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1リットルの涙の再放送の最終回を見た。
1リットルの涙の本篇がやってた時、私は短大生で、鬱病真っ最中だった。
毎日、生きるか死ぬかばかり考えていた。
そんな矢先の1リットルの涙の放送。
亜也さんの「生きるんだ」という言葉。
当時、私が綴っていた日記もいつも命と隣り合わせの内容だった。
そして、当時できたばかりの多発性硬化症の友達。
毎日死にたいと考えていた私が蘇生できたのは、生きたくても生きれない友達の言葉。
「明日できることがなくなってるかもしれないから、今を生きる。」
「今できることを必死に生きる。」
そうして、気がつくと、鬱病は気持ちは沈んでも生き続けられることを知り、
難病は気持ちとは裏腹に生き続けられないことが分かり、
鬱病から治った。(この気持ちのおかげで再発なしの鬱になってる)
「今できることを必死にやる」「後悔しないように」
当たり前だと思ってた。他のみんなも命に限りあるから、同じ様な気持ちでいると思っていた。
その頃から友達じゃない人から「命に執着ある」などと表現されていたが、
今1リットルの涙の再放送を見て再び思った。
私自身障害があるが故に、そしてでかい夢実現の為、一歩一歩を大切に歩んできた。
遊ぶなんて理解できなかった。
ましてや、身体を潰してまで遊ぶなんて考えられなかった。
健常者は何を考えているんだろう?
未だその疑問に悩む。
1リットルの涙を見終えて思い出す。
多発性硬化症の友達が、「私も確実にああいう道を辿る」って言ってたこと。
人より免疫が低く、風邪もひきやすい。
当然、防寒対策もすごく頑張るのに、それでも風邪をひいて、その上治りが悪い。
どんなに努力してもなりやすい・悪化しやすいのに、
健常者は気候に合わぬ格好をしてわざと風邪ひいてまき散らす。
健常者は自由であるが故に色々取り組めたりするけど、
命と向き合って考えて欲しいと思う。
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