴山丸は、ただちに呉在泊の艦船に遭難を報告。救難作業の結果、16日(17日)に引き揚げられ、内部調査が行われた。艇長佐久間勉大尉以下、乗組員14人のうち12人が配置を守って死んでいた。残り2人は本来の部署にはいなかったが、2人がいたところはガソリンパイプの破損場所であり、最後まで破損の修理に尽力していたことがわかった。 この事故より先にイタリア海軍で似たような事故があった際、乗員が脱出用のハッチに折り重なったり、他人より先に脱出しようとして乱闘をしたまま死んでいる醜態を晒していたため、帝国海軍関係者も最初は醜態を晒していることを心配していた。 ところが、実際にはほとんどの乗員は配置についたまま殉職、さらに佐久間艇長は事故原因や潜水艦の将来、乗員遺族への配慮に関する遺書を認めていたため、これが「潜水艦乗組員かくあるべし」「沈勇」ということで、修身の教科書や軍歌として広く取り上げられたのみならず、海外などでも大いに喧伝された。 特にイギリス海軍では教本になり、アメリカ国会議事堂には遺書の写しが陳列された出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 第六潜水艇より http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%87 佐久間艇長の遺言 小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申訳無シ サレド艇員一同死 ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ 我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃レシト 雖モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤リ 以テ将来潜水艇ノ発展ニ打撃ヲ与フル ニ至ラザルヤヲ憂ウルニアリ 希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発 展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲ サスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ佐久間艇長の遺言全文より抜粋・・・ http://homepage2.nifty.com/12kan/sakuma.htm こんな話もあったのですね・・・興味のある方はリンク先で全文を確認してみてください。
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