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前回に続いて今日も、ちょっと歴史の話を書きたいと思います。
泉大津市は昭和17年に市となりました。大阪府では結構早い方です。
それまでは、大津町でした。大津町の成立は大正4年ですが、大津町に穴師村と上条村が合併し“大きな”大津町となったのは、昭和6年のことです。私の母親の世代では、やはり戎と穴師というのは、近くて遠いという感覚があったようです。(戎というのは、旧大津に会った小学校名、穴師というのは旧穴師村にあった小学校名です。両校の子供が今の誠風中学校(旧二中)にあがりました。)
だんじりでいうと、大津町がいわゆる、濱八町(大津神社)のだんじり祭りで、穴師村と上条村が今では12町連合といわれる地区です。もともとは、穴師地区と上条地区はばらばらで祭りをしていましたが、時代の流れで共同して祭りを運営するようになったようです。ただし本宮の日は今でも独立して祭りを行っています。(穴師地区・上条地区のことはあまりしらないのですみません。)
さて、大津町ですが、大津町となったのは、大正4年のことで、それまでは大津村と呼ばれていました。
ちなみにこの大正4年という年は大津史に残る田中町と下之町の大喧嘩があった年で、村から町になった町民の心境の変化がもしかしたらエネルギーとなって?事件にいたったのでしょうか。
(大正4年の大喧嘩で死者1名重軽傷17名を出したことよりしばらく地車曳行は禁止されましたが、それから数年後古来より久しく行われて来た大津名物の一つであり、年に1度の祭礼に欠くことの出来ない催事であるとういので復興することになりました。)
さて、そこからさかのぼって大津村のことですが、明治22年の町村制施行により誕生しました。ちなみにこの年に大きな変化があり、明治5年に88村あった和泉郡内の村が17村82大字となりました。
大津村になる前は、下条大津村と宇多大津村があったというわけです。
私は、大津村が2ヶ村にわかれていたことが大津のいや泉州のだんじり史に重要な意味を持つことだと思っていますが、その続きは次回に書きたいと思います。
話が、あっちこっちにとびましたが、読んでいただいた方はありがとうございます。
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初めまして(^ー^)ランダムからの訪問です〜この上の写真は旭小学校でしょうか?以前に寄せさてもらったときから少し気がかりになっていました(ーoー)y~~~突然の訪問すみません(~_~;)
2006/11/26(日) 午後 10:54 [ ala*n73**73 ]
そうです。旭小学校です。上では、穴師や戎やと書きましたが載せる写真がなかったので、旭を載せてしまいました。写真と文章の関連性が薄くてすみません。粉河線ものどかな感じが残っています。
2006/12/2(土) 午前 9:43