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1  「防衛性・攻撃的大義」と、「攻撃性(侵略性)・防衛的大義」
 
 
 
「防衛性・攻撃的大義」と、「攻撃性(侵略性)・防衛的大義」。
 
分りにくいが、私の造語である。
 
「大義」という概念を説明する際に、色々、利用可能であると考えているが、ここでは、ベトナム戦争に限定して使用してみたい。
 
 前者は、形式的には防衛的だが、負けたら全てを失う侵略的暴力に対して、国民が一丸となって攻撃的に突破していくという、堅固な意志が集合した観念体系としての「正義」のこと。
 
後者は、形式的には攻撃的(侵略的)だが、拠って立つ堅固な観念体系を防衛するという目的意識のうちに集合する、理念としての「正義」のこと。
 
言うまでもなく、前者がベトナム戦争における「ベトナムの戦争」であり、後者が「アメリカの戦争」である。
 
その「ベトナムの戦争」の本質は、侵略的暴力からの「解放と独立の戦争」であると言っていい。
 
これは、「赤いナポレオン」と称された、「救国の英雄」・ボー・グエン・ザップ将軍が、有名な「ハノイ対話」(1997年6月、米とベトナム間で実施された「ベトナム戦争」討議のこと)の準備会合で、「あれは独立戦争だった」と断言した言葉によって代弁されるだろう。
 
ホー・チ・ミン主導によるベトミン(ベトナムの独立運動組織)の「解放と独立の戦争」は、ディエンビエンフーの戦いを画期点にする、1946年から1954年に及んだフランスとの第一次インドシナ戦争を経て、ジュネーブ協定に収斂されていく。
 
しかし、ジュネーブ協定によって、南北に分離されたベトナムは、またしても、フランスに代わって、新たな敵を迎えるに至る。
 
アメリカ合衆国である。
 
フランス軍の敗北に衝撃を受けたアメリカは、ケネディ政権以降、南ベトナムの傀儡政権への支援のため、軍事顧問団の規模を一気に増大させていく。
 
ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)を援助する、北ベトナムに手を焼いていたアメリカはトンキン湾事件(注)を捏造し、ベトナム戦争を泥沼の「代理戦争」と化す「北爆」を開始した。
 
既に、ソ連や中国からの支援を受けた北ベトナムを巻き込む、ベトナム戦争が本格化することで、「防衛性・攻撃的大義」を有する「ベトナムの戦争」と、「攻撃性(侵略性)・防衛的大義」で駆動する「アメリカの戦争」が、もう、一歩も後には退けない「大義」をかけた戦争に踏み込んでしまったのである。
 
では、「アメリカの戦争」の「防衛性・攻撃的大義」とは何か。
 
「アメリカが指導する西側陣営は、封じ込め政策によって、共産主義の膨張から身を守らなければならない」
 
これは、1947年に、「フォーリン・アフェアーズ」(「X論文」)に発表した、アメリカの外交官・ジョージ・ケナンの見解を要約したものだが、この観念系の基本文脈の一つが、アイゼンハワー大統領とダレス国務長官によって提唱された、「ドミノ理論」という妄想体系のうちに結実化されていく。
 
言わずもがな、ある国が共産主義化してしまえば、まるでドミノ倒しの如く、その近隣諸国までもが、連鎖反応的に共産主義化するという、極めて観念性の濃度の高い理論である。
 
これが、マッカーシズムの脅威に怯えたトラウマを持つアメリカにおける、冷戦時代の外交の基本政策である。
 
「我々がインドシナを失ったと仮定してみよう。即座に、この地域にぶら下がっている先端のマラヤ半島はほとんど防衛不可能になるだろう。インド全土は包囲されることになる。ビルマは弱体の状況にあり、防衛不可能なことは確実だろう。これらすべてを失えば、自由世界はいかにすれば、インドシナを保持できるのだろうか」
 
アイゼンハワー大統領の言葉である。
 
マッカーシズムが吹き荒れたことで、「アジア専門家の空白」を作ってしまった事態の決定的瑕疵は、「共産主義」という名の「妖怪」を過剰に怖れる空気を醸成し、これが「ドミノ理論」という、もう一つの副産物を仮構するに至ったのは、以下のダレス国務長官の言葉によって検証されるだろう。
 
「東南アジアの集団安全保障を組織するのは,結局、インドシナ三国を失った場合,続いて東南アジアの他の地域を自由世界が失うことになるような状況を予防することを狙いとしている。インドシナの喪失が東南アジア防衛問題をいっそう困難にすることは間違いないが、アメリカは東南アジアの防衛を断念しないだろう」
 
現実主義者でありながら、同時に、「反共十字軍的発想」の持ち主と言われるほど、堅固な反共主義の理論に嵌っていた、この有能な国務長官が仮構した「ドミノ理論」は、その後のケネディ政権に継承されていく。
 

「ベトナムは、東南アジアでの自由世界の礎石です。わが国の子孫ともいえます。われわれはこの国を放棄することもできないし、その必要も無視することもできないのです」

これは、1956年に、マッカーシズムを支持した民主党上院議員の一人であった、ジョン・F・ ケネディの演説の一部である。

そのケネディ政権で、当時、高名なジャーナリスト・デイヴィッド・ハルバースタムによって、「ベスト・ アンド・ブライテスト」と呼称され、ベトナム戦争に最も重要な役割を担ったことで、「マクナマラの戦争」とさえ揶揄されたマクナマラ国防長官が登場する。

 
以下、あの有名な「マクナマラ回顧録」の一文を紹介する。
 
「たいていのアメリカ人と同じように、私も共産主義は一枚岩と見ていました。そして、ソ連と中国は自分たちの覇権を拡大しようと努力している、と信じていました。(略)ニキータ・フルシチョフ(ソ連共産党第一書記、首相)は、第三世界での“民族解放戦争”によって共産主義が勝利すると予測し、西側陣営に『われわれはあなた方を葬り去るだろう』と当時告げています。ソ連が1957年にスプートニク(ロシア語で人工衛星のこと)を打ち上げ、宇宙工学でのリードを見せつけたことで、フルシチョフの脅迫に信頼性が増しました。翌1958年、彼は西ベルリンに強圧を加えてきました。そしてまもなく、西半球ではカストロがキューバを共産主義の橋頭堡に変えました。われわれは包囲され、脅威にさらされたように感じたのです。アメリカのベトナム介入の底流にはこのような恐怖感があったのでした」
 
「共産主義」という名の「妖怪」に対する、当時のアメリカ高官たちの異様なまでの恐怖感が、合理的思考を有する抜きん出た能力の主の自我を呪縛し、「ドミノ理論」という妄想体系に縛られていた事実に驚きを禁じ得ないが、しかし、これが、ベトナムが共産化されることで、ミャンマー、タイ、マレーシア、インドネシア、更には、日本、台湾、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドが、徐々に共産勢力の手に渡るものだと主張した、アイゼンハワー大統領の記者会見での言葉を重ねれば、否応なくリアリティを増幅させてしまうのである。
 
 

時代の風景 ベトナム戦争とは何だったのか より抜粋http://zilgg.blogspot.jp/2017/05/blog-post_15.html

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