人生論・状況論への招待

映画鑑賞、心象風景・時代風景への視点

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1  「ストローマン」の詭弁に言い逃れする「文芸評論家」の致命的脆弱性
 
 
 
事の発端(ことのほったん)から書けば、杉田水脈(みお・敬称略)が然(しか)るべき記者会見を開き、基礎生物学の重要な研究領域・「発生生物学領域」の教養レベルに届きようがない杉田と、偏頗(へんぱ)なイデオロギーを共有すると思われる、「オルト・ライト」(新極右)風の界隈(かいわい)にいる「仲間」(文芸評論家・小川榮太郎)が墓穴を掘らずに済んだだろう。
 
(以下、「敬称略」で、【】の部分は、筆者の感懐・批評です)
 
当該(とうがい)人物の杉田水脈が、所属政党の自民党の「性的指向・性自認に関する特命委員会」から、どのような指導を受け、何が間違っていて、そこから何を学び、何を反省したかについて、誤った認識と差別の助長に繋がるような喧伝(けんでん)した行為を、国家の最高議決機関・国会議員としてのスタンスを崩すことなく、「謝罪」(自説のコアを曲げずに修正し、凛として説明するだけでもいい)していれば、日本人の驚くべき「忘れっぽさ」=「執着心の脆弱さ」に救われていたに違いない。
 
視聴者の活動電位を発生させる、「ミラーニューロン」(共感感情)の反応を惹起したかも知れないからだ。
 
安倍晋三首相から、「まだ若いですから、しっかり注意しながら仕事して欲しい」などと励まされ、「ご鞭撻(べんたつ)頂きました」と言うなら、杉田が依拠する自民党の、LGBTに関わる、「性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&A」に拠って立つ政策ラインの範疇で、「謝罪含みの説明」を果たしたならば、LGBTの「理解増進」を謳う自民党にとってもプラスであった。
 
しかし、杉田水脈は、彼女の界隈にいる「同志」のガードに確(しか)と守られているのか、一貫して「記者会見」を開く様子がなかった。
 
頑(かたく)なに拒絶するのだ。
 
この「異様な事態」に業(ごう)を煮やしたのか、「新潮45」の依頼を受け、「LGBTはふざけた概念、それなら、痴漢の触る権利を社会は保障すべき」という言辞で集中砲火を浴びた小川榮太郎らの、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題する「批評文」が、「新潮45」10月号に掲載された。
 
【小川は「ふざけた概念」と言い放ちながら、後述する「アベプラ」(インターネットテレビ局AbemaTV内ニュースチャンネルAbemaNewsの略称)や、「PSIJチャンネル」(小川榮太郎が代表理事を務める日本平和学研究所の情報発信チャンネル)の「小川榮太郎『新潮45』への疑問に答える」において、「LGBT概念」を定義できず、且つ、定義することを拒絶する。そればかりか、「LGBT概念」に生物学的知識とは無縁に、文学の世界でしか救えないなどと言い放つ。
 
今、自治体の教育委員会に対し、「性同一性障害」に対する人権侵害への適切な対応を、文科省通達として求めている現実を、与党議員の杉田と、その杉田を擁護する小川は知らないのか。「性分化」という根源的テーマを含む、基礎生物学の知識なしに理解し得ない致命的無知を糊塗(こと)する物言いに絶句する。
 
既に、行政は動いているのだ。
 
「人権はイデオロギー」と誹議(ひぎ)する小川の詭弁(きべん)は、「LGBT概念」を定義することを拒絶して、論点をすり替える・「ストローマン」(相手の意見を正確に引用しないクリティカル・シンキングの問題点)に集中的に表現されている。
 
だから、一方的に喋り続けることで、決して自分の土俵でしか勝負できない脆弱性を曝(さら)しているのだろう。
 
これは多くの場合、「確証バイアス」(自分の都合のいい情報のみを集める)の結果、自分に都合のいいように無理にこじつける「牽強付会」(けんきょうふかい)の言辞を延長させ、自分の行動は正しかったと信じることで自我の安寧を得る「自己正当化の圧力」を押し込み、一切を直感的に処理する「速い思考」=「システム1」による攻勢によって、恰(あたか)も、議論に勝ったような印象を与えていく、「非対称戦争」(「戦力」が異なった者たちの争い)における初歩的な戦術である】
 
