人生論・状況論への招待

映画鑑賞、心象風景・時代風景への視点

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1  「被害者にも非がある」という偏見に満ちた決めつけ
 
 
  
 
アメリカ・カリフォルニア州に、リチャード・ファーレーという男がいた。
 
システムや技術開発を行う最先端企業に入社し、7年目になる海軍出身のエリート社員だが、そこで知り合った女性に想いを寄せ、執拗に誘い、丁重に断られても、待伏せと手紙の攻勢によって、その行動は徐々にエスカレートしていく。
 
一目惚れだった。
 
1984年のことである。
 
とうとう、女性のマンションの自宅にまで訪ねていく始末。
 
件の女性は、警察に相談しても対処する法がなく、男の行動は迷惑行為としてしか扱えず、警察は為すすべがなかった。
 
まもなく、会社もこの事実を知り、男を解雇する。
 
厄介なことに、男解雇の原因を女性のせいにして、とんでもない行動に打ってでる。
 
女性の住むマンションの部屋の合鍵を作っていた男は、脅しをかけるのだ。
 
弁護士を通じ、に対する対策を立てて欲しいと、女性は裁判所に訴える。
 
しかし、全く意味がなかった。
 
1988年2月17日のこと。
 
ショットガン・ライフル・拳銃という、武器3点セットを持ち込んだ男は自社に乗り込み、手当たり次第に発砲した。
 
パニックと化した社内の陰で怯えていた女性肩を撃たれたが、一命を取り留めた
 
7人を殺害した男は、「愛する女性」への殺意がなかったのである。
 
「たっぷり、後悔させてやりたいからさ。彼女のせいで、死体の山が築かれることになったってさ」
 
事件から4年後、死刑判決が下された男の言い分である。
 
「NOと言われるなんて、思わなかった」
 
これも、「愛する女性」へのストーカー行為を繰り返していた男の言い分。
 
反省する素振りなど、一切なかった。
 
かくて、この事件が契機となって、1990年、カリフォルニア州ではアメリカ初となる「ストーキング防止法」が成立する。
 
この男の場合、特定他者に対する想像力が顕著に欠ける「自己愛性パーソナリティ障害」、或いは、自らを特殊な人間であると信じたり、被害妄想に捕捉されているといった、異常な妄想に囚われる症状を持つ、「妄想性パーソナリティ障害」の一種である、パラノイアの誇大的・被害的・恋愛的な精神疾患が疑われるが、どこまでも不分明である。
 
そして、2000年11月、我が国でも「ストーカー規制法」(議員立法)が施行され、それまでの「警察の民事不介入」によって取り締まれなかった軽犯罪法違反・名誉毀損罪・脅迫罪のみの限定恋愛感情などの好意の感情に基づき、相手方に不安を覚えさせる「つきまとい等」行為(「3条行為」)として処罰の対象とするに至り、紛れもなく、ストーカー行為が犯罪であると認定された。
 
「ストーカー規制法」の立法化の契機が、上尾市在住の某女子大学生(当時21歳)が元交際相手らに殺害された、「桶川ストーカー殺人事件」(1999年10月)であることは周知の事実(2016年改正によって、SNS・ツイッター・メールも規制対象になる)。
 
事件の発端となった被害者の元交際相手が自殺後、被害者殺害に直接的に関与した4人には、無期懲役から懲役15年の判決が下され、刑が確定された後味の悪い事件だった。
 
この後味の悪さは、当該事件において、「民事不介入」を理由に警察が全く取り合わなかったばかりでなく、警察の記者会見の意図的説明の影響もあって、各報道関係者から、「被害者にも非がある」と印象づける報道が続いた、相も変らぬ一連の流れに起因する。
 
「公正世界信念」(「努力しない者には、ペナルティが待っている」という、我が国特有の道徳的観念)に拠って立つ、加害者の犯罪行為を軽視するこの傾向は、今でも根強く残っているが故に厄介なのだ。
 
間違った偏見で、ストーカーを育ててしまうからである。
 
週に一度、食事やドライブに出かける程度の交際をしていた被害者が情緒不安定な面をしばしば見せつけられ、男に不安を抱き始める
 
―― 以下、「桶川ストーカー殺人事件」の問題点について言及したい。
 
被害者の女子大学生と交際ていた、北海道弟子屈町の屈斜路湖で自殺した男が、悪辣なストーカーに走った決定的な契機は、大宮駅のゲームセンターで知り合って間もない頃、今まで高級ブランド品をプレゼントした男の情緒不安定な性格を見せつけられ、交際に不安を抱き始めていた被害者が、男との別れ話を切り出したからであった。
 
「俺に逆らうのか。なら、今までプレゼントした洋服代として、100万円払え。払えないなら、ソープに行って働いて金を作れ。今から、お前の親の所に行くぞ。俺との付き合いのことを全部ばらすぞ」
 
