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(その2女川からのつづき)
2012年5月の石巻市の様子について書きたいと思います。



仙台市内はすでに震災の影響を感じません。
広島と比べてもとてもきれいな街です。
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車で石巻に向かいます。

半壊したままの建物や、路面を直したあと、
少しずつ風景が変わって来ました。


案内してくださったてるさんが、
「ここから景色が急に変わります」
と言いました。











右方向を見ると、現れたのはだだっ広い平野でした。
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ここで人々が暮らし、
街が形成されてあっただろうことは初めて訪れた私でも分かります。









すごい爪痕でした。









遠くに「瓦礫の山」が見えます。
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流されなかった家がポツポツと残っていました。
どの家も1階部分は骨組みがむき出しです。

資金面で取り壊せない人、精神面で取り壊せない人・・
いろいろいるそうです。







左側には小学校です。
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屋上部分まで外壁が剥がれています。
すぐ上の少し高台にある家は被害を受けなかったようです。
ほんの数メートルの差です。








しばらく道を進みます。









流木・ゴミもまだこんな状態。
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(あれから二ヶ月経ってますが、ここは片付けられたかな?)





写真は撮れなかったけど、小型の船が道路に打ち上げられたままでした。
震災から1年以上経っています。
持ち主は亡くなられたのでしょうか。
小型だから自動車と同じようにほっておかれてるのでしょう。












被災した車が山積みです。
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持ち主が分からないため、なかなか処理が進まないそうですが、
8月に入り市のサイトに被災自動車処理についてのお知らせが出ました。
引き取り手のない自動車は引き受け業者を入札で決定、市の収入になるそうです。










これは鯨の大和煮缶がデザインされた魚油タンク。
地元で40年使われていたそうです。
道路の真ん中まで流されたこの様子は写真や動画などでよく出ていましたので、
目にされた方も多いのではないでしょうか。

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ぜひ保存を・・という声も出ていたようですが、
住民の方の気持ちに配慮して結局6/30に取り壊されました。
イメージ 4
(写真はネットニュースから拝借)

テーブルや椅子などに形を変え残されるそうですが、
こんな巨大なものが流されたほどの津波の威力であったと・・
椅子や机では想像できません。
風化させない為にもこのまま保存できるものはするべきでは・・
と、思うのですが、
「被災してないから気持ちが分からない」
と言われるとそれ以上言葉が出ません。

被害を受けていないからほんとに分からないのです。

それは悲しいかなどうしようもありません。















1週間前の仙台駅です。
イメージ 9
七夕祭りの飾りがダイナミックに飾ってあります。
とてもきれいでした。






東北は遠いと思ってたけど、心の問題ですね。
仙台なら広島からたった6時間(新幹線で)。
お弁当食べてぼーっとして寝て読書してうんこでもしてればすぐ着きます。
日本は狭い。
悲しいかな人は遠い。
でも、自分から動けばどんどん近くなる。


「絆」ってそういうことでは・・・



・・・・・と思うのです。



阪神淡路の時は大親友が被災しました。
まだ24歳で何もできなかったので、貯金から少し義援金送りました。
今回の震災も友人がいました。
24歳より少し知恵が付いたので、ボランティアできる体ではないから、
座ってても頭とメール使ってできる支援をしました。



現地に行く行かないは関係ないです。
どこにいたって、思い出せば、少し動けば見えて来るものがあります。


どうか、忘れないでいましょう。


閉じる コメント(12)

今年の五月の石巻か。。。
私は震災後半年の石巻を見ているので
写真を見ると。。
『あ〜〜〜!!道ある!!』って
思ってしまうんですよねぇ〜。。

被災地は本当に言ってみないと解らないコトが多いです。。

たまごさんも書いているように
ほんの数メートルで
ガラッと被災をした所とそうでない所が分かれているんですよねぇ〜。。
しかもやられている所は本当に壊滅的で
ものすごくショックを受けました。。
阪神淡路の震災も現場を見ているんですけど…
瓦礫とゴミが密集していた神戸に比べると
本当にゴミも瓦礫も無い用な場所もあって
すべてが無くなったって印象の場所が多かったのを覚えています。。