かくて、小川のこの独善的な寄稿文が、「新潮45」の休刊(事実上の廃刊)に繋がる突沸(とっぷつ)的現象を惹起した。
 
「編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません。その結果、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現を掲載してしまいました。このような事態を招いたことについてお詫び致します」
 
2018年9月21日の新潮社の社長声明の一文である。
 
ところが、この社長声明には、「生産性がない」として傷つけた人たちへの謝罪がなかった。
 
当然の如く、新潮社への批判が噴出し、批判の起点になった杉田水脈と、彼女への「援護射撃」を行ったと信じる小川榮太郎に対する批判にまで膨張し、10月初旬段階でなお、休刊発表後も続く危機事態の収拾がつかないのは必至だった。
 
―― 以下、カムアウトした明治大学教授・鈴木賢と、「新潮45」の休刊の「決定打」を放った文芸評論家・小川榮太郎との、「アベプラ」(インターネットテレビの報道番組)でのトークバトル。
 
稿を変えて紹介する。
 
 
 
2  同性愛者がカムアウトすると、パンツを履いていないと決めつける究極的差別言辞
 
 
 
Q.(MC)率直に言って、この騒動をどのようにご覧になりますか?
 
A.(小川)バカバカしい。書いた通りです。パンツくらい履(は)いとけ、ということです。性的なことっていうのはね、社会で議論すべきことじゃないんです。皆さんもご自分の性的なことは色々ある。私もある。そういう問題は昔から慎ましい、包む。日本では包むという文化があります。
 
性というものは本質的に包むものだ。あの人はこうなんだよ、というのは居酒屋で話すようなこと。社会で議論するのは人間としてナンセンス。人間の長い文明の歴史で、性という問題をここまで包まないことが当たり前で、性というものは権利だなんで馬鹿なことを言い始めたのはこの50年の愚かな欧米人だよ。
 
包むことで人類は文明であった。よく日本語で、「しこう」が「志」の「志向」か、好みの「嗜好」か、とか。言葉遊びです。
 
性に関することは言葉においても、包む。
 
「源氏物語」には性描写が出てこない。これが人類の、人間の性との長い関り方であり、工夫なんです。細かいこと、生物学者じゃないんでね、「オス・メス」というのがいると言われても困るんだね。性というもは包むものだ。
 
【この時点で、早くも、小川の認識には、LGBTの性的「指向」の概念がすっぽり抜けていることが判然として、いきなり驚かされた。「LGBT概念」への致命的無知が露呈されているのだ。後述する。
 
更に、「本質的に包むもの」という日本の〈性〉が、「包まないことが当たり前」になったのが欧米の文化であると決めつける論法には、エビデンスが全くない。
 
小川の強弁は、自らのイデオロギーを絶対化して、基礎知識の欠如を露呈する「LGBT概念」それ自身を無化しようという発想なので、聞いていて辟易(へきえき)する】
 
【ここで、「新潮45」での小川の、究極的差別言辞を引用する。
 
「テレビなどで性的嗜好をカミングアウトする云々という話を見る度に苦り切って呟く。人間ならパンツくらい履いておけよ、と。性的嗜好など見せるものでも聞かせるものでもない」
 
この究極的差別言辞に絶句する。
 
後述するが、既に、20年も前の「府中青年の家事件」での、LGBへの差別の言動に対する裁判で、原告であるLGBの団体が全面勝訴(地裁・高裁・上告断念)した際の、決定的に重要な判決を、小川は知っているのか。
 
「性的嗜好(趣味)によってカミングアウトする同性愛者は、パンツくらい履いておけよ」とまで言い切る「文芸評論家」が、我が国に蝟集(いしゅう)している現実を見せつけられて、呆れ果てるのみ。
 
「あなたたちの性的嗜好というのは、指の指向なんですか?それは自分たちがある観念を作っているわけです。私はそう思ってないんです」
 
これも、小川の「PSIJチャンネル」での言辞。
 
ここまでくると、反応する言葉を持ち得ない。
 
被差別者が苦渋の闘いを繋いできた人権獲得の歴史を、信じ難い無知によって歴史の針を巻き戻させる脱力感。
 
厄介な人物であることか】
 


心の風景 公権力の行使にとって、LGBTの知識がないことは許されない」よりhttp://www.freezilx2g.com/2018/10/blog-post.html

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