ウィキによると、「外車ディーラー」と言って、職業を詐称していた男のマンションを訪れていた被害者が、室内にビデオカメラが仕掛けられているのを発見、これを問い質すとはにわかに逆上し、被害者を隣室の壁際に追い込み、顔面近くの壁を殴りつけながら、こう恫喝したと言う。
 
「交際を断れば殺されるかも知れない」
 
この一件で、被害者が言語に絶する恐怖心を抱くに至ったのは、人間のごく普通の心理である
 
恐怖に駆られているが故に、交際を続けざるを得なかった被害者が、その時から開かれる悪辣なストーカー行為に対して、友人に「私、殺されるかも知れない」と話ている。
 
被害者は家族に心配をかけることを避けるため、友人にのみ相談していたのである。
 
しかし、それも限界だった。
 
初めて、男とのトラブルを伝えるに至る。
 
そんな折、被害者宅を男が仲間と共に訪ねて来て、被害者家族を居丈高(いたけだか)恫喝するのだ。
 
被害者が両親に男との経緯を話し、それを聞き知った家族が上尾署に被害を申告したのは、その翌日だった。
 
予想通りと言うべきか、上尾署の対応はつれないものだった。
 
「民事不介入」という名の障壁は、一筋縄ではいかない岩盤なのだ。
 
被害者家族が危害が加えられる不安を訴えても、動かない署員たち。
 
動けないとも言えるが、それにしても、上尾署員の対応の鈍さには絶句する。
 
上尾署員の対応の鈍さを嘲笑(あざわら)うかのように、男たちの嫌がらせ行為は、愈々(いよいよ)エスカレートていく。
 
被害者の顔写真入りの中傷ビラが、近辺の住宅に撒かれるに及び、被害者の母親は上尾署を訪れ、被害の実態を訴えても、応対した刑事二課長は重い腰を上げることがなかった。
 
嫌がらせ行為を止めない男は、遂に、元暴力団員の男らに対し、報酬金を提示して被害者の殺害を依頼するに至る。
 
かくて被害者は、桶川駅西口前の路上で刺された後、総合病院に搬送されたが、大量出血によるショック死で絶命する。
 
あまりに理不尽な事件の顛末言葉を失うばかりである。
 
しかし、この理不尽な事件の直後に、偏見に満ちたメディアスクラム(集団的過熱取材)の嵐が待っていた。
 
殺人事件となり、世間の耳目を集めたことで、週刊誌を中心としたメディアは、性懲りもなく、被害者の私生活を偏見報道していくのだ。
 
「ブランド狂い」・「風俗店勤務」(実際は、友人から頼み込まれて勤務した、2週間ほどのスナックでのアルバイト)という、正確性を欠いた情報の一方的な垂れ流し。
 
そして、「遊んでいる女の子」という決めつけ。
 
例によって、「被害者にも非がある」と印象づける報道ラッシュが「二次被害」を生んでいく。
 
報道の対象となった被害者の家族が、精神的危害を加えられるのである。
 
情報訂正が難しい状況下で、事実と乖離する情報が誇張され、歪曲されて、世間に澎湃(ほうはい)するのだ。
 
そこには、「特定他者」を餌食にし、消費させる「メディア暴力」の本質が垣間見える。
 
メディアへの印象操作によって、上尾警察が自らの怠慢捜査を転嫁する意図が読み取れるが、一連の報道は、そのような疑義を抱かせるに足るメディアスクラムの爆轟(ばくごう)だった。
 
週刊誌の「売らんがための」「メディア暴力」は、テレビのワイドショーにおいて、フェイクに満ちた「結論ありき」の報道ラッシュに収斂され、尾鰭(おひれ)を付けて増幅されていく。
 
コメンテーターと称する連中の、時に重大な系統的エラーに繋がる、「システム1」(「速い思考」=「直感的思考」)による根拠不明な憶測・予断が、「解説」・「論評」・「批判」・「意見」と化し、世俗的嗜好の強いお茶の間に飽き尽きるまで垂れ流されるのである。
 
まさに、今も変わらぬ「言いっ放し」の状態となっていく。
 
事件の深層に肉薄するという困難な課題を単純化することで、状況の一面だけを評価しようとしたりしても、そこに照準を合わせることができず、日常モニタリングを含めた、他の情報処理が自動的に始まってしまうのである。
 
この行動心理を、「メンタル・ショットガン」と呼ぶ。
 
ショットガンは散弾銃で、その名の通り、弾が散らばって飛ぶので、「直感的思考」が独走してしまうのだ。
 
 

心の風景 ストーキングは「心理的テロリズム」である よりhttp://www.freezilx2g.com/2017/06/blog-post_19.html

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