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旭川市花咲スポーツ公園の前に、ある投手のブロンズ像がボールを振り上げ、悲しい目で遠く見つめている。
その投手が昭和時代の名投手ヴィクトル・スタルヒン。彼の家族はロシア革命の際、日本に亡命してきた、いわゆる白系ロシア人である。祖国から追われ、7年に及ぶ逃避行の末、ようやく旭川で落ち着けた。
その旭川でスタルヒン少年は、野球の才能を開花させた。やがてプロ球団に入り、1936年-1955年まで20年間NPBで活躍し303の勝星を積み上げた。日本初の300勝投手という快挙を成し遂げた。
無国籍で拠り所の無かったスタルヒンは野球の世界で生きていくしかなかった。それゆえ偏見の目で見られながらもチームに溶け込み、どんなに勝ち星を積み上げても決して天狗にならず、やがてチームメートの信頼を勝ち取り主将を任されることもあったという。
野球以外生きる道がないので、体のケアは相当なものだったらしい。またブライアン・シコースキーのように腕をグルグル廻すパフォーマンスも「お客さんはお金を払って僕らの野球を見に来てくれるんだから、少しでも楽しんでいただければ」ということで続けたらしい。プロ魂を感じさせる話だ。 生涯ずっと帰化を望み、申請をことごとく却下された。戦時中は「須田 博(すた ひろし)」に改名したが、44年には、「敵性外人」と官憲にマークされ、軽井沢に幽閉された。
官憲にマークされはじめると、所属球団は大功労者である彼を簡単に切ったそうだ。
結局、彼は1957年、無国籍のまま、40歳の若さで、不慮な事故で急死した。
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