私も何か出来ればと思いながらも
あまり被災地には行けていないので
恥ずかしいと思っています。

2012/8/5(日) 午後 4:55 TOMI

風化されない事を祈ります

対岸のみたいに感じてる人が多いんでしょう

経済の中心で起きたら次はありませんな

2012/8/6(月) 午前 7:14 [ バボパパ ]

瓦礫の問題もなんでもそうだけど、どうして・・・・????
ってことがおおいね。
今私の店に、被災地の子供さんがバイトで入ってます。
偶然私の地元近くの大学に今年進学してきて、バイトに来ました。
津波被害はなかったけど、家は半壊だったと聞きました。
そして、目の前は、津波。。。。。
そう、たまごちゃんの写真にも有ったように、たった数メートルの違いで、津波から逃れられたそうです。
もし、自分のところだったら。。。。
その気持ちを忘れないようにしなきゃね。

2012/8/6(月) 午後 2:45 Love tache

顔アイコン

この写真どれも以前を知ってるだけに。心が痛いと言うか。忘れたいです。そんな私アカンかな?

2012/8/7(火) 午後 7:38 ケンケンセカンド

トミー

行く・行かない・・
自分の目でみる・見ない・・
確かに違うのだけど、でも行って思う。
どちらでもいいと・・
忘れないことが大切。いつもちゃんと考えていたい。
口に出しても出さなくてもどちらでもいい。
まだ、被災地はこんな状態のままだと多少でも知ることが大切。
そう思います。

住民の方の「早く忘れたい」と「忘れないで」は同時に出てる気持ちだと思います。

2012/8/8(水) 午後 2:23 たまご

バボパパさん

風化させないことが大事ですね。
原発問題で各種団体関係者がここぞとばかりに叫んでることばかりクローズアップされてるように思えます。
西日本にいると。
私はテレビ見ないから、ニュース報道などはどうなんだろう?
すでに他人事は悲しいものですね・・

2012/8/8(水) 午後 2:27 たまご

Loveさん

人間皆優しさを持っているから自分のことのように考えたと思います。
離れてる人でも苦しい思いをされたと思います。

>もし、自分のところだったら。。。。
>その気持ちを忘れないようにしなきゃね。

まさにこの一言に尽きると思います。

2012/8/8(水) 午後 2:29 たまご

ケンケン姉さん

辛い場所は早く忘れたいです。
辛い場所ほどなかなか忘れられないですね。。。

2012/8/8(水) 午後 2:30 たまご

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写真の魚油タンク、道から少しはみ出ていたので一旦少し移動させられています。残すのかなと思ったらやっぱしスクラップになりました。原爆ドームのような惨事を後世に語り継ぐ決定的な物は今回の地震で無いと思います。保存に反対する人も多かったようですが当時の広島市民はえらかった思います。正解でした。

2012/8/10(金) 午前 0:29 [ たけし ]

仙台の街中はなにごともなかったかのようですね。一転、すぐそこには爪あとが。。。。

毎日の生活に追われ、目の前にはまだ瓦礫ののこるこの風景。
被災された方のことを思うと、胸が詰まります。。。

2012/8/10(金) 午前 8:49 [ CHIMAY BLUE ]

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たけしさん

写真を見て何か違和感を感じていたのですが、道路にはみ出していたものが確かに移動してますね。それだったのですね。
視覚に訴えるというのはとても重要で、この赤い鉄がテーブルになったのでは意味を持たないと私も思います。
原子爆弾は人間(米国)が目的を持って落としたもので紛れもなく民間人大量虐殺です。その恨みはいかほどであったかと・・想像を絶します。後世に伝えよう核廃絶や平和のためだけではなく、その恨む思いもあり残存できたのだと想像します。
自然災害はどこに恨みを持っていったらよいのか・・忘れたい・見たくないという気持ちになるのでしょうか。
100年先なら孫の代です。一目見て分かるものでなければ・・。

2012/8/11(土) 午前 0:35 たまご

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CHIMAY!

ほんの数キロで別世界です。
津波の恐ろしさを感じずにはいられません。
共感できることではないんだけど、
忘れない、まだ続いている、この思いを持ち続けていたいです。

2012/8/11(土) 午前 0:37 たまご


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